奇妙な夢
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「初めまして。法学部の中辻陸斗です。ああ、君の名前はいいよ、知ってるからね。ずっと君のこと見てたんだ。よかったら……僕と付き合ってくれませんか?」
「無理です」
「君に一目惚れしてしまったんだ。一瞬で恋に落ちてしまった愚かな僕にどうか慈悲を……」
「ぇ、ぁのっ…ごめんなさいっ!」
「ね、今日2限で終わりでしょう?一緒にお昼食べに行かない?僕いいお店知っ、」
「よ、用事があるので!」
「いつまでたってもつれないね…。でも僕は諦めないよ。君を愛しているから」
「えっと、その、あの、随分重た……ううん、何でもない…」
「どうかした?」
「…はぁ。」
「もう、着信拒否なんてしないでよ。僕がどれだけ心を痛めたか分かる?」
「…すみません」
「……そんな他人行儀な言い方…。僕と君の間だろう?もっと砕けた話し方でいいよ」
「……すみません」
「デートしない?素敵なプランを考えたんだ。きっと君も気に入るよ」
「……」
「つれないなあ…。これで何回目の誘いか知ってる?毎日言ってるから今日で26回目だよ。そろそろ絆されてくれないかなあ?」
「ぇー、ぅん、その、」
「うん?オッケーってこと!?ああ、嬉しいな。やっと君とデートできるんだ…。毎日言い続けたかいがあったよ!」
「ぇ?ぇ?」
「じゃあ、来週の水曜日はどう?10時に迎えに行くよ!」
「ぃぇ!それはっ!!」
「仕方ないなあ。駅前で10時に集合ってことにしておくよ。遅れたら迎えに行くから。じゃあね」
「明日、楽しみだね。もう、ドキドキして寝れないかもしれない」
「……」
「…緊張してる?かわいいね」
「……」
「おやすみ。また明日」
「僕と、付き合ってくれないか…?」
「……」
「好きなんだ。どうしようも無いぐらいに。今すぐにでも君を連れ去ってしまいたいよ……マイ、ダーリン」
「っ!」
「?」
「うぜぇんだよクソガキが。さっさと消えろ。二度とあたしの視界に入んじゃねぇ」
「ごめん。でも、本気なんだ。本気で君が好きなんだ」
「鬱陶しい」
「ねえ、お願い。もう一度だけ、一度だけでいいから、」
「うるせえ、こっち来んな」
「初めてなんだ…!こんなに人を好きになったのも、こんなに胸が苦しいのも…」
「……っ」
「確かに最初はっ、遊んだら楽しそうなんて考えてたけど、今は!今君を想う気持ちは本物なんだ!!」
「お願い、もう止めて…」
「……」
「私みたいな地味な女が!あんたみたいなキラキラした人間と釣り合うわけないじゃないっ!どうせすぐに飽きるに決まってるでしょう…!!」
「僕の気持ちを勝手に決めつけるな!僕がどれだけ本気で、」
「今はそうでも、きっと私だけが取り残されるのよ!私だけ夢中になって私だけ縋り付いて私だけ醜くっ、」
「もう黙って」
「ちょっと何抱きしめて」
「大丈夫。大丈夫だよ。君がどれだけ僕を好きになっても僕の方が君のこと好きだから。たとえ君が逃げ出そうとしてもどんな手を使ってでも引き止めるぐらい愛するから」
「なにそれ怖い」
「それぐらい大好きだってこと。……ねえ、」
「何よ」
「貴女が好きです。僕は、気付けば貴女のことを目で追っていて、気付けば貴女の声を拾っていて、気付けばいつも貴女のことを考えていて……貴女が本当に好きなんだと分かったときにはもうこの気持ちに歯止めはきかなくて……僕と、付き合ってもらえませんか?」
「っ!」
「頼むよ……もう、心が君で一杯で張り裂けそうなんだ」
「……何でそう、恥ずかしげもなく言えるかな…」
「本当のことだから」
「、もぅ…。仕様がないなあ…良いよ、付き合ってあげる」
「!」
「でも、もし捨てたりしたら……許さねえから。後悔するほど付き纏ってやる」
「どうしよう、すごく嬉しい。このまま昇天できるかも」
「言ったそばから先立つつもり?」
「まさか。君がいなけりゃ天国だって地獄と同じだからね」
「……」
「君は僕の光だよ――――陽加里」
*****
ガバリ。
勢いよく起き上がって部屋を見回す。大丈夫だ。ここはちゃんと僕の部屋で昨日布団に入った時と何ら変わりはない。
時計を見るとまだ起きるには早かった。
ぜえぜえと息を吐きながら動悸の激しい心臓とガンガン痛む頭を落ち着かせるためにもう一度布団に潜り込む。
ぞわぞわと背中を走る何かが暖かい布団にくるまれて大人しくなり、ほっと息をついた。
奇妙な、嫌な、夢を、見た。
白塗りの部屋で真っ白なシーツの上で僕が読んでいた小説。本を持つ青白くて肉の少ない腕は誰のものだろうと考える暇もなく、むさぼり読んでいたありふれた恋愛小説。
何の変哲もないただの小説は、だが、その登場人物と台詞によって僕に大打撃を与えた。
何だ。あの話は。
あれは、まるで。いや、全く僕と彼女そのものだった。
初めて交わした言葉も、僕の芝居がかった大袈裟な告白も、デートに誘う文句も、彼女が初めて本性を出したときの台詞も、全部同じ。
「……いや、全部ではないか」
小説の中の僕と彼女の結末はハッピーエンドだった。
現実にはそんな夢など存在しない。僕は彼女に心の底から拒絶されたし、恋が成就することがエンドになるなら彼女はすでに別のハッピーエンドを迎えている。
これは、きっと――――僕の願望が創り出した醜いただの夢。
夢にしてはあまりにリアルな感触だったそれに感じる違和感に気付かないふりをして。
僕は今日も笑う。
*****
「大丈夫ですか?」
寝不足のあまりふらつく身体に限界を覚え、木陰に顔を伏せて座り込んでいた僕にどこか聞き覚えのある声をかけられた。
嫌な予感がしつつもノロノロと顔を上げると案の定そこにはこちらの顔を見て少し気まずそうな顔をする男――芦原春樹がいた。
「えっと、中辻君だよね?随分顔色が悪いけどどうした?救護室に行く?立ち上がれる?」
だが、さすがと言うべきか十人中十人が『優しい』と評する彼は、次にはもう生来の性格なのであろうお人好しを前面に押し出していて、肩を貸す体勢まで整えている。
それが僕にとってお節介でしかない、ということは置いておいて。
ちらりと彼の目を見るとこの間はばっちり威嚇してきたくせに、今は心配の色しか浮かべていなかった。そのあまりに純粋な色に無性に腹が立つ。大体、僕がこんな状態になっている原因に彼は少なからず関わっているのだから。
あの夢は初めて見た日から毎日のように繰り返されるようになった。
毎日毎日本を読み始めてから読み終わるまで夢は一度も途切れない。
最初は青白い手の持ち主が夢の中の自分だと思っていたが、夢を見ていると認識している時点で違うのかもしれない。実際僕を動かそうと思ってみたが夢の中で僕の意思は一切反映されなかった。
ただ、毎夜繰り返される夢。妙に夢で見たことの記憶が残っていて、悲しいことに小説をすべて諳んじることができるようになってしまった。
この夢は己の願望が形作ったものなのかもしれない。
そう考えることしかできず、夢を見るたびに僕の彼女に対する恋情はそんなにも粘着質なものだったのかと思うと気が滅入って仕方がなかった。
結果、対策として僕がとれたのは睡眠を極限まで削ることだけだった。
どれだけ眠くともあの夢を見なくて済むのなら、と耐えて耐えて、最近の僕の睡眠時間は3日間で5時間ほどだ。
体調を崩すのは勿論で、ひどい頭痛や眩暈に苛まれるも夢が怖くて休むことなんて出来やしない。同時に休息をとれないことや夢への恐怖でストレスが溜まり、身体だけではなく精神状態もボロボロである。
さらに追い打ちをかけるように、あの夢を見るようになってからこの目の前の男と彼女が異様に視界に入ってくるようになった。
その度に彼女に対してはどうして僕を選んでくれないのか、という怒りが、彼に対しては、お前さえいなければ彼女は僕を好きになってくれたのに、という憎悪がおぞましい程に湧き上がる。頭で考えればそんなことは関係ないと分かっているのにどうしようもない感情が暴れだしそうになって、その理性と感情の矛盾も精神への負担をかけている……。
「中辻君?」
ああもう、うるさいよアンタ。僕はアンタの彼女をストーキングしてた奴だよ?アンタと付き合うようになってもまだ、彼女が好きで好きでたまらなくて夢物語まで創っちゃうんだ。気になるだろ?僕が彼女に近付きやしないか、僕が彼女を傷つけやしないか。
それなのになんで、何でアンタはそんな目で僕を見るんだよ。侮蔑の眼差しを向けろよ。嫌悪感を声に乗せろよ。そんな声を出したって僕はアンタが大嫌いなんだから。
どうしようもない感情が胸の中で渦巻いて、轟々と吹き荒れて、このまま叫んで外に出す以外どうしようも無くなって――僕の意識はついにブラックアウトした。