小説作法を勘違いしている作者も読者も多すぎる
小説家になろうの小説作法と言うのは、PCやタブレット、スマートフォンで読みやすい文体の事である。
と言うのを、作者も読者も理解していないのが多すぎる。
読者の勘違いについては、今更言うまでもないだろう。
小説作法を正しい書き方と勘違いしている。これに尽きる。
小説のいい所は決まった形がなく、書く文面によって読み手に対して違うイメージを与える事だ。
大雑把な例を出そう。
その1
彼は言った。君はどうしようもない奴だと。
その2
君は僕に言う。
「お前程どうしようもない奴は初めてだ」
その3
どうしようもない奴だと、彼に言われた。
確かに、と、納得する僕もいたのだが。
はい、こんな感じ。
共通しているのは、「僕」が「どうしようもない奴」だけ、他は全部印象が違う。詳しく知りたいなら、国語の教科書を開きなさい、中学生か小学生の頃に習うものです。
ここで説明はしません。
読んでみて、とりあえず印象が違う、そして結果も若干変わっているとわかるでしょう。
え? ヒント?
その1は過去、その2は現在、その3は未来、以上。
視点と時間軸が違うと分かれば、貴方は小説書けます。結局解説してるじゃねぇか!!
さて、そして次は作者の勘違いだ。
これはパターンが多い。
「小説作法が正しい文法じゃないので~(ドドドドドヤァ)」
これは作者がアホなパターン。
「持ち味が薄れてしまうので、直しません(キリッ)」
そもそもその程度で潰れる持ち味は無きに等しいので、作者が無能を晒したパターン。
「めんどいので、直しません!」
正直で大変結構だが、読者が離れるパターン。
他にも諸々あるが、書かなくてもわかっているだろう、死体蹴りは趣味じゃない。
基本的に、こう言った妄言を吐く作家群(三番目を除く)は非常に読み辛い所か、文章として理解しがたい文を書いている場合が多い。
そして、小説作法に従えば、それなりにマシになるであろうに、善意の読者相手に妄言暴言を吐くものが多い。
読み辛いのは事実なのだし、読まれない小説は文字の集合体なのだから、直せばいいのにと思っていた。
して、この書き方じゃないと表現できないとか、某作家のように文字の詰まった文体で読者を活字中毒にする高度な作風でもない限り、言われたら読みやすいように修正すべきである。
この書き方じゃないと表現できないレベルと言うのは、ヘミングウェイとかその辺りの大作家レベルなので、なろうには存在しないだろう。
小説作法を感想欄に書き込まれた場合、それは読みづらいと言われているので、作家のちっぽけで目に見えない位の小さなプライドを燃え上がらせる前に、修正すべきである。
もちろん、僅かばかりに合わない部分がある、と言う場合は、下手に合わせる必要はない。
何度も言うが、小説の書き方は自由であると同時に、読者が貴方の文体を受け取るのは自由である。
読者が読みづらいから、小説作法に合わせてくれと言うならば、出来る範囲で合わせるべきだ。
そして、合わせる範囲がない! 生意気な読者を叩いてやる! と、暴走する作家は小説家の才能以前に、資格がないので、とっとと筆を折る事をお勧めする。
合わせる範囲がないのならば、地の文を少し手直しして、読みやすいように改稿すればいいだけの話であり、エッセイで小説作法叩きを展開していないで、直そう。
もっと厳しい言い方が好みならば、この言葉を送ろう。
「口で糞を垂れる前に、読める文章を書け」
ハートマン軍曹は名言製造機だと思う。