29.招待状
「キサラギさん、今まで一体どこに行ってたんですか?」
ギルドの扉を潜ると不機嫌そうなレニーに出迎えられる。あの後もシェラ達を手伝えそうも無かったキサラギは再び“ボーレル”へと足を運んだ。
今回の目的は以前のような買出しではなく、用件は別にあった。
「少しな。それと以前の依頼は取り消して貰えるか?」
「うーん、本来は依頼の取り消しにはキャンセル料を頂くんですが……」
「別に良いぞ。まだ手持ちの金に余裕がある」
「はい。では取り消し料はこちらの金額になります」
キサラギは苦もなくレニーが提示する金額を支払う。その様子にレニーは微妙に呆れたような顔をしていた。
気になったキサラギは理由を聞いてみる。
「いえ、ギルドに登録したばかりの新人がこうも羽振り良く金貨を払われてしまうと、何だか複雑な気分になってしまって……」
「……そうだな」
流石に金の出所が強奪したミスリルだとは口が裂けても言えない。このまま後ろ暗い所を突かれても面倒になるので、キサラギは本来の目的を果たすことにした。
「実は新しい依頼を受けて欲しいんだ」
「キサラギさんは以前の依頼を取り消していますので、一週間は依頼の取り消しが出来ません。また依頼を了承するか前もってギルドが内容を確認することになります。よろしいですか?」
依頼を仲介するギルドとしては当然の仕様だろう。
「手紙の配達をして欲しい。……場所は“マオルベルグ”だ」
「ちょ、“魔神”が居る場所じゃないですか!?」
「そうだ。細かい手段は問わない。その代わり確実に届けて欲しい」
「うーん、直接人を送らずに使い魔を使えば? いえ、それだと確実だとは言えないかもしれません。でも、“魔神”を刺激しないよう厳命されていますし――」
「ギルドが危険だと判断したなら依頼のランクを上げれば良い。俺としても下手な奴に任せる気はないさ」
駄目なら駄目で別の手段を講じる必要がある。キサラギとしては送った筈の手紙が、きちんと届かない方が困るのだ。
「その分で報酬は弾むぞ。具体的にはこれ位は払う気だ」
「う……わ、わかりました」
カウンターに金貨を数枚置く。散々悩んでいたレニーだが、キサラギが提示する報酬に搾り出すような声で依頼を認めた。
「期間を限定して対象を高ランクのパーティーに限定します。やる人が居ない場合は諦めてくださいね?」
「了解した。ああ、それと届ける相手は以前の依頼で情報を探していた男だ」
「はぁー自力で見付けていたんですね。それにしてもこんな時期に“マオルベルグ”に居るなんて……」
「さぁな。どうしてかは本人にでも聞いてくれ」
呆れるレニーにキサラギは肩を竦めて答えた。
父は力の弱い魔族だった。
武才や魔力に恵まれなかった父には権力しか望みは残されていなかった。
その為に父は領内で新たに見付かったミスリル鉱山の開発に着手する。地方の弱小領地でもミスリルを産業にすれば大きく発展できる――父はそう笑って話してくれた。
(だが、開発は失敗した)
開発途中の炭鉱は崩落事故により大勢の死者を出してしまう。その打撃は大きく、ただでさえ人口の少なかったハイゼンベルグは多くの働き手を失ってしまった。
(思えばあの事故も老害どもの策略だったのかもしれん)
地方の若造が権力を増すのは諸侯の老人達にとって面白くなかったのだろう。
やがて父は病で亡くなった。ユリの母は彼女を産んで直ぐに亡くなっており、ユリは若くしてハイゼンベルグの領地を治めることとなる。
ユリは若く未熟だったが、幸い父が持っていなかった魔力があった。
帝都に居たのは数年だったが、そこで彼女は最年少の宮廷魔術士としての資格を取り、帝国の置かれる現状を知った。
(この国は腐っている)
宮中には若い芽を摘む老害がいつまでものさばり、次代を担うべき若者は旧き力を恐れている。
帝国でも屈指の魔術士――宮廷魔術士の資格を得て個々の実力ならば負けないという自負はあっても、彼女一人では権力という力を持つ老人達を廃することは出来ない。
彼女はもう諦めていた。
久しぶりに戻った領地では妙な噂が流れていた。
「最近になって急に盗賊や魔物が現れなくなった」
元から貧しく治安の悪い土地なの、でユリは帰郷する度に盗賊や魔物の処理を行っていた。それが今回に限っては一件もそういう報告がない。
遂に盗賊や魔物にすら見捨てられたか、と嘆くも噂はそれだけではなかった。
「数日前に炭鉱の近くに何かが落ちて来たらしい」
平時なら歯牙にも掛けない与太話だろう。
しかし場所が鉱山跡だっただけにユリは調査に行く。
そこで彼女は出会ってしまった。
『おっと、下手な真似は止めときな。こんな見た目だがお嬢ちゃんを殺すくらい簡単なんだ。手心なんて期待するなよ? 俺は女が相手でも容赦しないぜ』
闇夜の月が巨大な影を照らし出す。それは傷付き倒れた巨大な“天使”だった。
傷付いた翼を大地に倒れ休める姿は“天使”のようだ。反してまるでならず者のような警告を発する様は酷くちぐはぐな印象を受けるも、軽い調子の筈のソレは酷くユリの警戒心を煽る。
ボロボロの姿で横たわる“天使”は神々しくも禍々しい。見る者に畏敬と畏怖の相反する感情を呼び起こさせるだろう。
『何が可笑しいんだ。お嬢ちゃん?』
「え」
声に指摘されて初めて気付く。どうやらユリは笑っていたらしい。口元に手を当てると口の端をつり上げていたことが自覚できる。
(私はなんで笑っていたんだ? 目の前のコレが何かは知らない。だが、コレは危険だ。こんな化け物が力を取り戻せば帝国など簡単に――)
――滅ぼしてくれる。
無意識にそんな思考が過ぎった。それは帝国に仇なす思想で、ハイゼンベルグを治める領主としても許されない思いだろう。
自覚はしていても、ユリは胸の奥に燻っていた思いを止められなかった。
「ねぇ、私に協力してくれないかしら?」
その提案が悪魔と生贄の始まりだった。
「う……ぐ……あぁ……」
苦しげな呻きが無人の暗闇に溶ける。既に住民が避難した“マオルベルク”の町は以前の活気が嘘のように静まり返っていた。
町の中心にはあの夜と同じように純白の“悪魔”が羽を休めていた。
「へへっ、こいつは悪くねぇ酒だな」
店主の居なくなった宿屋の一室で彼は一人酒を煽る。運び出す余裕もなかったのか、商店の中には酒や食料といった商品がたんまり残されていた。
彼がこの町を占拠して数日になる。これまで散発的に続いた軍の抵抗も弱まり、レオンは久しぶりに退屈な夜を過ごしていた。
退屈を紛らわす程度の期待しかしていなかったのだが、思いの外に良い酒が見付かり今の彼は珍しく機嫌が良い。
「ゆ、許さん……ぞぉ」
そんな気分に水を差すように苦しげな女の呪詛が聞こえた。
だが、レオンは気分を害した様子もなく、視線を背後の暗がりへと目を向ける。
「よぉ、まだ意識が残ってたかよ。お嬢ちゃん」
「くっ……レ……オン。貴っ様ぁー!」
激昂するユリをレオンは余裕の態度で見下ろす。
「モニカ」
『問題ありません。抵抗は不可能です』
「ぐっ……ごほっ!」
起き上がろうとしたユリの口から真っ赤な血が吐き出される。
不自然なことに苦しげな様子とは裏腹に、その身体はまるで固定されているかのように微動だとしない。
今の彼女は自分の指すら自由に動かすことが困難なのである。それは彼女が負う怪我だけが原因ではなかった。
「大した意志の強さだ。まだ喋る余裕があるみてぇだな」
『それだけが理由ではないようです。“洗脳”の精度が低下しています』
“洗脳”――体内に侵入したナノマシンは宿主の身体を自由に操ることが出来る。
レオンが居た世界ではそうは通用しない手だが、ナノマシンの存在しないセルディオの住民には抗う術などありはしない。
これまでレオンがユリに“洗脳”を行わなかったのには理由がある。それは良心の呵責などではなく、単に“魔素”の影響でナノマシンの遠隔操作が出来なかったからだ。
だが、レオンは既にその問題を解決していた。
『これまでの出撃で受けたダメージの蓄積です。生命活動が鈍くなった所為か平時に比べて“魔素”の変換効率が落ちています』
「なるほど、ナノマシンの稼働率が低下すれば“洗脳”の精度が下がるのも当然だ」
“魔術士”は周囲の“魔素”を“魔力”に変換する。それは常に魔術を使う者の側でならナノマシンによる“洗脳”が可能であることを意味していた。
そのことに気付いてしまえば何のことはない。レオンはいとも容易く、かつての依頼主を傀儡にした。
ユリ・ハイゼンベルグはレオンという男を信用していなかった。本来ならレオンに隙を見せる愚は犯さなかっただろう。
だが、そんな彼女も父の仇を討つ千載一遇の好機を前に警戒を緩めてしまった。
気分が良いから、とレオンが持っていたワインをろくに調べもせず飲んだ。あの時はまだ“洗脳”が使えるようになる目途は立っていなかったが、レオンは周到だった。彼女を出し抜き利用するチャンスを虎視眈々と窺っていた。
「こ、殺……す」
「はっ、出来るもんならやってみろ。今のお前は自分の“回復”を疎かにすれば直ぐ死んじまうぜ?」
「ぐ、うぅ……」
射殺すような視線がレオンを貫く。叩き付けられる殺気は中身のない張りぼてだった。
事実、動くことすら出来ないユリにレオンを害することは、それこそ天地が逆転しても有り得ないだろう。
「そう怖い顔をするな。お前にはまだやって貰うことがある」
「…………」
今でこそナノマシンの支配力が落ち彼女の意識が浮上しているが、いずれ元に戻れば喋ることすら叶わなくなる。
「キサラギとの決着には全力で挑まなくちゃならねぇんだ。お嬢ちゃんには期待してるぜ。俺の【テュラン】を完全にする部品として、な」
レオンはその顔に酷薄な笑みを浮かべる。その言葉通り彼がユリに求めるのは、これまでのような支援者としてのソレではなく、【テュラン】を全力で稼動させる為に“魔素”を除去する“部品”に過ぎなかった。
だが、それは全力で機動する“機工戦騎”に同乗することを意味する。
「うっ……ごほっ!」
咳き込むユリが口から血の塊を零す。真っ白だったシーツは彼女の吐いた血で既に赤黒く染まっている。
“ナノマシン”の加護が無ければ、“機工戦騎”は巨大な棺桶でしかない。如何に“魔術”で負荷を防いでも一時間と耐えられないだろう。
ユリが生きているのは単に彼女の“魔術”の技量が桁外れに優れていたからである。それでも蓄積するダメージは肉体を内部から蝕んでいた。
「ごほっ! はぁ……はぁ……」
最近は血を吐く頻度が増している。“魔術”で傷を癒してもこれ以上の酷使は命に関わるだろう。
ユリは自身に訪れる“死”の瞬間が近いことを感じていた。それでも彼女はレオンに屈せず、敵意に満ちた視線で睨み付ける。
「随分と……あの男に入れ込んでるのね」
ユリの意地などレオンは歯牙にも掛けていないが、差し向けられた話題は彼の心を一番湧かせてくれる男の物だ。
レオンは獰猛に口角をつり上げると嬉々とした様子で語り出す。
「あいつは特別だからな。あいつは俺の生き甲斐だ。あいつだけが俺の渇きを癒せる。くくくっ……早く殺り合いたいぜぇ」
「ふ、ふふ、そうか。だがあの男も“機工戦騎”を持っているんだ。貴様が勝つとは限らない」
まるで陶酔しているようなレオンに、ユリは水を差す。どうせ手も足も出せないのなら、せめて憎まれ口でも叩かなければ気が済まなかった。
「さて、死ぬのは貴様の方かもしれんぞ?」
別に深い意味などない。彼女の肉体はキサラギとの戦いを越えて生きることは出来ないだろう。だからユリの言葉はただの負け犬の遠吠えだった。
「はん、分かってねぇな。お嬢ちゃん」
レオンはそれを一笑に付す。レオンが持つ獅子のような威圧感が静かに増した。
「だから(・・・)良いんだよ。キサラギの野郎との戦いはどっちが勝つか分からねぇ。くっ、くははっ! あいつも俺と同類なのさ。自分が負けるなんてこれっぽっちも考えない。自分は死なない――死ぬのはお前の方だ、てな」
過日の姿を思い出したのか、レオンは心底愉快だと酒を煽る。
あの男はレオン・ブランデルが唯一認める“敵”だ。
“敵”は殺さなくてはならない。
“敵”は己を害し得る者でなくてはならない。
再戦の時を焦がれるレオンに“招待状”が届いたのは数日後のことだった。
どうも、如月八日です。
書き終わった分を投稿します。
本日更新予定でしたが、内容が長くなりそうなことと、自分でも納得の出来る質を目指したいので、次の投稿は完成してからとなりました。
更新を楽しみにしていた方は本当に申し訳ありませんでした。(12/18)