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アレックス最後の戦い  作者: 土師 三良
第一幕 真導を信じるかい?
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第一場

広くて狭い部屋/餅に服を着せる/盗難報告/怨霊と野犬/瑠璃色の飴玉/副長の性的嗜好/犬の登攀能力について/告発されることのない百万件の殺人




「問題――この教会の豚小屋で飼育できる豚の数は? 答え――一頭だけ。なぜなら、豚小屋の(ぬし)が他の豚を食い尽くしてしまうから」

 粛正省ヴァリ島部局に籍を置く真導師(コンダクター)たちのジョークだ。

 彼らが言うところの「豚小屋」とは、ヴァリ島部局の副長の執務室である。その蔑称が持つ印象に反して、とても広い部屋だ。都市部の平均的な大きさの民家を室内に建てたとしても、まだ空間が余るだろう。都市部の平均的な庶民には望めない庭や離れが収まるほどの空間が。

 チャオ人の五級真導師シャンメイ・ユォはこの広壮な豚小屋を訪れる度に――

(狭すぎるわ。窒息しそう)

 ――圧迫感に押し潰されそうになる。「豚小屋の主」であるサイラス・L・ディミック副長の体があまりにも大きすぎるために。

 大きすぎるといっても、その巨体は筋骨隆々たるものではない。肥大化し、弛み、脂ぎった肉塊だ。真紅の僧衣を突き破らんばかりの太鼓腹、だらしなく垂れ下がった胸の贅肉、首の代わりに三重顎で支えられた半球型の頭。ふやけた餅に服を着せれば、これと同じものができあがるだろう。

 シャンメイが机の前に立つと、特注の籐椅子に沈んでいた副長の上体がゆっくりと起き上がり、生白い顔の下部にある割れ目(常人の口に相当する器官だと思われる)から声が発せられた。

「タヴァナー市の中央教会が奇妙な事件を知らせてきたそうだね」

 人間離れした外見にそぐわぬ甘やかな声だ。

 その美声に聞き惚れることなく、シャンメイは事務的な語調で報告した。

「はい。『アレックス・ザ・ミディアムの首が獄舎から盗まれた』とのことです」

「ふーむ」

 ディミックは顔に手をやり、三重顎の襞を撫でた。僧衣の袖口から手首が覗いたが、そこにあるはずの〈教団〉(ニュー・オーダー)の腕輪は見えなかった。肉に埋もれているのだ。

「アレックスの怨霊が夢見の冥府から甦り、自分の首を奪い返したのか……いやいや、それはあり得ないね。転生封じの真導(ウェイク)はそう簡単に破れるものではない」

 シャンメイは怨霊も真導も信じていなかったが、「そうですね」と相槌を打った。クリケットである副長の機嫌を取るためではなく、不毛な議論を避けるために。

 彼女の胸中を見抜いたのか、ディミックは苦笑とも嘲笑ともつかぬ笑みを見せた。

「しかし、怨霊が絡んでいなくとも、奇怪な事件であることに変わりはないね。いったい、どこの誰がアレックスの首を奪ったのだろう? ユォ君の意見を聞かせてほしいな」

「野犬が持ち去ったのかもしれませんね」

 シャンメイは投げやりに答えた。

「なるほど。野犬か」

 ディミックは大儀そうに腕を伸ばすと、机に置かれた小壺の中から瑠璃色の飴玉をつまみあげ、右目の前にかざした。

 五十歳に手が届く男が子供のように飴玉を覗き込む姿は滑稽だったが、その半透明の飴玉越しの視線には邪念めいたものがある。なにも知らぬ者が見たら、美人秘書官(シャンメイ)に対する情欲の眼差しだと誤解するだろう。もっとも、このヴァリ島部局には「なにも知らぬ者」など一人もいない。副長が男色家であることは公然の秘密だ。

「ユォ君はタヴァナー市の市都の生まれだったね」

「はい」

「それなら、獄舎の前に立てられた杭を見たことがあるだろう。先端に刑徒の首を突き刺すための細長い杭だよ。あれの長さはどれくらいだったかな」

「よく覚えていませんが、十ドリーほどだったと思います」

「ふむ。無知な私に教えてくれないか、ユォ君。足掛かりのない十ドリーの杭をよじ登り、その先端に刺されている首を取る――そんな芸当が犬にできるのかね?」

「……たぶん、無理だと思います」

「おやおや。では、アレックスの首を盗んだのは犬ではないね。たぶん、猫でもないだろうな。ひょっとして、猿かなぁ? 猿は木登りが得意だから、杭の上の首を盗めるかも……いや、待てよ。猿じゃなくて、人間じゃないか? そうだ。うん、人間だ。人間の仕業に違いない」

 白々しい一人語りに区切りをつけると、豚小屋の主は改めてシャンメイに問いかけた。

「さて、その人間はなんのために首を盗んだのだろう?」

「私には判りません」

「それは残念だ。聡明なユォ君に判らないのなら、他の誰にも判らないだろうね」

 ディミックは飴玉を口の中に放り込み、手を軽く振って「退出してもよろしい」という意を告げた。

 シャンメイは一礼して背を向けた。

 しかし、扉に向かって歩き始めると同時に後方から呼び止められた。

「ああ、ちょっと待ちなさい」

 口中で飴玉を転がしているため、ディミックの声はくぐもっていた。

「有能な秘書官である君に恥をかかせたくないから黙っていたのだが、やはり言っておこう。私は、タヴァナー市の典獄に杭の正確な長さを教えてもらったことがある。あれは君が思っているよりも短いんだよ。十ドリーではなく、六ドリーと五十ターンだ。まあ、犬が登れる高さでないことに変わりはないけどねぇ」

「……」

 シャンメイは言葉を返す代わりに頭の中でディミックを百万回ほど殺し、静かに退室した。

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