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アレックス最後の戦い  作者: 土師 三良
第四幕 水底(みなそこ)と街角で
23/41

第二場

水辺の剣闘士/リスとアレックスの共通点/緊急性の高い警告が手遅れの段階で発せられる/ヤモリと蝶と工具/檻の中/蘇生/シュペングラー家の悲劇、ルォ家の惨劇/無駄骨折り/アレックスの回想/第五項/ペイ爺とアレックスの共通点




 その池は、湾曲した水滴のような形をしていた。古風なチャオ人なら、「勾玉のような形」と表現するかもしれない。

 勾玉の鈎にあたる部分の水辺には藪が密集しているが、球形の部分の水辺は開けている。

 その開けた場所で、緊張感のない声を響かせている者がいた。

「いっち、にっ、さん、しー! にー、にー、さん、しー!」

 アレックスだ。

 彼は下帯一つの姿で屈伸運動をしていた。傍らには薄い毛布が置かれ、その上に衣服が脱ぎ散らされている。

 そこから少し離れたところでは、アンゲラとミルが焚き火にあたっていた。両者ともに半裸のアレックスを見ているが、表情は対照的だ。アンゲラはとりすました顔をして、ミルのほうは渋面をつくっている。

「よし! 準備体操、おしまい!」

 アレックスは屈伸運動を終えると、アンゲラとミルに声をかけた。

「火を強くしておいてよ。風邪をひきたくないからね。では……アレックス、いきまーす!」

 白い息を吐きつつ、闘技場に赴く剣闘士のように堂々とした足取りで池に近付く。

 そして、爪先を水面に浸したが――

「ひえっ!?」

 ――悲鳴をあげると同時に足を引き戻した。

「思っていた以上に冷たいよー。下手をすると、心臓麻痺を起こして死んじゃうかも。春が来るまで延期してもいいかな? ……って、いいわけないよね」

 情けない顔をして、女性陣に視線を送る。

「それは私が決めることではありません。御自分で判断してください」

 アンゲラが言った。

 一方、ミルは返事をしなかった。早暁の直前の闇にまぎれてテイパーズ・デンを抜け出し、この場所――タヴァナー市の郊外にある雑木林に来るまでの間、彼女はずっと無言だった。話すことが特になかったからだ。しかし、アレックスが服を脱ぎ始めた頃から、沈黙の質が変化していた。

「ミルちゃんはずっと黙ってるけど、それは僕の肉体美に魅せられて言葉を失っていると解釈していいのかな?」

「いいわけないでしょうが!」

 ミルはようやく言葉を発した。

「あたしは呆れて言葉が出ないのよ。『アレックス・ザ・ミディアムしか知り得ないことを思い出した』とか言って、なにを始めるのかと思ったら……まさか、寒中水泳とはね」

「寒中水泳じゃなくて宝探しだよ。僕が思い出したのはお宝の隠し場所なんだ。生前の僕(アレックス)はいざという時に備えて、各地に武器や金を隠していた。冬に備えて木の実を埋めるリスみたいにね。で、その隠し場所の一つが――」

「――この池だというの?」

「そういうこと。この池の底にはアレックス・ザ・ミディアムのお宝が眠っているんだ」

「お宝というのは何なのよ?」

「残念ながら、それは判らない。なにかを池に隠したことは思い出したんだけど、なにを隠したのかまでは思い出せないんだ。たぶん、金貨の山だったような気がするんだけど」

「金貨なんて珍しくもないでしょ。その金貨がクソ兄貴のお宝であることをどうやって証明するつもり?」

「うーん。そこまでは考えてなかったな」

「やっぱりね。そんなことだろうと思った」

 ミルは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 実際、この時のアレックスは小馬鹿にされても文句を言えないような間の抜けた表情をしていた。そして、小馬鹿にされても文句を言えないような間の抜けた質問をした。

「そんなことって、どんなこと?」

「あんたの魂胆はお見通し。あたしたちを騙すために、事前に金貨を池に沈めておいたんでしょ。子供騙しもいいとこだわ」

「この池に金貨を隠しに来る暇なんてないよ。昨日の夜から今日まで僕はずっとミルちゃんやゲラさんと一緒にいたじゃないか」

「昨日とは限らない。もっと前から準備していたのかも」

「疑り深いなー。僕は冗談が嫌いな人間じゃないけど、そんなに手間のかかった冗談はしないよ」

「どうだかね。まあ、好きにしなさいよ。あたしは止めないから」

「うん、好きにさせてもらう。では、あらためて……アレックス、いきまーす!」

 アレックスは跳躍し、水面に頭を出していた小さな岩に着地した。

 その岩の斜め前方には別の岩があり、その二つ目の岩のすく傍には三つ目の岩があり、その三つ目の岩から少し離れた場所には四つ目の岩がある。

 それらの岩から岩にアレックスは飛び移った。三つ目の岩に着地した際に足を滑らせて池に落ちそうになったが、なんとか体勢を立て直し、最後の岩まで行き着くことができた。

「たぶん、この辺りだと思うんだけど……」

 自信なげに一人ごちた後でミルの疑わしげな視線を感じ取り、水辺のほうに振り返って、弁解めいた言葉を口にした。

「まだ記憶が完全に戻ってないから、よく判んないんだよねー。あははははは」

「バカみたいに笑ってないで、さっさと潜りなさいよ」

 ミルの非情な言葉が飛んできた。

「はーい」

 首をすくめて、池に目を戻す。

 青い水面が秋の日差しを照り返していた。もっと違う状況であれば、その光を美しいと思うこともできたかもしれない。

「では……アレックス、今度こそ本当にいきまーす!」

 アレックスは思いきり息を吸い込むと、岩を蹴り、空中で弧を描いた。

 水面に映る自分と目が合った。渋い表情をしている。気に喰わないことがあるらしい。

 そんな顔するなよ――と、アレックスは自分に言った。僕だって、寒中水泳なんかしたくないんだ。でも、やるしかない。水は冷たいけど、凍え死ぬことはないさ。

 なにも判ってないな――と、アレックスが自分に言い返した。僕が問題視しているのは水の温度じゃなくて、深度だよ。ここが浅かったら、池の底に頭をぶつけることになるぞ。逆に深かったら……

「……あっ!?」

 アレックスは大事なことに気付いた。

 しかし、遅すぎた。

 自分を映していた水面を突き破り、水中の世界に落ちる。

「ぐぼぼぼごげぼぉ~!」

 声になっていない声が大量の気泡とともに口から吐き出されていく。それに対する返礼のつもりなのか、この冷たい池は大量の水を口に流し込んでくれた。

 アレックスは必死に水をかき、体をねじり、光が差し込む水面めざして上昇した。その際に当人が思い描いたのは、壁を素早く登っていくヤモリの動きだった。もっとも、実際の動きはヤモリには程遠いものだったが。

 悪戦苦闘の末、水面を再び(今度は内側から)突き破り、顔を外界に晒すことができた。しかし、息を吸い込む間も水を吐き出す間もなく、水中に引き戻された。

 アレックスは手足をばたつかせた。強風に翻弄される蝶の姿が頭を過ぎった。もっとも、実際の姿は蝶とは似ても似つかなったが。

 もちろん、ヤモリでもない。

 どこからどう見ても、それは溺れている人間の姿だった。

『僕に関するメモその八、僕はカナヅチである』



 アレックスは目を開いた。

 立ち上がろうとした。

 立ち上がれなかった。

 後ろ手に縛られ、両足首に枷を嵌められて、荷馬車の上に転がされているのだ。

 それはただの荷馬車ではなかった。太い木で作られた格子が荷台を囲っている。獣を運搬するための荷馬車なのだろう。あるいは獣のように扱われる人間を。

 アレックスは不自由な体を必死に動かして、上体を起こした。顔に張り付いていた赤黒いものが剥がれ落ちた。乾いた血だ。返り血ではなく、自分の血であるらしい。傷口があると思われる場所――左のこめかみの辺りに鈍い痛みを感じる。

 痛みに堪えつつ、格子の外に目をやると、荷馬車に伴走している何頭かの騎馬が見えた。乗り手たちの鉢金や胸当てには、内州の騎士であることを示す紋章が記されていた。

 そのうちの一人がこちらを見た。彼には左手がなかった。その代わり、必要以上に先端部を尖らせたフックが手首から伸びていた。

「そんな目で睨むんじゃねえよ」

 馬を荷馬車に寄せて、男がそう言った。嗜虐的な薄笑いが顔に張り付いている。

「腹が立つか? 泣きたいか? 悔しいか? 俺たちが憎いか?」

 檻に入れられた猛犬をからかうかのように、男はフックで格子を叩いた。

「でもよ、俺たちだって好きこのんでこんなことをやってるわけじゃないんだ。どうしても誰かを恨みたけりゃ、ウォルラスを恨んでくれ。これはあいつの差し金なんだからよ」

「……ウォルラス?」

 その奇妙な名をアレックスは復唱した。

 そして、悟った。

 今、自分は過去を夢見ているのだ。記憶を失う以前の出来事を夢の中で追体験しているのだ。

「――」

 弱々しい声が聞こえてきた。格子の外側ではなく、内側から。荷馬車で運搬されていたのはアレックスだけではなかったらしい。

 その声を正確に聞き取ることができなかったにもかかわらず、アレックスには理解できた。声の主がなんと言ったのかを。それは聞き慣れた言葉――声の主のアレックスに対する呼称だった。

 体を倒すようにして、声が聞こえてきた方向を見た。

 その瞬間、夢は終わった。



 アレックスは目を開いた。

 立ち上がろうとした。

 立ち上がれなかった。

 誰かが胸を抑えているのだ。

 その「誰か」が言った。

「生き返ったみたいね」

 胸の圧迫感が消えた。

「ぶほっ!」

 アレックスは水を吐き出すと、体をよじり、咳込んだ。咳がおさまると、口をあえがせて貪欲に空気を喰らい、吐き出し、また喰らった。鼻水が出て、涙が滲み、涎が流れ落ちる。それらを拭いながら、顔を上げた。

 ぼやけていた視界が鮮明になり、「誰か」を認識できた。

 ミルだ。

 彼女はずぶ濡れになっていた。水を吸った服が体に張り付き、髪には藻が絡んでいる。

「な、な、なにがあったんだ?」

「ミルさんが池に入って、貴方を助けてくれたんですよ」

 と、背後からアンゲラの声が聞こえてきた。

「バカだバカだと思ってたけど、ここまでバカな奴だとは思わなかった!」

 スカートの裾を絞りながら、ミルが悪態をついた。

「泳げないくせに池に飛び込むなんて……あんた、なに考えてんの? っていうか、なにも考えてないでしょ?」

「面目ない」

「とにかく、これであんたがクソ兄貴じゃないってことがはっきりしたね」

「どうして?」

「兄貴は泳ぎが得意だったのよ。だけど、あんたは泳げなかった。つまり、あんたは兄貴じゃない。簡単な理屈でしょ」

「それはどうかな? 僕が溺れたのは、新しい体にまだ慣れてないからだと思う。時間が経てば、また泳げるようになるさ。それより、池に隠していたお宝は……」

「ここです」

 と、またアンゲラの声がしたので、アレックスはそちらを見た。

 アンゲラは平たい木箱を抱えて立っていた。

「貴方を助けるついでにミルさんが池から引き上げてくれたんですよ」

「逆よ、逆! 箱を引き上げるついでにこのバカを助けたの」

 苦々しげなミルの声を背中で聞きながら、アレックスはアンゲラの前に這い進んだ。体が震え、歯が鳴っているが、寒さは苦にならなかった。

 アンゲラが腰を屈めて、アレックスの前に平箱を置いた。

「見てのとおり、この箱は藻に覆われています。池に沈められたのは最近のことではありませんね」

「そうさ。最近のことじゃない」

 濡れた体のあちこちを手で擦りながら、アレックスは言った。

「とはいえ、正確な日付けはまだ思い出せないけどね。ああ、そういえば、溺れて意識を失った時に別のことを思い出したよ」

「どんなことですか?」

「たぶん、騎士団に捕まって市都に連行されている時の記憶だと思う。僕は檻付きの馬車で運ばれていて、その周りには騎士たちがいた。で、騎士の一人が『これはウォルラスの差し金だ』とか言ってたよ」

「ウォルラスの差し金?」

「うん。ディミック(ウォルラス)〈吼え猛る(ハウリング・)ヤマネ団〉(ドーマイス)の隠れ家を密告したことを意味してるんだろうね」

「……」

 アンゲラは頬に指をあて、小首をかしげた。わざとらしい仕種だが、絵になっている。

「どうかしたの、ゲラさん?」

「いえ、なんでもありません。この箱を開けてもよろしいですか?」

「もちろん、よろしいですよー。そのために池から引き上げたんだからね」

「偉そうに言ってんじゃないよ! 引き上げたのはあたしでしょうが!」

 ミルの怒声が飛んできたが、アレックスは聞こえない振りをした。

 アンゲラが腰から戦鎚を抜き、鎚頭の反対側に付いているピックを平箱の端に突き立て、蓋を半ばへし折る形でこじ開けた。蓋の破片で縁取られた穴の向こうに黒と灰色と金色の内容物が覗く。黒と灰色は重し代わりの石、金色は数十枚の金貨だ。

「わーおぅ!」

 アレックスは一枚の金貨を手に取り、穴が開くほど見つめた。

 それは普通の金貨よりも一回り大きかった。片側に、モノグラムらしきものが浮き彫りにされている。その反対側の浮き彫りは、(はね)が生えた目玉の図柄。どちらの側にも縁に沿って文字が記されているが、それは公用語ではなかった。

「この文章はドロッセルラント語かな?」

はい(ヤー)。これはシュペングラー金貨ですね」

「なにそれ?」

「ドロッセルラント人の豪商ミハイル・シュペングラーが男児誕生を記念して鋳造した三十枚の金貨です。表にはシュペングラー家の家紋、裏には旧帝国(ドロッセルラント)で崇められていた舟星(サテリーテン)が描かれています。シュペングラー家が没落すると、金貨は各地に分散し、好事家たちの手に渡りました。大きさの割りに金の含有率は低いのですが、意匠が凝っているので、高値で取引されたそうですよ」

「ふーん」

「二年ほど前、ドロッセルラント人でもないのに舟星教に帰依したタンチャイ・ルォという商人がすべてのシュペングラー金貨を買い集めました。しかし、それから間もなく、彼の邸宅に賊が押し入り、シュペングラー金貨を含む数多の財貨を奪い去ったのです」

「その賊というのは、もしかして……」

「アレックス・ザ・ミディアム率いる〈吼え猛るヤマネ団〉です」

 そう答えて、アンゲラは立ち上がった。

 アレックスも立ち上がり、金貨を弾き上げ、受け止めた。

「よし! これで僕がアレックス・ザ・ミディアムだということが証明できたわけだ! ミルちゃん、今から僕のことを『クソ兄貴』と呼んでくれても構わないよ」

 その軽口に対して、ミルは――

「……」

 ――なぜか、なにも言い返さなかった。毛布にくるまり、焚き火を見つめている。毛布のせいでよく判らないが、微かに震えているように見える。顔は強張り、炎を凝視する目には恐怖の色が宿っていた。

(どうかしたのかな?)

 アレックスが首をかしげていると、アンゲラが声をかけてきた。

「アレックスさん。言い難いことですが……」

「なんだい?」

「これらの金貨はなんの証拠にもなりません。アレックス・ザ・ミディアムが生前に金貨を手放し、それが貴方の手に渡っただけかもしれませんからね」

「で、でもさ、それはゲラさん個人の見解だよね? ゲラさんの雇い主は僕のことを信じてくれるかもしれないじゃないか」

 アレックスが必死に食い下がると、アンゲラは捉えどころのない笑みを浮かべた。〈昆虫の微笑〉だ。

「貴方は勘違いされているようですね。私や雇い主たちの見解はどうでもいいのです。重要なのはディミックの見解ですよ」

「どういうこと?」

「ディミックはクリケットですから、残魂転移も信じているかもしれません。だとすれば、貴方を本物のアレックス・ザ・ミディアムだと見做し、警戒心を抱くことでしょう」

 アレックスははたと手を打ち、

「そうか! たとえ僕がアレックスじゃなかったとしても、ディミックが僕のことをアレックスだと思い込めば――」

「――回帰主義者にとって、貴方は有用な存在になりえます」

「それは『貴方に力を貸します』という意味に受け取っていいのかな?」

「構いませんよ。実を言うと、私は最初から貴方を受け入れるつもりでいたのです」

「えー!? つまり、この寒中水泳は無意味だったってこと? それならそうと、最初に言ってくれよぉ!」

 さしものアレックスも声を荒げずにはいられなかった。

 アンゲラは帽子を取り、深々と頭を下げた。

もうしわけ(エントシュルディゲン)ありません(・ズィー・ビッテ)。貴方が服を脱ぎ始めた時に止めようと思ったのですが、その素晴らしい肉体美に魅せられて言葉を失ってしまったのです」

「……ゲラさんって、意外と性格が悪かったりする?」

「さあ、どうでしょうね。それより、この金貨はどうなさいますか?」

「僕はお金なんかいらないから、半分はミルちゃんにあげるよ。店で暴れたお詫びの意味を込めてね」

 アレックスは手にしていた金貨をミルのほうに放り投げた。

 だが、ミルは受け取らなかった。目で追うこともなかった。金貨は彼女の前を通過し、焚き火の向こう側に落ちた。

「いらないの?」

「……いらない」

 ミルは小声でそう答えたが、すぐに考え直したのか、言葉を継ぎ足した。

「でも、くれると言うのなら、もらっといてあげる」

「どーぞ、どーぞ」

 ミルの目に宿っていた恐怖の色は薄らいでいた。体はまだ震えていたが、それは寒さから来る純粋な震えだろう。普段のミルに戻りつつあるらしい。

 箱の中の金貨と石を選り分けながら、アンゲラがアレックスに尋ねた。

「残りの半分はどうしますか?」

「やっぱり、お世話になった人にあげるのがスジってもんだろうね」

 アレックスの脳裏に「お世話になった人」の姿が浮かんだ。

 刑吏(シデムシ)のペイ爺だ。

 アレックスがシュペングラー金貨の隠し場所を思い出す(ヽヽヽヽ)ことができたのはペイ爺のおかげだった。

 昨日、〈ボロゴーヴ亭〉で――



「大丈夫だ。駆け引きに役立ちそうな情報を教えてやるよ。ようやく、本題に入れるな」

「え!? まだ入ってなかったの?」

 呆れ果てるアレックスの前でペイ爺は酒瓶の栓を開け、匂いを嗅いだ。

「よしよし。これは水じゃなさそうだ」

「あの……本題というのは?」

「おおう! すまん、すまん」

 ペイ爺は酒瓶に栓をして、「本題」について語り始めた。

「この町から南東にちょっとばかり進むと、辛気くさい林にぶつかる。そこに涙ヶ淵と呼ばれとる池があってな。その池の北側――飛び石みたいに岩が並んでいる辺りにお宝が沈められてるんだ」

「お宝って?」

「アレックス・ザ・ミディアムが生前に隠したお宝だ。中身は何十枚かの金貨らしい。この情報を活かせば、アレックス・ザ・ミディアムを上手く演じられるかもしれねえぞ。しかも、金まで手に入るんだ。一石二鳥だろうが」

「ちょ、ちょっと待ってよ! どうして、ペイさんがそんなことを知ってるの?」

「当のアレックスから聞いたのさ。奴ァ、首を落とされる時にギャアギャア泣き喚き、しまいには『金をやるから、助けてくれ』なんて言い出してな。涙ヶ淵に沈めたお宝のことを教えてくれたのよ。もっとも、ビビりすぎて一時的に声が出んようになっとったから、傍目には口をパクパク動かしているようにしか見えなかっただろうけどな」

 ペイ爺は片手を顔の横に持ち上げると、口パク人形でも操るかのように親指と他の指とを何度も接触させた。

 アレックスも同じようなジェスチャーをして、

「でも、ペイさんはそのパクパクを理解することができたんだね。読唇術ってやつ?」

「そんな大層なものじゃねえ。ああいう状態の刑徒を何十人も見ているうちに、唇の動きを読み取る方法を自然と覚えちまったんだ」

「すごい!」

「すごくねえよ。読み間違いをしている恐れもあるから、この情報をあてにしすぎないほうがいいぞ」

「いやいや、あてにさせてもらいますよー。どうもありがとう」

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 ペイ爺は愉快そうに笑い、それに合わせて手を動かした。その手が操っている不可視の口パク人形も笑っているのだろう。

「三十年以上もシデムシをやってきたが、首を刎ねた相手に礼を言われたのは初めてだ。長生きはするもんだなぁ」

「首を刎ねた相手、か……」

 ペイ爺の笑顔を見ながら、アレックスは考えた。もし、自分が本当にアレックス・ザ・ミディアムであり、なおかつ生前の記憶を失っていなかったとしたら、ペイ爺をどうするだろう?

 きっと殺すはずだ。

 この老刑吏はアレックスの首を刎ねた。しかも、その際にアレックスの見苦しい死に様を目の当たりにした。そんな奴を生かしておくわけにはいかない。

 しかし、今ここにいるアレックスはペイ爺に殺意を抱くことができなかった。それは自分がアレックス・ザ・ミディアムであるという確信を抱いていないから……という理由だけではないような気がした。たとえアレックス・ザ・ミディアムの記憶が甦ったとしても、ペイ爺に対する感情は変わらないだろう。

『僕に関するメモその五、過去はどうであれ、今の僕は凶悪な人間ではない』

 心の備忘録に新事項を書きつける。

 その直後、アレックスは思い出した。劇場神殿で真導師(コンダクター)たちを斬り殺した時のことを。スルーフィールドを見ているうちに湧き上がってきた怒りのことを。「一人残らずブチ殺してやる」という囁き声のことを。

 少しばかりばつの悪い思いをしながら、書き入れたばかりの第五項に追記する。

『僕に関するメモその五、過去はどうであれ、今の僕は凶悪な人間ではない。でも、やる時はやる』

 なんにせよ、今は「やる時」ではない。次に「やる時」はウォルラスと会った時だ――と、決意を新たにしつつ、アレックスはペイ爺に尋ねた。

「ところで……どうして、ペイさんはアレックスの金貨を放置してるの? 僕に教えたりせず、自分で引き上げればいいのにさ」

「そうしたいのは山々だが、俺はあのお宝には手が出せねえんだ」

 ペイ爺は恥ずかしげに顔を伏せた。

「カナヅチだからよぉ」

次回は2015年8月1日頃に投稿予定。

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