EP 5
ダラダラとした話が続きましたがここから話が動きます。
煌びやかな意匠に飾られた玉座、によく似たベッド。それに繋がる金の刺繍で煌めく赤い絨毯。どこか西洋風の謁見の間によく似た寝室で目を覚ましたノインは、寝ぼけ眼を擦りながら立ち上がる。
黒髪黒目の見た目は三十代に入ったばかりの優男だが、肌触りの良さそうなフード付きのスウェットとボサボサの寝癖が台無しにしている。
ノインは寝起きのまだ覚束ない足取りで立ち上がる。ベッドから繋がる赤い絨毯をとぼとぼと歩いて行くと寝室にしては荘厳すぎる扉を欠伸をしながら徐ろに開けようとする。重い抵抗があるのを首を傾げつつ盛大に欠伸をしながら扉を無理矢理に押し開けた。
扉に隙間が出来たとき、瞬く間に濁流に襲われた。
何が起きたのかとパニックになりながらも必死にもがき水面を目指す。
漸く水面へと上がってくると周りには見渡す限りの水平線が広がっていた。
「まったく、酷い目にあった。てか、何故に水が? マイザーの奴、遂に反乱か?」
水平線を眺めながら嘆息する。益体もないことを考えながらも陸地を探すが見える範囲には無いようだ。
「適当に当たりをつけて進むしか無いか…」
再び嘆息して水から上がり水面ギリギリに浮かび上がったノインは、取り敢えずと、太陽へと向かって進んでいく。
水面をゆっくりと半日ほど歩いただろうか、目印にしていた太陽も頂天を過ぎ始めた頃漸く陸地が見えてきた。動いている物を目印にしていた単純なミスに気付かなかったふりをしつつホッと溜息を吐く。
さらに一時間ほど進み水からやっとの思いで抜け出した目の前には森が、後ろには海と見間違うほどに広い湖が広がっていた。
「こんな地形知らないんだが…何処だ?ここ…」
見知らぬ地形に戸惑い辺りを見渡すが、自分の現在地すら分からない状態にまた溜息をつく。
「えっと、道を探すか」
取り敢えずと道を探して森へと分け入っていった。
ノインは森へと入って直ぐの木をじっと見つめる。すると木々が何かを示すように森の奥まで木々が分かれていき一本の道が出来上がる。
「ああ、そっちか。ありがとう」
森に突如現れた道を進む。ノインが通った後には何事もなかったように深い森があるだけだった。
暫く進むと漸く街道へと出ることが出来た。
森を断ち切るように通っているその街道は馬車がすれ違える程の広さがある。
「まったく舗装されて無いな。使われて無いのか? さて、どっちに進むか。」
街道の後ろと前を交互に見ながら悩んでいると西へと伸びる道の先を見つめる。
「あっちなんかあるな。行ってみるか」
ノインは街道の先に何かを感じ取ったのかぶつぶつと呟きながら歩き始めた。
雲一つない晴天の中をのんびりと進んでいく。暫く進んでいくと大きな箱のような物が横倒しになっているのが見えてきた。
「うわ、マジかよ。あれ馬車だよな? まだそんな物あるのか。ああ、これ盗賊にでもあったのかもな」
横倒しになった馬車の周りには何人かの倒れている人がいる。車体に繋がれているはずの馬がいない事からその馬も連れて行かれたのだろう。盗賊による襲撃と見て間違いはなさそうだ。
倒れている人たちの中に動くものはいない。まぁ仕方ないかとその場を立ち去ろうとすると、ふと声が聞こえた。か細い声は次第に大きくなり劈くような鳴き声を辺りに響かせた。
ノインが鳴き声の出どころへと歩いて行く。何かを抱えるように蹲っている全身傷だらけの男を抱えて横たわせると、布に包まれたまだ産まれてからそれほど経っていないだろう赤ん坊が泣き叫んでいた。
「この子を守っていたのか。上から一緒に刺されたんだな。あの男のお蔭で傷は浅そうだ。ん? ……」
赤ん坊は脇腹の傷から血を流していた。男が守るように抱えていた上から一緒に刺されたのだろう。そのお蔭で傷は浅いが子供の小さな身体では多少の出血も命取りになる。
ノインは治療をする為に赤ん坊を抱え上げ布を解いていくと、布の下から真っ白なフサフサとした尾と獣の耳が赤ん坊から生えていた。
「へ? 獣人? 人体実験とかじゃあないよな? なんで獣人がいるんだ?」
「ゔ…」
「おっ、生きてるのか。ちょっと待ってろ」
赤ん坊を守っていた血だらけの男に近寄ると徐ろに右手を翳す。
そこから黒い霧が漏れ出し男に全身を覆っていくと全身の傷が瞬く間に塞がり、血の気の無かった顔に赤みが帯びてくる。黒い霧はノインに抱えられていた赤ん坊も同時に包み込みその傷を癒していく。苦しそうにしていた男も泣き叫んでいた赤ん坊も痛みが無くなったお蔭かスヤスヤと寝息を立て始めた。
◇
「ん……こ、ここは?」
夜の闇が深まり焚き火のパチパチという音と暖かな光が男の顔を照らす。
「起きたか」
「あ、あなたは?」
「それより、まず顔を洗ってこい。水はそこの桶に用意してある」
「へ? あれ? そう言えば刺されて……」
「兎に角顔を拭け。赤ん坊が怖がるだろ」
「あ、はい」
言われて男は顔を触ると、固まった血が肌に張り付いて突っ張っている。触れた所からポロポロと剥がれ落ちていた。本当に酷い姿なのだな、と顔を顰めて水で顔を洗い始めた。
全身血だらけで表情さえ伺いしれなかった男は洗った顔を拭うと焚き火へと戻っていく。戻ってきた男をノインが見やると、むしろ女性に近い中性的な顔立ちのまだ子供と言ってもおかしくない青年だった。
「なんだ、まだ子供じゃないか」
「へ? まぁ十八歳なんで子供は子供ですけど」
「中学生じゃないのか…」
「中学生?」
「何でもない。名前は?」
「えっと、辻瞬です。シュン=ツジのほうがいいのかな」
「……瞬ね」
「貴方は?」
「俺はノインだ」
「あれ?」
「なんだ?」
ノインは瞬の疑問をはぐらかした。わざわざシュン=ツジと言い直した事で彼の正体に気づく。彼は転生者。その彼が疑問に思ったのは彼の黒髪黒目の容姿とフード付きのスウェットというノインの格好だろう。
同じ転生者と思っていたところにノインという日本ではまず無い名前に疑問をもったのだと予想できた。
ノインが隠す理由は無いのだが後々の処理を考えるとあまり砕けた仲になりたくは無かった。
「あっいえ、ノインさんですね。それで……どうして僕は助かったのでしょう?」
「その説明は必要か? 俺が助けた以外ないだろう」
「えっと、致命傷だと僕は思ったのですが……」
「そうだったか?」
「背後から剣で貫かれたんですよ? それぐらい覚えてます。それを貴方が助けてくれたという事は、ノインさんは回復系魔法に特化したチート持ちという事でしょうか」
「待て。どうしてそうなる」
「へ? だって致命傷を治せるなんてそれぐらいしか……。何故ノインという名前なのかは分かりませんが貴方も僕と同じ日本人の転移者なのでしょう?」
「は? 転移者? そう言えばお前は何で辻瞬なんだ?」
「はい? それは親の性とつけてくれた名前ですから由来までは知りませんが何故と言われても困るのですが…」
「それもそうか…この世界にも漢字文化ができたのか」
「いや、漢字は見た事無いですね」
「お前は……何を言ってるんだ?」
「なんか噛み合ってませんね」
会話が噛み合わない以前にはぐらかした意味が無かった事にノインは驚いた。魔法という言葉にも。
この世界に転生者は多い。それはニースの世界のすぐ隣にノインが世界を創造した事に起因している。
ニースの世界で命を終えオプリス大運河に還り魂ともいうべきオプリスの塊は次第に拡散していくが、すぐ隣にノインの世界がある為に拡散しきる前にまた新たな命を得る。それが転生者の多い理由だった。
転生者からすれば異世界転生というなんとファンタジーなことだろうか。しかしこの世界は基本的にニースの世界と変わらない。魔法など無いのだ。それはノインが魔法という要素を排除したからなのだが、シュンは少し考えるだけで回復魔法という言葉を使った。
考えてみて欲しい。交通事故で瀕死の状態になったが気がついてみれば擦り傷一つ無い。これは確かに異常な事態だろう。だが奇跡が起こった、ショックのせいで瀕死と思い込んでいた、あるいは事故自体なかった、混乱はするだろうが大体はこう思うのではないだろうか。奇跡といえば魔法と似たようなものかもしれないが、少し考えただけで回復魔法に行き着くだろうか?
そしてチートという言葉。ノインが生きる長い年月の果てに忘れてしまった言葉だ。ときより転生者が使っていた言葉だった気もするが、その言葉に良い事のような酷く都合の悪い事のような複雑な感情を感じていた。
ノインは予想だにしない方向へ世界が向いてしまっている気がして背筋に冷たい物を感じていた。
「……漢字が無いのになんでお前は辻瞬なんだ?」
「それは転移者ですから」
「だから転移者って……ん? 転生じゃないのか?」
「それは生まれ変わりって事ですよね? そういうのじゃないですね。ああ、なるほど」
「待て。一人で納得するな」
「あ、すいません。ようするに貴方は転生者でこの世界で産まれたから日本人名じゃないと。あ、いや待てよ。日本人とは限らないか。外人でも黒髪黒目はいるし…いや転生なら容姿は関係ないか。そもそも転生なら現地の服着てるんじゃないのか? あれスウェットだよな。この世界にもあるのか?だったら僕も欲しい……」
「おい、説明ほっぽり出して思考に没入するな」
「あ、すいません」
「お前さっき魔法って言ったよな? この世界に魔法があるのか?」
「自分で使われたのでは?」
「いいから答えろ。お前も使えるのか?」
「僕は……」
今まで淡々と会話をしていたシュンが初めて露骨に表情を崩した。悔しそうでもありどこか諦めたような表情を浮かべる彼にノインは訝しみながらも質問を続ける。
「どうした? 使えないのか?」
「いえ……僕は魔法というより魔法陣が扱えます」
答えたシュンは俯いて歯を食いしばっている。ノインはその答えに一瞬呆けた後、天を仰ぐ。
「ちょっと見せてみてくれ」
「へ?」
「何でもいいから見せてみてくれ」
「えっとじゃあ……」
シュンはそう言うと徐ろに近くの木に向けて手を翳し集中し始める。すると手の前で赤い円陣が浮かび上がる。最初は朧げだった円陣が次第にはっきりとした形を作ると魔法陣が完成したのだろう。円陣からソフトボール大の炎の塊が木に向かって突き進み当たると同時に盛大な音を立てて吹き飛んだ。
それを見たノインは手を額に当て再び天を仰ぐと呟いた。
「……最悪だな」
そのの呟きにシュンは顔を上げノインを射殺さんばかりに睨んだ。
「貴方もそうやって人を馬鹿にするんですね!」
「何を怒っているのか分からんが…」
「能力が低い事を馬鹿にして、後には憐れんだ目で僕を見るんだろ!」
「ヒステリックなやつだな。お前の能力とか知らないんだが低いのか?」
「ぐっ。ええ、低いですよ! 他の勇者は何かしら剣技や強力な魔法に優れているし、貴方だって致命傷の僕を治せる程のチート持ちなんだろ!? 僕は運動も得意じゃないし魔法だって直接に放てない。いちいち魔法陣を介してじゃなきゃ魔法を扱えない欠陥品だ!」
「なんだよ。いじめられっ子かよ」
「そんなんじゃっ」
「いやどう見てもいじめられっ子だろ。そんなことより勇者ってなんだ? その口ぶりだと他にもいるのか?」
「そんなことって…」
「俺には重要なんだ。答えろ」
「うっ…勇者は勇者だろ」
「それじゃ分からん」
「そんなこと言われても…五大国がそれぞれ召喚してる勇者たちだよ。この世界じゃ常識だろ?」
「国が召喚……国に一人づついるのか? 全部で五人か?」
「人数はバラバラだけどもっといるよ。全部で十二人だったかな」
「そんなに……魔法陣を扱えるのは?」
「……僕だけだ」
「それが唯一の救いか…。確認するがお前みたいに魔法陣を扱える奴は居ないんだな?」
「やっぱり馬鹿にしてるんだな。これが出来るのは僕だけだ。これに何の意味がある? スクロールに描かれた物を使う方が早いし、どんな魔法かも気付かれない。だからみんな僕のこと不具合チートの欠陥勇者だって…」
「ああ、なるほどな。それで虐められてたのか。そんなことよりさっきから気になってたんだが…チートってなんだっけ?」
「だから、そんなことって……」
「なんだっけなぁ。喉まで出かかってるんだけど思い出せない」
「僕も雰囲気で使ってたから…えっと、正規じゃないズルい力?とかそんな感じだったかな」
「ああ! そうそう! そんな感じだ!」
何だか怒らされたり説明させられたり話を逸らされたりと振り回されっぱなしのシュンだったが、少なくともノインを見て馬鹿にしてるような悪意が感じられないということだけは分かった。
「それでノインさんはどんなチートを持ってるんですか? 回復魔法は使えるようですが」
「失礼な! これは努力の賜物だ」
よく覚えていない言葉だが、とにかく不愉快な事は分かった。シュンの言葉の使い方から何か特殊な能力の事のようだが。
「それは転生者のスペックが異常に高いという意味?」
「転生者は英雄扱いされてる奴が多いのは確かだな」
余程劣等感を抱いているのかノインの答えにシュンはまた口調が荒くなる。それを意に返さず淡々と答えるノイン。
「やっぱりチートじゃなですか」
「だがその殆どが死んだ」
「え? それはどういう…」
「俺が殺した。お前も余計なことすると死んでもらうから」
急に物騒な話になった。
雰囲気の変わったノインにシュンは言葉に詰まる。冗談ではないと直感的に分かってしまう。
「安心しろ。まだ聞きたいことが山ほどある。ということで、これからお前は俺と行動してもらう。拒否権はない」
「そんな!? 何の権限でーー」
「世界がこの世界である以上は俺以上の存在はいない。よって全てにおいて決定権は俺にある。まぁお前は俺からしてみれば不法侵入者みたいなもんだ。それが客人になるかはお前次第だな」
「言ってる意味が全然……客人? 不法侵入? ……俺以上はいないって神様でもないんだから」
「察しがいいな。似たようなものだ」
「は? え?」
「今日はもう寝ろ」
「え? ーー」
ノインが手を翳した瞬間、シュンの意識は再び遠のいていった。
読んでいただきありがとうございます。