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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

もう、どこへも行けない君へ

作者: 船田かう



※このお話は、拙作『悪役令嬢に転生したようですが、そんなことよりピチピチしたい!~無力なる令嬢カレッタの優雅なる遊戯な日常~』のパラレル設定スピンオフ作品です。


※もしも、カレッタが転生者ではなく、ルーデンスが彼女と出会わなければ……というストーリーを限界まで突き詰めて考えたものです。


※このお話単体でも読むことはできますが、本編を併せてお読みいただくと、物語の背景や内容のギャップをより味わっていただけます。本編の明るい雰囲気とは真逆のシリアスな内容になっています。


※本編とは直接関係ない“もしも”のストーリーですが、登場人物達の精神の根本的な部分は矛盾のないように気を付けています。本編では見られないキャラクターの側面をお楽しみいただけます。


※ルーデンスが完全にダークなキャラになっています。本編の明るいルディがお好きな方はご注意ください。本編の不穏なルディがお好きな方は、彼のハジケたヤンデレ執着愛……愛?をお楽しみください。


※三人称視点です。本編では明かしていなかった、主人公たちの容姿設定(髪色、瞳の色)が明示されています。イメージと違っていたらすみません。


 

 ■0


「どーせあの野郎、先生との関係も良好なんだろ。『原作』じゃ病んでく第二王子を見てらんねーって鬱ってるとこからフラグ立つキャラなのに。なんで毎日あんな生き生きしてんだよあの先公」


「そーそー、けっこうバラエティ富んでるっしょ。先生ルートならわりと平和な部類で終わるんだけど、フラグ立たねぇし。……」


(本編 第五章:挿話 リッドの選択肢――テトラの台詞より)



 ――そんな、『わりと平和な』結末の、誰も知らない、その後。







 ■1


 霧の季節が明け、ついに訪れた夏。午後の日差しが濃い影を作る資料室に、ルーデンスは一人佇んでいた。

 じっとりと熱い空気が閉め切られた部屋に満ちていて、ルーデンスの首筋にもわずかに汗が浮く。


 彼は、一年生の頃から毎日のように腰掛けていた窓辺の書き物机に、手にしていた一通の封筒をそっと置いた。

 封筒の中身は簡素な一文だ。


『僕も自分らしく生きてみることにしました。どうか先生もお幸せに』


 机は整頓され、誰かが使っていた気配はすでに欠片も感じられない。彼は自分の寮の部屋も、同様に片付けてきていた。コドラリスはすぐに気がつくだろう。


 この一年ほど、自分を叱咤激励してくれた転入生の子爵令嬢に、ルーデンスは正直なところ、感謝していた。


 コドラリスから“自分という重荷”を引き剥がす決心がついたのは、彼女の干渉のおかげだ。この学園の外にも世界があるのだという、当たり前の事実に気づかせてくれたのも彼女だった。

 恩人を道連れに静かに沈んでいくようだったルーデンスの依存心を変えたのは、確かに彼女の言動だった。

 たとえ、それがどんなに的外れで、見当違いな干渉だったとしても。


 昨夜の学年末夜会で、コドラリスは彼女の愛を選んだ。ルーデンスは、ぬるま湯から出る時が来たのだと悟った。


 顔を上げ、窓の外を眺める。いつも見つめていた屋外実習場のベンチに、ルーデンスの大切な“彼女”の姿はない。もう二度と、あそこに彼女が座ることはない。


 誇りを罪と断じられ、誰にも必要とされなくなった彼女。

 ならば、自分がもらいに行っても、誰に咎めることができるだろうか?

 彼女を、ルーデンスを、先に捨てたのはこの世界の方だ。


「すぐに迎えに行くよ。……一緒に幸せになろう、カレッタ」


 一人そう呟き、ルーデンスは穏やかに微笑んだ。




 制圧はあっけなかった。

 影潜りで影を辿り、夕暮れ時の薄暗い森の中で、僻地の神殿へ向かう馬車に追いついたルーデンスは、四人の護衛と御者を一瞬で肉塊に変えた。


 影魔法で全力を出すのはこれが初めてだったが、脳が震えるような心地よい高揚に満たされた。

 使ったこともなかった、しかし体が確実に知っていた、命を刈り取る魔法の使い方。彼の暗灰色の髪は跳ねた血の飛沫で汚れていたが、そんなことも気にならないほど、ルーデンスの胸は希望で満ちていた。

 これだけのことができるなら、自分はどこへ行ってもやっていけるだろう。


 ルーデンスは軽い足取りで、カーテンが閉め切られた馬車に近づく。そして再び影魔法。先程と同じ要領で、影の“中”と“外”の位相をずらすことで、器用に馬車のドアをへし折った。

 開いた入り口から覗くと、座席に小さく縮こまり、蒼白な顔でこちらを凝視する彼女と目が合った。

 ルーデンスは馬車の床に上がり込むと、努めて穏やかに、彼女に声をかけた。しかし彼のその表情は、積年の想いがついに決壊し、壮絶な笑みとなって彼女を竦み上がらせた。


「やっと会えたね、カレッタ」

「ど……どなたですの? あなた……!」


 見知らぬ男から突然自分の名前を呼ばれ、彼女は恐怖で震える喉から声を絞り出した。水色の澄んだ瞳は混乱に揺れ、涙が浮かんでいる。


「僕はルーデンス。君を迎えに来たんだ」

「ルーデンス……まさか、あなたがルーデンス殿下? あの、第二王子の……」


 小さな唇でその名を繰り返すカレッタ。初めて彼女の口から呼ばれた自分の名に、ルーデンスは背筋を震わせるほど陶酔した。

 狭い馬車の中、彼女へ一方近づくと、まるで忠誠を捧げるかのように……そして、座席に座る彼女の逃げ場を塞ぐように、その前へ跪いた。


「ルディって呼んで。僕、君のこと、いつも見てたんだ。……ずっと、ね」


 心当たりがあったカレッタは、はっと息を呑んで、自分を抱きしめるようにさらに身を縮めた。


「あなた……でしたのね? あの冷たい気配……」

「そう。ずっと君の側にいたのも、外の奴らに罰を与えたのも、全部この僕だよ」


 ルーデンスは誇らしげに微笑んだ。まるで手柄を褒めてもらいたい子犬のように。

 しかしその微笑みは冷えた血で濡れていて、カレッタに得体の知れないものと対峙する恐怖を突きつけた。

 その恐怖に突き動かされたカレッタの口は、開けてはいけない箱の蓋を上げてしまう。


「どうして……どうしてこんなことを?」

「君が遠くへ行ってしまうと聞いて……もう、見ているだけで満足するのはやめようと思って」


 ルーデンスの金色の瞳が甘く溶け、その奥に暗い炎を灯すのを見た瞬間、カレッタの全身に悪寒が駆け巡った。

 反射的に突き飛ばそうとした両腕は、何か冷たい感触に捕らえられ、自由を奪われる。気がつけば、ルーデンスの美しい顔が、息がかかりそうなほど近くに迫っていた。


「抵抗しないで。悲しいな」

「これッ……あ、あなたの魔法……!?」


 座席についていたカレッタの両手は、クッションではなく柔らかい砂にでも飲み込まれるように、物理的にあり得ない深さで黒い影に沈んでいた。いつの間にか両足も同様に拘束され、彼女は身動きが取れなくなっている。

 捕らわれた四肢からは氷水のような冷気を感じ、皮膚の下を無数の虫が這い回るような、生理的に耐え難い不快感がぞわぞわと駆け上がってくる。

 カレッタの全身に鳥肌が立ち、腰が抜け、溜まっていた涙が筋になってこぼれた。


「そうだよ。影魔法。珍しいでしょ?」


 珍しいどころか、初めて聞く属性。カレッタには、この男の何一つ、計り知ることができない。

 骨ばった大きな手が、震えて歯の根を鳴らすカレッタの頬を、じっくりと撫でる。親指で涙の筋を拭ったルーデンスは、彼女にさらに顔を寄せ、甘やかな声で囁いた。


「ねぇ、僕のものになって、カレッタ」


 すでに恐怖に沈みきっているカレッタの身体は言うことを聞かない。それでも彼女は、ただの震えに見えてしまうほどの小さな動きだが、必死に首を振る。


「いや……嫌……あなた、おかしい……!」


 涙が溢れ続ける目を見開き、カレッタは強い拒絶をルーデンスに向けた。


「触れないで……化け物……!」


 ルーデンスの動きが止まり、口元に浮いていた艶然とした笑みが消える。

 やがてその口から、乾いた呟きが落ちた。


「そう……残念だな」


 落胆する言葉とは裏腹に、頬に触れるルーデンスの手には力がこもった。彼女の顔を乱雑に引き寄せ、額がつきそうな距離で、金色の瞳がカレッタを覗き込む。


「君がそう言うのなら……化け物らしく、力ずくでもらうよ」


 整然と並んだ歯を見せて、ルーデンスは口を開ける。

 何もできないまま、カレッタの唇はその怪物に深く奪われた。


 彼の前で、あらゆる抵抗は児戯に等しく、彼女はただ声にならない悲鳴を上げることしかできなかった。

 ルーデンスは底知れない飢えを満たすように激しく食らいつく。指が身体に彼の存在を刻み、影の冷たさが精神を嬲った。彼女の心は深海のような暗黒と暴圧で塗りつぶされ、奥底のさらに奥へ、否応無しにルーデンスが交わる。

 やがて身体が抵抗を放棄し、なす術なく彼に従うだけになると、ルーデンスは一転して優しくカレッタを抱きしめ、彼女の耳元に繰り返し吹き込んだ。


「これでもう、君はどこへも行けないよ。ずっと、ずっと僕と一緒だ。……愛してる」


 ゆっくりと、しかし確実に、カレッタの世界が細く閉ざされていく。

 そのさまを愛おしげに見つめる金の瞳が、冷たくも熱い手が、彼女を散り散りに引き裂いて余さず飲み込んだ。







 ■2


 国境山脈の麓に位置する、長閑な田舎町。

 この町の天気は変わりやすい。昼過ぎまでは真夏の太陽が燦々と照りつけていたのに、急にひやりとした風が吹き、雷雲が激しい雨を運んできた。


 老家具職人のダンパは、通りに面した工房の中で冷たい茶を片手に一服しながら、雨に慌てて行き交う人の流れをぼんやりと眺めていた。

 この雨では客足もないだろう、今日はもう店じまいかな、などとダンパが考えていたその時、一組の男女が、雨を避けて店の庇の下に逃げ込んできた。

 かなり強い雨だというのに、女の足取りが重いらしく、それに合わせて手を引いてきた男も一緒に、雨除けマントの下まで湿ってしまっている。


「ごめんください。しばらくここで雨宿りをさせてもらってもいいでしょうか?」


 マントのフードを上げ、若い男が顔を見せてダンパに挨拶をしてきた。すらりとした高身長で、暗灰色の髪に金色の瞳の、こんな田舎町には似つかわしくない品のある顔立ちの男だった。


「ああ、かまわんよ。旅の人かい? ゆっくりしていきなさい」


 二人の姿をざっと眺めて、ダンパは温かく迎えた。華やかな顔立ちとは裏腹に、簡素で薄汚れた旅装の男女。どちらもまだ二十にも満たなそうな若さだ。

 男は人懐っこそうな笑みを浮かべてダンパに頭を下げた。


「ありがとうございます」

「そっちのお嬢さんは、脚でも悪いのかえ?」


 ダンパが視線を向けても、その女は何の反応も示さなかった。フードの下の美しい顔には表情らしい表情が浮かんでおらず、泉のような水色の瞳も虚空を見つめたままだ。

 男は労るように女に寄り添い、そっと肩を抱いて言った。


「いえ、彼女は少し……気を病んでいまして」

「そうかい、そりゃあ悪いことを訊いたな」

「いえ、お気遣いなく。あまり無理な動きはさせられないところにこの急な雨で、困っていたんです。本当に助かりました」


 そう言って女を甘く見つめる男を見て、ダンパは彼らにただならぬ空気を感じ取った。


「お前さんら……もしかして、駆け落ちかい?」


 ダンパのお節介な言葉に、男は急に表情をなくし、まん丸に目を見開いてダンパを見た。しかしそれもほんの一瞬のことで、男は柔らかく微笑んで答えた。


「ええ……そう。そうです。愛の逃避行というやつです」


 冗談めかして言い直す男には、思いを遂げた自信のようなものが見て取れる。ダンパは直感的に、なんだか嫌いになれない男だな、と思った。


「若いのに大した度胸だ。どれ、何か拭くものを持ってきてやるから、奥さんを休ませてやりなさい。ほら、ここに掛けて」

「あ、ありがとうございます!」


 男はほんのりと嬉しそうに頬を染めて、改めて礼を述べた。

 ダンパは休憩用の椅子を差し出して、妻を呼びに母屋へと足を向けた。







 ■3


「ルディ。その片付けが終わったら、今日はもう上がっていいぞ」

「はい、親方」


 ダンパが声をかけると、顔を上げたルディは明るく返事をする。


 ルディとカレッタの若夫婦がダンパの家へやってきて、もう一年が過ぎた。

 あの雨で体調を崩したカレッタを気遣って、戦争で亡くした一人息子が使っていた離れを貸し与えてやると、ルディは礼だと言ってダンパの工房を手伝うようになった。


 過去をほとんど語らない彼らを、ダンパは貴族か良家の出なのだろうと見積もっていたが、意外にもルディは器用で筋がよく、やらせてみた仕事は素直にどんどん覚えた。

 いつの間にやらルディもすっかりこの家や近所に馴染み、ダンパの知り合いからは「いい弟子を取ったなぁ」と羨ましがられるほどだ。

 一年前は色白で痩せぎすだったルディも、荷物運びなどをさせているうちに、健康的で頼もしい体つきになってきていた。額に流れる汗を拭う姿もすっかり様になっている。


 どうせ先の短い年寄りの二人暮らしだったのだから、このまま彼らに工房を継いでもらうのも悪くないだろう、とダンパと妻は思い始めている。


 工房裏の材木置き場に端材を片付けていたルディに、ダンパの妻であるレイサが声をかけた。


「お疲れ様。今日はもう上がりかい?」

「おかみさん。ええ、親方もそろそろ上がると思いますよ」

「カレッタ、外に出ているからね。今日は顔色もよかったし、調子は良さそうだよ」

「わかりました、いつもありがとうございます」

「いいんだよ。今日はエリルのパイを焼いたから、あとで取りにおいで」

「わあ、ありがとうございます! あのパイ、彼女も大好物なんです」

「そりゃあいい。今はとにかくいっぱい食べてもらわないとね」


 片付けを終えたルディは、裏庭を横切って借り受けている離れへと向かう。

 玄関先の日陰に置いた小さなベンチに腰掛けて、美しい“妻”は一人夕涼みをしていた。

 昼間の名残を含むぬるい風が通り抜け、煩いほどに鳴き喚く虫の声が満ちる裏庭。その中で、彼女がいるそこだけが切り取られたように、静謐な沈黙に包まれていた。


「ただいま、カレッタ」


 ルディはその隣に腰を下ろすと、無言のまま虚ろな視線を向けてくるのみの彼女に、触れるだけの口付けをした。特に反応はないが、彼女に触れることこそがルディにとって至上の幸福だった。


「カレッタ、今日はおかみさんがパイを焼いてくれたよ。あとでもらってくるね」


 ルディは彼女の輝くような青黒い髪を指先で遊ばせ、優しく肩を抱く。日々手入れを欠かさないルディによって、カレッタは変わらぬ美しさを保っている。

 我が物顔でカレッタの背や腕を撫でていたルディの手が、ふと下腹に落ちる。服の上から見ただけではまだ目立たないささやかな膨らみを、ルディの手は確かめるように撫で上げた。


「……そろそろ、中に入ろうか」


 支えるルディに導かれるまま、カレッタは彼と共に玄関へと入っていった。







 ■4


 今日も空は高く晴れ渡り、山の向こうには巨大な竜の巣雲が立ち上る。

 老家具職人ダンパの工房には、近所の茶飲み友達がやってきて、気だるい午後の世間話に花を咲かせていた。


 近頃はダンパも寄る年波に勝てず、手元を見る目が霞むようになってきて、多くの仕事をルディに任せるようになっている。

 すぐそこで真面目に働く弟子の様子を見つつ、ダンパは友人の話に耳を傾けた。


「そういや聞いたか、西の山に集まってた山賊団の話」

「ああ、町の警備隊じゃどうにもならなくて、領主さまに援軍の要請したってやつか。どうしたんだ?」


 ダンパが問うと、友人は勿体つけた調子で言った。


「ソレがよぉ、その山賊ども、いつの間にか全滅してたらしいぜ」

「なんだあそりゃ、どういうことだ?」

「警備隊のやつが陣地を偵察しにいったら、前の日までは五十人はいた山賊が、一人残らず死んでたらしい……」

「そいつは……山の魔獣にでも食われたか?」


 友人は声をひそめて、続けた。


「これは、警備隊に息子がいる奴から聞いたんだけどよぉ。どうも魔獣の仕業とは思えねぇらしい。どいつもこいつもバラバラで、ほら、そこの端材みてぇなすっぱりした傷口だったってよ。あの山の魔獣に食い荒らされたんじゃあそうはならねぇ」

「なんだ、気味の悪い話だな……」

「おお、だから新種か、どっかから流れてきた他所の魔獣の仕業じゃないかって、改めて領主様の軍が調べに来るらしいぜ。どんな魔獣だろうな」


 そこで友人は、黙って椅子の仕上げ磨きをしていたルディに話を振った。


「おうルディ、お前はどんな魔獣だと思う? 五十人なんてとんでもないだろう?」


 しかし、いつもなら朗らかに反応するルディは、ちらりと一瞥を向けただけで、作業を続けながらぶっきらぼうに返した。


「別に、何でもいいですよ。山賊がいなくなったんならいいことじゃないですか。おおかた、酒盛りでもして酔ってたところを襲われたんでしょう。領主様の軍に任せておけばいいことです」

「なんだよ、つまんねぇ奴だなぁ」

「おい、やめとけ」


 明らかに苛ついた様子の友人を、ダンパは慌てて制止した。引き寄せて、ヒソヒソと耳打ちする。


「最近、カレッタの調子が芳しくなくてな……医者も匙を投げちまってる。余裕がなくて気が立ってるんだ、そっとしといてやってくれ」

「ああ……そりゃあ、悪いことしたな……」


 下を向いて黙々と作業を続けるルディを眺め、友人は気を取り直すように茶を含んだ。


「あいつらがこの町に来て、もう七年か? あんなに嫁を大事にしてる奴、俺ァあいつ以外に見たことがねぇよ」

「何もかも捨ててこんな町まで来たんだ。あんなに愛されて、カレッタも幸せだろう。それに……」


 工房の外から賑やかな足音と、甲高いはしゃぎ声が近づいて来て、ダンパたちもルディも顔を上げた。


「父さま!見て見て!チムの実こんなにたくさん取ったよ!」

「みてみてー!」


 工房に飛び込んできた二人の子どもたちに、ルディは慌てて注意する。


「こら、お前たち、工房で騒ぐなって言ってるだろ!危ないから!」

「はーい」

「でもほら、みてみて!」


 注意されて静かに近寄ってくる子どもたちを見て肩の力を抜いたルディは、作業を中断して差し出された籠の中を覗いてやる。夏の終わりに山で実る真っ青なチムの実が、両手ですくっても余るほど入っていた。


「よくこんなに見つけてきたな。すごいじゃないか」


 ルディが褒めてやると、二人は嬉しそうに笑った。しかしルディはすぐに厳しい表情に切替えて、子どもたちの目を見た。


「でも、今は危ないから山へ行くなって、父さまこの前言ったよな?」

「あ……そうだった……」

「父さま、ごめんなさい……」


 二人はルディとの約束をすっかり忘れていた様子で、しゅんとして謝った。


「おかみさんが、チムの実は体にいいって言ってたから……」

「母さまに早く元気になってほしくて、取ってきたの」


 うつむいて反省しながらそう言う二人の背を、ルディは優しく叩いた。


「約束を破ったのは悪いけど、お前たちの気持ちはわかったよ。母さまもきっと喜ぶだろう」


 嬉しそうに顔を上げる二人に、ルディは静かな、静かな瞳で言った。


「どんな危ないことがあっても大丈夫。母さまもお前たちも、僕が絶対に守るからな」


 そんな親子の様子を微笑ましく見ていたダンパは、ルディに言った。


「ルディ、ひと休みしてくるといい。子どもらと一緒に、カレッタの様子を見に行っておやり」

「親方、すみません……少し休憩いただきます」


 ルディは頭を下げると、子どもたちを連れて裏庭に出ていった。

 黙って茶をすすっていたダンパの友人が、憐れむような溜息をつく。


「ああ、奇跡でも何でも起こってくれねえと、堪らねぇよ」

「そうだなぁ……」


 心から同意しながら、ダンパは随分前にルディと交わした会話を思い出す。

 遠い町にやってきて、お前たちはちゃんと幸せにやれているか?と訊いた時のことだ。


「奇跡のような毎日ですから。僕は今、とても幸せです」


 一点の迷いなく答えた彼の笑顔が、ひび割れていく音が聞こえるようで、ダンパはやるせない気持ちになった。







 ■5


 子どもたちを寝かしつけ、寝室に戻ったルディは、寝台で静かに眠るカレッタの傍らに腰を下ろした。

 わずかに開けた窓からは、季節の終わりを予感させる心地よい夜風が室内に流れ込み、昼の熱気を冷ましていく。ガラス越しに眩しいほどの月明かりが差し込み、彼女の白い輪郭を浮かび上がらせた。


 もはやルディがいくら彼女を慈しんでも、かつての目を瞠るような美貌を取り戻させてやることはできなかった。手足は痩せ細り、肌も髪も荒れ、唇は乾いてひび割れていく。命の火が燃え尽き、小さな灰になりつつある彼女の身体は、ただ細く長い呼吸を繰り返すのみ。

 死なら何度でも見てきたルディも、生きながら静かに消えていく命からはこんな匂いがするのだということを、カレッタで初めて知った。


「君は、僕のものだ」


 呟き、彼女の額にかかる前髪を指先で避ける。


「君がいなきゃ……全部、意味がないんだ……」


 震える唇でそっと額に触れると、異様な冷たさがルディの胸を刺した。

 その時、すぐ側で、彼を呼ぶ掠れた声が聞こえた。


「ルディ」


 考えるよりも早く、弾けるようにルディが身を起こすと、凪いだ水面のような水色の瞳が、真っ直ぐにルディを見つめていた。


「……いま、君、僕の名前…………」


 子どもたちが生まれて以降、簡単な受け答えができる程度には言葉を取り戻していたカレッタだったが、ルディの名を呼んだことは一度もなかった。

 驚きとも歓喜ともとれる感情が溢れるまま、ルディは彼女の頬に触れようとした。しかしその手は、さらに紡がれ出した彼女の声によって静止する。


「わたくし、夢を見ましたの」


 いつもの虚ろな瞳でも、不明瞭な舌使いでもない。月の光を湛えた瞳には、確かな意思と、失われたはずの美しさがあった。


「あの学園の、薄暗い資料室。窓辺の机で居眠りをするあなたに、わたくしが声をかける……そんな、出会いの夢」


 自分の方こそ夢を見ているような心地で、ルディは彼女の言葉を聞いていた。あの日から一度も振り返ることのなかった記憶が掘り返され、彼女の声によって幻のような淡い色が付く。

 もしそんな想像が現実になっていたら、何かが変わっていたのだろうか?


「わたくしが選べなかった道、あなたが選ばなかった道……きっと未来は無数にあったのに、それでもわたくしたちは、選んでここへ辿り着いた」


 まるでカレッタ自身も望んでここまで来たとでも言っているようで、堪らずルディは小さく首を振った。


「違う。全部僕だ。全部踏みにじって、僕が君を奪った」


 ルディの言葉は懺悔ではなく矜持だった。そう思い込まなければ、簡単に崩れ去る彼の脆さと危うさを、カレッタはまどろみの中、短くない年月で感じ取っていた。


「そうですわね。わたくしの全てはあなたに奪われました。もともとなにも持っていなかったわたくしなのに。なけなしの尊厳も、自由も……あなたを許すための意思も、あなたを愛して差し上げるための心まで、全て」


 どんなに穏やかに過ごしていても、カレッタにとって彼は、あの日のままの怪物だった。カレッタがすべてを拒絶し逃避しても構わず、ただ自分のためだけに愛情を注ぐことで人間の姿を保つ、化け物。

 愛されるという名目で踏み躙られ続けた彼女は、今さらルディを許し、愛することはできないのだと彼に告げた。


「だから、わたくしにただ一つ残された命だけは、自分で終わらせたかったのですわ」


 ルディが用意した温かい薄闇の中、終わりに向かって緩やかに進むことを、カレッタは自分の意思で選んだ。それが、彼女に残されていた唯一最後の矜持だった。

 ルディはただ、幼い子どものように首を振った。


「違う……駄目だ。君は僕のものなんだ。そんなの許さない」


 投げ出されていたカレッタの手を取り、まじないのように繰り返すルディ。彼女の手は冷たく、握り返すことはない。

 ただ静かなカレッタの声だけが、凪いでいた空気を揺らした。


「わたくしが消えたら、あなたはまた全てを壊してしまわれるのでしょうね」


 ルディの飢えには際限がない。それが二度と満たされないとなれば、彼の牙はあらゆるものを噛み砕いて、飲み干してしまうだろう。

 たとえそれが、長い時をかけて大切に積み上げ、育ててきたものだとしても。あるいは自分自身だとしても、たった一瞬で。


 彼に最初に“化け物”という名を与えたのはカレッタだった。

 だから彼女は、枷として言葉を残す。


「あの子たちを、わたくしと思って。あの子たちの愛を、わたくしの愛と思って」


 ルディは、目を見開いた。

 ルディにとって子どもたちは、カレッタを手に入れた証であり、“幸福な日々”を形作る部品のひとつだった。カレッタのためなら何でもできたルディは、思い描く“幸福”のために、子どもたちに対しても正しい父親として振る舞った。

 たったそれだけのこと。しかし、あの子どもたちがルディに向ける眼差しこそが愛なのだと、カレッタの言葉は彼に伝える。


「子を身代わりに立てるなんて、ひどい母親でしょう? でも、わたくしも……あなたを縛るためなら、手段は選びませんの」


 ルディは、ずっと自分が彼女を縛っているつもりだった。自分の元から逃げないように。失わないように。

 なのに彼女の魂は、ルディに囚われたまま生きることを拒んで、どこへとも知れず旅立とうとしている。それが歯痒く、焦燥と虚しさを募らせていた。


 しかし彼女は今、最後の最後になって教えてくれた。ルディを縛り、繋ぎ止める鎖が、最初からその首に掛かっていたことを。そしてその鎖の端は、今もまだ彼女の手の中にある。

 彼女の言葉は、その鎖を永遠に遺していくことの宣誓だった。たとえ彼女の姿が、ルディの目の前から消え去ったとしても。今度は子どもたちをくびきにして、ずっと。

 ルディを見つめ、カレッタは微笑む。


「これでもう、あなたはどこへも行けませんわね」


 彼の中で、ひび割れ、軋み、今にも穴が空きそうだった場所が、温かい手で覆われて塞がれてしまう。

 繋がれた化け物はもう、思いのままに暴れまわることはできない。


 そうだった。

 ルディが好きになった彼女は、どんな孤独や屈辱の淵にいても、堂々と背筋を伸ばし、強かに前を見据えている、そんな人だった。


「……君が笑うところ、初めて見たよ」

「ええ。あなたの涙も、初めて」


 安堵なのか、喜びなのか、後悔なのか、自分でもわからない雫が、ルディの頬を濡らしていく。

 静かに瞼を閉じたカレッタの乾いた唇に、ルディは自分のそれを重ねた。








 ■6


 すっかり秋も深まり、山々を染めていた赤と金色の葉も、街路樹の茶色い枯れ葉もほとんど落ちきった。掃いても掃いてもすぐに溜まる落ち葉との格闘戦も、今年はそろそろ決着がつきそうだ。


 店先で元気よく遊ぶ子どもたちの声に耳を傾けながら、ルディは木槌を振るって慎重にテーブルの脚を組み上げていた。


「おうルディ、いい仕上がりだなぁ。そろそろ一服せんか」

「親方。ありがとうございます」


 工作用に沸かしていた湯で茶を淹れたダンパから、ルディは温かい湯飲みをありがたく受け取る。

 いつもの休憩椅子に腰を据えたダンパが、子どもたちの様子を見てルディに尋ねた。


「お? ありゃ、何で遊んでるんだ?」

「コマですよ。紐で巻いて、回して遊ぶおもちゃです。昔何かの本で読んだのを思い出して、試しに作ってみました」

「ほぉ~、上手いこと作ったなぁ」

「いえ、あれでも出来はガタガタですよ。難しいもんです。……まあ、あんなものでも少しは、元気が出ればいいなと思って」


 語尾を湿っぽくさせたルディに、ダンパは気遣いの視線を向けた。


「お前さんは、無理しとらんか?」

「そりゃあ、してますよ。しないとやってられません」


 眉を寄せて、やけになったように湯飲みをあおるルディ。しかしそんな弟子の様子を、ダンパは温かい気持ちで眺めていた。


 以前のルディは、どんなときでも落ち着いていて、いつも愛想よく微笑んではいるものの、常にどこかで他人と一線を引いているような雰囲気があった。

 それは子どもたちに対しても同様で、まるで完璧な父親という役を演じているかのような、違和感とも呼べないような不自然さが見え隠れしていた。


 それが、最愛の妻を失ってからというもの、塗り固めてきた樹脂液がポロポロと剥がれ落ちるように、これまで見せなかった表情を見せるようになってきていた。

 本人がそれに気付いているかはダンパにもわからないが、きっとそれが、カレッタがルディに遺した贈り物なのだろうと彼は思っている。


「そういえば、聞いたか? 最近、この辺の店を荒らして回るコソ泥がいるって話があっただろう。あいつ、ついに捕まったらしいぞ」

「へぇ、それはよかった! 子どもたちが鉢合わせないか心配してたんです」

「ただ、妙な話でなぁ……なんでも、見つかった時には通りの隅っこに転がって、ガタガタ震えて錯乱しとったらしい。『影の化け物に食われたー!』とか叫んどったらしいぞ」

「なんですか、それ……怪談話なら信じてませんよ、僕」

「なんじゃ、つまらんのぉ」


 白けた様子で肩をすくめたルディは、再び木槌を取って作業に戻ってしまった。

 話を切り上げられてしまったダンパは、もう一つ話したかった話題を仕方なく飲み込む。


 町の掲示板の片隅に貼られていた尋ね人の情報だ。隣国の王子が長いこと行方不明になっており、この国にも捜索協力の依頼が来たのだという。

 『生死問わず情報求む』と、どこか物騒な書き方が気になったが……。

 人相描きは無かったが、その王子は、暗灰色の髪と、金の瞳を持つ若者なのだとか。


「……っくしゅ!……寒くなってきましたね……親方、そろそろ暖房焚きません?」


 大事な跡継ぎにそっくりなだけの王子の話などどうでもいいか、と流したダンパは、煙突掃除の道具をどこにしまったかと、倉庫の棚を思い返すのだった。




 【終】






最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?

作者にとっても、書いたはいいものの公開するか悩んだ作品なので、お気に召したら評価・リアクション・感想などをお寄せ頂ければ幸いです。


本編未読でこの短編を気に入ってくださった方がいましたら、ぜひ本編『悪役令嬢に転生したようですが、そんなことよりピチピチしたい!~無力なる令嬢カレッタの優雅なる遊戯な日常~』もご覧になってみてください。このルディの魂が救済される“奇跡が起きた”ルートになっています。また、ルディに限らず、他にもデカ重感情を抱えたキャラたちが多数登場しています。

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