10.召喚者、Bランクになる
幼女魔王アンブロシアが消えたあと、なんだか疲れてしまったアキトは周りを見回してため息をつく。
訓練所の奥の間は酷い惨状になっていた。
魔王が発した黒い霧みたいなもので、鑑定系のアイテムが軒並み粉々に砕け散ってる。
これやっぱ弁償かなあと、アキトはため息をつく。
「あ、あの……」
とりあえず、腰を抜かしているギルドマスターを助け起こす。
「お、お、俺が安易に魔王を召喚しろなどと言ったのが悪かったが、二度とやるなよ!」
あの冷静沈着だったギルドマスターが、真っ青な顔をしている。
「すみません。やっぱ、アイテムとか弁償しないといけないですかね」
ギルドマスターは頭を抱える。
「これはもう、そういうレベルの問題じゃないだろ、魔王召喚だぞ! アキト、お前には常識ってものがないのか!」
「常識……。この世界にきて日も浅いし、あんまりないかもしれません」
いきなり暴走して斬りかかってきたグラントにアキトが怒らなかったのは、自分も彼のようにどこかおかしいと自覚しているからなのだ。
グラントが斬りかかってきたのに冷静に対処できたのも、ギルドマスターに常識がないと言われるのもそのせいだろうと思う。
一年ほど前の話だ。
アキトのいる部署が統廃合になって、そのすり合わせ作業の担当にさせられたアキトはほとんど家に帰れなくなった。
前から人手が足らず忙しい職場ではあったが、それからの多忙さは常軌を逸していた。
事務所のソファーで少し仮眠を取れればいい方で、家に帰れる日があってもシャワーだけ浴びて、眠ることもできずに戻ってくるなんてことはザラだった。
そうこうしているうちに、アキトは耳鳴りに悩まされて、妖怪みたいな物が見えるようになるまで精神的に追い詰められていたのだ。
冷静に考えて、それらは幻覚だと自分でも自覚している。
今こうしてファンタジー世界で数日過ごしても、本当の自分は過労で倒れて病院のベッドで見ている夢ではないかとまだ疑っているくらいに現実感がない。
異世界召喚だの、魔王だのを見ても冷静でいられるのはそのせいだった。
「すまない。責めてるわけじゃないんだ、お前のような目をしたやつは戦場で何度も見た。何かよっぽど辛いことがあったんだな」
「辛い、ですか。そう思ったことはないですけど」
辛いとか、悲しいとかそんなことを愚痴っても何もならないと思っていた。
自分は辛かったのだろうか。
生活に疲れていたアキトは、ただ鈍くなって。
何も感じなくなっていた、それだけだった。
「アキト。お前に、この世界の常識がないことはわかった。俺からの忠告だが、二度と人の目の前で魔王を召喚するな。それに、さっきの会話はまずいな……。魔王と従魔契約を結んだなどと、各国の王族や、教会の高位聖職者に知られたらどんな反応を示すか」
どうやら、魔王と従魔契約してしまったことはよっぽどの問題だったらしい。
冒険者ギルドには、モンスターを連れているテイマーもいたから平気だと思っていた。
そうアキトが告げたら、肩を落としたギルドマスターは、ついに笑いだした。
「魔王と普通のモンスターを一緒にしてるって、もうこれは笑うしかないぞ。お前ってやつは、どこまで常識ハズレなんだ」
「すみません」
「だから、お前が悪いわけじゃないって。せっかく『全召喚』なんてスキルを持ってるんだ。普通のモンスターであれば問題ないから、どんどん召喚して使うといい。ただ大事なことだから繰り返すが、魔王や有名な幹部クラスの魔族は人前で絶対に喚び出すな。トラブルの元にもなりかねない、その力はなるべく隠しておけ」
「肝に銘じます」
「そうしてくれると助かるよ。今回のことは、俺たちだけの秘密としよう。冒険者ギルドは、いや少なくともこのレムルスの街のギルドマスターである俺は、たとえ王国や教会が相手でも、お前をできる限り守ると約束する。お前はもうすでに冒険者ギルドのメンバーなんだからな」
「ありがとうございます」
人にこんな温かい言葉をかけてもらうのは、久しぶりだった。
あの美人の受付嬢のクレアさんと親子だというのは、本当だなと思った。
顔はまったく似てないけど、優しいところがよく似ている。
元の職場にもこんな上司がいれば、アキトも異世界まで喚び出されなくてすんだかもしれない。
「とりあえず今回のテストは、合格だ。最高のBランクとする。お前が望むなら、AランクでもSランクでも試験を受ければすぐ合格すると思うぞ」
「あー、Bランクで十分ですよ。Aランク以上は、特別クエストの招集義務とかが発生するんですよね」
先程、クレアさんに説明を受けたから知っているのだ。
「それはそうだが、Aランクになれば年金が一生もらえるし、俺のように引退してもギルドに役職をもらえたりする。Sランクなら、国も欲しがる戦力だから貴族になれたりもするぞ」
「そういうのが一番嫌です。俺は、のんびりと生きていきたいだけなので」
今はお金には困っていないし、普通に生きていくのに支障はない。
だったら宮仕えをして、誰かにこき使われるなんてもうごめんだった。
「そうか。そういう生き方も自由でいいかもな。俺は少し、お前が羨ましいよ」
そう言うとギルドマスターは、少し寂しそうに笑うのだった。
ちょうど10話です。
ここからが本当の冒険のスタートかもしれませんね。





