75. 早瀬 葵
「じゃあ…な。悪いけど、今日も一緒に帰れないから。」
「うん。仕方ないよ。準備頑張ってね…バイバイ。」
昇降口で靴を履き替え、1人で教室へ向かう。
気まずさは継続中。
みっくんと私は、未だ仲直り出来ていない。
一緒に登校しているけれど、振り払われるのが怖くて手を繋げない。
会話もほぼ無いし、目も合わせてくれない。
今までずっとみっくんがセットしてくれていた髪もメイクも、ここ3日間は自分でしている。
お願いしたいけれど、断られるのが怖くてつい自分で結んでしまうのだ。
メイクだってそう。
プレゼントした香水も、みっくんが持っているのでつけられない。代わりに、自前の甘い香りの香水をほんの少しだけつけている。
苦しい。
どうしたらいいのかわからない。
「みっくん…どうしたら笑ってくれるかな?」
慈朗ちゃんは、みっくんに自信を持たせたらいいと言う。
そして、それが出来るのは私だけだって。
『結局のところ、充は葵が好きでたまらないんだろうな…。』
慈朗ちゃんに言われた時、苦しかった。嬉しい気持ちよりもはるかに苦しさとか、みっくんを傷付けてしまった罪悪感の方が大きくて、私だってみっくんの事が好きでたまらないのに、仲直りしたいのに…また傷付けてしまったらどうしようとか、拒まれたらどうしようとか、そんな事しか考えられなくなっている。
突き放された翌朝、起きると私はすぐに鏡を見た。
目は腫れて充血し、顔は浮腫み、酷いものだった。
下着しか身につけておらず、左胸には小さな痣が出来ていた。
もうすっかり薄くなった痣だけれど、あの日感じたチクリとした痛みはまだはっきり覚えている。
見る度、虚無感と不安感に襲われた。なのに、だんだん薄く、消えていくのさえ哀しかった。
あの日、彼の唇が触れた痕跡がはっきり分かる場所だから。
「葵、今日も匂いが違う。」
「今日も髪、自分で結んだの?」
「早瀬…何があったか知らないがいい加減仲直りしてくれ…。あんな充先輩、気持ち悪りぃ…。」
教室へ入ると、いつもの3人が、挨拶代わりにそう声をかけてくれた。
3人に、詳しいことは話していない。
みっくんを怒らせて気まずいとは伝えた。
3人だけじゃない。颯ちゃんとハルにはもちろん、慈朗ちゃんにも何があったかハッキリとは話していない。
思い出すと怖くて話せない。
仲直りして、今までみたいに笑いあって、話して、手を繋いで、キスして、抱きしめられて、キスして、キスして、キスして、幸せな気分になれたらいいのに。
なんであの日は、キスしても幸せな気分になれなかったんだろう。
またキスして、不安になるだけだったらどうしよう。
うちのクラスの合宿係の早坂くんによると、スキー合宿の係の打ち合わせでのみっくんは以前の彼とは別人のようだそうだ。
先週までは、中心になって仕切っていたのに、連休が明けた途端、魂が抜けて、仕事はどうにか支障なくこなすものの、心ここに在らずで、昨日と一昨日は、早坂くんへの絡みがやたらネガティブなものだったらしい。
「俺なんてどうせ…。」口を開くたび、そんなフレーズばかりだったそうだ。
慈朗ちゃんの言う通り、ネガティブスイッチが入ってしまったみたい。
私はどうしたらいいんだろう。
昔は、みっくんの好きなもの食べて、一緒に遊んで、励ましたら良かった。
いつもネガティブになってる理由が明確だったから励ましようがあったけれど、今回は理由がイマイチわからない。
ハンバーグとか、エビチリとか餃子とか、ホットサンドとか、食事もみっくんの好きなものを作っているけど、反応が凄く薄い。
あの日、最後の最後に素直になって拒否されてるだけに、私はまた拒否されて傷付くのが怖くてそれ以上のアクションを起こせずにいる。
授業も身に入らず、1日中みっくんの事ばかり考えていた。
「葵ちゃーん。今日はトモくんと一緒に帰ろうよ?そして葵ちゃんも入らない?焼肉同好会。」
「メンバーは私と春樹くんとエロ晴先輩。」
「ノリちゃん…エロ晴じゃなくてトモくんと呼んでくれないか?」
「NO!です。」
「葵、今日の夕飯は焼肉な!」
「肉はトモくんの奢り!だから今日は葵ちゃんとこで焼肉させて?」
「私もお邪魔しまーす。」
「葵、そういうことだから。よろしくな。」
「颯ちゃん?」
「焼肉同好会、颯太先輩もご入会!」
授業が終わって帰ろうと支度をしていたところ、友晴先輩と、ハルと少し遅れて颯ちゃんもやって来て、ノリちゃんも一緒になぜかうちで焼肉をする事になっていた。
5人で一緒に帰る。
うちのクラスでは、颯ちゃんや友晴先輩、そしてハルはもうすっかりお馴染みでキャーキャー騒がれなくなっているが、他のクラスではそうではない。
5人の組み合わせも珍しいせいか、友晴先輩とノリちゃんの歌う焼肉の歌のせいか、校門から出るまで、たくさんの生徒がキャーキャー騒いだり、やたらガン見されたりした。
帰り道、スーパーに寄って買い物をする。
お肉はお肉屋さんで気合を入れて買うという友晴先輩と颯ちゃんにお任せして、私とノリちゃんで野菜とフルーツ、アイスクリームなどを選んでカゴに入れていく。それだけじゃなくて、美味しそうなものや食べたいものをカゴに入れていった結果、焼肉っぽくない組み合わせになってしまった。
「チーズとか生パスタとか…ジェノベーゼソース?セミドライトマト?生ハム?フォカッチャ?ノンアルコールのスパークリングワイン風ジュース?しかもティラミスって…完全にイタリアンじゃねぇか?」
会計を済ませて、ハルと合流すると思いっきり突っ込まれた。
「いいじゃん。お肉焼いて、塩とかジェノベーゼソースで食べるの。バルサミコのソースも作るし。」
実はみっくんも私も、甘辛い焼肉のタレよりも、お肉は塩で食べる方が好き。
私は昔からパパに食事に連れて行ってもらえる事が多くて、小学生の頃イタリアンにハマった時期があった。そんな時、みっくんを励ます為に当時お気に入りだったイタリアンレストランでのランチをパパにおねだりをして、みっくんと連れて行ってもらった事を思い出した。
それ以来、みっくんは焼肉よりもイタリアンが好きなのだ。
「で、何があったの?」
家に向かう途中、急にノリちゃんにそう言われた。
「え?何の話?」
「もちろん充先輩。」
やっぱり気になるよね。
さて、どこまで話そうか。
「葵、キスマークついてたでしょ?こないだ、体育の後着替えてる時見ちゃった。」
「!?」
ノリちゃんに見つかっていたとは知らなかった…。見えない場所だからと気を抜いて普通に体操服を脱いでしまったんだ…うっかりしていた。
「大丈夫。私しか気づいてないから。」
私はノリちゃんとハルに大まかに話した。慈朗ちゃんと寝てしまった事も含めて。
「それ、葵が悪いわ。」
私の話を聞いたノリちゃんが真っ先に言った。
「慈朗だから大丈夫って充には通用しねぇよ。俺とか颯なら『ふーん』で済むけどさ、あいつは無理だろ?」
ハルも同意見だった。
「充先輩…マジで尊敬するわ…。カッコ良すぎ…見直した。ただのポンコツじゃなかったんだね。葵、大事にされてるよ?葵が素直になって言った事…充先輩は葵を拒んだんじゃないと思うよ。…でもそうするしかなかったんだって。」
「だろうな…。そこまでして、一緒に寝るとかただの拷問だよな。」
私は2人の言っている意味がよくわからなかった。
「つまり、葵が無理してるのに気付いて、充先輩はしたいのを必死で我慢したの。でも、やっぱり男の子だからね、一緒にいたら襲いたくなっちゃうんだよ?我慢出来ずに襲っちゃうんだよ?だから、一緒に寝るのは無理だったの。葵を傷付けたくなかったんだよ?きっと。」
「それって結構すげぇ事だからな。俺はとてもじゃないけどそんな事出来ねぇよ。充にちゃんと謝れよ?」
みっくんの『無理…』にそんな意味があったなんて知らなかった。
私は単に拒まれていただけじゃなかったんだ。
なんだか心が少し温かくなった。
みっくんがもっと好きになった。
だけど、凄く悲しい気持ちになった。
もとはといえば、私がみっくんを傷付けていたのだから。
謝りたい。今なら素直になれるだろうか…?




