少女の記録
術師にとって、楽器との相性はとても重要だ。
どんなに高い魔力を持っていても、どんなに精霊に好かれていても、その者の魔力に適合する魔導楽器が見つからなければ高位魔法は発動しないし、精霊とも契約できない。
音は媒体。楽の器を用いて奏でる調べと魔力がまじりあって、初めて術は発動する。
けれど、どの楽器か、どのような素材が使われているか、どうやって作られたか。
その組み合わせは無限に近く、実際のところ何が自分にあっているのかは試してみないとわからない。
だから、財力のある家の子供達は幼少の頃より教師について懸命に学び、あらゆる素材に触れる。
全ては、自分の魔力に適合する唯一を探す為に。
魔力と知識と技術は持っていて当たり前。その上で高位の魔術師や精霊術師となる為に必要なものは教育にかけるお金と時間、それから――本人の運だ。
セレナには、運がなかった。
運が悪いのではない。悪い運ですら存在していなかった。
運の良い者はひと月ほどで。運の悪い者でも数年かければ、自分にあった魔導楽器が見つかると言われている中、懸命に探す事10年。未だに成果はない。
コッツェルに存在する楽器のたぐいは、ひととおりの音が出せるようになったし、魔力を通した素材の数も数えきれない。
それでも、彼女の唯一は見つからなかった。
生まれ持つ膨大な魔力に将来を期待されて、リシュリア辺境伯の養女となったのが4才の頃。養父母がセレナの教育に投資した金額と時間を考えると非常に申し訳ない気持ちになる。
あと1年。学園の入学期限となる15歳までに楽器が見つからなければ、高位の術師となる道は閉ざされるだろう。
魔力を見込まれての養子縁組で、ゆくゆくは国境を守る戦力となる事を期待されているセレナにとってそれは死刑宣告にも等しい。彼女にはもう、後がなかった。
「……これは、私の事かしら?」
ページをめくりながら、少女――セレナは首をかしげる。
本に書かれていたのは、音を持たない少女が北の国の皇子と出会い、自分の音を見つける物語だ。
「北の国の皇子って、キュリアス様でしょう? この間お会いしたもの。……この本に出てくるような人畜無害で可愛らしい方ではなかったけれど」
顔を思い浮かべるだけで口の中が苦くなる。
なんというか、あの手のタイプは本能が受け付けない。
「それにお義兄様の性格も違うわ。現実のお義兄様は、私をとても甘やかしてくださる」
矛盾点は存在する。となると、現実と物語はやはり別物なのかもしれない。
それでも、本につづられている内容は、セレナがこれまで生きてきた時間と酷似していた。
孤児院で暮らす少女、セレナ。彼女はある日視察に来ていた領主様に見いだされ、養女として引き取られる。
理由は、その身に宿した強大な魔力。
生まれ持った銀色の髪も、両親のどちらかから譲られたであろう緑の瞳も蒼く染め上げる、純粋なる力。
「水の精霊に愛された君は、いつかきっとこのリシュリアの大地に春を呼ぶだろう」
その言葉と共にリシュリア家に引き取られたセレナは、己に課せられた役目を正確に理解していた。
けれど現実は残酷だ。寝る間も惜しんで勉学にはげむ彼女に音の女神はなかなか微笑まない。
媒介となる魔導楽器を見つけられないままにセレナは年を重ね、気が付けばもう14を数えている。
残された猶予は少ない。
追い詰められた彼女の元に、王宮から手紙が届いたのはそんな時だった。
――曰く、北の国の使者が音の出ない魔導楽器を持ってきた、と。
おそらく、音を出す事にすら魔力の相性を必要とするのだろう。水の適性が強い奏者を探しているという連絡に、セレナは藁にもすがる思いで飛びついた。
「セレナと楽器の相性は抜群。誰ひとり演奏できなかったそれを奏でられる存在に北の国は大喜び。彼女が皇子に嫁ぐことで外交は円満になって皆幸せ。めでたしめでたし、ってね」
ばかばかしい。とセレナが吐き捨てる。
「北の国――ネーヴェルクが持ってきた竪琴は、そりゃあ素晴らしかったわ」
100年に一度、青い満月が登る夜にのみ採集できる蒼氷石と水晶龍のたてがみを素材にしたクリスタルハープは見た目も音も一級品だった。
幼い頃からあらゆる楽器に触れてきたセレナを一瞬にして虜にしたのだからその魅力は本物だろう。
だが、楽器を持ってきた使者がいけない。
「いくらなんでも『その音色を持つ君に、私の妃となる権利をあげよう』はないと思うの。私の将来はお義兄さまと結婚してリシュリア領を守ると10年も前から決まっているわ。大国の第三皇子だか何だか知らないけど、今さら他の男はおよびではないのに」
ぷりぷりと頬を膨らませて、セレナは乱暴に本を閉じる。続きは読みたくなかった。
物語を否定するつもりはない。ストーリーはとても良くできていると思う。
身寄りのない孤児でありながらも貴族の養女となった少女。
彼女はその身に宿る大きな魔力を使う為に必要な唯一を見つけられずにいた。
思い悩む少女が相談できるような相手は存在せず、定められた婚約者は無愛想で何を考えているのかわからない。
もう後がないと絶望する彼女に優しく手を差し伸べたのは大国の皇子様。
彼の持つ魔導楽器が少女の唯一だと判明すると同時に、物語はクライマックスへ――。
白馬の王子に夢を見る乙女にとっては、理想的な展開だ。
セレナだって嫌いではない。
少女が、自分と同じ名前でなかったら。
少女の物語が、自分と酷似していなければ。
――このような場所で見つけた本でなかったら。
きっと、純粋に楽しんでいたはずだ。
「国王陛下より内示をいただいた時、私本当に泣いたのよ?」
大国の皇子妃など望んでいない。婚約者である義兄と別れる事など考えた事もなかった。
けれど臣下にとって主君の言葉は絶対だ。
断る事などできない命令にも等しい提案に、セレナはの頭は真っ白になった。
何日も何日も部屋にこもって、涙が枯れるまで泣いて。
そうして、気が付いたらこの場所にいた。
床も天井も、壁も真っ白な、見た事のない空間。
所狭しと並べられたたくさんの本棚に、隙間なく敷き詰められた白い背表紙の本。
そのうちの一冊がほんのりと光っていたから、吸い寄せられるように手を伸ばして。
「その内容がこれなんて……あんまりよ」
自分と同じ名前の少女が主人公の、自分の日記を読んでいるかのような内容の、物語。
食い違っている部分は、登場人物たちの性格と、セレナが彼らに抱く感情だけ。
はたしてこれは本当に「偶然」なのだろうか。
「神様って残酷」
おとぎ話の中にだけ存在すると思っていた。
ただの夢物語だと思っていた。
けれどこの状況では、そうだとしか思えない。
――世界樹の書庫。
原始から未来に至るまで、世界の全てが記録されている伝説の場所。
セレナの前に広がるのは、伝承と同じ真っ白な世界だ。
ここにある本は、これまでの世界の記憶であり、これから先の世界の意思に間違いないだろう。
「私はこんな未来、望んでないのに」
おとぎ話の通りならば、世界樹が定めた未来は変えられない。
例え現実のセレナがどう思っていようとも、彼女は皇子に嫁いで表面的には幸せに暮らす事になるだろう。世界が定めた運命の通りに。
「現実のキュリアス様はこんなに優しくないわ。お義兄さまだって、本の中の婚約者と違って私を大切にしてくださっている」
物語の少女と違って、セレナは今が幸せだ。
このまま暮らしていきたいと思っているのに、運命がそれを許さない。
「どうすればいいの」
力なく呟いて、セレナはその場にしゃがみ込む。
絶望だけが、彼女の側にあった。
「嫌だと思うなら、変えてしまうのが1番早いと思いますよ」
どこからともなく流れてきた声が笑う。
瞬間、セレナの視界に色が溢れた。