51. 早瀬 葵
「39度3分…インフルエンザじゃないと良いけど…起きれるか?」
「うん…。」
「大丈夫か?」
「颯ちゃん…なんかフラフラする…。」
「ほら、着替えて病院行くぞ…。」
数年ぶりに熱を出した。最後に熱を出したのは両親が離婚した直後だった。馬鹿は風邪を引かないと言うが、私はどうやら馬鹿では無かったらしい。最近風邪とは無縁だったので、ちょっと気にしていたのだが、少しホッとする。
頭が痛い。ぼーっとする。喉は痛くないし、鼻水も出ない。ただ、身体がやたらと重い。
寒気がするので、何枚も重ね着をする。
「葵、飯は?食えるか?」
「…食べたくない。なんか気持ち悪い…。」
パパは仕事に行ったらしい。私の顔を見てから出勤すると朝から大騒ぎしていたらしいが、颯ちゃんがたまにはゆっくり寝かせてあげたいと宥めてどうにか送り出したそうだ。
いつもは6時前に起きる私が、9時を過ぎても起きてこないので、颯ちゃんが様子を見に来たところ、私が高熱でうなされていたらしい。
颯ちゃんに連れられて近所の内科に行く。
念の為、インフルエンザの検査をしたところ陰性。恐らく疲れが出たのだろうという診断。解熱鎮痛剤を処方され、水分補給をしっかりする様に指導され帰宅。颯ちゃんに看病してもらって1日寝て過ごした。
夕方には熱も37度後半まで下がり、少しだけど食欲も出てきた。
颯ちゃんは私にとってパパよりも父親らしくて、ママよりも母親らしい存在。それでいて頼れる良いお兄ちゃん。
昔からそんな感じ。
困ったことがあると、両親より先に颯ちゃんに相談する。颯ちゃんにもどうにもならない時は、『お母さん』に相談する。
『お母さん』はママじゃない。遼ちゃん・慈朗ちゃん・みっくんの母、美津子さんが私たちにとっての『お母さん』。名実ともに育ての母だ。
「葵ちゃん!?熱があるんだって!?薬はちゃんと飲んだのかい?颯太、なんですぐパパに連絡してくれなかったんだ!?葵が苦しんでいるのに、パパは呑気に仕事なんてしていたよ…。何か食べたいものはないかな?なんでも言ってごらん?」
夜、帰宅したパパは私が熱を出した事を知り大騒ぎ。相変わらず過保護すぎる。昔からパパはこんな感じ。可愛がってくれるのは嬉しいけれど、ちょっと度を超えている。これでは親バカではなくてバカ親だ。
夏休み明けに学校であった話なんて恐ろしくてこの人に言えるわけない。
「パパ…大きい声出さないで…頭が痛いの…寝たら治るし…お腹も減ってない…。おやすみなさい…。」
颯ちゃんの助けもあり、パパを部屋から出し、翌朝までぐっすり眠った。
翌朝起きると、熱はすっかり下がっていたし、頭痛もない。身体も軽くスッキリしている。
「葵、ここ数日の無理が祟ったんだよ。ここにいる間は無理するのは禁止。大掃除もする必要ないから。」
颯ちゃんに釘を刺される。確かに冬休みに入っての4日間は無理をしすぎたんだと思う。ちゃんと寝ているから大丈夫だと思っていたけれど、寝ていたら良いってものでも無かったらしい。宿題している以外の時間はほぼ立ちっぱなしだったし、ベランダとか、寒いところも薄着でウロウロしていた。
パパの家の大掃除はもう業者に頼んで先週のうちに終わっているそうだ。パパは私が年末ここで過ごすのを楽しみにしていて、快適に過ごせるよう色々手配していたらしい。
体調も回復したし、どうやって時間を潰そうか。宿題もほぼ終わっているし…春樹の漫画でも読んで過ごそうか…。しかし、処分したらしく春樹の部屋には殆ど残っていなかった。
ゲームも、私の家に持って行っているから無い。
午前中はゴロゴロして過ごした。テレビも面白くないし、颯ちゃんも出掛けていない。
適当にお昼を食べて、近所の大型スーパーに出掛けることにした。レンタルDVDショップも、書店も入っている。
暇だし、夕食の買い物をして、ちょっと手の込んだ食事でも作って、見逃した映画でも借りて、雑誌でも買ってきて数日過ごせば良い。
そういえば、丸1日以上スマホを放置していた事に気付く。出掛けるなら持って行くべきだろう。探すとすぐに見つかるが電源が落ちていた。
充電すると、不在着信が50件以上。その半分以上がパパ。残りの殆どがみっくん。ハナちゃんとノリちゃんからも1回ずつかかってきたみたい。
ハナちゃんとノリちゃんにとりあえずメールで謝り、パパには電話をかけてすっかり体調が良くなった事を伝える。
みっくんにかけ返す気にはなれなかった。
メールも何件かあったが、読まずに消去する。
言い訳なんて聞きたくない。話したくない。
今でも、脳裏にはっきりと焼き付いている、一昨日の三上さんの顔。勝ち誇った様な、私を嘲笑うかの様な顔。
思い出すだけで不安に襲われ吐き気がする。
私にあんな事を言ったくせに、みっくんが私に渡すプレゼントを一緒に選ぶとか訳がわからない。
大体、バイトに行くと出掛けたのに、なぜ彼女と一緒だったのだろうか。バイトが早く終わったのなら、なんでそのまま帰って来なかったんだろう。なんで彼女と買い物なんて…。
そもそも、本当にバイトだったのかさえ信じられなくなっている。
みっくんは、私の事を好きだって言ってくれたけれど本当にそう思っているのだろうか。もうそれは、意味を持たない口癖なのではないかという気もする。
そんなのは嫌。でも、私はどうしたら良いのだろう。
考えるのを辞めたら楽になれるだろうか?
ふと見ると、バッグの中にiPodが入っていることに気付く。音楽を聴いたら気が紛れるかもしれない。耳にイヤホンを差し込んでシャッフルで再生し買い物へ出かけた。
雑誌を3冊買い、映画のDVDを5枚借りて、スーパーの食品売り場へ行く。
今日の夕食は何にしようか?
手の込んだもの…とも思ったが、なんだか面倒になってきた。
颯ちゃんが好きだし、煮込むだけで良いからポトフにでもしようか。
帰りにパン屋さんでハード系のパンを買って、サラダでも用意したら立派な夕食になる。
きっとパパはワインでも開けるだろうから、チーズも買っておこう。
お肉に野菜、チーズ、ソーセージ。次々にカゴに入れていく。
それからブーケガルニ…陳列棚に値札を見つけるが商品がない。
売り切れか…。仕方ない。代わりにローリエで良いか…と思っていると、品出しをするであろう荷物を台車に載せたアルバイトらしき店員がやってきたので、声をかける。
同じくらいの歳の男の子。ブーケガルニと言って通じるだろうか?通じなければ、荷物を見せてもらえば良いか。そんな事を考えながら声をかける。
「すみません。ここの商品…ブーケガルニってありますか?」
棚を指差しながら尋ねる。
「えっと…少々お待ち下さ…い?」
私の顔を見た途端、アルバイトらしき店員の表情が変わる。
目を見開き、驚いた様子だ。
「え?もしかして…高梨…葵?」
彼は私を知っているらしい。私は…彼に見覚えが無かった。




