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田所遥平

 水曜日、小春はまた朝食をクロワッサンと決めた。遥平の様子はどうなのか、やはり少し気になっている。

「えっ……」

 小春は、公園から歩いてくる遥平の姿に少し驚いた。歩くスピードは変わらないし、爽やかな笑顔を放つその顔立ちにも疲れらしきものは見えない。ただ、覇気がないというか、あのハツラツとしたエネルギーが、随分小さくなっているように見える。

 昨日は松原との約束があったから……、そう~。「約束」なんてね~♪ 昨日は朝からテンション高かったわぁ。……っと、もう一度喜びを反芻(はんすう)している場合ではなく……、要するにこちらには来なかった。1日くらいでは変わらないと思っていたのも事実である。そんな油断を、小春は少し後悔した。

「おはようございます」

「やぁ、おはよう。今日は少し暖かいね」

「そうですね。走るには、暑すぎます?」

「いや、今はちょうどいい。走り出す時は、少し寒かったから」

「田所さん、まだ少しお疲れが抜けませんか……?」

「いや、大丈夫だよ」

 自覚してないってこと……? まだ心配そうに見ている小春に、遥平は逆に不安が湧いてくる。

「僕、どこか、おかしい?」

「……いいえ」

 慌てたようにかぶりを振る小春を見て、遥平は大事なことを思い出した。

「あっ、そういえば」

 遥平は腕に付けたコインポーチから、紙幣を取出す。

「ずっと気になってたんだ。この間の分、足りるかな?」

「えっ、いいですよ。助けていただいたお礼なんですから」

「お礼って……、あぁ、バイクにぶつかりそうになった時の?」

 コクコクと、小春は頷く。それを見て、遥平は明るく笑った。

「いいよ。あの時もクロワッサン美味しかったし。これは、この間のサンドウィッチの分」

「ホントに、いいです」

「そう言わずに」

「いいです」

「……」

 すると遥平はまた明るく笑い、出していたお金を引っ込めた。

「それじゃ、遠慮なく。ごちそうさまでした。小春ちゃん、遅れるから行こうか」

 立ち話になっていた2人は、駅に向かって歩き出した。

「えっと、お腹、空いてませんか?」

 小春はやっぱり心配になって世話を焼いてしまう。その言葉に遥平は歩みを止めて、小春の顔を見る。そして、声を出して笑った。

「実は、空いてる」

 パッと笑顔になった小春は、パン屋の袋を掲げて見せた。

「じゃ、また、朝ごはん一緒に食べますか?」

「うん。会えるかもって、少し期待してた。ははっ。でも、ちゃんとお金は受け取ってよ。じゃないと、食べられないよ」

「分かりました。では、こちらも遠慮なく」

 改めて2人で歩き出す。

「じゃあ、先に買っちゃわないで、一緒に選べばよかったですね。いつも私のチョイスだから」

「あぁ、そうか、そうだね! 今度から、そうしよう」

 遥平の喜ぶ顔に、小春はまた少し安堵した。そうか、喜ぶだけでもエネルギーは回復するんだ……。よかった。


 先日のベンチに2人で腰を下ろす。小春はサンドウィッチを取り出した。紙幣を代わりに受け取ったが、多過ぎることを指摘したら、「今度まで預かってて」と言われた。小銭を持って走るのは、煩わしいらしい。何だか、男前だ。

「おっ、今日はBLTだ。美味しそうだな」

「よかった。チキンじゃないといけないのかと、随分迷っちゃいました」

 やっぱり、僕の為に用意してくれてたんだな……。

「全然平気。僕、特に筋肉鍛えたいと思って、走ってるわけじゃないから」

「でも、長く走ってるっていう足ですよ」

「そう?」

「はい」

「5年位になるかな。……実はさ、メタボだったの、僕」

「へぇ。全然、想像できない」

「健康診断で引っ掛かった。会社から、痩せないと昇格させないってね」

「わぁ、大変。もしかして……、外資系?」

「うん」

「何だか、イメージ通りですね」

「そう?」

「はい。お仕事バリバリしてそうな感じです」

「ははっ、そうかな」

 サンドウィッチにかぶりついた遥平を確認して、小春はコーヒーを手渡す。

「これ、この前飲み切っちゃったけど、ホントは小春ちゃんが会社で飲む用のじゃないの?」

 受け取りながら、遥平は蓋を開けるのを留まっていた。

「会社は給湯室が使えますから、大丈夫ですよ。やっぱりコーヒーは、熱いのが美味しいから。どうぞ、遠慮なさらず」

 遥平は久しぶりに、胸がふんわりと暖かくなる。確かに会社でも、女子社員がわざわざ自分の為にコーヒーを入れてくれるが、何ていうんだろうな……思惑とか、期待とかが見え隠れしている様で、素直に喜べないでいた。それに比べると、小春ちゃんのは自然に受け取れる空気感がある。今日もきっとシェアする気だろう。そんなところも、重くなくていい。

「やっぱり、いい香りだ。豆、こだわってるの?」

「いいえ〜。実は、頂き物なんです。田所さん、ラッキーですよ。それ、ハワイ産ですから」

「そうなんだ。――はい」

 遥平が小春にボトルを渡そうと見れば、少し口の端に付いたクロワッサンを、ひょいと取って食べている。そのまま、受け取ったコーヒーを流し込んだ。

「まだ、付いてるよ」

 取り切れなかったパンのかけらを、取ってやる。遥平の指先にあるかけらを確認して、小春は小さく口を開けた。誘われるように、ポイッとそこに放り込む。満足そうに微笑んだ小春を、遥平は小さな驚きの目で見つめた。

「プッ。やっぱり、小春ちゃんは天然だなぁ」

 モッモッと残りのクロワッサンを平らげながら、不思議そうにこちらを眺めてくるので、遥平はもうそれ以上説明するのは諦めた。

「ここのパン、ホントに美味しいよね」

「でしょ〜。結構、ネットでも高評価なんですよ」

「今まで素通りしてたの、失敗だったな」

「……。いつもは、家に帰ってからの朝食ですか?」

「うん。っていっても、トーストとコーヒーだけだけどね」

「それで、お昼まで持ちます?」

「慣れちゃったから」

「……この近くにお住まいなんですか?」

「……いや。今は出張中で……」

「ホテル暮らし?」

「……そんな感じかな」

 はっきりした答えが返ってこない。隠しているのか、分からないのか……。

「あの……」

「ん?」

 どうしようかな。ズバッと聞いてしまおうか。ん〜、でも……。

 コーヒーを飲みながら、小春の次の言葉を待っている遥平に、言葉を選びつつ尋ねた。

「助けていただいた時、よく手が届きましたね?」

「っ……!」

 思わず、飲み込もうとしていたサンドウィッチで(むせ)る。ゴホッゴホッと苦しんでいる遥平の背中をさすった。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……」

 困ったな……。確かにあの時、僕が掴んだのは、2つに分かれた体の、止まってしまった方の体で、バイクにぶつかりそうになっていた本体の手首ではなかった。つまり「魂」だけの方に触れたということだ。そんなことができるとは自分でも思っていなかったので、大変驚いたのだが、あの時はできた。

 本体の彼女の感覚として、どんな感じだったのかは分からないが、それで確かに足は止まって、体もわずかに後ろに引き戻されたからギリギリバイクを避けられたのだ。連動しているのだと瞬時に理解はしたが、それをどうやって説明すればいい……。

「……ごめん。よく覚えてないけど、少し走ったかな……」

「そうなんですね。私ボーっとしてることが多くて、でも、すぐ後ろに人がいるなんて、全く気付いてなかったから……。後から考えたら、それも怖いなって思って」

「そうか。確かにね……」

「ありがとうございました」

 ぴょこんと頭を下げられた。

「小さい時から? ボーっとしてるの」

「ふふっ、はい」

「それで……、ケガとかしなかったの?」

 おもむろに、小春は自分の頭に両手を乗せて、おでこのすぐ上辺りの髪を分ける。

「こことか〜」

 次は、スカートを少しだけ上げて、ひざを指差す。

「こことか……。他にも、色々です」

 と言って、また笑った。どちらにも、結構長めの2〜3cm程の古い傷があった。

 遥平は思わず笑ってしまう。こりゃ、大変だ。周りにいた人は、振り回されたんだろうな……。

「ははっ、小春ちゃん、苦労してきたんだねぇ」

「苦労かどうかは、良く分かりません。それしか、知らないので」

「そりゃ、確かにそうだ」

 また笑い出した遥平に、小春はホッと胸を撫で下ろす。随分、元気が戻ってきた。

「そろそろ時間だね」

 そう言って立ち上がった遥平に、小春は見上げながら言葉を掛けた。

「はい。……あの」

「ん?」

「田所さんって、小さい時はなんて呼ばれてたんですか?」

「えっ、僕?」

「はい」

「……珍しいこと聞くね。何だったかなぁ、遥平とか、遥ちゃんとか? 忘れちゃったな」

「じゃ、『遥ちゃん』にしよ」

「何?」

「今日はずっと、『小春ちゃん』って呼ばれてたから、私は『遥ちゃん』」

「……そう、だっけ?」

「はい、そうでした。()()()()はダメですよ、遥ちゃん」

 呼び逃げって……。遥平が驚いている間に、小春もスックと立って、スカートを整えた。

「じゃ、遥ちゃん。また」

 ふっ、小春ちゃんって、ホント……。

「うん、また。仕事、頑張って」

「はい。遥ちゃんも」

 小さく手を振って別れた。遥ちゃんか……。この年で呼ばれると、何だか、照れるな。元カノ達にも、そんな風に呼ばれたことはなかった。小春ちゃんって、ホント……、面白くて、……可愛い。


 小春は電車のホームで、慌ててLINEを送る。

「おはようございます。すみません。今日も朝食、ご一緒できません。

 定時には着きますので、ご心配なく」

「了解です。気を付けて来てください」

 画面の中で、小春が送ったふわふわヒヨコが、ぺこリと頭を下げた。


 スマホの電源を切って、松原は小さく溜息を()いた。

 この間、僕が少し気持ちを出し過ぎたから、根岸さん牽制してるのかな……。ダメなんだろうか、これ以上踏み込んでは……。答えの出ない自問自答に翻弄される。

 ジャコのおにぎりを頬張りながら、小春の笑顔を思い出す。いや、嫌われてはいないはずだ。それに、自分の中で決めていた、1つの区切りも間もなくやってくる。6年同じ様に続いた朝食の時間を、もう別のものに変えていきたい。小春をいつ誰に取られてしまうか分からないのだ。そうなってからの後悔では、遅い。決めたんだから、今まで踏み込めなかった1歩を、躊躇すべきじゃない……。

 松原は残りのおにぎりを口に放り込み、キーボードを叩き始めた。



 翌日、小春はパン屋への道を急いでいた。昨日分かれた時は、何とか元気を取り戻していた。しかし、今日の様子次第では、朝食を食べるだけではもう回復しないかもしれない。それを確認するためにも、早く会わなければと気が急いている。いつもより早く家を出てしまった。

「松原さんに、また連絡しなきゃ……」


 昨日会社に到着すると、松原が小春の席にやってきた。

「根岸さん、これよかったら」

 そう言って差し出されたのは、あの「ひかりおにぎり」の小さな袋だった。中を確かめると、コロコロと丸い揚げ物が容器に入っている。これも「ひかりおにぎり」で人気の、「特製チビまるコーン」である。

「わぁ、どうしたんですか、これ」

「今日、一緒に食べようかと思って買ったんだけど、よかったらお昼にでも食べて」

「え、そんな、いいですよ。松原さん、お昼に召し上がれば……」

「僕は定食だから、それで十分。よければ」

 小春はもう一度、チビまるコーンと松原の顔を交互に見比べる。今まで、朝食を交換することはあったが、シェアすることはほとんどなかった。この間の言葉といい、推しメンが何かおかしい……。とはいえ、こんなラッキーなこともない。ありがたく頂きます!

「ほんとに、いいんですか?」

「どうぞ」

 小春が、掛け値なしの笑顔になる。その顔を見て、松原は少しホッとした。

「一緒に食べたかったですねっ! 遠慮なく頂きます」

「……」

 根岸さん……。その言葉とその笑顔、そのまま受け取るよ。特別だと、決めつけるよ。いい?

「明日は、大丈夫?」

「あっ、ごめんなさい。明日も来られないんです。ホント、残念」

 眉尻を下げて、でも、松原ほどの落胆を感じていなさそうな小春の返事に、せっかくの決心が揺らぐ。

「……何か、あったの?」

「う〜ん、ちょっと友達が具合悪くて、毎朝様子を見に行ってるんです」

「……そんな友達、いたっけ?」

 2人は、朝食を一緒に食べているだけではなく、普通に同僚だから、意外とお互いのプライベートも分かっている。世間話をしていれば、その辺りは結構共有できるものだ。そんな中で、小春の通勤途中に友達がいるなんて話は、一度も聞いたことがなかった。

「最近、知り合ったんですよ」

 えっ、最近って……。まさか、男性じゃないよね!? 急にみぞおち辺りが重くなった松原だが、さすがにそんな突っ込んだことは、今、聞けない……。

「そう……。それは心配だね」

「えぇ……。元気になると、いいんですけど……」

「……じゃ、取り敢えず明日は1人ってことか」

 そんな風に寂しそうに言う松原に、小春の心臓は勝手に「きゅうぅ」となった。

「ごめんなさい、松原さん……」

「いや、いいよ。時間遅くなると満員電車大変だろうけど、がんばって」

「ありがとうございます」

「もし来られるようなら、LINEして。食べずに待ってるから」

「あっ、はい……」


 松原さん、どうしたんだろう。確かに、毎朝一緒だったから、たまの1人は寂しいかな。急ぎ足でそんなことを思いつつ、さっき「やっぱり遅くなります」+ペコリスタンプを送っておいた。「了解」とだけ返ってきて、何だかホッとした。


 あれっ、遥ちゃん今日早いな。

 パン屋が見えて来たところで、店の前に遥平がいることに気が付いた。6時を少し過ぎた時間で、いつもなら走っているだろう頃合いである。

「おはよう、小春ちゃん」

「おはようございます。どうしたんですか、こんなに早く」

「今日は、ランニングは中止。ゆっくり朝ご飯しようと思って」

 心配していた体調は、昨日とさほど変わらない様子に見えた。しかも、小春の顔を見たら少しエネルギーが大きくなった様に感じた。これなら、安心だ……。

「えっと、じゃ一緒にパン選びますか?」

「いや、いい。僕の分はクロワッサンでいいから。ちょっと、一緒に行きたい所があるんだ」

 そう急かされたため、急いでクロワッサンだけ購入した。今日のお昼は、食堂にするか。

「どこに行くんですか?」

「海」

「えっ」

「この公園、海に隣接してるって知ってる? 見たことある?」

「あぁそういえば、確かそうでしたね。見たことありません」

「よかった! 朝起きたら天気が良くて、小春ちゃんに見せたいなって思い付いた」

 早足になりながら、公園を突っ切っていく。近道らしい脇道を使っているっぽいから、遥平にとっては何でもない距離なのだろうが、小春は早くも息が切れている。それでもなんとかついて行けば、防波堤が見えてきた。

「へぇ、意外と近いんですね」

 急に小春の笑顔が大きくなって、さっきまでしんどそうだった足取りがしっかりする。小走りになって、遥平の前でまた、体が2つに分かれた……。あぁ、また……。

「えっ……」

 今度は、まるで瞬間移動の様に動いた。まだ5、6歩先にあるゴール地点に、1つの体がスッと地を滑るように先に行ってしまう。残された体は瞬時にそちらに吸い込まれて、もう到着してしまっている。今のは、どっちが魂でどっちが体だったんだ……。

 1つに戻った小春は、そのまま小さな階段を駆け上り、海を見つめて手をかざした……。

「ぅわー」

 遥平がやっと隣に立てば、小春の顔は朝の光に照らされて、キラキラと輝いていた。

「海だぁ」

 その横顔に、遥平はしばし視線を奪われる。……なんて、綺麗な横顔なんだろう。……生命力に溢れている、と表現すればいいのだろうか。人はこんなにもエネルギーを身に宿した存在なのか……。遥平は、小春が光に包まれているかの様に、眩しさに目を細めた。

「小春ちゃん」

 遥平の呼びかけに、小春は笑顔を向ける。遥平は全身に一気に血が流れる気がした。


「小春ちゃんは、器用なんだね」

 そのままコンクリートの上に座って、海を見ながらの朝食になった。

「器用、ですか?」

 クロワッサンを遥平に渡しながら、小春は小首を(かし)げる。

「今日のヘアスタイル、昨日とも、その前とも違うでしょ……」

「あぁ、これですか? これは、我が家の秘密兵器のお陰です」

「秘密兵器?」

「三面鏡って、知ってます?」

「こう、観音開きにできる鏡台の事?」

 遥平は手振りをつけて、確認した。

「ん〜、惜しい。昔の、おばあちゃんが使ってた三面鏡なんですけど……」

 小春はスマホの画面を操作して、1枚の写真を見せてくれた。

「ああ、これ実家に小さい頃あったよ。覚えてる」

 そこには、鏡の幅が30cm〜40cm位で、高さが170cm程ある、床に直接座って使用する、昭和レトロな鏡台が写っていた。

「これね、髪をセットするのに、最強のアイテムなんですよ。今のドレッサーって、ほとんどが半面鏡っていって、開く部分が半分の幅しかないんです。あれだと、後頭部が写りにくくて……。だから、これを1度使ったら、もう他のは使えないんです。これがあれば、後ろのセットもひょいひょいっと」

 と、笑っている。いや、きっとそれがあったって、できない人にはできないと思うけどな……。

「実家から持ってきたの?」

「はい。おばあちゃんが亡くなった時に私のものにして、1人暮らしをする時に、ちゃっかりパクってきました」

「それは、おばあちゃん喜んでるだろうね」

「そうですかぁ。そうだと、いいけど。おばあちゃん、大好きだったから」

「うん。きっと、喜んでると思うよ」

 その言葉に小春は微笑んで、コーヒーボトルを手渡してくれる。

「遥ちゃんは? 痩せる方法は色々あるのに、どうしてランニングだったんですか? 小さい時から、走るのが好きだった?」

「僕ね、小さい頃長野に住んでたの」

「へぇ」

「家が山奥でね」

「ポツンと一軒家?」

「ははっ、いや、あれ程ではないんだけどね。小学校も山の中にあって、通学路が普通に山道なわけ。それで、知らない間に基礎体力が付く。下手な道具使うより、きっとこっちの方が性に合ってると思って」

「なるほど」

「僕は5分程で学校に着くんだけど、遠い子なんか、山道を4kmくらい歩いてくるんだよ。あいつらに比べれば、僕なんて『もやし』扱いでさ」

「いじめられちゃった?」

「そういうのは、なかったなぁ。生徒数も少ないし、1学年1組だったから、学年が違っても、みーんな友達みたいなもんだった。運動会なんて、全校生徒対抗でやるの。それでも150人位しかいなかったんだけどね」

「今でも、ご実家は長野なんですか?」

「いや、オヤジが、僕が中学に上がるのと同時に東京に引っ越してね。おばあちゃんがいたんだけど、亡くなってからはもう家も処分して。親戚はいるんだけど、ほとんど交流もなくてね。あぁ、さっきの三面鏡見たの、そのおばあちゃんの家だよ」

「……寂しいですか?」

「いや、全然。やっぱり、田舎は嫌だったしね。きっと、あのままいたとしても、高校に行く時には、山は下りてたと思う」


 顔を海に戻して、小春はもう一度眺める。あっという間に時間は過ぎていく。

「そろそろ、行きますね。もっといたいけど、遅刻しちゃう」

「うん、そうだね」

「海見られてよかったです。今日、少し早く来た甲斐がありました」

 遥平は先に立ち、片づけを終わらせた小春に手を差し伸べた。小春は1度、キョトンと遥平の顔を見たが、すぐにその手を取って立ち上がった。

「今度は、ランチでもどう? それなら、早起きしなくていいでしょ」

「遥ちゃんは、いつまでこちらにいるんですか?」

「あと少し……、いると思う」

「……分かりました。じゃ、土曜日は?」

「うん、いいね。また、あのパン屋の前で。11時でいい?」

「はい。11時」

 駅まで一緒に歩いて、小春と別れた。雑踏に消えていくその背中を、今日も見送る。今日の小春の背中は、何故だか満足気に見えた。

「小春ちゃん……。あと、何回会えるんだろう……」

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