何もしなくても
「これは、こちらの商品で間違いないでしょうか?」
遥平は、透明な袋に貼られているシールを店員に確認する。間違いないという店員に、更にスマホの画面を見せる。
「この人は、この店のお客さんですよね」
「ええ。よくご利用いただいております」
やっぱり……。
「以前、お世話になったのでお礼が言いたくて探してるんですが、いつも彼女は何時ごろ店に来ますか?」
遥平の問いかけに、店員は警戒した様子を見せる。確かに、僕がストーカーの可能性もある。それなら教えるわけにはいかないだろう。これも、想定内だ。
「そこの角で昨年の秋に、子供が車に轢かれる事故があったのを覚えてらっしゃいますか? その時にお世話になったんです」
遥平は作り話をした。半分は事実だ。あの時子供を助けようとしたのは僕で、救急搬送された後に、彼女に世話になったのだと。すると店員は、途端に僕を信頼した。そして更に以外な話を教えてくれた。
「そういえば、子供を助けて怪我をした人がいなかったかと、聞かれたことがありましたね。そちらのお客様だったと思います。いつも、朝早くにいらっしゃいますよ。通勤途中なんじゃないでしょうか」
遥平は店員にお礼を言い、店の外に出た。やはり彼女は、僕を知っていた!
「どうしてあの時、黙ってたんだ……」
あの後、遥平はすぐに「コナコーヒー」を購入した。言われた通り「エクストラファンシー」のグレードを。探していたコーヒーがこれだと、すぐに分かった。しかし、そのことがかえって小春に対する疑念を増やすことになった。
まず、初めて僕を見た時の彼女の顔だ。すごく驚いた顔をした。まるでそこにいるはずのない人物に会ってしまったかの様な、幽霊でも見るかの様に固まっていた。逆にこちらが躊躇したほどだ。単に、知らない人に声を掛けられた時の反応とは、明らかに違った。
そして次が、僕が芝生から下に飛び降りた時の言葉だ。あの程度の段差なら、大人なら誰でも心配する高さではない。それを、いかにも心配そうに言ったのだ。
――もう、大丈夫なんですか? そんなことしても……
僕の右足を目で確認し、その後に顔を見て聞いてきたのだ。あんなの、怪我をしたことを知っている人にしかできない反応だ。しかも、大丈夫らしいと判断した彼女は、安堵したかのように優しい笑顔を僕に向けたのだ。こちらが、思わず釣られて笑顔になる程の微笑みだった。あの時点で、もっとしっかり確認すればよかった。
コーヒーを探している話をした時もそうだった。あんな雲を掴むかのような話、大抵はあきれるか、逆に自分の知っているコーヒーの知識をどっさり教えてくれるかの、どちらかなのだが、彼女は「驚いた」のだ。そして、それが病院で覚醒した時のことだと知ると、ゆったりと笑顔になった。それはバカにしている種類のものではなく、敢えて言葉にするなら「幸せそうな」笑顔だった。
あの時、ちょっと違和感を感じたのを覚えている。
そして、極め付きが「お焼き」だ。懐かしいという彼女に「地元か」と聞いた時、瞬時に「違う」と否定した。お焼きがどこの郷土料理かなんて、興味がなければ知らない人の方が多い。実際、あのバーベキューに参加したメンバーは、皆知らなかった。元々、「お焼き」そのものも、手に取るのは初めてだと言っていた。
更に食べた後の反応が1番不可解だった。誰かに手作りしたらしい彼女が、申し訳なかったと感想を漏らした時、誰に対してなのかと女の子が問うた。そうしたら、こともあろうに、僕の顔を見たのだ。ほんの数秒の事だったが、申し訳なさそうに眉を下げて、今にも「ごめんなさい」と言いそうな顔だった。どう反応したらいいのか、正直困惑した。
名前も告げずに帰っていった彼女に、関心を示すなと言う方が無理だった。コナコーヒーを飲んだ瞬間に、もう1度探し出そうと心に決めた。
そう。僕はコーヒーを探していたのではない。「コーヒーの君」を探していたのだ。同期のあいつが言った通りだ。
手始めに、彼女の唯一の手掛かりの、ミニクロワッサンの袋から始めた。それには店名が記されたシールが貼ってあり、ネットですぐに店の場所を探し当てた。そして、驚いた。
あの事故のあった交差点の、すぐそばにある店だったからだ。こんな偶然、あるはずがない。絶対におかしい……。
次に話を聞いたのは、入院していた病院の看護師だ。彼女は、まだ僕が入院している時、「コーヒーの君」を散々尋ね歩いた時、僕がICUから転床する事を喜んだ女性がいたと教えてくれた看護師だった。病院まで行って、スマホを見せた。
あの時、咄嗟に写真を撮っておいた自分を、褒めてやりたい。
「1回だけだからねぇ、会ったの。ほとんど覚えてないのよ、ごめんなさいね。でも、雰囲気は似た感じね。細い人だったから……。あっ、けど髪型が違うかなぁ。綺麗に緩編みされてた気がする……。そうそう、後ろ姿がそうだったわ、思い出した。あれは、相当器用な人よ」
別れ際に、「会えるといいわねぇ、運命の人に」とニヤニヤされながら背中を叩かれた。どうして看護師は、ああも力が強いのか……。
運命の人とは、思っていない。そんなロマンチックなものじゃない。ではどうして、こうも追い立てられるように彼女のことを探しているのかと言うと、……あの時のあの顔が、忘れられないからだ。
正確には「あの顔」というのは、違う。顔が分かっていたなら、公園で彼女に会った時に、「コーヒーの君」かどうか分かったはずだ。顔そのものではなく、彼女がした表情を忘れられないのだ。どんな目で、どんな鼻で、どんな唇だったのか、そういうことは一切思い出せない。ただ、
――君、誰?
そう言った時の、彼女の表情が忘れられない……。全ての時間が止まったかの様な、繋がっていた糸がポツリと切れてしまったかの様な、全てを諦めたかのような……。とにかく、きっと僕が1番言ってはいけない言葉を、言ったに違いなかった。悲しみの表情と共に消えるようにいなくなった彼女のことを、どうしても忘れられなかった。
もしあの時に時間が戻せるなら、決して僕はああ言わない。「後悔」を、今も抱えたままで、それが僕を駆り立てている。
そして今朝、夢を見た。僕は大好きなおばあちゃんに抱き締められていた。
――よく我慢したね。おりこうさんだったね。もう大丈夫
目覚めた時は、泣いていた。どうしてだか分からない。もっと長い夢を見ていたはずだが、思い出せたのはこの言葉だけだ。自分の記憶を辿っても、おばあちゃんとのあんな思い出は、全くない。
そして、何故だか分からないが、今日だと思った。あのパン屋を訪ねるなら、今日だと……。居ても立っても居られず、やって来たのだが……。
「いらっしゃるのは、もう少し前ですね。クロワッサンが焼き上がる頃ですから……。今日は、いらっしゃらないかもしれません」
「……」
先程、最後に店員が教えてくれた。
店を出てから30分待っても、彼女が来る気配はなかった。
また、今度にしよう……。遥平は駅に向かって歩き出した。
「はぁ〜、今日はラッシュだなぁ……」
小春は今日、寝坊した。久し振りにかず子ちゃんの夢を見た。おばあちゃんの優しい腕に抱かれて、その記憶が気持ちよくて、つい2度寝した。今日は会社での朝食はあきらめて、お昼の分だけ買っていこうとパン屋を目指す。
お店も大混雑だ。ここのお店は朝食目当てのお客を見込んでいるのか、朝6時に開店する。都内でもこんなに早い開店は珍しいから、ありがたい。7時30分ともなればレジの店員も3名いて、フル稼働する。迷うことなくサンドウィッチを手に取り、ついでに朝食代わりの野菜ジュースも購入して店を出た。
この先の角は、遥平と初めて会った場所だ。だが、もうそれも思い出になった。遥平が小春を覚えていなかったから、最後は少し寂しい思い出だったが、あの公園での再会のお陰で、いい思い出に変わった。
たとえ夢の中での出来事だったとしても、ちゃんと記憶に刻まれていたんだと知ることができて、小春は満足した。
私の体質は変わらない。けれど、人と違うことを嘆き続けても、苦しいことはなくならないのだ。松原にだって、結局この体質のことは告白できなかった。もしあのまま結ばれていたとしても、本当の私のことを告げることができたのか、知った松原が愛し続けてくれたのかどうかは分からない。
これからも色んな人に出会って、私は私の人生を歩んでいくしかない。その流れに抗ってみても、きっといいことなどないのだ。
「何となく」を信じて、「何とかしてやろう」を手放してみようと思っている。そう教えてくれたのは、松原であり遥平だ。もう、悲しみは自分の中に吸収し終わった。わざわざ絞り出して、悲しみ直す必要はない。
「人は生まれてくる時、自分の人生を自分で選んで生まれてくる」という言葉を、小春は信じている。
この時代を、この場所を、この環境を、この両親を、そして、この体を、自分で選んで生まれてきた。それを信じて、生きていくしかない。
ふと、あの角に目を向ければ、そこに小さな男の子が立っていた。こんなに小さいのに、半透明の存在である。
さすがに少し気になったが、やはり視線を逸らせようとしたその時、その子が小春に向かって手招きをした。
えっ、何……。
手招きされて、ホイホイついて行く程、愚か者ではないのだが、その子が手招きに続いて、角を曲がった先の歩道を指差したため、少し釣られるように近づいて行った。
「僕が、引き留めといたよ」
小春は驚いた。言葉が通じる珍しいタイプであることと、その子が、実に幸せそうな顔をしたことに。小春に伝わったと分かった瞬間、その子は、すぅっと消えてしまった。一瞬のことで、小春はその場に棒立ちになった。
いわゆる守護霊と世間で言われている、生きている人を見守る存在の人達には、ああいった優しそうな顔をしている人もいるが、あの子の笑顔は、それよりも数倍明るいものだった。あんな子が、浮遊霊とも思えない。限りなく天使に近い。見たことはないが……。
しかも消える寸前に、「お礼だよ」との言葉が降ってきた。一体、何が起こったのか……。
フーッと息を整えて、小春は動き出した。あの天使が指差した角を、慎重に曲がる。するとそこに、1人の男性が背を向けてしゃがんでいた。
「はー、まいったな……」
その声に、聞き覚えがあった。
「遥ちゃん……」
小春の声に、しゃがんでいた人物が、スッと顔を上げる。ゆっくりと振り向きながら、その場に立った。
「君は……、小春ちゃん?」
「えっ……」
小春は遥平を見上げたまま、言葉を失った。遥平も、とても驚いている。視線だけが、2人を強く結び付けていた。
「小春ちゃん、苗字はなんていうの?」
「……根岸」
「今ね……、君の顔を見た瞬間、誰かが『小春ちゃんだよ』って、教えてくれた。信じる?」
「……小さい、男の子」
「あぁ、そうか。あれは、春樹君の声だったのか……」
「あっ……」
春樹の名を聞いて、初めて小春は気が付いた。ここで事故にあい、遥平に別れを告げに来た少年。そうか、あの子が……。
小春が思いついたような顔をしたのを見て、遥平は優しい顔になった。
「小春ちゃんは、何でも知ってるんだね……。僕の名前も、知ってるよね」
「……」
「コナコーヒー、小春ちゃんが飲ませてくれたの?」
小春は遥平を見つめるばかりで、答えない。その代わりに、質問が返ってきた。
「……どうして、ここにいるの?」
「君に会いに来た。『コーヒーの君』に」
「遥ちゃん……」
「そんな風に呼ばれてたんだ……。教えてくれないかな、君とのこと。もう1度、始めたい……」
「話せば、長くなります……」
「いいよ。これから、いっぱい時間はあるから」
遥平の言葉に、小春はゆっくり微笑んだ。
「はい」
歩き出した小春の横で、遥平は歩きにくそうに右足を引きずる。
「どうしたの? まだ右足、よくないの?」
ふっと笑った遥平が、スーツのスラックスを少し引き上げて、革靴を小春に見せる。靴紐が切れている。
「さっき、角の所で不意に切れたんだ。こんなこと、初めてだよ。まぁお陰で、小春ちゃんと会えた。諦めて、会社に向かうところだったから……」
――僕が、引き留めといたよ
そういうことだったんだ……。
「春樹君が、そうしたみたい。お礼だって……」
「へぇ、そんなことできるんだ。すごいな……」
「歩ける?」
「大丈夫。ちょうど、小春ちゃんの歩幅に合いそうだ」
「……よくここが、分かったね?」
「話せば、長い……」
2人は、顔を見合わせて笑った。本当の2人の時間は、始まったばかりだ。
「そういえばさ、麻布にホノルルコーヒーがあるの知ってる?」
「ううん、知らない」
「今度、行こう。それでさ、――」
会話は尽きない。今日の空の様に、晴れ渡った2人の笑顔には、雲1つなかった。
おばあちゃんの言葉には続きがある。
「小春ちゃん、その逆にね、何にもしてないのに、ビックリするくらいトントン拍子に話が進むこともあるの。たとえ途中で邪魔が入っても、何度も何度も繋がって、どんどん前に進むのよ。それこそが、『縁』があることなんだから、大切にしてね。怖がらずに、身を任せるのよ。そうすれば、あっという間に願いは叶うから」
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これからも「大人の恋」をお伝えできたらと思っています。
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