第二場
熱き戦い/アンゲラの雇い主たち/第二小隊における以心伝心/背任者としてのディミック/殺人者としてのディミック/娼婦救済同盟/ジェイコブ、良心と折り合いをつける/尻尾/最後の晩餐/爆弾発言/ブッタタキの乱入・その2
テイパーズ・デンの古着屋〈メルツハーゼ〉の奥の部屋は、ドロッセルラント語の店名に似合わぬチャオ風の造りになっていた。
奥の部屋と言っても、店と直結しているわけではなく、一旦外に出て、裏口の土間から入らなくてはいけない。履物を脱いで土間から板の間に上がると、そこには睡蓮の描かれた衝立が置かれている。板の間の向こう側は畳敷きだ。中央に囲炉裏が備え付けられており、その上の自在鉤には鍋が掛けられている。鍋の中で煮込まれているのは厚揚げと鶏肉と白菜。それにパオタオ麺という名の平打ちの白い太麺。
その鍋を三人の男女が囲んでいた。
「はふはふはふ……」
出汁が染み込んだ厚揚げと口中で格闘を繰り広げながら、三人のうちの黒一点であるアレックスは女性陣を観察した。
ドロッセルラント人の姓名とチャオ人の容姿を持つ美女アンゲラ・ディクスはアレックスの正面に座っていた。帽子を脱ぎ、長い黒髪を真導師のように束ね、熱さをものともせずにパオタオ麺を啜っている。
アレックス・ザ・ミディアムの妹のミルはアレックスの左側にいた。握り箸で椀の中身をもそもそと口に流し込んでいる。こちらも熱さを苦にしているようには見えない。
アレックスは心の備忘録に新事項をしたためた。
『僕に関するメモその……えーっと、六だったかな? 僕は猫舌である』
やがて、アンゲラが食事を終え、ナプキンで口許を無造作に拭き始めた。
「回帰主義者というのを御存知ですか?」
ナプキン越しに問いが発せられる。
厚揚げとの格闘を続けつつ、アレックスは首を左右に振った。
「はふはふ……知らない……はふはふ……」
アンゲラはナプキンを口から離して、
「簡単に言うと、〈教団〉の行く末を案じている真面目な真導師のことです。その回帰主義者たちの中でも特に教条的な一派に私は雇われています」
「はふ……」
アレックスはやっとの思いで厚揚げを嚥下すると、箸と椀を置き、アンゲラに確認した。
「僕に残魂転移をかけたスルーフィールドも、そのキョージョーテキなイッパに属してたの?」
「本人はそう思っていたようです。しかし、私の雇い主たちは彼を同志と見做さず、距離を置いて動向を監視していました」
「監視していたのなら、スルーフィールドがなにをやらかそうとしていたかを知ってるよね?」
「はい」
「じゃあ、ウォルラスの正体も知ってる?」
「もちろんです。ウォルラスというのはディミックの偽名です」
「ディミック?」
「サイラス・ローレンス・ディミック副長。粛正省ヴァリ島部局の実質的な統括者です」
「ふーん。よく判らないけど、統括者というからには、きっと偉いんだろうね。やっぱり、ウォルラスは大物だったわけだ。そうこなくっちゃ……」
そう呟いているうちに自然に口がにやけ、「くふふ……」と笑い声が洩れ出てきた。
「なにがおかしいのですか?」
「おかしいんじゃなくて、嬉しいんだよ。ようやく、敵の正体が判ったんだからね。しかも、そいつは大物と来たもんだ。うぉーっ! なんか燃えてきた!」
アレックスは興奮を抑えることができず、自分の両膝を平手で何度も叩いた。
その様子を横目で睨みながら、ミルが何事かを言ったが――
「ほへベはいやっふぇ!」
――口の中にものを詰めたまま喋っているので、言葉になっていない。
アンゲラはそれを理解することができたらしい。わざわざ声色をミルに似せて通訳してくれた。
「『おめでたい奴ね!』だそうです」
「『617を見つけた』という報告を受けたから、スッ飛んできたのによぉ。着いてみれば、617は影も形もなくて、アホな手下が四人も寝っ転がってんだもんな。やってらんねえぜ、まったく」
警鼓隊のジェイコブ・レッダルがカウンターの上に胡座をかき、愚痴をこぼしていた。
ミルの食堂〈ボロゴーヴ亭〉。この店は閑古鳥が鳴いているのが常態だったが、今はジェイコブを含めて十二人もの男が集まっていた。ただし、客ではない。ジェイコブが率いる第二小隊の面々だ。十二人というのは第二小隊の約半数である。残りの半数は町に散り、617の捜索を続けていた。
「だいたい、どうして617と戦ったりしたんだよ? 俺は奴を保護するつもりだったんだぜ。そのことをおまえさんたちに言い含めておくべきだったかな」
ジェイコブは店の隅を睨みつけた。そこには、頭に包帯を巻いた者や、鼻に布をあてがった者――この店でアレックスに倒された隊士たちが決まり悪げな顔をして立っていた。
「言い含めるまでもありまへん」
と、そのうちの一人が応じた。往来で最初にアレックスに声をかけた短躯の隊士だ。
「昨日今日の付き合いやないねんから、小隊長の考えていることぐらい判ってましたよ。俺らかて、617を粛正省なんぞに引き渡すつもりはありまへんでした。『投降すれば、粛正省行き。抵抗すれば、あの世行き』なんてことは言うたけど、それは脅しっちゅうか、冗談のつもりやったし……」
「本当に冗談のつもりだったのか?」
「いや、正直なところ、半分くらいは本気でした。だって、いきなり頭突きを喰らわされたんですよ? そんなことをされたら、誰かて頭に血が昇りますわ」
「そうだな。誰でも頭に血が昇る。だけどな、リトル・ビルよ。おまえさんの場合、昇っていく血の量が半端じゃねえんだ。その潰れた鼻から余分な血を吹き出して、頭を冷やしたほうがいいぜ」
二人のやりとりを聞いていた他の隊士たちの間から失笑が漏れた。
短躯の隊士――リトル・ビルは顔を紅潮させ、笑い声が聞こえてきたほうを睨みつけて何か言いかけた。
しかし、彼の怒声が響くより早く、若い隊士が店内に駆けこみ、大声を張り上げた。
「小隊長! 617を見つけましたよ!」
「どこで?」
「カジキ通りです。ガフさんと一緒にあの辺りを調べていたら、それらしい奴を見かけましてね。捕まえようかと思ったんですが、ガフさんはともかく、俺の剣の腕前はちょっとアレですから、手を出さずに後をつけてみたんです」
隊士はカウンターに近付き、ジェイコブの前に広げられていた地図の一点に指を置いた。
「この場所に怪しげな古着屋があるんですよ。そこの裏口に入りました。移動する気配はありませんが、念のためにガフさんが店の外に残って監視しています」
「額の石は確認したか?」
「いえ。でも、617じゃなかったとしても、ビルたちをブチのめした奴であることは間違いありませんよ。赤砂族みたいにターバンを巻いてましたからね」
「よぉーし!」
ジェイコブはカウンターから飛び降りた。
「ウィンスローの分隊はここに残ってろ。もし、店の者が戻ってきたら、617のことを聞き出すんだ。他の奴らは俺と一緒に来い!」
「ディミックが統括するヴァリ島部局は大きな問題を抱えています……というよりも、ヴァリ島部局の存在そのものが問題なのです」
アンゲラはピッチャーを手に取り、温ビールを三つのジョッキに注ぎ始めた。
「彼らは粛正省の本分を忘れ、高位の騎士や大商人や豪農に取り入り、金と権力をめぐる暗闘に積極的にかかわっているのですから」
「どんな形でかかわってるの?」
と、アレックスは訊いた。
「言ってみれば、始末屋ですね。利をもたらしてくれる者の政敵や商売敵を調べ上げ、異端に関与しているようであれば、徹底的に追及するのです。関与していなければ、証拠を捏造し、異端者に仕立てあげます。有罪に追い込めるとは限りませんが、相手にとって痛手であることに変わりはありません。異端者の疑いをかけられた時点で信用を失ってしまいますから」
「なるほどね」
「私の雇い主たちはその現状を憂い、ヴァリ島部局の悪徳真導師を一掃しようとしているのです」
「その一掃されるべき悪徳真導師の中にはディミックの名前もあるのかな?」
「もちろんです。局内に腐敗の構造を築いたのは他ならぬディミックですから。彼は組織の発展と自分の保身のために涜職を繰り返してきました。脅迫、暗殺、贈賄に収賄……しかしながら、叩けば埃が出るのは彼だけではありません。私の雇い主たちの中にも大義のために手を汚してきた者がいます。下手に叩くと、余計な埃が立ち、共倒れになってしまうかもしれません」
「下手に叩くのがマズいのなら、上手に叩けばいいじゃないか」
こともなげにアレックスは言ってのけた。
それはちょっとした冗談のつもりだったのだが、アンゲラは真面目な顔をして頷いた。
「仰るとおりです。ディミックが成してきた悪事のなかには〈教団〉とは関わりのない個人的なものも含まれていますから、そこに的を絞れば、他に累が及ぶことはありません」
「個人的な悪事って?」
「人身売買です。ディミックはウォルラスという偽名を使って、頻繁に奴隷を購入していました。その奴隷たちは皆、十代の少年でした。用途は性交です」
「ウホッ!」と、アレックスは奇妙な笑い声を上げた。「いい趣味してるねえ。僕にはちょっと理解できないけどさ」
「ディミックの趣味を理解できる人は少ないでしょうね。彼は菊座を犯すことだけを好むのではありません。性交と絞殺を同時に楽しむのです」
「セイコーとコーサツって……つまり、姦っちゃうついでに殺っちゃうということ?」
「そうです」
「わーおぅ」
アレックスはおなじみの驚声を漏らしたが、いつもと違って、その声には嫌悪感が含まれていた。
ミルのほうは無言で食事を続けている。少しばかり険しい顔をしているが、大きなショックを受けているようには見えない。この種の醜悪な話は聞き慣れているのだろう。醜悪な話の当事者になったこともあるかもしれない。
アンゲラは淡々と話を続けた。
「明々白々たる証拠を揃えて、このことを公にすれば、ディミックは破滅するでしょう。高い地位にある人々の多くは人身売買を罪と見做していませんが、奴隷を殺して性的興奮を得るという病癖までもは許容できないはずです。まして、その病癖にアレックス・ザ・ミディアムのような悪徒が絡んでいるとなれば……」
「え? アレックスも関わってたの?」
「アレックスはウォルラスの蜘蛛でした。群盗を率いて無軌道に犯罪を重ねながら、その一方でディミックの敵を排除し、情報を収集し、奴隷商人との仲介役を務めていたと思われます。アレックス自身がディミックに奴隷を直売したこともあるかもしれません」
「奴隷の売り買いまでしていたのか……自分で言うのもナンだけど、アレックスっていうのは最低の奴だなぁ」
「最低の奴ですね」
と、アンゲラが頷いた。
「最低の奴よ」
と、ミルが箸を止めて言った。声に実感がこもっている。この中でアレックス・ザ・ミディアムのことを一番よく知っているのは彼女なのだ。
アンゲラがミルの前にジョッキを置き、別のジョッキをアレックスに差し出した。
「その『最低の奴』を残魂転移の真導で生き返らせ、人身売買等に関する証言を引き出し、ディミックを失脚させる――それがスルーフィールドの計画だったのです」
「おもしろそうな計画じゃないか」
アレックスはジョッキを受け取り、酸味の強い温ビールを一気に飲み干した。
ジェイコブ・レッダルと七人の警鼓隊士が夕暮れ時の往来を進んでいく。
彼らの勇姿を見て慌てふためく者もいたが、大半の住人はこれといった反応を示さなかった。テイパーズ・デンで何年も暮らしていると、自分に関係のある捕物とそうでない捕物との区別が一目でつくようになるのだ。
先頭を歩いていたリトル・ビルが後ろを向いて、ジェイコブに声をかけた。
「617は粛正省に渡さない――その方針は変わってないんですか?」
「もちろんだ。安全な場所にかくまっておいて、上の連中には『捕縛の際に激しく抵抗したから、殺しちまった』とかなんとか報告する。そして、ほとぼりが冷めるまで待ってから、どこかに逃がしてやるさ」
「俺としては、617をブチ殺したいんですけどね」
「気持ちは判るけど、堪えてくれ。事が済んだら、おまえさんたちには一杯すつ奢ってやるからよ」
「……」
ビルが不満げな顔をして黙り込むと、彼に代わって、別の隊士がジェイコブに話しかけた。
「前もって言っておきますが、詰所で輪になって安酒を回し飲みとかいうようなセコい真似は認めませんからね。奢るからには、ちゃんとした店で飲ませてくださいよ」
「へいへい。サイプレス街の〈マムシ亭〉でいいか? あそこの店主にはいろいろと貸しがあるから、ツケがきくんだよ」
「いいですねえ。あの界隈なら、〈タイガーリリー&ハードベッズ〉の女たちを安く買えますぜ」
娼館の名前が出てくると、他の隊士たちも話に加わってきた。
「本当に安く買えるのか?」
「おうよ。今朝の火事であの店は焼け落ちちまったんだ。で、焼け出された『従業員』たちが寒空の下、二束三文で体を売ってるのさ。泣ける話だろ?」
「泣ける、泣ける、泣けるぜぇ! これは放っとけないですよね、小隊長? 可哀想な女たちを暖めてやりましょうや」
ジェイコブは苦笑して、
「おいおいおいおい。人の懐をあてにするんじゃねえよ。酒は飲ませてやるが、下半身の欲求は自分の金で処理してくれや」
そんな馬鹿話をしているうちに一同はカジキ通りに到着した。
「この区画だな」
ジェイコブの顔がひきしまった。他の隊士たちの目付きも変わった。
「二手に別れるぞ。テクターとライルは店の正面をおさえておけ。中の奴に気取られるな。残りは裏から突っ込む」
「突っ込むんですか?」
喜びを隠し切れない声でビルが確認すると、ジェイコブは顔をしかめて頷いた。
「ああ、突っ込むのさ。投降を勧めて穏便に済ませたいところだが、あえて荒っぽいやり方でいく。そうしないと、おまえさんの気がおさまらないだろ」
「さすが、小隊長! 話が判りますわぁ」
「だが、絶対に殺すなよ」
と、厳命した後で、物騒な一言を付け足す。
「腕の一本ぐらいなら折ってもいいけどな」
ジェイコブ・レッダルは警鼓隊士らしからぬ良心の持ち主ではあるが、だからといって警鼓隊の面子を軽んじているわけではなかった。四人もの隊士に傷を負わせた617には相応の代償を払ってもらわなくてはいけない。617に非がなかったとしてもだ。
とはいえ、この優しい小隊長の良心は完全に沈黙したわけではない。彼は更に言葉を付け足した。
「なるべくなら、利き腕じゃないほうを折れよ」
アンゲラは温ビールを一口だけ啜ると、唇の端に付いた泡を指で拭い、ゆっくりと舐め取った。
そのわざとらしくも艶っぽい仕種にアレックスの心拍数は少しばかり上昇した。
そんな彼を白い目で睨みつつ、ミルが箸と椀を投げ出すように置いた。
「クソ兄貴を生き返らせて、ディミックの悪行について証言させる――そんなことを本気で企んでいたのだとしたら、スルーフィールドって奴は底抜けのバカね」
「そうですね」と、アンゲラが同意した。「真導を信じない人から見れば、とてもバカげています。残魂転移の真導が実在するという前提の計画ですから」
「それ以前の問題……じゃなくて、この場合はそれ以後の問題よ。仮に真導が実在して、クソ兄貴が本当に生き返ったとしても、スルーフィールドの計画は絶対に上手くいかないわ」
「なぜですか?」
「だって、そんな話をクソ兄貴が引き受けるわけないでしょ。ヤバい上に一文の得にもなりゃしないんだし」
「いえ、引き受けたかもしれませんよ」
アンゲラの口許に微笑が浮かんだ。店内でアレックスに見せた営業用の笑みではない。掴みどころのない、謎めいた笑みだ。大陸人たちはこのような笑顔をチャオ人特有の表情と見做し、〈昆虫の微笑〉と呼んでいる。
「ミルさんはアレックスが捕まったいきさつを御存知ですか?」
「詳しいことは知らないけど……噂によると、誰かが〈吼え猛るヤマネ団〉の隠れ家のことをお上に密告したんだってね」
「私も同じような噂を耳にしました。確証はありませんが、その密告者の正体は――」
「――ディミックじゃないかな?」
と、アレックスが口を挟んだ。
「はい。私もそう思います。実を言うと、私の雇い主たちはスルーフィールドよりも先にアレックスに目を付けていました。ディミックはそれを察知して、アレックスを切り捨てたのでしょう」
「トカゲの尻尾切りってやつだね」
「しかし、尻尾のほうは切り捨てられたことに気付いていなかったようです。それどころか、ウォルラスに助けてもらえると思っていたようですね。悔悛告白を読めば判りますが、処刑が目前に迫ってもアレックスは意気軒昂でした」
「マヌケな奴だ」
「ええ、救いがたいマヌケ野郎ですね。とはいえ、処刑される当日になれば、さしものアレックスも自分が置かれている状況を把握し、ウォルラスに見捨てられたことを悟ったはずです」
「そして、ウォルラスへの怨念を抱きながら、首を刎ねられたというわけだ。スルーフィールドは『ウォルラスを倒すという行為は、アレックスが死ぬ前に抱いた望みと合致する』なんてことを言ってたけど、その意味がようやく判ったよ」
スルーフィールドとのやりとりを思い出している風を装いながら、アレックスは心の中で自分の手札を確認した。
アンゲラとの交渉に使えるカードは一枚だけだ。
すると、まるで心を読み取ったかのように、アンゲラがカードの提示を要求してきた。
「これで私が知っていることはすべて話しました。今度は貴方の話を聞かせてください」
ジェイコブたちは古着屋の裏手に到着した。
両隣の店舗に人気はないが、古着屋の鎧戸の隙間からは光が漏れ出ている。
「奴はまだ中にいます」
物陰から声がした。皆がそちらに目を向けると、口髭を生やした隊士が闇から滲み出るように姿を現した。店を監視していたガフだ。
ジェイコブが鼻をひくつかせた。
「美味そうな匂いがするじゃねえか。617は食事中らしいな」
「呑気に飯なんぞ食いおってからに……」
鎧戸を睨みつけて、リトル・ビルが呟いた。店の中の獲物に聞こえないように声量を落としているが、声に含まれている殺気と怒気は抑えきれていない。
「まあ、ええわ。よう味わっとけや、617。これがおまえの最後の晩餐やでぇ」
「おいおいおいおい。最後の晩餐じゃねえだろうがよ。殺すなと言ったはずだぜ」
ジェイコブが呆れ顔で釘を刺した。
アンゲラがアレックスに尋ねた。
「貴方は私が蜘蛛であることを知った上で、ここに逃げ込んできましたね。その目的はなんですか?」
「ウォルラスの正体を知りたかったんだ。初めてこの店に来た時、ゲラさんが蜘蛛であることは判ったけど、〈教団〉を信用していいのかどうか判らなかったから、僕の素性は告げなかった。蜘蛛という言葉の意味もよく判らなかったしね。で、別の方面からウォルラスの情報を集めようとしたんだけど――」
アレックスは、「別の方面」であるところのミルを指さした。
「――収穫は得られなかったから、ここに戻ってきたというわけ」
「貴方はウォルラスの正体を知ったのですから、当初の目的を遂げたことになりますね。私はもう用済みですか?」
「そんなことないよ。今までは敵を知るために動いてきたけど、これからは敵を倒すために動く。でも、一人で倒すのは無理だろうから、ゲラさんの雇い主に協力してほしい」
「どのような形で?」
「ディミックを倒すためのお膳立てを整えるだけでいい。後は僕がやるよ。すべての責任は僕が引っ被るから、しくじったとしても、ゲラさんたちに迷惑はかけない」
「悪くない取引ですね。しかし――」
教条的回帰主義者に雇われている蜘蛛の美女は値踏みするような目でアレックスを凝視した。
「――貴方が求めているお膳立てとは、どのようなものですか?」
「レナード。おまえはここに残って、シャーリーンを構えてろ」
火縄銃を携えた隊士にジェイコブは命じた。
「万が一……いや、億が一にもこんなことは起きないだろうが、617が俺たちの攻撃をすり抜けて店から逃げ出してきたら、銃を突きつけて足止めするんだ」
「突きつけるだけですか?」
「突きつけても怯まなかったら、脚にでも撃ち込んで、飛び道具の恐ろしさを教えてやんな。だが、引き金を絞る時は相手をよく確認しろよ。同士討ちは御免だぜ。おまえさんのことだから、大丈夫だとは思うけどよ」
「はい」
隊士は、シャーリーンという愛称を持つ火縄銃に手早く弾を込めた。
それを確認すると、ジェイコブは指笛を吹いた。
店の向こう側から、同じような音が返ってきた。表に回った二人の隊士の準備も整ったらしい。
「ん?」
衝立が置かれている板の間にアレックスは目を向けた。
「外で物音が聞こえなかった?」
「きっと野良猫でしょう」
アンゲラはアレックスの言葉を軽く受け流し、先程の質問を繰り返した。
「貴方が求めているお膳立てとは、どのようなものですか?」
「スルーフィールドが予定していたことをやってくれればいいだけだよ。つまり,、〈教団〉で証言する機会を僕に与えてほしいんだ」
「アレックス・ザ・ミディアムになりすまして証言台に立ち、ディミックを糾弾するということですね」
「ちょっと違うな。なりすます必要はない。だって、僕は本当にアレックス・ザ・ミディアムなんだから」
「正気とは思えないわ」
と、ミルがせせら笑った。
「僕は正気だ」
アレックスは真顔で断言した。
そして、一枚きりのカードを場に出した。
「ミルちゃんと一緒にこの店に逃げ込んできた時、ほんの少しだけ記憶が戻ったんだ。アレックス・ザ・ミディアムの記憶がね」
「さてと……617クンのお手並みを拝見させてもらいましょうかねえ」
ジェイコブは剣を抜いた。
他の隊士たちも次々と抜刀し、鞘鳴りの音を裏通りに響かせた。
アレックスの耳に鞘鳴りは届かなかった。
「半日前までは残魂転移については半信半疑だったし、自分がアレックス・ザ・ミディアムだという確信もなかった。でも、記憶が回復したから、今は確信しているよ。僕は間違いなく――」
思わせぶりに間を置いて、悪名高き無法者は宣言した。
「――アレックス・ザ・ミディアムなんだ」
「行くぞ!」
ジェイコブは古着屋の鎧戸を蹴破った。
横に立っていたリトル・ビルが中に飛び込み、半秒遅れてジェイコブもそれに続く。更に他の隊士たちが雪崩れ込んだ。
「警鼓隊だ! 神妙にしろ!」
次回は2015年7月11日頃に投稿予定。




