アレックス最後の戦い
●アレックス・ザ・ミディアム(一五六八~一五八九)
本名アレグザンダー・マッカーティー。
ヴァリ島に出没した群盗〈吼え猛るヤマネ団〉の首領。
一五六八年、ヴァリ島グリマング市の市都に生まれる。
一五八五年、喧嘩のはずみで知人を殺してしまい、市都から逃亡。各地で殺人や強盗を重ねていくうちに他の無法者たちと徒党を組むようになり、一五八七年頃から〈吼え猛るヤマネ団〉を名乗り始める。
一五八九年、タヴァナー市のグレイノーモアを襲い、四十人以上の村人を殺害(グレイノーモアの虐殺)。同年、エルドリッチ市から派遣された騎士団に捕まり、処刑された。
「処刑される直前に脱獄した」「処刑されたのは偽者だった」「異端の真導で生き返った」といった生存説が根強く残っているが、どれも信憑性はきわめて低い。
――『シュライキア人名録』より
明日、俺の処刑に立ち会う奴らは、本当の男の死に様というものを見ることになるぜ。
俺は他の死刑囚みたいに泣き喚いたり、気を失ったり、小便を漏らしたりしない。
もちろん、命乞いもしない。
堂々と胸を張って処刑場に行き、大声で笑いながら死んでやるよ。
――アレックス・ザ・ミディアムの悔悛告白
◆
「い、嫌だ! 俺は死にたくねえ!」
薄暗い部屋の中央で男が叫んでいた。
擬人化したラクダを思わせる異相の男だ。いや、異相を通り越して、異形の域に達していると言ってもいいだろう。
名前はアレグザンダー・マッカーティー。
通称、アレックス・ザ・ミディアム。
シュライキア王国の内州(王室の直轄地)ヴァリ島で悪名を轟かせた無法者である。
アレックスは後ろ手に縛られて跪かされ、二人の屈強な刑吏に両肩を押さえられていた。首は右向きに捻じ曲げられ、鉄床に似た断頭台に乗せられていた。台に付いている金具と革紐で頭部を拘束されているので、顔の向きを変えることはできない。
刑徒の頭頂は北東に向け、顔は南東に向ける――それが斬首刑の作法だ。斬首刑はただの刑罰ではなく、転生封じの真導を刑徒に施す儀式なので、〈教団〉が定めた作法を守らなくてはいけない。たとえ、首を落とされる者が真導を信じていなくても。
「死にたくねえ! 死にたくねえ! 死にたくねえよぉ!」
叫び続けるアレックスの視線の先には、年老いた刑吏がいた。長柄の斧にすがるようにして立ち、眠たげな目で天井を見上げている。
アレックスと老刑吏、肩を押さえている二人の刑吏。そして、儀式を司る〈教団〉の真導師。部屋にいるのはこの五人だけだった。絞首刑は衆人環視の中で執行されるが、斬首刑は俗人の目の届かぬ闇の奥で行われる。これも〈教団〉が定めたことだ。
「ウォルラス! 俺を助けてくれ!」
顔を歪めて、アレックスは呼びかけた。
ここにはいない何者かに向かって。
「話が違うじゃねえか、ウォルラス! 今すぐここに来て、こいつらを止めてくれ! ウォルラァ~~~スッ!」
「黙れ」
と、後方にいた真導師が初めて声を発した。
「往生際が悪いぞ、アレックス。どんなに泣き喚いても、おまえは助からない。ここで死ぬんだ。さあ、始めてくれ」
最後の言葉は刑吏たちに向けられたものだったらしい。老刑吏が斧を肩に担ぎ上げ、頼りない足取りで歩き出した。
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 確かに俺は悪党だが、こんな死に方をする謂れはないぜ! なあ、カッコー……いや、真導師さんよ。ウォルラスに取り次いでくれ。俺を助けるように言ってくれよぉ」
「――」
唸り声にも似た言葉の小波がアレックスの叫び声に重なった。真導師が転生封じの聖言を唱えているのだ。
「よっこらしょっと」
老刑吏がアレックスの前で立ち止まり、斧を肩から下ろした。
斧に付いた薄茶色の染み――血の名残りがアレックスの目に映る。慌てて瞼を閉じたが、瞳に焼きついたその染みは消えなかった。瞼の隙間から涙が流れ落ちた。小便が股間を濡らした。不思議と体は震えなかったが、心臓は胸を突き破らんばかりに踊り狂った。
この情けない悪漢が率いていた〈吼え猛るヤマネ団〉が瓦解したのは一ヶ月ほど前。タヴァナー市の市都の近郊にあった隠れ家に騎士団が踏み込んだのだ。
騎士たちに捕縛されても、アレックスの威勢は衰えなかった。
市都に送られて裁きを受けている間、彼はずっと笑っていた。
判決を言い渡された時も笑い続けていた。
仲間たちが処刑された時も独房で笑い転げていた。
昨夜、悔悛告白を終えた時も聴聞者の呆れ顔を笑い飛ばした。
その不敵な精神を支えていたのは勇気でもなければ、狂気でもない。窮地を切り抜けられる見込みがあったから、豪胆に振る舞うことができたのだ。
しかし、土壇場になって彼は悟った。
なにもかもが見込み違いだったことを。
避けようのない死が目の前に迫っていることを。
「た、た、頼む! たすけてくれ! あんたたちの言うことはなんでもきく。そ、それに……金だ! 金もやるよ。だから……た、たすけ、け、け……いけ……き……か……」
哀願の声は徐々に小さくなり、やがて消えた。黙り込んだのではない。口はまだ動いている。本人は命乞いを続けているつもりなのだが、恐怖と絶望が声を殺したのだ。
真導師が聖言の詠唱を終えた。
室内は静まり返った。
静寂というものが質量を有していることをアレックスは知った。
重い。
とてつもなく重い。
その重さに耐えることができず、瞼を開けた。
視界に焼きついた薄茶色の染みの向こうで老刑吏が斧を再び持ち上げた。今度は肩に担がず、頭上に振り上げ、そこで停止させた。
真導師の声が聞こえた。
「斬首刑で命を落とした者は目覚めの楽土に転生することが許されず、夢見の冥府で永遠に苦しむ……ということになっているが、おまえは真導を信じていないから、転生封じなど恐れないだろう。それでは極刑とは言えない。だから――」
斧が振り下ろされた。
アレックスの声が甦った。
絶叫という形で。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ~っ!!」
その声は途切れなかった。斧は彼の首を断ち斬らなかったのだ。皮を裂き、ほんの少しだけ肉に食い込んだところで止まっている。
「――たっぷりと時間をかけて殺す。一説によると、刑徒の頭を横向きにする本当の理由は、首を斬り難くして苦痛を長引かせるためらしい」
真導師が話を終えると、老刑吏はまた斧を振り上げた。
アレックスは野獣のように吠え続けた。裂けんばかりに開かれた口から、叫びと共にどす黒い血が吐き出されていく。
斧が振り下ろされた。それは先程よりも力強い一撃だったが、狙いが逸れて、右肩に命中した。
「気を付けろ、ロブ! 俺の指まで斬り落とすつもりか!」
「すまん」
アレックスの右肩を押さえていた刑吏が怒鳴り、老刑吏が頭を下げる。どちらも刑徒の絶叫など気にしていない。断末魔の叫びは聞き慣れているのだ。
老刑吏はよろよろと斧を振り上げ、すぐに振り下ろした。今度は首に命中したが、刃はまだ骨に達していないし、頚動脈も断たれていない。
アレックスの叫び声は弱々しい呻き声に変わった。それを補うかのように口と傷から流れ落ちる血の量が増えていく。
崩壊しかけている意識の果てで、彼は足音が近付いてくるのを感じ取った。あの真導師の足音だろう。
視界の中に真導師が現われ、老刑吏の横に立った。死にかけたアレックスの目はその姿をはっきりと捉えることができなかったが、老刑吏が斧を振り上げる様を認識することはできた。
「……こ、殺すぅ……」
アレックス・ザ・ミディアムは最後の力を振り絞り、喉の奥から言葉を吐き出した。
「俺は……必ず……夢見の冥府から甦って……おまえらを殺す……いや、おまえらだけじゃねえ……俺を捕まえた騎士たちも……俺のヤサを密告した奴も……そして、俺を見捨てたウォルラスも! 一人残らずブチ殺してやらぁ!」
「おう! 楽しみに待ってるぜ」
そう答えて、老刑吏が斧を振り下ろした。
首はまだ落ちなかった。
真暦一五八九年黄玉の二月二十六日。
群盗〈吼え猛るヤマネ団〉の首領アレックス・ザ・ミディアムはヴァリ島のタヴァナー市で処刑された。
その翌日から、奇妙な噂が町中に広まった。
アレックスを処刑した刑吏たちが変死したというのだ。
ある者は言った。アレックスの処刑がおこなわれた日の夜、刑吏たちは吐血して死んでしまった、と。
ある者は言った。斬首用の斧が勝手に動き出し、刑吏たちの首を次々と刎ねた、と。
ある者は言った。刑吏たちは正気を失い、互いに殺しあった、と。
様々なヴァリエーションの噂が生まれたが、最後に付け加えられる一言はどれも同じだった。
「きっと、これはアレックスの祟りだ」
もちろん、語り手は自分が吹聴している噂を事実だとは思っていなかったし、聞き手も真に受けたりしなかった。それは父親たちが飲み屋で味わう無料の酒肴であり、母親たちの井戸端会議を盛り上げる新たな議題であり、子供たちを寝かしつけるための怪談(夜更かししてると、アレックスの怨霊にさらわれちまうよ!)に過ぎなかった。
それでも、人々は心のどこかで期待していた。悪漢の非道な所業や痛快な武勇伝を聞くことは(自分が被害者にならない限り)民衆の娯楽の一つだ。アレックスの伝説をここで終わらせてしまうのは惜しい。もっと彼に活躍してほしい。血生臭い逸話を提供してほしい。
そんな願いが天に届いたのかもしれない。
黄玉の二月三十日、獄舎の前に晒されていたアレックスの首が消えた。