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谷戸物語  作者: 播磨王65
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10話:北川天一が橫浜国大へ

 1967年、中学2年生になると、近所の教会で毎週土曜の午後、無料英語教室をしてることを知り、北川天一は、毎週でかけて英会話の勉強をして生の英語を身につけた。そして、その英会話教室で橫浜国立大学2年生の関根辰男と親しくなった。彼も福島出身で苦学の末、現在、橫浜国立大学の学生寮に入り家庭教師のアルバイトしながら、自分の稼ぎで生活費、学費を払ってると聞いて感銘を受けた。


 その後、関根辰男が、北川の家に遊びに来るようになり、無料で勉強を見てくれるようになった。そうしているうちに、北川天一は、自分も将来、橫浜国大に入って金を稼ぎたいと思うようになった。やがて中学3年生になり、橫浜の名門、翠嵐高校を受験する決意を固めて、より一層、勉強を続けた。中学ではクラストップで学年5番で、もう一息で、翠嵐高校に合格できると言われ1969年となった。


 そして1月末に受験の手続きを取り受験して見事合格した。その頃、関根先輩が、日本はこれからも好景気が続くと言い、20歳になり、N証券で株式投資口座を開いた。その後、25万円を入金した。来たがの母の米子も関根先輩を気に入り、一緒に夕食を取って、北川天一は、関根の話す世界情勢の話や世界の文学の話を聞き入っていた。やがて天一も橫浜国大経済学部に入ろうと決心した。


 その後、翠嵐高校でも北川天一は、勉強を続け、クラスベスト10に入り、ベスト3を目指していたが、橫浜でもトップの高校で、なかなか思い通りに成績が上がらなくて、悩んでいた。そんな時、関根辰男が、天一に、相対値ばかり気にするのではなく、もっと本質的なところ絶対値を見ろといわれた。つまり世の中で通用する人間というのは、戦いに勝つ人間だけだ。


 そのために具体的な目標を立てて、それに邁進していれば、おのずと成績は上がるはずだと気合いを入れ得られて奮起した。すると高校3年になると、クラス3位になり、橫浜国大が射程距離に入った。その後の高校の共通テストで、橫浜国大の合格確率が80%に達して、大喜びした。1971年11月に関根先輩は、日本電気株を1040円で1千株104万円で買い、残金が約16万円となった。


 そして1972年、北川天一は、橫浜国大経済学部を受験して合格した。合格祝いが何がよいと、母が聞くので、20歳になったら日本株で稼ぎたいから100万円貸して欲しいと言った。それを聞いて驚いて、大丈夫と聞いた。銭がなければ、他人は相手にしてくれないよと、笑いながら言った。それに対し、母が、わかりましたと答えた。その時、関根先輩は社会人2年生だった。


 大学に入ってからは、土日に家庭教師のアルバイトを始めて、自転車に乗って中学生、高校生の家を回って、勉強を教えて回った。5月の連休も夏休みも返上して稼いでいた。家に帰ってくると食事して、風呂に入り、直ぐ寝てしまう日々が続いた。一方、関根さんは、橫浜の地元大手銀行に勤めて外勤する日々が続いた。今迄みたいに、北側の家を訪問する事はなくなった。


 その後、1974年7月に、北川天一は20歳を迎え、直ぐに、近くのN証券で証券投資口座を開き、自分のアルバイトの金20万円と、母から80万円借りて、100万円を入信した。そして、関根先輩が日本電気を買っていたので、自分はライバルの富士通の株を買おうと考えていた。

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