第四場
「神妙にしろ!」/怒りの鉄拳/小さな商戦についてガフが語る/醜い争奪戦にガフは加わらない/空くじなし/爆弾発言、不発に終わる/忘れえぬ犬(もしくは猫)/アレックスだけが知っていること
「行くぞ!」
ジェイコブは古着屋の鎧戸を蹴破った。
横に立っていたリトル・ビルが中に飛び込み、半秒遅れてジェイコブもそれに続く。更に他の隊士たちが雪崩れ込んだ。
「警鼓隊だ! 神妙にしろ!」
定型句とも言える叫びをジェイコブは発した。
玄関に置かれていた木蓮の衝立が蹴倒され、囲炉裏の傍に座っていた男――頭にターバンを巻いた若者の姿が視界に入った。
「神妙にしろ!」
再度、ジェイコブは叫んだ。警鼓隊と乱闘を繰り広げた命知らずがこんな警告に従うわけがない――それは承知の上だ。敵を萎縮させるためではなく、部下たちを鼓舞するために叫んだのである。
しかし、案に相違して、ターバン姿の若者は「神妙」だった。抵抗せず、逃げ出そうともせず、大きな匙を口の前で構えたままの姿勢でジェイコブたちを茫然と見つめている。
「くぉの野郎!」
リトル・ビルが若者の横っ面を蹴り飛ばした。
若者の身体が壁まで吹き飛び、床に積もっていた埃が舞い上がる。
その程度のことでビルの怒りは収まらない。若者の襟首を掴んで強引に立ち上がらせ、顔面めがけて頭突きを放つ。相手がのけぞるのに合わせて襟首を放し、顔に拳を何度も叩き込む。
「警鼓隊を舐めんな、コラァ! 思い知ったか! 思い知ったか! 思い知っ……」
突然、ビルの動きが止まった。悪鬼の形相が溶け去り、呆けたような顔が現れる。
彼の暴力から解放されたターバン姿の若者は意識を失い、壁で背中を擦りながら崩折れた。
「気が済んだか?」
ジェイコブが尋ねると、ビルは力無くかぶりを振った。
「……ちゃ、違います」
「なにがチャウんだよ?」
ビルは若者を指さして、
「こいつは617やありまへん!」
「なんだとぉ?」
「服装は似てるし、背格好も同じやけど、人相がぜんぜん違います」
「おいおいおいおい。人違いかよ。どうして、ブン殴る前に気付かねえかなぁ」
「せやかて、こいつが紛らわしい格好してるさかい……」
ビルは若者のターバンを掴み、怒りにまかせてむしり取った。
額が現れた。
傷一つない額が。
「石が付いてないぞ」
誰の目にも明らかなことをジェイコブがわざわざ口に出して確認した。
憮然とした面持ちでビルが言う。
「617の額にも石が付いているかどうかは判りませんよ。俺は奴の額を見たわけやないし……せやけど、こいつが617やないことだけは間違いありません」
「ふむ。するってえと、こいつは何者なのかねえ?」
ジェイコブは腰を屈めると、若者の顎をしゃくり、無惨に腫れ上がった顔を見据えた。
「ひょっとして、ここの店主かな?」
「違います」
否定したのは、小隊の中で最もテイパーズ・デンに詳しいガフだ。
「この店をやっていたのはショボくれた爺さんですよ」
「その爺さんはどこにいる?」
「判りません。一年ほど前、近所に〈メルツハーゼ〉という古着屋ができましてね。客がそっちに流れて商売が立ち行かなくなったもんだから、姿を消したんです。それ以来、ここには誰も住んでいません」
「空家か……」
ジェイコブは立ち上がり、室内を見回した。突入する時に蹴倒した衝立の他に家具は見当たらない。生活用品と言えるのは、囲炉裏にかけられている歪んだ鍋と、若者が持っていた匙だけだ。
「文無しの流れ者がテイパーズ・デンの廃屋に寝泊りするというのはよくある話ですが――」
ガフが若者の懐中をまさぐり、小さな革袋を取り出した。
「――こいつは文無しじゃなさそうですね。やたらと重い財布を持ってますよ」
紐を緩めて革袋を逆さにすると、数十枚の硬貨が床にばら撒かれた。
「うひょー!」
ビルが歓声を上げて床に這い蹲り、硬貨をかき集めた。他の隊士たちも目の色を変え、金に群がった。
「役得、役得ぅ!」
「汚い手で触わんな、ボケ! この金は俺の物じゃ!」
「いや、俺の物だ!」
「やめたまえ、君たち! 警鼓隊士の誇りを忘れたのか!」
「とか言いながら、おまえもさりげなく懐に入れてるやんけ!」
激しくも醜い争奪戦が繰り広げられる中、ジェイコブとガフだけはそれに加わらず、謎の若者を見つめていた。
「解せねえな。金に困ってるわけでもないのに、こんなボロ小屋で一夜を明かそうとするなんて……こいつはドケチなのか? それとも、この場所に思い入れがあるのか? それとも、人目を避けたかったのか?」
「三つ目が正解ですね」
ガフが若者の腕を持ち上げた。袖が捲れ、腕輪のように手首を周回している痣が現れた。
「手枷の痕です。たぶん、こいつは囚人か奴隷でしょう」
「だとしたら、どこから逃げてきたんだろうな? まあ、本人に訊いてみるか」
ジェイコブは若者の両肩に手を置き、活を入れた。
「うっ……」
若者の口から呻き声が漏れ、瞼がゆっくりと開かれる。
「目が覚めたか?」
ジェイコブが顔を覗き込むと、若者は焦点の合ってない目で見返してきた。
その目が恐怖の色に染まるのに時間はかからなかった。
「ひえぇ~っ!?」
若者は情けない声をあげて後退りした。だが、背後が壁なので、どこにも逃げることはできない。
「落ち着けよ」と、ジェイコブは言った。「俺たちはおまえさんに危害を加えたりしない。いや、もう加えちまったけどよ。それはちょっとした手違いだったんだ。すまん、悪かった、許してくれ」
若者はわなわなと唇をふるわせて、嗚咽と悲鳴が混じり合った声を発した。
「あっ、あっ、あっ! あわわわわわわぁ」
「落ち着けってばよ。俺たちはおまえさんの敵じゃない……と、言い切ることはできないんだよなぁ。まあ、そこらへんのことを確かめたいから、質問に答えてくれや。おまえさんは何者なんだ?」
「あわわわわ」
「ここで何をしていた?」
「あわわわわわわわ」
「どこから来たんだ?」
「あわわわわわわわわわわわ」
「ダメだ、こりゃ。話にならねえ。いきなり警鼓隊が踏み込んできて問答無用で蹴られたり殴られたりしたら、誰だってビビるが……この兄ちゃんのビビり方はちょっと尋常じゃねえな」
「警鼓隊を恐れる理由があるのでしょう」
と、ガフが意見を述べた。
「そうかもしれんな。囚人か奴隷のどちらかだとしたら、囚人のほうだろう」
「人違いでしたが、スカを引いたわけでもなさそうですね」
「当たりを引いたわけでもないけどな。詰所に連行して、詳しいことを聞き出そう。ガフ、こいつを縛れ」
「はい」
後ろ手に縛られている間も、若者は「あわわわわ……」という言葉ならぬ言葉を発し続けていた。
「僕は間違いなくアレックス・ザ・ミディアムなんだ」
アレックスの衝撃的な発言に対して、ミルとアンゲラは同じ反応をした。
無反応という反応だ。
「え~っと……」
いささか拍子抜けしながらもアレックスが言葉を重ねようとした時、遠くから「警鼓隊だ! 神妙にしろ!」という叫びが聞こえてきた。
ミルとアンゲラは同時にジョッキを口から離し、顔を見合わせた。
「外が騒がしいねー」
「外が騒がしいですね」
「なにかあったのかしら」
「きっと、あの人が警鼓隊に捕まったのでしょう」
「……あの人? 誰のことよ?」
「なんでもありません。気になさらないでください」
「気にしてほしそうな口振りね。もったいぶらずに教えなさいよ」
「もしもーし!」
と、アレックスが会話に割り込み、二人の視線を自分に向けさせた。
「ミルちゃんもゲラさんも僕の爆弾発言をちゃんと聞いてたの? もう一度、言ったほうがいいかな?」
「言わなくていいよ。つまらない冗談を二度も聞きたくない」
「これは冗談なんかじゃなくて、本当のことなんだよ。僕の中でアレックス・ザ・ミディアムの記憶が甦りつつあるんだ。自分でも信じられないけどね」
「じゃあ、犬の名前を言える?」
「……へ?」
唐突な問いにアレックスは面食らった。
再度、ミルが尋ねる。
「犬の名前は?」
「質問の意味が判らないんだけど……」
「昔、兄貴は犬を飼ってたの。記憶が戻ったのなら、その犬の名前を言えるはずよ」
「ああ、そういうことか。犬の名前は判らないよ。すべての記憶が戻ったわけじゃないからね。だけど――」
アレックスは腕を組み、目を閉じた。
「――その犬のことをぼんやりと覚えているような気がするな。こうして目を閉じると、記憶に刻み込まれた犬の鳴き声が頭の奥から聞こえてくる」
「嘘よ」
「嘘じゃないよ。本当に犬の鳴き声が聞こえるんだ。ワンワンって」
「そうじゃなくて、あたしが嘘をついたの。兄貴は犬なんて飼ってなかった。飼っていたのは猫よ」
「うっ……」
アレックスは言葉に詰まったが、すぐに気を取り直して、先程の話を訂正した。
「ごめん。僕の聞き間違いだった。頭の奥から聞こえてくるのは猫の声だ。ニャアニャアって鳴いてる。かわいいなぁ。あはははははははは」
乾いた笑い声をあげながら恐る恐る目を開ける。
ミルの軽蔑の眼差しが突き刺さってきた。
「えーっと……もしかして、猫を飼っていたというのも嘘だったりする?」
その質問に対して、ミルは年頃の娘に相応しからぬ下品なジェスチャーで答えた。
アレックスは咳払いをして、
「まあ、犬や猫のことなんて、どうでもいいじゃないか。僕が思い出したのはもっと重要なことなんだよ」
「はいはいはいはい。そうでしょうとも」
ミルは鼻であしらったが、アンゲラのほうは話に乗ってきた。
「いったい、なにを思い出したのですか?」
「アレックス・ザ・ミディアムしか知らないこと……いや、アレックス・ザ・ミディアムしか知り得ないことさ。これを聞いたら、ゲラさんもミルちゃんも認めざるをえなくなるよ。僕がアレックスだということをね」
自信たっぷりに振る舞いながら、アレックスは心の備忘録に第七項を記入した。
『僕に関するメモその七、僕は本当にアレックス・ザ・ミディアムなんだ! ……とりあえず、そういうことにしておこう』




