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19.散歩

 ルシフェラ・セリクスの一日はブライの淹れた紅茶を飲むことから始まる。

 その日課はボーレルに引っ越してからも変わらない。

「それは本当なの? ブライ」

 シェラは金色の瞳を細める。自室でくつろぐ彼女はカラーコンタクトを外し、彼女本来が持つ金眼でブライを見詰めた。

「はい。確かな筋の情報です。お嬢様」

 給仕をしていたブライが重々しく肯定する。それだけで爽やかだったシェラの気分が一気に地の底まで沈む。ブライとしても朝から主人の気分を害する報告をしなければならないことを心苦しく思っていたが、黙っている訳にはいかなかった。

「そう……先に動くのは帝国の方なのね」

 ヴァーリス帝国が“ゲシュト砦”に軍を集結させている。彼らの目的が魔神の討伐か人間との戦争かまでは不明だ。しかし“魔の森”が戦場になることは間違いないだろう。

 そうなれば恐らくシェラの屋敷も無事では済むまい。

「お嬢様。ここは私が――」

「変な気は起こさないでちょうだい。あなたは大事な家族よ」

「しかし、お嬢様。あの屋敷にはお二人との思い出が……」

 人目を忍ぶように“魔の森”に建てられた屋敷は、元はシェラの両親が彼女と一緒に暮らす為に造った物だ。屋敷にはシェラの全ての思い出があると言っても過言ではない。

 その中には今は亡き両親との大切な思い出もある。

「お願いよ、ブライ。屋敷のことは諦めて……お願い」

 それでもシェラは悲痛な想いを押し殺し、ブライに微笑み返す。

 彼女に残された家族はもう彼しかいなかったから……

 

 

 ブライにとってシェラは仕えるべき主人である。

 だが、同時に彼女は亡き仲間の忘れ形見でもあった。

「カムラ、ルシール。私はどうすれば良いのですか……」

 ブライは己の無力に打ちひしがれていた。彼が如何に凄腕の剣士でも数千にもなる軍隊を相手取ることは不可能である。一軍の将たるアルフォンスと互角の実力でも一国の軍隊には全くの無力だった。

「お嬢様……」

 シェラがブライを家族と慕うように、彼も彼女を家族として大切に思っている。

 彼女が悲しむとわかっていてもブライにはどうすることも出来ない。

「いいえ、違いますね」

 本当は知っていた。ブライの口から最近馴染みとなってきた名前が零れ落ちる。

「キサラギ様、リート様」

 彼らの力を頼れば帝国軍を追い返すことも出来るかもしれない。

 だが、それは他ならぬシェラが許さないだろう。

「お二人はもう立派なお嬢様のご友人です。初めて出来た友人を危険に晒すことをお嬢様はお許しにならないでしょう」

 最初は単純な興味だった筈だ。知の探究者――錬金術師として彼女は彼と彼が持つ機工戦騎に興味を持った……本来ならばそれだけで済む話だった。

「お二人がもう少し悪い人なら良かったのですが……」

 キサラギは彼女の為に命を賭して戦ってくれた。

 身を挺して迫る凶刃からシェラを守ってくれた。

 だからこそシェラはキサラギのことを信頼したのだろう。

「私は執事です」

 それが主人の意向ならばブライは従うしかない。

 ブライは朝食の用意を済ませると、その足でキサラギの部屋へ向かう。別に起こしに行く訳ではない。キサラギはいつも早起きで、以前のように寝込んでいる時でもない限り寝坊などしたことがなかった。

「キサラギ様。朝食の用意が出来ました」

 数回だけ扉をノック。直ぐに聞こえる返事を確認してシェラを呼びに行く。

 それがキサラギと暮らすようになってからの恒例だった。

「……おや?」

 だが、予想外に反して扉の向こうから返事がしない。聞こえなかったのかと何度かノックと呼び掛けを繰り返す。

 しかし幾ら呼び掛けても、キサラギからもリートからも返事が来なかった。

 二人の身に何かあったのかもしれない。そんな疑念がブライの脳裏を掠める。

「失礼します」

 無礼を承知でドアノブを回す。幸いにも鍵は掛かっていなかったようだ。

 あっさりと開いた扉越しに室内を覗き込むとブライは肩を落とした。

 キサラギの部屋には誰も居ない。どうやら彼は不在だったらしい。

「はぁーこれではいけませんね」

 ブライは先程まで自分が考えていたネガティブな思考を反省する。シェラが落ち込んでいる時だからこそ、執事である自分はいつも通りでなければならない。

「それにしても、キサラギ様は一体何処へ?」

 私物の少ない閑散とした室内を見回しブライは首を傾げる。

 鍵を掛けていないのだから、恐らく散歩にでも出掛けたのだろう。

 そのまま踵を返そうとしたブライだったが、机の上に置かれた一枚のメモ紙を視界の端に捉え立ち止まる。

『ちょっと散歩に行って来る』

 キサラギの残した書置きには簡素に一文だけが記されていた。

「こ、これは……」

 その一文にブライの顔が青褪める。一見して何の変哲もないメモに見えるソレを彼は文面通り受け取れなかった。

 ブライはメモを握り締めると部屋から飛び出す。

「す、直ぐに知らせなくては! お、お嬢様!」

 “グラナ砦”を襲った時もキサラギは同じことを言っていた。

『ちょっと動作テストも兼ねて近場を散歩して来る』

 慌しく走るブライの頭の中では、あの時のキサラギの言葉が延々と繰り返される。

 ブライは今更、彼の言う“散歩”を額面通りに受け取ることなど出来なかった。

 

 

 キサラギがその話を聞いたのは全くの偶然だった。

 今日の予定も半ば日課となりつつあるギルドの訪問を除けば全くの白紙だ。ギルドの訪問もレオンの捜索依頼の経過さえ確認すれば、進展でも無い限りは一瞬で済んでしまう。

 ボーレルに越してからキサラギは時間を持て余していた。

「うーん、シェラでも誘って市場でも冷やかすか……」

『む? デートですか? マスター』

「違う、違う。そんな洒落たもんじゃない。ただの暇潰しだ」

『それで市場で屋台を制覇ですか?』

「くくっ! それも良いな」

『はぁ~色気より食い気ですか。マスターは何時まで経っても子供です』

「ほっとけ」

 そうと決めたら前もってシェラに伺いを立てねばならない。ボーレルに越してからも彼女は自室で研究を続けているようで、昨日も遅くまで熱心に自室に篭っていた。

「刻印魔術か……」

 ボーレルに来てから他の“魔術”を目にする機会も増えたキサラギは、薄々感じていたことだが、“刻印魔術”――如いては彼女の研究は異常だった。

 いや、それは“異質”と言った方が正しいのかもしれない。

 セルディオでは魔術を扱うには才能が要る。術自体は下位の物であれば誰でも努力すれば習得できるだろう。

 だが、高位の魔術に関しては才能の有無は重要だ。

 何より産まれながらの才能という意味では“種族”の差こそが絶対である。

 “魔族”と“人間”の両者を隔てる理由の根底には、少なくともこの事実があることは間違いないだろう。

 彼女の研究は両者の隔たりを埋める一助となるか、それとも断絶の一撃となるか、余所者のキサラギにはわからなかった。

「そういや、最近は何を研究してるんだ?」

 彼女が遅くまで研究していることは知っているが、キサラギは何を研究しているかまでは知らなかった。

 その疑問に答えたのは意外にもリートだった。

『今は“魔晶石”と“刻印魔術”を応用した発明品を作っている筈です』

「やけに詳しいな」

 キサラギは初耳の情報なので、リートがシェラと二人の時に聞いたのだろう。

 やはり女同士で話が合うのかもしれない。

 そんなことを実感している内にシェラの部屋まで来ていた。

「ん?」

 扉をノックしようとした瞬間、強化されたキサラギの聴覚が扉の向こうで繰り広げられる会話を聞き取る。

 思わずキサラギは動きを止め、二人の会話に意識を集中した。

「そう……先に動くのは帝国の方なのね」

「お嬢様。ここは私が――」

「変な気は起こさないでちょうだい。あなたは大事な家族よ」

「しかし、お嬢様。あの屋敷にはお二人との思い出が……」

 話を聞いていく内にキサラギの表情が険しくなる。声だけでもキサラギには暗い顔をしているシェラの姿が鮮明に浮かぶ。

「お願いよ、ブライ。屋敷のことは諦めて……お願い」

その言葉を聞いた時、キサラギの心は決まった。

 

 部屋に戻って軍服に着替えると、キサラギは誰にも気取られないよう街から出る。

 人目を気にする必要がなくなると同時に黙っていたリートが声を発した。

『また無茶をする気ですか? マスター』

「不満か?」

『はい。ですが、私にはマスターを怒れません』

「心配を掛けるな」

『それはシェラさんに言ってください。どうせ後で怒られるんです』

「ああ、覚悟しておくよ」

 なるべく急ぎたいところだが、今回は移動に馬を使わない。

 ボーレルから距離を稼ぐと、キサラギは整備された山道から脇に逸れる。

 切り立った斜面の側まで近付く。

「ふっ!」

 そのまま傾斜のきつい山肌へ一足で跳び降りた。

「はっ! ふっ!」

 強化した身体能力を駆使して斜面を蹴る。そうやって細かな減速を繰り返していく。

 その姿は他人に魔物と見間違われるような動きだった。

「おっとっ!」

 大きく横に跳び途中にあった岩を避ける。殆ど落下するような速さでキサラギは斜面を降りて行く。

 大幅なショートカットの甲斐もあり、昼前にはキサラギはドグラ山脈を抜けた。

 馬を使った以前よりも遥かに速い。

 山から降りて森を抜けると、キサラギの前に深く青い湖面が広がる。

 ギルドの試験でも来た“ラグル湖”だ。しかしキサラギは景色を楽しむ為に来た訳ではない。

「頼むぞ。リート」

『了解』

 美しい景観には目もくれず、キサラギは以前と同じように湖面に血を垂らす。

 レニーも言っていたが、ラグル湖の水は“特別”なのだ。

『DNAマップ照合――確認。システムとのリンクを完了』

「よし、上げろ」

『了解。メインシステム起動』

 鏡のように穏やかだった湖面が揺れた。陽の光すら届かないラグル湖の深淵で、真っ赤な光点が一つ静かに灯る。

『【シュナイト】――起動』

 厳かな歌のような声を合図に湖面を突き破って漆黒の巨体がせり上がる。

 シェラの屋敷を出る際にキサラギが最も苦心したのは【シュナイト】の隠し場所だ。

 キサラギはボーレルから最も近い湖――ラグル湖に機体を沈めた。

 距離や人目の問題もある。ラグル湖は隠し場所として理想的だった。

 ラグルの水は“魔素”を浸透させない性質を持っている。ギルドの試験に利用されるのも、その性質を使って“湖水”の真贋を容易に鑑定できるからだ。

 そして“魔素”を浸透させない性質は、そのままナノマシンの通信を阻害しないことを意味した。

「リート。ハッチを開け」

 キサラギは未だ浮上を続ける機体に飛び移った。肩の部分に着地すると手早くリートに指示を出す。

 ハッチが開く。キサラギは滝のように水が流れ落ちる機体に乗り込む。

 操縦席に着いて左右のスティックを握る。

「くくっ……」

 慣れ親しんだ感覚にキサラギは笑みを浮かべる。離れていたのは僅か数日だったが、【シュナイト】もキサラギにとっては立派な“相棒”だ。

 出撃を前に浮かれる気も無いが、思うままに機工戦騎を駆りたいと思ってしまうのは、ある意味で傭兵の性と言えた。

『マスター。作戦内容の確認をお願いします』

「目標はヴァーリス帝国の拠点“ゲシュト砦”の襲撃だ。建造物の破壊と編成中の軍を潰す」

『了解。砦の規模はグラナと大した違いはありません。しかし駐留する部隊の数と質は、恐らく比べ物にならないでしょう』

「ああ、そうだな」

『今回は空も私達に味方してくれません』

 今日の天気は生憎の雲一つ無い快晴だ。視界は至って良好、例え見張りが呆けていたとしても接近する【シュナイト】に気付くだろう。

「わかってる。だが、時期を選ぶ余裕はない」

 街で噂になる位だ。砦に集結する帝国軍の数は相当なものだろう。

 何より手遅れになることだけは許されなかった。

「絶対に止めてみせる」

『マスター……』

(人間だけじゃなく、魔族の方も早急に手を打っておくべきだった)

 キサラギは苦々しく顔を歪める。

「今回の件は俺のミスだ」

『そんなことはありません!』

 リートが強く否定の声を上げる。

 だが、キサラギはそれを制すと頭を振った。

「“人間”の拠点は攻撃したんだ。“魔族”の方も同じように攻撃するべきだった」

 敵の侵攻を阻止するには両方を牽制する必要がある。キサラギもそのことを忘れていた訳ではないが、ユリ率いる調査隊の襲撃でそれどころではなかった。

「それに帝国には大きな借りがあるからな。この機会に返すのも良いだろ」

『はい。利子も付けて叩き返してやりましょう!』

 威勢よく答えるとリートはシステムを移行させる。

『システムを戦闘モードに移行』

『生体反応――良好』

『機体状況――良好』

『機体接続――良好』

 次々と確認事項が読み上げられる。キサラギは目を閉じリートの声に耳を傾ける。耳馴染んだ彼女の声は清らかな歌のような響きがあった。

『【シュナイト】――起動』

 巫女の歌が止むと鋼の化身に命が宿る。合成音の咆哮こそ上げないが、漆黒の巨人は乗り手の意志に応えるように、駆動音を唸らせ前進する。

「さて、ちょっとそこまで散歩・・に行くぞ」


どうも、如月八日です。

今日は少し更新が遅くなりました。

最近になって友人が新作を投稿しました。

詳しくは活動報告の方に書くので、興味のある方はどうぞ。

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