6.襲撃
「ニール隊長! 魔物の襲撃です!」
悲鳴のような部下の言葉にニールはうんざりしていた。
彼が居るのは“グラナ砦”の詰め所だ。ニールは隊長を務める騎士で、彼の率いる隊の仕事は“魔の森”に面する城門の警備だった。
「またか……で、今度は何だ? “スライム”か? それとも“鎧アリ”か?」
今日はコレで6回目の襲撃である。ニールとしては愚痴の一つでも言いたいところだが、今は無駄口を叩く暇も無かった。
「いえ、襲って来ているのは“ヘルハウンド”の群れです!」
「ちっ、新米共だけじゃ荷が重い相手だな。よし、2班に応援を要請しろ」
「はっ!」
部下は敬礼すると2班を呼びに別の隊が居る詰め所へと走って行く。開きっ放しの扉から一面に続く荒野が覗き見える。
そこは三日前までは“魔の森”と呼ばれる緑濃い大森林だった。
「はぁー」
無意識にニールの口から大きな溜息が零れる。グラナは“魔の森”と隣接しているので、魔物の襲撃など日常茶飯事である。事実、彼が守備隊の班長に就任した時から、これまで何度も魔物の襲撃はあった。
しかしソレも“彗星”の落下を境に激変してしまった。
樹木の大半が吹き飛んだ森からは、棲家を追われた魔物が昼夜を問わず砦に雪崩れ込んで来るようになってしまった。
以前はそれなりに退屈だった守備隊の仕事も、散発的に押し寄せて来る魔物の迎撃で、大幅な増員を余儀なくされている。
本来は2つの班で交代しながら任務に当たるが、今は5つの班で警戒に当たっている。
「今日はやけに回数が多い。嫌な感じだ」
先ほどの“ヘルバウンド”で今日はもう6回目の襲撃になる。昨日の襲撃は全部で6回。今は昼前なので実に2倍のペースで襲撃されていることになる。
既に森が消えてから三日経つ。“彗星”が落下した初日なら多いのも説明は付くが、明らかに今日のペースは異常だった。
「雨か……」
今日は朝方からずっと雨が降っている。小雨だが久しぶりの雨だった。天候はその日によって変わるもので、晴れが続けば雨の日だってあるだろう。
しかしパラパラと降り注ぐ雨粒にニールは言いようの無い不安を感じていた。
「何も起きなければ良いが……」
ニールは詰め所の小窓から雨空を見上げる。静かな室内に外からの雨音だけがゆっくりと染み渡って行く。降り頻る雨はまだ止む気配がない。
「やぁ、辛気臭い顔をしているね。ニール」
難しい顔で俯くニールの下に青い腕章を付けた騎士が訊ねて来た。その腕章はニールと同じ隊長を意味するものだ。
「グレッグか。どうした?」
「差し入れだよ。ほら」
グレッグは苦笑して二つ持っていたカップの片方を差し出す。中身はコーヒーだった。淹れたてなのかカップから暖かな湯気が立ち昇る。
夏も近いとはいえ、今朝は小雨で僅かに肌寒い。ニールは友人の気遣いに感謝した。
「ありがとう。しかし俺の記憶が確かなら、お前の隊は今の時間は仮眠中の筈だが?」
「少し気になることがあってね。ニールも感じていると思うけど?」
「最近……いや、特に今日は魔物の動きが妙なことか?」
「あぁ、今日の奴らの襲撃頻度は異常だよ。休む暇もありゃしない」
「そう思うなら、お前もちゃんと休める時に休んでおけ。後が辛いぞ」
「わかってはいるけど、君の意見も聞きたくてね」
同僚の言葉にニールは先程まで考えていたことを口にする。
「魔物の動きからして森の奥で何かあったと考えるのが妥当だな」
「やはり君もそう思うか……しかし今日になって急に数が増えるのも妙な話だろ?」
「考えるだけ無駄だろう。悪いが原因を調べるのは俺達の仕事じゃない。それより急増した魔物の襲撃にどう対処するかが重要だ。違うか?」
「確かにそうだね。それに今日はご覧の通りに雨だ。まだ雨脚が弱くて小雨だけど、これじゃ視界が悪くなる。警戒を厳重にしないと魔物の取りこぼしがあるかもしれないね」
“魔の森”の敷地は広大だ。例え生い茂る木々が無くなったとしても、森の反対側は晴れの日でも霞んで見える。
それにニール達が抱える問題は魔物の襲撃だけではなかった。
「それに王都じゃ騎士団の編成をしているらしい。まったく、面倒な話だよ」
「“魔族”を滅ぼすのは結構だが、ちゃんと目先のことも気にして欲しいものだ」
「そうだね。こっちは魔物の相手で忙しい時に、余計な手間を増やさないで欲しいよ」
今のグラナは騎士団の駐留の準備で大慌てだ。二人としては攻めて来るかもしれない“魔族”より実際に攻めて来る“魔物”の方を優先すべきだと考えていた。
尤も二人のような考えはグラナでは特に珍しいものでもない。常駐軍の者なら皆同じことを考えていた。
「しかも“ダイン共和国”からあんなに装備を買うなんて、どうかしてるよ」
今のグラナには“マオルベルグ”から馬車で送られて来たミスリルの装備が山ほどある。それらは全て砦内にある倉庫で厳重に保管されている。
そしてソレらの装備は戦争の為の物資であり、砦の兵達は使用することが出来なかった。おまけに砦の兵は装備の管理も仕事の一つとして任されていた。
「俺達にもミスリルの装備を支給してくれれば大分楽になるんだけどな」
「そうだね。兵の中から不満が出ない筈がないよ」
声高に不満を叫ぶ者こそ居ないが、今回の件を面白くないと感じている兵が多く居ることも事実だろう。
「“魔族”と戦争か……ニールはどう思ってるの?」
「はん、そんなこと俺が知るかよ。騎士団の連中が道中の魔物をきちんと掃除してくれれば、俺としては万々歳だけどな」
「はは! それは良いね。だったら騎士団には一日でも早く来て欲しいものだよ」
気が滅入りそうな話を切り上げて二人は他愛もない冗談で笑い合う。魔物の連続襲撃に生憎の空模様と苦境は続くが、彼らは何とかなると思っていた。
「ん? 地震か?」
「そうみたいだ。雨も強くなって来たみたいだね」
テーブルに置かれたコーヒーに僅かに波紋が広がる。
ドッドッドッドッドッ!
窓の向こうからまるで何かを叩き付けるかのような猛烈な雨音が聞こえる。
「待て、これは本当に雨音か?」
最初は小さかった揺れが徐々にその大きさを増す。それに比例するかのように音も大きさを増していく。
「グレッグ!」
「ああ、外に出よう!」
何かがおかしい。そう感じると同時に二人は外へと飛び出していた。
「「なッ――」」
そしてソレの姿に言葉を失った。
力強く大地を踏み締める二本の足――それは大地を踏み砕き疾駆する。
大木のように太い二本の腕――広げられた両手が風を切る。
硬質そうな漆黒の体皮――降り頻る雨粒が外殻で弾ける。
不気味に灯る真っ赤な単眼――鮮血色の眼が真っ直ぐにこちらを視ている。
それは城壁のように巨大な――だけど完全に人型をした黒いバケモノだった。
「あ、ああ……」
アレが何なのかニールは分からない。隣で唖然としているグレッグも同じだろう。
しかしアレがやろうとしていることは理解することが出来た。
「そ、そそ、総員退避ィィィィーーー!!」
咄嗟にニールが大声を張り上げる。恐怖で擦れたような声だったが、音として周囲に響いただけマシだったといえるだろう。
しかしその指示に反応することが出来た人間は少なかった。
バゴォォォーーーーン!!!
馬鹿みたいに凄まじいまでの轟音が鳴り響く。
ニールの脳裏にグラナに初めて赴任した時の言葉が蘇る。
「この門は絶対に破られない」
それは砦に赴任した者が最初に聞かされる、グラナが誇る逸話だった。
当時の技術を集結させて建造されたグラナの城門は、森に棲む大型の魔物でさえ破壊することは出来ない。まさに難攻不落の“グラナ砦”を象徴する存在だった。
しかしソレを漆黒の巨人は体当たり(・・・・)でブチ破った。
「ひっ……」
悲鳴が漏れる。力任せに城門を粉砕したバケモノがゆっくりと空を仰ぐ。
その直後――耳を塞ぎたくなるような大絶叫が響き渡った。
『GuuUuoOoooOooAaaAaaa!!!』
バケモノがこの世のモノとは思えない咆哮を上げている。
その姿を見てニールは悟った。
「……アレだ。アレがやったんだ」
“魔の森”を消し飛ばしたのは目の前のバケモノだ。それは根拠の乏しい単なる推測だったが、一連の事態の紛れも無い真実を当てていた。
石造りの城門がボロボロと呆気なく崩れていく。激突の衝撃で城門の側にあった城壁も一緒に崩れている。
凄まじいまでの怪力だった。アレだけの力があれば砦など数分で全壊されかねない。
「ま、不味い! グレッグ! おい、グレッグ!」
「あ……あぁ、ニールか……どうしたんだ?」
ニールはショックで呆然としていたグレッグを揺り起こす。あまりに非現実的な光景を見せられた所為で自失しているが、ニール達には無駄に出来る時間は無い。
「馬鹿野郎! 早く住民を避難させろ!」
「え? 避難って――」
「あのバケモノが都市部に向ったらどうなる!?」
「はっ!? ま、まま、不味いよ」
“グラナ砦”は城塞都市だ。森側に名前の由来である砦があり、その後ろ側には一般市民が暮らす都市部が存在する。
相手はあれ程の破壊を体当たりだけ行なったバケモノだ。砦を破壊してしまえば、そのまま都市部を襲うのは明白であった。
「お前は砦内部の兵を指揮するんだ。住民の避難を最優先させろ」
「わ、わかった。だけどニールはどうするんだよ?」
「俺は外部の兵と一緒に奴の足止めをする」
「む、無茶だよ!? 死ぬ気か!」
「無茶は承知している。だからお前は早く住民の避難を完了させろ」
騎士や兵士は国を護る為に存在する。ニールにとって護るべき国とは民だった。
この場に残って民衆が逃げる為の足止め役が必要なら自分がやる。
ニールの決意は固かった。
「ぐっ……絶対死ぬんじゃないぞ!」
「早くしろ。俺達が逃げる暇が無くなるぞ」
「はん、ギリギリまで焦らしてやるからな!」
互いに軽口を叩いてニールはグレッグを送り出す。突然の襲撃に砦内も騒然としているだろうが、ニールもグレッグなら上手くやると信じていた。
「おい! お前ら! まだちゃんと生きてるか!?」
虚勢に過ぎないが、努めて余裕があるように軽い調子で声を張る。先程の二人の会話が聞こえていたのか、近くに居た何人かの兵が集って来る。
「よし、生き残ってる兵はあのバケモノの足止めをする。俺はニール隊長だ。所属に関わらず隊長以下の階級の者は俺の命令に従って貰うぞ」
「わかりました。ニール隊長」
「頼りにしてますよ。隊長」
ニールの部下だった何人かが率先して従うことで、指揮系統の混乱は起こらなかった。
「相手は城門を正面から破壊しても無傷のバケモノだ。前衛の兵は回避と撹乱に専念しろ」
「「はっ!」」
彼の命令通りに剣や槍を持った兵士は漆黒の巨人を惹き付けるべく走り出す。
「矢が効くかもわからん。弓兵は眼や関節、それと前衛の援護に徹しろ」
「「了解!」」
ニールは矢継ぎ早に指示を出す。弓兵達は残っている城壁や物陰から漆黒の巨人の隙を窺って矢を射掛ける。
「魔術士や攻撃の魔術が使える者はこっちに集れ。全員で一斉に術を放つんだ。タイミングンは俺が指示する。あのバケモノを倒す鍵は“魔術”だ」
ニールの言葉に魔術士や攻撃魔術の心得がある者は頷く。ニール自身もそれなりに攻撃魔術を使えるので、彼らと共に必殺の術を決める役割だった。
「行くぞ! 此処は俺達の砦だ。地の利はこちらにある」
短く激励の言葉を送ると、ニールは周囲の“魔素”を吸収して“魔力”に変換する。変換された“魔力”はある程度は体内に蓄えられるので術の下準備はコレで完了だ。
しかし強力な魔術は詠唱にも時間が掛かる。
「うおおぉー!」
「こっちだ。バケモノが!」
前衛の兵士は注意を惹き付けながら剣や槍を振るったが、黒光りする硬質の外殻に傷一筋も付けられなかった。
「下がれ! 矢を射掛けるぞ!」
その弓兵の声に前衛の兵士が一斉に離れる。巨人を囲むように配置していた弓兵が360度全方位から一斉に矢を射掛けた。
「「なッ!? 」」
激しく降り注ぐ矢の雨を物ともせずに巨人は前進する。強固な漆黒の外殻は降り注ぐ矢の雨すら容易く弾いていた。
「くっ……足止めすら無理だと言うのか」
状況は芳しくない。剣も矢も効かない相手に兵達の中に焦りが生まれ始めている。
幸いにも理由は不明だが巨人の動きは城門をブチ破った時に比べて遥かに緩慢だ。それでも彼らは遅々としたその歩みを止められずにいるのだが……
「た、隊長!」
「これ以上は――」
このままでは足止めすら出来ず、巨人は砦を壊して都市部へと侵入してしまう。
既にニールの詠唱は完了している。後は全員のタイミングを合わせるだけだ。
「総員、準備は良いか!?」
ニールの問い掛けに全員が頷く。最初に動いたのは弓兵だった。彼らは効かないことを承知で一斉に矢を射掛ける。
やはり漆黒の巨人には通じないが、巨人の歩みが僅かに鈍る
「今だ! 離脱しろ」
「了解!」
その隙に前衛が巻き込まれないように巨人から距離を取った。
「よし、総員、放てぇぇーー!!」
チャンスは今しか無かった。これまでの前衛や弓兵達の決死の努力を無駄にしない。
号令と共に炎や氷、雷撃や風といった多様な属性の攻撃魔術が放たれる。ニールを含めた魔術士や兵士――総勢15人による攻撃魔術の一斉掃射だ。
それは大型の魔物でさえ一瞬で粉微塵にする程の威力があった。
『……無駄ダ』
だが、それは前触れなく巨人の周囲に発生した翡翠色の光によって弾かれた。
神秘的な翡翠色の障壁は、表面に雨が当たるとパリパリ音を立てて小さな稲妻が走る。
「ば、馬鹿な……」
ニールの咽から擦れた声が漏れる。彼らが頼る渾身の攻撃魔術ですら、巨人を傷付けることは不可能だった。
まるで“結界”の魔術のようなソレに魔術士の一人が堪らず叫ぶ。
「あれは……あれは“魔術”じゃない!」
「し、しかし奴は光の壁で魔術を防いだんだぞ!? それが“魔術”じゃなければ何だと言うんだ!?」
「わからない。け、けど間違いない。奴からは一切の“魔力”が感じられないんだ!」
しかも巨人は“魔力”を用いていない。それは全くの未知の能力だった。
だが、何人かの兵はより重要な事実を聞き逃がさなかった。
「い、今確かに“無駄ダ”って……」
「あ、あぁ……」
魔物は自力で言葉を喋ることは出来ない。例え“通訳”の魔術を掛けたとしても、彼らには“人間”や“魔族”のような知性は存在しない。
「ま、まさか……」
ニールの脳裏にある伝説上の存在の名が浮かび上がる。
どんな刃をも通さない硬質の外殻――目の前のアレは降り注ぐ矢の雨を弾いた。
一振りで山をも屠る怪力――アレは強固な城門さえ粉砕した。
その昔、天空の神々に敗れ地に落とされた巨人――アレは空から降って来た。
「ま、“魔神”だ……」
圧倒的な力を誇る漆黒の巨人――ソレは太古に“魔神”と呼ばれた伝説だった。
“魔神”は一度だけゆっくりと周囲を見回す。妖しく輝く深紅の単眼は砦を守る全ての兵士の顔を確認しているみたいだった。
そして再び“魔神”は不気味な声を発する。
『ヨコセ……みすりるヲ……』
その一言でグラナに居る全ての兵士は“魔神”の目的を理解した。
“魔神”は奪いに来たのだ。王都から管理を任された戦争の為の武具を……
どうも、如月八日です。今回も執筆が終わった分を投稿します。
今回は前回よりも短いです。また主人公の出番は少な目です。
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