27.密談
キサラギが食料の買出しから戻って来たのは日が暮れてからだった。
食材をブライに渡すとキサラギは屋敷の裏地に足を向ける。
リートに作業の進捗具合を聞くつもりだった。シェラという危険人物に【シュナイト】を委ねて大丈夫だったのかも気になる。
『あ……マスター。お帰りなさい』
「お、おう? ただいま」
出迎えたリートは何処か上の空で、心此処にあらずといった状態だった。
シェラは夜通し作業を続ける気なのか、キサラギの到来にも気付かず黙々と【シュナイト】に刻印を施している。
薄暗くなる時間帯だが【シュナイト】の周囲は暗闇とは無縁だった。横たわる機体の周囲には、刻印魔術なのだろう光りを発する棒が何本も突き立っている。
だが、何よりリートの様子が気になった。
「俺が居ない間に何かあったのか?」
『何もありませんでした』
「そうなのか? でも――」
『何もありませんでした』
「いや、絶対何かあっただろ!?」
『何も、何も……うぅ……思い出したくありません』
「……すまん。リート」
嗚咽交じりに否定するリートの訴えに、キサラギはそれ以上の追求が出来なかった。半分以上言ってしまっているような物であったが……
「はぁ、シェラに聞くしかないか」
あまり気は進まないが、キサラギは作業を続けるシェラの元に近付く為に機体の上によじ登る。
「ウヒ、ヒヒヒッ! コレも足してちゃおうかしらぁ」
(ち、近付きたくねぇ……)
丁度陰になっていて顔を直視することは出来なかったが、彼女の口元は三日月のように裂けていた。
シェラは近付くキサラギに気付かず、怪しさ全開の笑いと共に装甲に塗料で刻印を描いている。
(それにしても随分と大掛かりなんだな)
胴体を中心に機体各部へ伸びる刻印は、特に手足などの末端に集中している。
(ま、物が大きいからな。それだけ規模も大きくなるのか)
“刻印魔術”について無知なキサラギにはわからなかったが、【シュナイト】に施された刻印の量は“魔素の排除”の為にしては明らかに多過ぎていた。
キサラギはそのことに気付かず、不気味なテンションで作業を続けるシェラに声を掛ける。
「戻ったぞ。作業の方は進んでるみたいだな?」
「あら、帰っていたのね。作業の方は…………順調よ」
「何か間が無かったか?」
「いいえ、そんなこと無いわ。うふふ……今とっても気分が良いの。だから今夜はこのまま徹夜で続けるわね」
「そ、そうか……あまり無理はするなよ」
シェラの妙に上機嫌な態度に違和感はあったが、その言い知れない迫力に気付けばキサラギは首を縦に振っていた。
その従順な態度に気を大きくしたのか、シェラは躊躇っていた疑問を口にする。
「キサラギは……その……レオンって奴を倒したらどうする気なの?」
「…………」
その問いが含む重要な意味にキサラギは即答できなかった。
【テュラン】を倒すことはキサラギが抱える最も大きな問題である。シェラの改造で“動力炉”の問題が解決すれば、【テュラン】を倒せるかもしれない。
そしてレオンに勝ったキサラギを待つのは大きな選択だった。
このままセルディオに残るか?
それともセルディオから出て行くか?
悩むキサラギは搾り出すように声を発する。
「まだ……決めてない」
キサラギにはそう答えるのが精一杯だった。
それにどちらを選ぶにしても、相応の準備が必要なのも事実である。
だが、何時までも先延ばしに出来ることではないだろう。
「答えはレオンを倒してから考えるよ」
問題の先送りでしかなかったが、レオンに勝てなければ全て徒労だ。
今は目の前の戦いに集中すべきだった。
その後は【シュナイト】の改修作業は続けられた。途中でブライが夜食の差し入れなどがあったりして、時刻は既に深夜を回っていた。
「…………」
“刻印魔術”ではキサラギに手伝えることが無い。彼は黙ってシェラの作業を見守る。
「ふん、ふふ~ん」
月明かりの下で金の少女が黒き巨人に淡く光る紋章を刻む。それは御伽噺の一説に登場しそうな神秘的な光景だった。
その光景にキサラギはしばし呆けていたが、何かに気付いたのかシェラは作業する手が止まる。
キサラギが声を掛けようとするより早く、シェラは自身が感じた疑問を口にしていた。
「そういえば【テュラン】の方はどうやったのかしらね?」
「何? どういう意味だ?」
「鈍いわね。“動力炉”のことよ。【シュナイト】は私が居るから大丈夫だけど、向うはそうも行かない筈でしょ?」
『「……あ」』
言われて初めて思い至ったのか、二人は同時に声を上げた。重要な話題に自然とリートの調子も戻って来る。
『そうです! こちらのことで手一杯で考えていませんでした。【テュラン】は一体どんな方法で解決したんでしょう? 同じ手を使うにしても……』
「ああ、シェラ。“刻印魔術”を他に使える奴が居たりしないか?」
自分達が知る唯一の方法である“刻印魔術”が真っ先に浮かぶ。それ以外の方法を知らないキサラギとしては当然の考えなのだが、どうやらシェラの気に障ってしまったらしい。
「居る筈が無いじゃない。アレは私が開発したのよ。少なくとも私は世間に公表したことは無いし、似たような物が開発されたって話も聞かないわ」
シェラは憮然とした顔で否定する。研究者として自分の発明と同じ物が、他にも存在するとは思えないのだろう。
「それに【シュナイト】みたいに完全自立型で術を起動させるには“魔晶石”が必要だわ」
『魔晶石を用意すれば良いのではないですか?』
「無理ね。断言出来るけどアレの生成は私以外には不可能よ」
「そんなに貴重な物だったのか……」
キサラギは腕輪に嵌められた空色の石を見る。彼女の言う通りならセルディオに二つとない貴重な品だ。それにキサラギも“翻訳”の魔術には随分と助けられている。
「と・も・か・く! 実物を見たことは無いけど刻印魔術じゃないことは確かよ。別の方法だと考えるのが自然じゃないの?」
『うーん。そうですが……』
「あればこっちが試してるからな」
他に方法が無いから“刻印魔術”という候補が出ていた訳であり、それが否定されてはもうキサラギにお手上げだった。
そもそも他に方法があればキサラギも【シュナイト】をシェラに委ねるような危ない橋を渡ろうとはしない。
結局、【テュラン】の動力炉の謎は分からないままだろう。二人はそう思っていたが、シェラはキサラギ達とは違う点に着目していた。
「ねぇ、【テュラン】に魔術士が乗ってるんじゃないの?」
「無理だな。シェラは知らないかもしれないが、機工戦騎が全力で動けば傭兵以外の奴は負荷で挽き肉に――」
「ああ、いいわ。その説明はリートに聞いたから」
「…………」
ぞんざいに説明を遮られ、キサラギが寂しそうな目でシェラを睨む。
いじける主人を補佐すべく、リートが話を引き継ぐ。
『なら、それをどう説明するんですか?』
「ふふん、まだ二人は“魔術”をみくびっているようね。衝撃なら防護の魔術で何とか防げる……かもしれないわ」
「何だか曖昧な言い方だな。確証はないのか?」
「少なくとも私じゃ出来ないわ」
「そうだな。シェラは術理を探求する錬金術師としては超一流だろうが、術を行使する魔術士としては三流以下――だったか?」
「む……前半は良いけど、後半は改めて他人から言われると何か腹が立つわね」
「ふん、お互い様だろ」
先程の意趣返しなのか、キサラギの口調は刺々しい。このままでは話が進みそうもないので、リートはシェラに水をやることにする。
『具体的にはどの程度の腕前が必要なんですか?』
「そうね。乗ったことが無いから断言は出来ないけど、“宮廷魔術士”位の腕があれば耐えられるんじゃないからしら」
「ああ……そう言われれば候補が居るな」
ユリ・ハイゼンベルグ――キサラギを苦しめた宮廷魔術士だ。ゲシュト砦の時にも老人の魔術士が居たのだが、あの時は直後にあった【テュラン】との激闘の所為か印象が薄い。
『なるほど、マスターと戦った女ですか……そういえば、マスターはあの男との繋がりを懸念していましたね』
「そうなの? キサラギ」
「確証は無かったが、な。裏を取る為にレオンの捜索をギルドに依頼していたんだが……」
尤も既に今日の買い物でギルドに寄って依頼は取り下げている。【テュラン】が大っぴらに姿を現すようになったので、レオンの居場所を探す必要が無くなったのだ。
「あの女が一枚噛んでいる可能性は高いわね。忌々しい」
ユリに襲撃されたことを思い出したのか、シェラが苦り切った顔で吐き捨てる。
彼女程の技量があれば機工戦騎への同乗は可能かもしれない。
だが、それには一つ問題があるとキサラギは考えていた。
「なぁ、“魔術”ってのは、そんなに長時間維持できるものなのか?」
「使う術にもよるわよ。下位の術ならそれこそ何時間と維持できるけど……」
『わかりました。機工戦騎の負荷を防ぐには上位の術でなければ不可能です。そうなれば持続時間の方で無理が出る、そうですね?』
「ああ、それなら【テュラン】の不自然な撤退にも説明が付く」
レオンは“時間切れ”と言っていた。それが動力炉の正常稼働のタイムリミットだとすれば、戦闘狂のレオンが撤退する理由として申し分ない。
あの男は戦うことを渇望する一方で勝利に執着している。メインの武器である双剣を失っていたあの場で、動力炉の出力が下がるのは捨て置けないマイナスだろう。
「本当なら思わぬ好機かもしれないな。くくくっ……」
後に控えるレオンとの戦いに思わぬ光明が見えたかもしれない。
キサラギは来る決戦に思いを馳せた。
『それで私に話とは一体何ですか?』
「まぁ、ちょっと……ね」
【シュナイト】の上でシェラは手元の端末から目線を逸らす。
この場にはシェラとリートの二人だけだ。作業が一段落付いたので、キサラギには食堂まで夜食を取りに行って貰っている。
『マスターが居ては話難いことですね?』
「う、うん……」
注文した料理は少し手間の掛かる一品だ。この場に彼が戻って来るまでの時間を少しは稼げるだろう。
折角、作ったチャンスも有限である。
シェラは勇気を振り絞って彼の相棒に訪ねてみた。
「その……リートなら、わかるんじゃないかと思って……」
『マスターがここに残るか――ですね?』
「はぁー、全部お見通しみたいね」
『二人のやり取りを見ていればわかります』
ショックで呆然自失していたかと思えば、きちんと話は聞いていたらしい。
口を挟まなかったのは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
『私の口からマスターの意志を勝手に話すことは出来ません』
それでも彼女の口からは明確な拒否の言葉が紡がれた。
リートは誰よりもキサラギの味方である。その彼女が本人の居ない場所で、彼の心の内を漏らすような真似をする筈がなかった。
だが、彼女も何か思う所があるのか言葉を続ける。
『ですが、私の個人的な意見ならお教え出来ます』
「リート……」
『お礼は結構です。あくまで私の意見ですから』
「それでも良いわ」
キサラギを説得する上で彼女の意見は無視できない問題だ。
『此処に残る方がマスターの為には良いと思っています。例え帰ったとしてもマスターを待っているのは“傭兵”としての戦いの日々です。マスターは若いんですから、もっと人生を楽しむべきだと思います』
「うん、うん」
『それに依頼中の失踪はマスターの信頼を大きく傷付けていると思われます。傭兵業を続けるにしても、そんな状態ではまともに食べていけません!』
「う、んん?」
『それに訓練校の借金だってまだ沢山残ってるんです! マスターはその辺に疎いから気にしてませんでしたが、マスターは自分の腕を過小評価しています。マスター程の実力ならもっと依頼料をふんだくることだって――』
「あ~リートさん?」
『そもそも! あの戦闘狂とかち合う依頼が多かったのも、マスターが任務を選り好みしないからと、好き勝手に危険な依頼ばかり回してくるからで――』
「…………」
どうやらリートはスイッチが入ってしまったらしい。何処で押してしまったのかもわからないが、日頃の不満が出て来る、出て来る。
「ストップ、ストップよ。リート」
このままではキサラギの今後について相談するつもりが、リートの愚痴を聞くだけで終わってしまう。
『むぅ……』
「ごめんね。愚痴には今度付き合ってあげるわ」
まだ話し足りなそうなリートには悪いが、シェラは話の軌道を元に戻すことにした。
「リートはキサラギに残って欲しいのよね?」
『はい。その方がマスターは平穏に暮らせる筈です』
リートの返事に迷いは無い。彼のことを第一に考えている彼女は、時として彼の為なら無断で行動することもあるのだ。
尤もシェラもソレが原因で“魔の森”が消滅したとは思っていなかったが……
「なら私達の利害は一致しているわね」
『つまり?』
「同盟よ」
こうしてキサラギの与り知らぬ所で小さな同盟が結ばれた。
目的はキサラギを帰さないことだが、その為に二人は出来る限りのことをする。
リートは公私に渡って彼を支えることだろう。
そして発案者であるシェラは既に行動を始めていた。
「それとね。実は――」
シェラは不敵に微笑むと、盗み聞きを警戒してそっと囁く。
『えぇー!?』
思わずリートが驚きの声を上げるが、聞き咎める者は居ない。
二人の密談を知るのは夜空に浮かぶ月だけであった。
どうも、如月八日です。
今回の分を更新しておきます。