27. 早瀬 葵
「マジでウザいんだよ。死ね。」
ジャキ…ジャキ…。
ハサミの音。嘲笑う声。罵声を浴びる。手足の自由がきかない。暗い…怖い…。
伝わってくる、束ねた髪がザクっと切り落とされる感覚…。
目が覚めると汗をかいていた。涙も流していたのだろう。頬が濡れて冷たかった。
Tシャツを替える。瞼が重たい。なんで私は泣いていたんだろう。あぁ、そうだ。ハナちゃん達を駅まで送った帰り道、みっくんに言われた事がショックだったんだ。
なんでショックだったんだろう。
遼ちゃんへの気持ちを否定されたから?
遼ちゃんの事は好きだ。でも、以前の好きとは違う気がする。この間、ハッキリ分かったんだ。恋愛感情と言うよりも、憧れだったんだと。それに気づいてから、遼ちゃんに対する好きは、慈朗ちゃんや颯ちゃんに対するそれと同じものなんだって気付いたんだ。
あの日、キスしてもらったけど、私が思っていた、期待していたそれとは違った。キスしてもらった瞬間に、違う人の顔が浮かんでしまった。複雑だった。自分でも信じられなかった。
そしてハナちゃん達とアルバムを見ていて、今まで遼ちゃんにこだわってていた理由がわかってしまった。
遼ちゃんは、私が望んだ時に、甘い言葉をかけてくれていただけなんだ。ただ、甘くて心地良いだけの言葉。きっと、私だけじゃなく、他の女の子たちにもかけているであろう言葉。
私は、憧れと、思い出と、甘い言葉に恋をしていたらしい。
遼ちゃんのお嫁さんになりたかったのは昔の話。あの日はそれに気付かなかった。あの日もそうだと錯覚していただけ。
認めたくなくて、遼ちゃんが好きだと自己暗示をかけていたのかもしれない。
認めたくなくて意地を張っていただけかもしれない。
自分なりの結論が出て、考えるのを辞めた瞬間、悪夢が頭の中を支配する。…怖い…苦しい…助けて…。
顔でも洗ってサッパリしよう。そう思って洗面台の前に立つ。鏡の中の私を見たら涙が溢れてしまった。肩にやっと届くほどの髪。お昼までは、腰の辺りまであったのに。
顔を洗っても、洗っても涙は止まらない。目は赤く腫れるばかり。
「葵…大丈夫?泣いてたの?」
悪夢から解放された。そして素直に甘えることが出来た。不思議だった。抱きしめられたら、急に不安が取り除かれ、キスをされたら嬉しかった。甘い言葉なんて必要なかった。ただ、手を繋いで、そばにいてくれるだけで充分だった。
昔にもこんなことがあったのに…なんで今まで気づかなかったんだろう…。
唇に残る柔らかな感覚。優しく触れる指。身にまとう同じ香り。
幸せな気分になれた。登校する勇気をもらった。
周りの音をシャットアウトしたくて。でも、自分のスマホは持ち歩きたくなくて、颯ちゃんにiPodを借りた。正確にはみっくんのiPod。
とりあえず、シャッフルで再生。
何気なく、プレイリストを開く。
『葵が好きな曲』
『葵に聞かせたい曲』
『葵のオススメ』
そこに並んでいた私の名前。
『葵の好きな曲』を再生すると、本当に私の好きな曲ばかりだった。好きな曲を聞いていたら、また少し元気になれた。
学校に着くと、沢山の生徒が珍しい物でも見る様に私を見た。昨日まで履いていた丈の長いスカートも、メガネも昨日ダメにしてしまった。
予備のスカートは何時もよりも随分短いし、メガネもかけていない。みっくんが張り切って、今日はいつも以上に丁寧に髪を巻いてセットしてくれて、メイクもいつもよりもちゃんとしている。
地味メガネじゃない早瀬 葵。
そりゃ珍しいでしょう。
イヤホンを発明してくれた人に心からお礼を言いたい。耳から入ってくる嫌な情報が無いだけで、こんなにも快適に過ごせるのだから。
授業中も、先生に見つからない様に、音楽を聞いたまま過ごした。プレイリストは、『葵に聞かせたい曲』。なんだか照れ臭かった。
ハナちゃんも、ノリちゃんも、早坂くんも、今まで通り私を『葵』として接してくれた。それだけで、笑顔になれた。
授業が終わり、何をするわけでもなく、ただ座って喋って過ごした。今日は体育祭前日で午前で授業が終わる。部活も無いので、体育祭の実行委員以外はもう帰ることが出来るのに、3人といるとなんだか居心地が良くて、ダラダラしていた。
「今日、師匠の力作でしょ?何となく、師匠の好みが分かった気がする。葵にすごく似合っている。可愛い。」
ノリちゃんはそう言ってくれた。その通りだ。師匠は私よりも私に何が似合うか知っている。
「実はさ、新学期始まる前から気付いてたんだよ。」
そう言って、早坂くんは1枚の写真を取り出した。
腕を組む早坂くんと…私?じゃない。私に似ているけど…春樹?
「去年の高等部の学祭の写真。女装した春樹。早瀬にそっくりだろ?」
「葵、黙っていてごめん。」
3人は、私が話す前から知っていて、なのに今まで通り、『早瀬 葵』として接してくれていた。嬉しくて、涙が溢れてしまった。泣き出した私を見て、3人は慌ててしまったけれど、嬉しくて泣いていることを説明すると、笑ってくれた。
そんな私たちの様子を好奇心の目で見るクラスメイトもいたが、気にならなかった。ハナちゃんとノリちゃんがすごく怖い顔で睨むと、そんなクラスメイト達はそそくさと帰ってしまった。




