さよなら透明人間
自分を一言で表すならどうするかと訊かれたのならば、きっとこう答えるだろう。
――『透明人間』だ。
†
陽光優しく注ぐ教室、その片隅に座って数えきれない程眺めてきた景色を見つめる。
楽しそうに談笑する人々、その輪から外れている自分。
なんてことのない日常。
幾度と繰り返した平凡。
普段通りのありきたり。
誰かに声を掛けるわけでもなく、誰かから声を掛けられもしない。
教室を見渡してみても、誰ひとりとして視線が交わらない。
それは自分が『透明人間』だからだ。
そう割り切って、数えきれない程に繰り返して来た日々を重ねる。
今日もそうなるはずだった。
けれど、珍しく一人のクラスメイトと視線が重なった。
けれど、その人は驚きの表情を浮かべて視線を逸らす。
稀に姿を捉えられたと思っても、すぐさま見なかったことにされ、透明人間に戻ってしまう。
それはきっと、透明人間だからだ。
見たとしても、見なかったことにされてしまう。そんな希薄な存在なんだ。
幾度と季節が巡ろうと、幾度と歳月が過ぎようと。
居ないモノとして扱われて、誰からも忘れ去られてしまう。
そんな飽き飽きするほどに繰り返して来た日常だから、これ以上気に留めないで透明になった。
†
時間というのはあっという間に過ぎてしまい、一面を白く覆う季節は過ぎ、桜の季節が訪れていた。
校庭では、卒業生たちが最後の日を謳歌している。
――ああ、もうそんな季節なのか。
誰もいない教室から、何度となく見てきた景色だ。
――今年もまた、透明人間だった。
言葉を交わしたことのないクラスメイトを眺める。
――これでもう、何度目だろうか。
窓辺から、あまりにも早く過ぎ去る季節に憂いた。
そんな感嘆に浸っていると、突如として教室の扉が開いた。
そして、そこにはいつの日にか視線を交わした人がいた。
「あの!」
教室内のどこかへと向けた声。
届ける先が定まっていない声は無音の教室によく響いた。
「きっとまだ居るんですよね?」
見えない誰かへの問いかけ。それは自分に向けられたものだと思った。
「居ると思って話すので、聴いてください」
その人の言葉を独白にしない為にも、何よりも向けられたことのない自分への言葉に耳を傾ける。
「今日は卒業式なんです」
――ああ、知っているよ。
「この学校最後の卒業式なんです」
――最後?
「今年で廃校が決まっていて、最後の卒業式が終わったんです」
――ああ、そうなのか。透明なだけではなく、居場所すらも無くなってしまうのか。
「だから、ここが無くなる前に、最後の一年を同じ教室で過ごした友達として、伝えに来ました」
――伝える? 友達とはどういうことだ?
「卒業おめでとうございます。幽霊さん」
俯いていた顔を持ち上げると、その人と視線が重なっていた。
微笑むその人の表情をみて、心の中でわだかまっていた感情がほどける感覚が現れた。
言いたいことを言い終えたその人は、去り際に会釈をしてから教室を後にした。
そして取り残され、一人きりとなった時、自分は透明人間ではなかったと悟った。
――そうか、透明人間ではなく幽霊だったのか。
知らなかった真実を知り、自嘲気味に笑っていた。
――既に居ない者なのだから、居ない者扱いも当然だったな。
透明のように扱われていた理由も、わかってしまえば単純だ。
――そうか、幽霊だったのか。
改めて噛みしめてみると、面白いくらいに素直に受け止められた。
――透明人間ではなかったのだな。
それならば仕方がないと思った。
――ならば、幽霊らしく透明人間にお別れを告げなくてはな。
最後に、幾度もの歳月を共に過ごした教室を見渡し、小さく告げる。
――さよなら透明人間。
†
教室から校庭へと戻って来たその人は、突如として吹いた風で舞い上がる花弁を視線で追いかけ、校舎を見上げていた。
そして、その校舎から仄かな輝きが零れ、春の空へと消えて行く。
その、僅かなきらめきを見つめながら、小さく呟く。
――さようなら。
どうも337(みみな)です。
この度は『さよなら透明人間』を読んで頂きありがとうございます。
本小説は冬童話2021に向けて書いたものとなっております。
去年のあとがきで冬童話に参加するのが九回目と書いていたので、今年は十回目になるそうです。実は、七回目に参加した頃から、十回目にも参加すると密に目標を立てていたので、それは達成できました。
それで今年は十回目の参加ということなので、初心に返ったようなシンプルな内容にしてみました。
最後に、過去の冬童話祭で投稿した『Your time,My time./その表情が見たくて。』『黄色い百合の造花を貴女に』『スノードロップに託した想いは――』『うそつき』『僕が願った勇者の夢は――』『生きたがりの僕。』『死にたがりの僕が見つけた生きる理由。』『ハルジオン』『見えるから。』もよかったらご覧ください。
では、ありがとうございました。