つぶやきのそら Sky_Murmurer
murmur
1 さざめき;ざわめき
2 ささやき、つぶやき
3 ぶつぶつ言うこと、不平の声
(新コンサイス英和辞典2版より)
12月20日
唐突だが、クリスマスなどくそくらえ、とほざいていた者たちよ、喜べ。
12月24日をもって、ニッポンは終わる。
いや、正確には、この地球が終わるらしい。
原因は割とはっきりしている。
隕石だ。
小惑星程度の隕石だ。
能天気にも『12月24日に最接近するから、メリー・クリスマス』と名付けられた小惑星が、ここ数日で急激に軌道を変えて、日本時間の12月23日の23:59頃地球に突き刺さって、大体1日位で地球上の全ての生きとし生けるものを滅亡へと飲み込んでしまう、と。ノーベル賞やらフィールズ賞をいつでも取れるような、どえらく頭が良い学者さん達が、雁首突き合せて出した結論がそうだ。
今は一般市民に過ぎないぼくが、その避けようのない終末の事実を知ったのが――破滅の四日前、12月20日。
つまり、今日の帰宅途中の電車の中で、だ。
とんだクリスマスプレゼントもあったもんだ、と誰かが半笑いで言った。
現実感なんて、無かった。
混乱は少なかった。
さようなら地球。と誰かが言った。
僕は帰宅して、今日にサヨナラを告げた。
ただひたすらに疲れていたからだ。
12月21日。
朝起きて、駅まで歩いて10分。
電車に乗って50分。
駅から、更に歩いて10分。
合計1時間。往復2時間。
1日の12分の1を毎日移動に費やして、ぼくは家と職場を往復する。
人生の、12分の1を移動についやした目的地で判明した事は、仕事がなくなっていた。ぼくの移動時間を返せ、と言いたくなった。
そんなぼくの同僚が皆、きょとんとした表情で、シャッターの降りたビルを茫然と眺めていた。いや、ちょっと、今日の取引に問題が出るだろ? と主任の山田が絶叫りながらビルの前でぐるぐると自分の尾を追いかける犬の様に回っていた。社長が到着したのが昼頃。せめて残りの3日間好きな事して過ごせ、と社長は到着するなり言った。仕事はもうしなくていいそうだ。
まぁ、仕事をしたい奴は仕事をしろ、好きにしろ、と言い捨てて、社長は高級車のアクセルを全開にして会社を後にした。
山田は絶叫していた。
取引が出来ないだろぉ! と口から泡を吹きながら絶叫する山田を放置して、ぼくは迷わずマンションに帰った。
ぐずぐずしていたら電車が止まるだろうし、何より、歩きで家に帰って、これ以上移動に時間を取られるのも嫌だったからだ。
電車から眺める街は、徐々に混乱に飲み込まれているようだった。ざわざわが広がっているようだった。
マンションの自室に戻った後、風呂に水を張って、僕は久しぶりにスマホのマーマァのショートカットをクリックして、つぶやこうと、白い四角に囲まれたテキストボックス内部に文字を打ち込んだ。
[だれかいますか]
と。
――僕のアカウントは、まっさらの、生まれたての状態からほとんど弄っていない。つまり、僕のフォロワーは誰もいない。フォローもロクにしていない。つまり、誰も僕のつぶやきを見る人はいないし、僕のアカウントの存在を気にかける人もいない。
一時間待った。
反応なんてなかった。
僕はつぶやいた。
「誰もいない、と」
当然だった。
日常が日常として存在している、当然が当然であることに深く感激して、僕は安心して、布団の中に潜り込んだ。
まだ電気は使える事に感謝して、灯りを切った。
12月22日
びたん、と水袋を落としたような音で目が醒めた。
なんだなんだ、と、ベランダから僕みたいな奴らが何人も顔を覗かせる、と、いびつな形に崩れた、今までの隣人がいた。ぼくは茫然と眺めていた。となりの部屋の住人が飛び降りて死んだのだ、と察するまでに少しの時間がかかった。
119、とコールする前に、
[だれかいますか]
とつぶやきを残す。
誰も見ていない。
誰も反応しない。それから119とコールする。
その予定だった。
電話はつながらなかった。
まだ電気は使えるし、水も流れるけれど。
電話がつながらなかった。
ぺぽん。
音が鳴った。電話はつながらないが、つぶやきが繋がった。
[@▼▲▼ わたしがいます。あなたは誰ですか]
誰ですか、と来た。
ふぅ、とため息。ぼくは無駄に119とコールする事をやめた。他の誰かが119番通報をしているか、できないか、どちらにしても無意味な行為だ。
アレはもう助からないだろう。だって動いていないんだから。
そう割り切って、僕は返信しようと思い、返信ボタンを押す。その前にぺぽん、ともう一度返信着信。
[@▼▲▼ もしくは、あなたはどういう存在ですか]
マーマァが上手く動かない。仕方がないから空リプライ。
[ぼくがどういう存在か、ですか]
[@▼▲▼ あなたのBio、文字化けしてよく見えないの。あなたは何者ですか?]
[ぼくは]
自分がどういう存在であるか、140文字に落とし込んで語ることは難しいと僕は思う。
特に、世界が終る数日前に、誰が反応する事を期待せずにつぶやいた――
ぼく
――という存在は一体どういう存在なのか。
更に困ったことに、このマーマァと言う奴はつぶやきであるからして、反応してくれた人に、納得してもらう必要は全くないのだ。
[終末だから、暇人です]
[@▼▲▼ そっかー暇人かー。私も暇だなー。でも今日は月曜だし、週末じゃないよ?]
ちょっとずれた返信。多分上手く伝わっていないけれども、それはそれでいいのだ。終末も週末も大差ない。どちらも終わりだ。随分図太い人間だなぁ、とぼくはリプライ主の情報を得ようとするも、文字化けたリンクは上手く機能を果たさない。だけども、なんだろう。世界が終るのだ。人の頭と同様に、鯖も色々おかしくなるのだろう。そういうまぁまぁ曖昧な事で納得したぼくは、マーマァのログを見る。
[あと、隣人が飛び降り自殺なう]
[@▼▲▼ えっ]
なうなんて古すぎる。でも、ぼくが使ってみたかったんだから、仕方がない。終末だから仕方がないんだ。
遅まきながらサイレンの音が近づいてきた。医療関係者の人々はまだまだ頑張っているらしい。
ぼくは寝ぼけ眼をこすりつつ、いびつな形をした隣人を運んでいく救急隊員の姿を遠目にみながら、一日を始めようとベランダから部屋へ。そしてベッドにどさり、と倒れ込む。スマホからペポペポリプライ音が鳴っていたが、全部無視してごろごろしていたら一日が終わった。
さようなら今日。
12月23日
いざ、仕事が無くなって、世界が終わるまで後1日と言われると、ぼくは何もする気力が湧かなかった。故に、マーマァに向かう事にする。
[おはようございました]
[@▼▲▼ おはよう、隣人はどうなったの?!]
[隣人は死にました]
隣人は死んだ。遠間からでも見えた、救急隊員のやりきれない顔を見れば一発だ。そもそも奇矯な形からピクリとも動いてなかった訳で、それでも生きていたら奴はきっと化け物なんだろう。
[@▼▲▼ ……そっかー]
何故か、ぼくには、マーマァの向こう側で沈痛な表情を浮かべる女の人が見えた。
[もうすぐ皆死ぬから、ちょっとした誤差です]
そう、ちょっとした誤差だ。後1日か、もう終わったか、ほんのちょっとした時間差だと、ぼくは思う。
[@▼▲▼ そういう言い方って無いと思う]
[終末だから、もうすぐ皆終わりです。最大でも48時間以内の誤差でしかありません]
[@▼▲▼ 終末だから?]
[終末だから、です]
[@▼▲▼ だから、人が死んでも気にしない?]
[はい。気にしません。@1日で皆、死にます]
今、ニッポン中で、24日に世界が終ることを知らない奴なんて、いない。
何しろ、どのメディアも人類の終末を告げていた。
ニュースキャスターは昼間から酒びたりで放送をする。
時々カメラが好き放題に乱れて、普段なら放送出来ないものまで好き勝手に映し出す。
ファックが電波に乗るどころか、シットやボミオットも平然と流れる。清純派アイドルはハーブやタバコをバカスカキメて、清純派としての死を迎えていた。
これら全て、誰も止める事をしない、壮大な乱痴気騒ぎだった。
それもこれも、人類が後1日で終わるから。
どうでもいいんだろう。
数分後、ぺぽん、と間抜けな音が鳴った。
[@▼▲▼ やっぱり君、頭おかしいわ。化け物の思考だわ]
ぼくの頭がイカれてるなら、世界中の人々の頭もイカれてるし、真っ当な方だ――と反論したくなったが、ぼくは色々と押さえて、短文で打ち込んだ。
[そうですか]
化け物、と言う単語にぼくは悶々としながら、食事を取ろうとした。
世界が終わりそうでも、腹は減る。
が、ガスが止まっていた。仕方なく水をカップに流し込んだ。8割ほど水が容器を満たした後、水道はちょろちょろと止まった。
溶けない粉末スープと、ほとびなくてバリバリの食感を持ったインスタント麺を胃に流し込み、ぼくはマーマァを見る。
マーマァのタイムラインは動いていなかった。
確かにぼくは、今は一般市民だ。が。
僕の部屋は暗い。気が付けば電気も止まっていた。寒い。スマホのタッチパネルだけがぼくの部屋の唯一の明かりだ。
ぼくは空に向けて呟く。
[確かに、ぼくは化け物です。一般社会に紛れ込んだ、クリーチャーです。他人の死を悼めない、化け物です。定量化された生命に慣れきった存在です]
[だから、一般人にまぎれれたのです]
ぼくは一つの賭けをしようと思った。
くだらない賭けだ。
[世界ももう終わりです。もう遅いやもしれません]
[ですが]
[ぼくは賭けに負けたのです]
[@▼▲▼ へー、賭け?]
[終末なのに、ゼロフォロワな独り言に反応する、万に一つの暇人がいるかどうかって賭けです]
誰にも注目されずに、反応もされないアカウントに、誰も反応しないという日常が続くという賭け。誰も見ない、誰も反応しない、それならば、ぼくの世界など、無くなっても構わないのではないか?
それならば終末をあるがままに、当然が当然で、ぼくがあるがままに終わるのも悪くない。
が。
そうではなかった。
誰か一人に反応され続けてしまったからには。僕がくだらない賭けに負けてしまったからには。
この世界が破滅して良い訳は、ないだろう。
[だから、もう一度化け物をやろうと思います]
[@▼▲▼ は?]
この終末を過ごす為に、当然が当然で、ぼくがあるがままに終わるのだ、という賭けに負けたから。
ぼくはもう一度化け物になる。
[@▼▲▼ 君の世界も、君の頭も終末って言うのは、判った様な気がする]
[判ってくれましたか]
[@▼▲▼ でも、私は謝らない。やっぱりあの考え方は、化け物の考え方だ]
[はい]
[それでは、良いクリスマスを]
三日前から着っぱなしだったスーツを脱ぎ捨てて。ベランダからぼくは飛び出した。
深夜の空にぼくは浮かぶ。
「――かかってこいよ、終末」
空をうめつくす真っ暗な絶望を見上げて、ぼくはつぶやいた。
12月24日
[化け物、いますか?]
[24日は無事に迎えられましたか?]
[いろいろ言い足りない事がありますが、私は元気です]
[このつぶやきが、化け物に届く事を祈る]
――空に返信を。つぶやきを。