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46. 早瀬 裕太

「葵ちゃん、こっちこっち〜!」

「遅くなってすみません。お久しぶりです、早瀬さん。」

「…ねぇ、『早瀬さん』は辞めようよ…。『お父さん』って呼ぶのに抵抗あるのはわかるけどさぁ…せめて…『おじさん』…それはそれで悲しいなぁ…。『裕太お兄さん』って歳でもないしね…。」


 出会った頃、葵ちゃんは僕を『裕太お兄さん』と呼んでいた。まだ優子さんとは恋愛関係にはなかった頃で、僕も20代だった。


「じゃあ、『裕太さん』で良いですか?」

「うん、そうして。僕としてはやっぱり『お父さん』と呼ばれたいんだけど…仕方ないよね。」


 気が向いたら呼んでみます、そう目を逸らしながら言ってくれた僕の義理の娘。

 9ヶ月前までは一緒に暮らしていた彼女は、高校進学と共に家を出て、当初は一人暮らし…だったはずが、現在は彼女の兄達と暮らしている。

 戸籍上は僕、早瀬 裕太の娘、葵。

 4年前、結婚した妻の優子さんの連れ子。妙に大人びていると言うか、しっかりしすぎている子。母である僕の妻よりも家事全般が得意で、一緒に暮らしている頃はお世話になりっぱなしだった。

 中学時代、酷いイジメを受けていたにも関わらず、感情を押し殺して気丈に振舞っていた彼女。僕と妻はその事に微塵も気付けなかった。


 その頃に比べたら、随分穏やかな顔をしている様に思う。母親似の美人で、しばらく会わないうちに随分大人びて綺麗になった。

 他人からみたら、童顔の僕と親子になんてとても見えないだろう。


「お昼まだだよね?何が食べたい?」

「早瀬さん…じゃなくて、裕太さんの食べたいもので。」

「じゃあお寿司でも食べよっか。」

 今日は大切な話があって彼女を呼び出した。騒がしい店は嫌だったし、面と向かって話すのも気恥ずかしいので、無口な店主が営む寿司屋へ行き、カウンターに座る。


「全然帰って来ないから、優子さんさみしがってたよ。」

「だったらママが来ればいいのに…。」

「お正月は?予定あるの?」

「もう1人の母と約束してるから…何気にパパも楽しみにしてるみたいだし…。」

 彼女にとってもう1人の母。幼い頃、実の母を『ママ』と呼び、隣家の幼馴染の母を『お母さん』と呼んでいたらしい。

「そっか。中沢さんちで過ごすんだね。」

「うん。夏から約束してるの。裕太さんとママ、夫婦水入らずの年末年始って初めてじゃない?たまには新婚気分のお正月を味わったら?」

 ニコニコ笑いながら葵ちゃんは言う。

「最近の高校生は随分ませてるんだね。ところで、彼氏できたの?優子さんはどっちか聞いて来いって言ってたんだけど…。」

「どっちか?」

「うん。遼太郎くんか充くん、どっちだ?って。」

「何それ?慈朗ちゃんという選択肢は無いって事?それにクラスメイトかもしれないとか思わないのかな?ママって。」


 優子さんは、葵ちゃんの彼氏は中沢さんちの3兄弟の誰かだと信じて疑わない。

『付き合って面白いのは長男の遼太郎だけど女遊びが心配。しかも葵の心を掴むコツとかバッチリ分かってるからねぇ…。母としては微妙。

 平凡な幸せを望むなら次男の慈朗。優しいし、真面目だし、母としては理想の結婚相手って感じね。

 でもなんだかんだで葵には三男の充が1番だと思うんだけどね。普段は充に対して意地張って素直になれない癖に、葵が本当に辛い時、充にだけは感情をぶつけるのよね。そんな葵を慰めるのが上手いのよ、充って。それに充って葵が大好きだし?』

 優子さんの中沢さんちの3人の息子の評価はそんな感じだ。


「で、実際どうなの?」

「内緒。」

「優子さんに頼まれた大事な任務なんだけど?」

「それより、大切な話って何?まさかこの話?」

「まぁ、これも結構重要なんだけど…。」

 でも、今回の大切な話は別件だ。


「すごく真面目な話だから、覚悟して聞いてくれる?」

 改まった僕に、葵ちゃんの背筋も伸びる。

「葵ちゃん、弟か妹が出来たら…受け入れてくれるかな?」

「…え?ママ妊娠したの?」

 少しの間を置いて、キョトンとした顔。

「ううん。ずっと話し合ってきたことなんだけど…やっぱり、僕としても自分の子どもが欲しいというか…結婚する時点ではお互い子どもは諦めていたんだけどさ…。葵ちゃんという可愛い娘も出来たし。でも、優子さんが同じ世代の出産の実例をたくさん見ているから…僕が説得されたというか…。それで、僕たち夫婦としては子どもを持とうということになったんだけど…やっぱり葵ちゃんの意見を聞かなくちゃって事になって。どう思う?」

 しばらく考えた後、葵ちゃんは口を開いた。


「2人が望むなら良いんじゃないかな。でも、私を当てにしないでってママに言ってくれる?家政婦とかベビーシッターにはならないよ?自分で子育てとか家事出来ないなら産むなって言っといて。私みたいに、良い『お母さん』に出会えるとは限らないし、今度は自分で子どもの面倒見なさいって。私はハルも颯ちゃんも…みっくん達もいたから平気だったけど。ママが家に居ないってさみしいんだからね?」

「うん、そのまま伝えるよ。葵ちゃんは条件付きで賛成って事でいい?」

 葵ちゃんの返事には少し驚いた。こうもあっさり賛成してもらえるとは思ってもみなかった。

 もし、弟や妹が出来たら、自分の様にさみしい思いをさせるな、そう言っていたのに少し心が痛んだ。


「颯ちゃんもハルもおんなじ意見の筈だよ。前に3人でそんな話をしたことあるから。」

 にっこり笑って兄妹3人が賛成していると言ってくれた。

 思わず涙が一筋、流れてしまった。

「ありがとう…。」

「ママに仕事ばっかりするなって言っておいてね。ママをよろしくお願いします。」




「ところで、葵ちゃんの彼氏の話は?」

 気を取り直して、任務を遂行すべく再度質問をする。

「遼ちゃんじゃないよ。」

「じゃあ充くん?」

 小さく頷く。

「でも、まだ正確には彼氏じゃない。」

「幼馴染以上恋人未満って感じ?」

「うん。周りに付き合っているのと変わらないって言われるけど…」

 そう言う葵ちゃんは悲しそうだ。

「なんかあったの?」

「ライバル出現?私の気持ちは中途半端で、彼女の方がみっくんを好きな自信があるから…手を引け的な事言われた。」

「それで、充くんは?知ってるの?」

「ううん。言ってない。みっくん、私の事は暇さえあれば大好きって言ってくれるよ。でも、不安。彼氏じゃないのは、前に言われた事がショックだったから、それが何かちゃんと考えて答えを出したら付き合ってあげるってことになってる。現時点ではちゃんと考えてくれてるとは思えないけど。」

「何言われたの?」

 少しの沈黙の後、葵ちゃんは苦しそうな顔で話し始めた。


「もう3ヶ月前の事なんだけど…みっくんね、私が遼ちゃんのことその時まだ好きだと思ってたみたい。それで、『遼ちゃんみたいになるから付き合って』って言うの。私が好きなのはみっくんなのに…だよ?」

「そっか…それはショックだよね。でもきっとハッキリ言わなきゃ分からないと思うよ?」

「言わなくても分かって欲しいのはワガママ?」

「うーん。結構前の話だし、ヒントくらいあげたら?ほら、男って鈍いからさ…颯太くんとか遼太郎くんが特殊。」

「確かに、あの人達は気が付きすぎるかも。ありがとう。クリスマスにデートするからその時ヒントだしてみる。」

 葵ちゃんに笑顔が戻った。

 一緒に暮らしていた時には出来なかった、僕たち夫婦の子どもについてや葵ちゃんの恋の話。

 物理的な距離は遠くなったが、離れて縮まった距離もある。


「じゃあ、買い物行こうか。なんでも買ってあげるよ。」

「でもいいの?弟か妹の為に貯金した方が良いんじゃないの?」

「子どもが遠慮しないの。葵ちゃんの学費出してるのも高梨さんだし、父親らしいこと出来てないんだからこの位させてよ?」

「じゃあ、お言葉に甘えて。」

 優子さんと顔はそっくりなのに、性格は全く違う。

 優子さんは良くも悪くも自由人。自由奔放で、周りを振り回して、言いたいことはズバズバ言う。それに対して葵ちゃんは周りを気にしているのか僕に対してだけなのか、控えめで遠慮がち。周りを見てよく気が付く。そんな葵ちゃんが時々毒を吐くとなぜかホッとする。

 しかし、優子さんに言わせると、元々の葵ちゃんは自由奔放で、言いたいことをハッキリ言うタイプらしい。

 彼女曰く、

『充も自由人っていうか気分屋なの。やれば出来るのにやらないタイプ?でもなぜか葵の言うことは聞くもんだから、いつの間にか葵の役割がそうなっちゃったわけ。それで、似たもの同士じゃぶつかるでしょ?気が付いたら葵がすっかり丸くなっちゃったのよね。』

 そう言って笑っていたが、僕は優子さんの反面教師なのではないかと思っている。

 10歳年上で、医師としてのキャリアも収入も僕より上の優子さんにはとても言えないが…。


 珍しく、あれもこれもと言う葵ちゃんのお望み通り、洋服やコート、バッグを買う。きっとストレスたまっているのだろうな…。

 彼の気持ちに対する不安と、ライバルの出現。

 充くんには何度か会っているが、なかなかハンサムで明るく、間違いなくモテるであろう人種だ。モテる彼氏がいたら大変だろうな…と葵ちゃんに同情する。でもきっと葵ちゃんだってモテるだろうな…。大変なのは葵ちゃんも充くんもお互い様か。




「そういえば、みっくんも会いたいって言ってたから、今度うちにも来てね。」


 別れ際、笑顔でそう言う葵ちゃん。

 みっくんも会いたいって言っているからうちにも…なんか引っかかる。まさか充くんまで一緒に暮らしているわけはないだろう。きっと、颯太くんや春樹くんにも会えと言うことなのだろう。


「じゃあね、バイバイ…お父さん。」


『お父さん』、その一言で葵ちゃんとの距離がまた少し近づいた気がした。

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