4.波紋
翡翠に輝く“彗星”が“魔の森”を消滅させた。
そんな冗談のような報せが王都へと届けられたのは、“彗星”が“魔の森”に落下してから一夜明けた翌朝のことだった。
セルディオ大陸でも有数の大国“ロキア王国”を治める若き王――ダリオ・ガ・ロキアは“グラナ砦”より早馬で伝えられた報告に顔を顰める。
「之は、まことのことか?」
王の疑うような言葉に、必死で報せを運んで来た伝令の兵は身を竦ませる。内容が内容なので兵自身も未だに信じられない心地だった。
しかし事実は事実。どんなに荒唐無稽な内容であったとしても、伝令の仕事は正しく情報を伝えることである。
「はっ! 全て事実のことであります」
「うむ……そうか、大義であった。お前はもう下がって良いぞ」
ダイオスは労いの言葉を掛けて伝令の兵を下がらせる。“グラナ砦”から王都まで一晩徹夜で馬を駆けさせて来た兵を気遣う。
それと同時に王は冷静に今回の事態を考察していた。
「今回の件を報せねばならん。“遠話の間”を使うぞ」
ダリオは指示を出すと玉座から立ち上がる。“遠話の間”とは離れた場所と“魔術”で互いに会話をする為に作られた部屋だ。
玉座の裏手から扉を開き部屋へと入る。室内には豪華な椅子が一脚と壁掛けの大きな鏡が二つ――“遠話”の魔術が“付加”された特殊な鏡である。
「大気を漂う精霊達よ。我が声を彼の地に届け給え」
ダリオは椅子に腰掛けると始動の呪文を呟く。繋げる先は対魔族の連合に加盟している“ダイン共和国”と“セラス教国”だ。
「“魔の森”に落ちた“彗星”の件で新しい情報が入った」
ロキア王国は連合の長である。そして“魔の森”は“人間”と“魔族”を隔てる境界線であり、ダリオは加盟国の二人に報告する義務があった。
『グラナ砦から伝令が来たのですね。お待ちしていました。ロキア王』
右側の鏡に映し出されたのは白の法衣を纏う妙齢の女性だ。彼女はセラリス・ルミナ・キュクロス。大陸最大の宗教“キュクレ教”の法王を務める“セラス聖国”の才女だ。
『ほっほっほっ! この地に“彗星”が落ちて来るとは珍しいのう。はてさてコレは吉兆か、それとも凶兆か……』
左の鏡で禿頭の老人が愉快そうに笑う。大陸一の経済力を誇る“ダイン共和国”を治める代表者――モーディス・ハガートだ。
「笑いごとではない、モーディス翁。予想よりも事態は深刻だ」
『ほぅ? それは興味深いのう』
ダリオの言葉にモーディスが目を細める。三人の中では一番の高齢だが、老いて尚も商国を発展させ続けている老人の勘が、大きな商売の予感を告げていた。
「落下の衝撃で“魔の森”が消滅した」
『な、何と――』
『し、消滅……ですか?』
告げられる真実に二人は唖然とする。“魔の森”の周辺に“彗星”が落ちたことは情報として把握していたが、その結果は二人の想像を遥かに上回る破壊をもたらした。
「これ程の威力だ。ただの“彗星”とも思えん。セラリス法王。貴国で何かソレらしい伝承が残されてはいないか?」
『申し訳ありません、ロキア王。聖国も昨日から地下書庫を総出で探させましたが、翡翠に輝く”彗星”に関する記述は見当たりませんでした』
「モーディス爺はどうだ。何か思い当たる話を知らないか?」
『無理を言うでない。セルディオ最大の蔵書量を誇る聖国に無いのなら、わしにはもうお手上げじゃよ』
「ならば報告を待つしかないか。今もグラナの常駐軍に調査隊を編成させているが、恐らく完了するのは明朝になるだろう」
『“魔の森”じゃからのう。森が無くなった後に魔物がどうなったかも分からん。用心するに越したことはないじゃろう』
『それに“檻”が無くなれば“穢れ”どもが攻め寄せて来るかもしれません。奴らの動向にも気を配らねばならないでしょう』
セラリスの言う“檻”とは“魔の森”を指し“穢れ”とは“魔族”のことだ。“キュクレ教”の教義では“魔族”を世界に満ちる女神の恵み――即ち“魔素”を過剰に貪る“穢れ”た存在と定めている。
「しかしコレは好機だ。長年攻めあぐねていた“魔族”の連中を滅ぼす絶好の機会だろう」
『そうです! まさに此度の“彗星”は天の采配――女神様の御意志に違いありません!』
『ふむ。神の意思かは知らんが、金が大きく動くことは確かじゃな』
「ふん。神も、金も、余には関係ない。奴らが攻めて来るのは時間の問題なのだ。余はロキアの王として我が国の民を護る、それだけのことだ」
何処までも毅然とするダリオの姿勢にモーディスは人を食った笑みを浮かべる。
『ほほっ、さすがはロキアの“若獅子”は民想いじゃのう』
『ロキア王。国を代表する者が神を蔑ろにするようなことを言って駄目です。今は全ての人間が団結し、目の前に迫る“穢れ”の脅威を退けなくてはなりません』
「わかっている。連中が攻めて来る前にこちらから先手を打ちたい。各地より兵を召集、王国騎士団に部隊の編成を急がせている」
『ふむ。ならば武器や防具、それに兵量が必要じゃな。安くしておくぞ。ロキア王』
「相変わらず抜け目無い爺さんだ……が、有り難い申し出だ。頼む」
『それならばモーディス爺。聖国にも補給を頼みます』
『ほぅ、聖国もかのう? こりゃ張り切らねばならんな。ほっほっほっ!』
思わぬ儲け話にモーディス爺が相好を崩す。経済力で優れる共和国は残る二国を物資や装備の補給で支えていた。
「何れにせよ、調査隊の報告次第であろうな」
『はい。侵攻の際には報せてください。こちらも機を合わせて神殿騎士団を動かします』
セラリスは信仰心を――
『吉報を待っておるぞ。ほっほっほっ……』
モーディスは野心を――
それぞれの心を胸に秘したまま、その日の三国会議は終わりを迎えた。魔力の供給を断たれた鏡には、ダリオの顔だけが映し出されている。炎のような赤髪と若々しく覇気に溢れる精悍な顔。隣国から“若獅子”と称えられる王の姿だ。
「あぁ……決戦の時は近い」
鏡の向こうで“若獅子”が獰猛な笑みを浮かべる。
その胸に残る心は一体何だったのか――まだ誰も知らなかった。
「ふむ。美味い」
自分が原因で戦争を開始されるかもしれないとは露知らず、キサラギはテラスでブライの淹れてくれた紅茶を楽しんでいる。
そこへ目の下に濃い隈を作ったシェラがやって来た。
「今日は一緒に買い物に行くわよ。キサラギ」
会うなり挨拶も無しに用件を切り出された。しかも寝ていないのか酷い顔付きだった。
「買い物? 俺がか?」
いきなり脈絡の無い話を降られてキサラギは首を傾げる。それを見かねたのか、リートがシェラの言葉を継ぎ、詳しい説明を補足する。
『マスターには修理に必要な資材を調達して来て欲しいのです』
「お? なら修理に使えそう金属があったのか」
『はい。あくまで応急処置としてですが……ミスリルという金属です』
「なら、俺はミスリルを買ってくれば良いんだな?」
「簡単に言わないでよ。ミスリルは貴重な金属なの。拳位の大きさでも金貨5枚以上の価値があるんだから」
セルディオの通貨は金銀銅の3種類の鋼貨である。一般的な農民の一年間の生活費が銀貨1枚程度だ。これは農民の年収に当たる金額でもある。
「金貨か……それってどれ位の価値があるんだ?」
『金貨1枚は銀貨100枚。銀貨1枚は銅貨100枚に相当します』
「へぇー詳しいな。リート」
『はい。昨日あれからシェラさんに基本的な常識は教えていただきましたので』
「ふふん、キサラギも買い物の時に色々と教えてあげるわよ」
シェラは得意気に胸を張る。小柄でまだ幼い顔付きの彼女がそうすると、何だか背伸びをしたがる子供のようだった。
キサラギは見ていて微笑ましいと思ったが、呑気に笑ってもいられない。
「しかし弱ったな。俺は金なんて持って無いぞ」
『マスター……言い難いのですが、問題はお金だけではありません』
「そうよ。ミスリルは鍛えれば優れた武器や防具にもなるわ。だから貴重なミスリルは国が管理しているの。だからリートが言うような量を揃えるのは無理な話なのよ」
つまり単純な価値だけでなく、ミスリルは入手自体が困難な金属だということだ。
ならば何故、キサラギは買い物に行かねばならないのか?
その答えは意外にも今まで静観していたブライが教えてくれた。
「キサラギ様。あまり難しく考える必要はありません。お嬢様はキサラギ様と買い物に行きたいだけなのです」
「ちょ、ブライ!? あ、あなた何を言ってるの」
慌てるシェラの姿にブライは優しげな微笑を浮かべる。ブライは何処か残念そうに、しかし同時にホッとしたように続けた。
「キサラギ様。“魔族”の私ではお嬢様を買い物に連れて行けませんでした」
「魔族、か……」
「はい。私のように黒い肌と尖った耳……そして金色の瞳を持つ種族です」
「金色の瞳? じゃあシェラは――」
「私の身体には “魔族”の血が流れているの……」
「そうだったのか……なら俺と一緒でも危険なんじゃないのか?」
外見だけに限ればキサラギはセルディオの人間と大きな違いは無い。だからと言って、キサラギと一緒ならシェラが安心出来るという訳でもないだろう。
小柄でまだ少し幼さが残るが、シェラの容姿は美少女と呼んで差し支えないレベルだ。
当然、周囲の注目を集める可能性は高い。そうすれば彼女の金眼に気付く者も必ず居る筈だ。
「ご安心を、キサラギ様。リート様が良い物を教えてくださいました」
『いえ、そんな大した代物ではありません。それに実際に作ったのはシェラさんです』
「ふっふっふっ! 私の頭脳をもってすればこの程度の物は文字通り朝飯前よ!」
「自身満々だな。一体何を作ったんだ?」
『マスターもご存知の物ですよ。原理は単純ですから』
「ふふん! 見なさい、コレが“からーこんたくと”よ!」
後ろ向いていたシェラがこちらに向き直る。その瞳は煌めく黄金ではなく、透明感のある翡翠色だ。確かにコレなら彼女が持つ唯一の“魔族”の特徴を隠せるだろう。
「大変お似合いでございます。お嬢様」
「そう? うふふ……瞳の色を変えるなんて我ながら画期的な発明品だわ」
「うーん。確かに似合うと思うけど……何か引っ掛かるんだよな」
特に翡翠色に既知感を覚えていた。まるで毎日見ているかのような気さえする。
『当然です。マスターの瞳の色を参考にしましたから』
「あーなるほど俺か。そりゃ見覚えあるよな。しかしまた何で俺なんだ?」
『兄妹という設定です。赤の他人よりも説明が楽でしょう?』
「まぁ……そうだな」
ちゃんと筋の通った合理的な理由にキサラギは一応の納得した。そしてシェラは身支度をすると自室へと引っ込んでしまう。
キサラギも出掛ける為に準備をしなければならない。
「どうぞ。こちらをお召しください」
「悪いな。ブライ」
「いえ、執事ですから。当然のことです」
キサラギはブライに借りた外套を羽織る。下には昨日も着ていた紺色の軍服を纏っている。パイロットスーツよりはマシだが、軍服はセルディオでは十分に目立つ格好だろう。
「キサラギ様。どうか、どうか、お嬢様をよろしくお願いします」
「わかった。わかったから笑顔で睨むのを止めてくれ」
ブライの迫力に負けた訳ではないが、外套と軍服の中には拳銃とナイフを隠してある。なるべく使わないよう心掛けるつもりだが、備えは必要だろう。
「それじゃ、しっかり留守番を頼むぞ。リート」
『はい。【シュナイト】は私が絶対に護ります。マスターの方こそボロを出さないようにしてくださいよ?』
「安心しろ。俺はプロの傭兵だぞ」
『だから心配なんです。あまり無茶苦茶やって目立たないようにしてください』
「くっ……信用されてないな」
「私、何だか不安になって来ました……」
キサラギはその後もリートの小言や不安げなブライに何度も念を押された。ようやく開放される時には既にシェラは準備万端で屋敷の正門で待っていた。
「悪いな。小煩いのに捕まってた」
「遅いわよ! キサラギ!」
不機嫌そう口調でそっぽを向くシェラだったが、口元が微かに微笑んでいた。町に買い物に行けるのが余ほど嬉しいのだろう。
「ふん、まったく……さっさと行くわよ」
昨日のような華美なドレスを避けたのだろう。シェラは動き易さを重視したシャツに短パン姿で上にはキサラギと同じように外套を纏っている。
今の二人は傍から見れば“旅人の兄妹”に見えなくもない。
「すまん。馬に乗ったことが無い」
「はぁ~わかったわよ。私の後ろに乗りなさい」
結局、シェラの乗る馬の後ろに乗せて貰った。
リートとブライはそんな二人の様子に、どちらが年上役かわからず苦笑した。
二人が向う先は“マオルベルグ”――“ダイン共和国”が誇る大陸一のミスリル炭鉱の町である。
“マオルベルグ”は“ドグマ山脈”を越えた先にある。シェラの屋敷は“魔の森”でも“ドグマ山脈”寄りに位置しているので目的地まで馬で半日と掛からない距離だ。
現在のキサラギは馬に乗れないのでシェラと二人乗り中である。彼女の細い腰に手を回す――ちょっと力を入れれば折れてしまいそうだった。
年頃の男女なら甘い雰囲気になりそうな構図ではあったが、どう考えても騎手の配役が逆だろう。
「ちょっと何処を触ってるのよ」
「腹だ」
「そこは“お腹”って言いなさいよ!?」
「意味は一緒だろ」
「言い方ってものがあるでしょ!」
何だかんだと二人の道中はそれなりに賑やかだった。道中では疲れたシャラに代わってキサラギが手綱を握ったりもした。リートのサポート無しでは瞬時に乗馬をマスターとまではいかないが、山を下りる頃にはキサラギも少し馬を操れるようになっていた。
太陽が天頂に輝く正午。二人は目的地“マオルベルグ”の手前に到着する。
「炭鉱の町って言うだけあって賑やかそうな町だな」
「そうね。この町は大陸でも有数の要所よ。最高の素材を求める一流の鍛冶師や職人達が集まるこの町は、“ドグマ山脈”から採掘されたミスリルを加工することで発展しているの」
眼前に見える町並みには切り開かれた森と山肌、大きな通りには宿屋も多く一流の商品を求める行商人や旅人で溢れていた。
「くっくっ……ミスリルかぁー楽しみだ」
翡翠の瞳をギラ付かせて町を眺めるキサラギの表情は――どう見ても買い物に来た人間の顔ではなかった――後にシェラはリート達にそう語った。
どうも如月八日です。執筆完了した時点まで投稿します。
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次の話も出来上がり次第投稿します。