第4話 モノオンブレの襲撃
「んん? そこにいるのは誰ですか?」
若い女性の声だ。鬼火はどんどん近づいてくる。イコルたちの目の前に現れたのはハイエナの亜人だった。
ハイエナとは食肉目ハイエナ科ハイエナ亜科の哺乳類の総称である。
体長80~160センチほどで、オカミに似るが、吻が太く、腰部が低い。
類上はジャコウネコに近く、肛門付近に臭腺をもつという。
歯やあごが丈夫で、死肉を骨ごとむさぼり食う。夜行性で主にナトゥラレサ大陸の前身であるアフリカに分布していた。
ハイエナの亜人は黒い修道服を身に付けていた。手にはスコップを持ち、背中にはリュックを背負っている。
「あなたはレミ司祭では」
「んん? 誰なのあなた」
レミ司祭と呼ばれた女性はイコルの言葉に首を傾げる。彼女はイコルを知らないのだ。レミはオルデン大陸において死亡した教団の信者たちの遺体を回収して回っているのである。そのため首都フィガロにいる時間は短く、人付き合いも悪い。
人嫌いの傾向もあるので、ちょうどいい仕事なのだろう。
「私はサタン司教の孫で、イコルです。今は異端審問官としてニセのエビルヘッドを退治しに行く途中です」
その言葉を聞いてフエルテはすぐに警戒した。サビオは口笛を吹き、面白がっている。
異端審問はカトリック教会が、異端者の摘発と処罰のために行った裁判だ。13世紀にカタリ派に対して始められ、南ヨーロッパを中心に行われたという。異端審問官はそれを行う人間のことだ。
エビルヘッド教団においては自分たち以外の宗教を攻撃し破壊する人間と思われている。実際はエビルヘッドの指示で様々な工作をしているのだ。フエルテを英雄としてあがめるようにレスレクシオン共和国ではいち早く紙芝居などで彼の活躍を子供たちに宣伝するのも、仕事である。
「ああイコルね。いたねそんな子が」
レミはぽんと手を打ち、話を打ち切った。彼女はよその家庭の事情などどうでもいいのだ。自分の父親マモン司教のことくらいしか興味がないのである。イコルが自分の事情を話したのは、嘘をつくためだ。
彼は司祭だ、異端審問の仕事は別の人がやっている。
「異端審問てどんな人がやっているんですか?」
サビオが質問した。どことなくうきうきした口調である。好奇心が旺盛なのかもしれない。
「そりゃあ身寄りがいなくて死んでも問題ない人がやっているよ。まあ司教の家でそんな人が出たら恥だね」
レミは答えた。サビオやフエルテがどういう人間か理解しないでしゃべっている。イコルの狙いはそれだ。彼女はエビルヘッド教団の人間だ。真実を混ぜることで嘘はより見破りにくくなるのである。
「ところでボクはフエゴ教団の司祭サビオです。こちらはボクの愛人で司祭の杖のフエルテです。よろしく」
「おお、そうでしたか。私はエビルヘッド教団の司祭レミです。人間花の回収が主な仕事です」
サビオが自己紹介するとレミも挨拶した。自分の正体をあっさりばらしている。オルデン大陸はフエゴ教団の庭だ。危機感がないと思われてもしょうがない。
「サビオ、俺はお前の愛人じゃないぞ。俺の股間の杖はアモルの物だ。それはそうと人間花だと。いったいそれはなんなのだ」
フエルテが訊ねるとレミは口笛を吹いた。
ごそごそと草の踏む音が聴こえる。のっそりと現れたのは、ボロボロの衣装を着た人間の死体だった。それと巨大なアライグマやヌートリアもいた。
共通しているのは目から生えている花だ。人間の顔がついている人面花である。
花はきょろきょろと首を動かしていた。目をきょろきょろさせ、舌をべろべろと音を立てている。
「あれが人間花ですよ。エビルヘッド教団の信者は特別な神応石を埋め込むのです。そして死んだら花が開花し、自分の脚でフィガロまで帰るのですよ。昼間はおとなしく人気のない所でじっとして、夜になると活動するのです。私は主に夜に活動するので人と接することがないのですよ」
ちなみにアライグマに寄生しているのは遺体を喰われたからである。喰われた動物の脳に寄生することがあるという。レミは司祭で道士だ。死んだ者を故郷へ連れて帰る。それが彼女の仕事である。
ハイエナは金銭や利権などに貪欲な者をあざけることが多いが、彼女は死者を弔うようだ。
それよりもなぜ彼女はここに来たのだろうか。広いオルデン大陸で人間花を連れている彼女は夜が基本だ。なのに偶然出会うなどありえないと思った。
するとカバンに変化したベビーエビルが突いて答える。彼女はソーサラーヘッドに誘われてきたのだ。実は彼女の背後にモノオンブレが尾行している。レミの戦闘力は高いが、人間花を守るためには心もとない。
「ウッギッギ!!」
巨大なアカゲザルたちが襲撃してきた。手には打製石器の斧を持っている。腰みのを身に付け、巨大アライグマの頭蓋骨を肩当がわりにしていた。
頭部はニワトリのトサカのようにモヒカンになっている。
「ウッギッギ!! オレ、トルナド! ニンゲンコロス!」
驚くべきことにモノオンブレは片言だがしゃべったのだ。しかも自己紹介している。モノオンブレは進化しているようで、その事実にサビオたちは固まった。
「ふぅ、ついに尾行が面倒になったようですね。ここはみんなでこいつらを片づけましょう」
最初から彼女はイコルたちを利用するつもりであった。スコップを手にしレミはモノオンブレたちに戦いを挑む。
イコルたちは呆れ顔だが、起きてしまったものは仕方がない。
「しょうがないな。マッスルガスト!!」
フエルテはフロントダブルバイセップスのポーズを取った。大胸筋をぴくぴくと震わせている。するとぐにゃりと景色が歪んだ。
フエルテに向かって数匹のモノオンブレが襲い掛かってきたが、ばぁんと空気が爆ぜる音がすると、モノオンブレたちは吹き飛んだ。
フエルテのスキル、筋肉の風使いだ。彼は筋肉の振動で真空波を生み出せる。モノオンブレは頭や胸を潰され、血が噴き出ていた。それを見た他のモノオンブレは怖気づき、今度は弱そうなサビオに目を付けたのだ。
自分たちより小柄なサビオなら楽に殺せると思ったのだろう。残酷な表情で歯をむき出しにし、サビオ目がけて突進した。モノオンブレの一匹が槍で彼の腹部を貫こうとしている。しかしサビオは冷静なままだ。まったく焦っていない。
彼は右手を突き出すと、槍の先端に触れた瞬間、跳び上がった。先端を軸に自分の身体を回転させたのだ。一瞬サビオの身体は槍の先端で逆立ちをしているように見える。
サビオはそのまま槍を持った相手に飛びかかる。逆の肩車状態になった。サビオの股間が相手の顔に触れている。彼は相手の頭を両手でつかむと、ごきっと逆方向へ向けた。
首はあり得ない方向へねじ曲がっている。そのまま口から血をたらして、モノオンブレは絶命した。
「ふふふ、気持ちいいねぇ。ボクを雑魚だと思って襲ってくる相手を、あっさり殺すっていうのは」
子供の用に無邪気な笑顔を浮かべるが、イコルは戦慄した。彼は自分の弱さを利用することで相手を逆に始末する技を持っているのだ。司祭だからと言って油断大敵である。
「ウギィ、サスガニンゲン。ツヨイナ。ダガ、オレノホウガツヨイ!!」
トルナドは自分の身体を回転させた。トルナドとはスペイン語で竜巻という意味がある。トルナドは自らを竜巻と変え、木々をなぎ倒していく。落ち葉は舞い上がり視界が悪くなる。
イコルはバックダブルバイセップスのポーズを取る。耳毛が伸びて毛の先端は手の形を作った。
しかしトルナドは宙に浮いた。背を向けているがすべての神経を耳毛に集中させている。
トルナドはイコルの背中に目がけて突進した。そして弾丸のようにぶつかった。
背中に衝撃が走り、げほげほと咳をする。
「ウギギ、コノオレ、ユダンシナイ。テキハツブス」
トルナドはまったく油断していない。人間? 竜巻と化したトルナドは執拗にイコルたちに襲い掛かる。普通なら身体を回転させると頭がくらくらするが、おそらくはスポッティングという技術だ。フィギュアスケートの選手やバレエのダンサーはスピンしても目が回らないのは、回転する時に、遠くの一点を選び、それを見つめるのだ。次に体を回転させながらも、ぎりぎりまで、その点を見つめ続け、頭を回す時には一気に回して、再びその点を見つめる。この動作を繰り返すのである。
トルナドはバレエなど知らないだろう。野生の本能でこの技術を身に付けたのだ。恐るべし野生度である。
「だが甘い!」
レミがスコップを持ち、木の幹を器用に上りながら、トルナドの頭上を取った。そして中心にスコップを叩きこむ。
トルナドは体勢を崩し、地面に墜落した。頭はざっくりと割れ、ザクロの花を咲かせている。
「ヤルネ……。ダガ、オレヨリツヨイノ、イッパイ……。オマエラ、カナラズ、コロサレルゼ……」
トルナドはそう言って息絶えた。皮肉を口にしたのだからかなりの知性だ。他のモノオンブレは逃げ出した。ボスを倒されたからだろう。
「うーん、これってエビルヘッド教団の仕業かな」
サビオはトルナドの死体に近づき、指で顔をつんつんと突いた。
「違いますね。額には何も埋まっていない。エビルヘッド教団の信者は大抵額に神応石を埋めます。おそらく彼らは人間の肉を喰らい、ついでに食べた神応石が世代を通じて成長したのでしょう。不死王国のスキターリェツ然り、巨人王国の巨人や小人然りですよ」
レミが説明した。この世のすべてはエビルヘッドが関わっているわけではない。キノコ戦争という異常事態が神応石に力を与えたのだ。スキターリェツは人間の死体で作られた巨人で、巨人王国の巨人はアフリカゾウ並みに巨大化しているが、知恵は高くのんびり暮らしている。
「そういえばエビルヘッドのことは一言も口にしていなかったな」
「それにビッグヘッドが出てこないね。人間を殺すならスマイリーをよこして生きたまま喰わせるからな」
スマイリーとは笑顔を浮かべるビッグヘッドである。大抵何か行動を起こすときはスマイリーをよこすものだ。
人間を足のつま先から生きたまま喰い殺すのだ。そしてその人間の持つ神応石を回収するのである。
それがいない。ベビーエビルは周辺にビッグヘッドが一頭もいないことを、イコルに伝えた。すべてソーサラーヘッドからの通信である。
ベビーエビルは唯一テレパシー能力を持ち、他のビッグヘッドに指示を出したりできるのだ。ベビーエビルの言葉を伝えるだけのビッグヘッドもいる。
ベビーエビルの報告に、イコルはうなるだけであった。
レミの名前は、1878年にフランスのエクトール・アンリ・マロの家なき子から取りました。
本当は少年の名前なんですけどね。
日本では家なき子は安達祐実出演のドラマが有名です。