15.反省
「んあ?」
重い目蓋を開くと見えたのは天井だった。
キサラギは緩慢な動作で起き上がると周囲を見回す。小奇麗な室内には家具こそ少な目だが、それら全てが一級品であろう貫禄があった。
「ふぁ~あ……リート、今何時だ?」
まだ眠い目を擦る。相棒へ声を掛けるが返事はない。
「ッ!?」
そこでキサラギの意識が覚醒した。
同時にもう一度周囲の様子を窺い直す。既に見慣れつつある内装から自室であることを確認すると、キサラギは周囲への警戒を解いた。
「はぁ……」
だが、その口から零れたのは安堵ではなく、憂鬱そうな溜息だった。
意識が覚醒し記憶を思い出したキサラギは、一種の自己嫌悪に陥っていた。
シェラを護ると大口を叩いておきながら、生身ではユリ・ハイゼンベルグには苦戦し、不覚にも謎の老騎士には敗北してしまった。
プロとして致命的な失態だった。
「くっ……」
自分は傭兵として常に油断ないよう心掛けている。だが、心の何処かでキサラギは文明や技術力の低いセルディオを見くびっていた。
所詮は科学や文明の劣る惑星だ、と――
「シェラに謝らないとな」
キサラギが自室で寝かされているということは、既に侵入者は撃退されたのだろう。
「リート?」
確認しようと相棒に声を掛けるも返事が無い。
アレほどの深手を治癒させるにはリートの協力が不可欠だ。
どうやら本体は別の場所に居るようで、治療の後も意識が無いキサラギに代わって事後処理でもしているのだろう。
(ま、恐らく携帯端末でシェラかブライと話しているんだろ)
そう考えていた時、折り良く部屋の扉がノックされる。
「私よ。もう目は覚めているのでしょ?」
扉越しにすっかり馴染みとなった少女の声が聞こえる。
このタイミングの良さからして、リートがキサラギの覚醒を知らせたのだろう。
「邪魔するわ。キサラギ」
返事より先にシェラが扉を開けて入って来る。
『「…………」』
予想通りその後ろには携帯端末を持ったブライが続く。
(妙だな……)
キサラギはブライの様子に違和感を覚える。これまでの行動パターンからして、今回のようにキサラギが依頼にしくじれば、ブライは真っ先に噛み付いて来ると思っていた。
「…………」
だが、今のブライは表情も暗く、その身に纏う空気も何処か淀んでいる。
執事として常に完璧を求めるブライからは考えられない状態だった。
(どうやら何かあったみたいだな)
負のオーラを撒き散らすブライもそうだが、心配性で口煩い相棒がまだ一言も喋っていないことも不自然だった。
嫌な予感がした。事態はキサラギが想像する以上に悪いのかもしれない。
密かに覚悟を決めるとシェラが口火を切った。
「ありがとう。キサラギのお陰で助かったわ」
「…………」
思わぬ言葉にキサラギの思考が停止する。
「その顔はわかっていないみたいね。傷が痛むの?」
鳩が豆鉄砲食らったような顔で見詰め返していたらしく、シェラが心配そうに表情を曇らせる。
キサラギの脳裏に意識を失う直前の泣き顔が蘇る。
「いや、もう大丈夫だ」
これ以上心配させる訳にはいかない。キサラギは改めて気を引き締めると話の続きを促した。
キサラギが持ち直したのを見てシェラが微かに口元を綻ばせる。
「あの時は庇ってくれてありがとう。改めて礼を言わせてちょうだい」
ありがとう。シェラはそう言うと頭を下げる。
彼女にそこまでして貰って、ようやくキサラギにもお礼の意味が呑み込めた。
「私からも礼を言います。キサラギ様! お嬢様をお守りいただき、本当にありがとうございます!」
「お、おい。頭を上げてくれ。ブライ」
「いえ、もしキサラギ様が居なければ……今頃どうなっていたことか!」
すっかり平身低頭するブライにキサラギはかえって気まずさを感じてしまう。
何故なら調査隊が屋敷に来た理由は“魔神”だったのだ。
そもそも“魔の森”さえ無事なら彼らが屋敷に辿り着くことも無かっただろう。
「傭兵として依頼を果たしただけだ。気する必要はない」
暗にシェラが気に病む必要もない、という意味も込めて言う。
それは正しく彼女に伝わったようで、シェラが柔らかく微笑み返してくれる。
「ぬぅ……」
面と向かって感謝される経験が無いキサラギは、何だか無性にこそばゆかった。
その後はシェラによって、キサラギが気絶した後に何があったのかを説明される。
キサラギとしても早く自分の置かれた状況を把握したかったので、シェラの説明は都合が良い。
だが、侵入者が撤退した経緯を聞くと思わず我が耳を疑った。
「リートが【シュナイト】で大暴れしただと?」
俄かには信じられない言葉に思わず聞き返す。
それを肯定したのは他ならぬリート本人だった。
『申し訳ありません。マスター』
すまなさそうにリートが力なく謝罪する。普段の澄んだ声とあまりにかけ離れていて、一瞬とはいえキサラギが気付かなかった程だ。
どうやら本気で落ち込んでいるらしい。
「そう落ち込むな。俺が心配掛けたのがそもそもの原因だ」
『それは違います!』
「お、おう……」
強い語気で否定してくるリートに面食らう。何処か人間臭い性格をしたリートもAIである。彼女が主であるキサラギにここまで強く反論することは稀であった。
リートは言い難そうに己の非を懺悔する。
『あの時の私は私情に流されていました。マスターを傷付けた連中が許せず、彼らを……その……皆殺しにしてやろうとしました』
「あの時のリートは凄かったわ。ブライが止めなかったら【シュナイト】で帝都に殴り込んでいたでしょうね」
『すいません……』
「お前が俺を心配した気持ちもわかる。そう、気に病むな」
『しかし私の暴走で死者を出してしまいました』
「それはそうだが……」
グラナを襲撃した時もキサラギは犠牲を出さないよう努めていた。それは依頼の為でも人殺しを避けたかったからであり、同時に怨恨を残さない為の配慮でもあった。
だが、今回の暴走でリートは“魔族”を殺した。侵入者だったとはいえ、背を見せて逃げる彼らをリートは殺してしまった。
ユリや老騎士の報告にもよるだろうが、ヴァーリス帝国の“魔神”に対する認識は、今回の一件で殆ど決まってしまったと言える。
『マスターの努力を無駄にしてしまいました』
「過ぎたことはしょうがない。連中を侮っていた俺にも問題はある」
今は後悔するよりも今後のことを考えるべきだろう。
それにキサラギは忘れていなかった。
「帝国には気になることもあるしな」
「それってあのユリ・ハイゼンベルグって宮廷魔術士のことかしら?」
「ッ!?」
その名にブライの表情が一瞬だけ強張る。
二人は彼の変化には気付かずにそのまま会話を続けた。
「奴は何か知っている風だった。もしかしたら厄介な奴と繋がりがあるのかもしれない」
「厄介な奴? キサラギは知らないと思うけど、ハイゼンベルグは帝国でも僻地にある貧乏領地なのよ。彼女個人の力量は高いでしょうけど、地方の私有軍如きにキサラギが恐れるような人材は居ないと思うけど?」
事情を知らないシェラがキサラギの抱く懸念を否定しようとする。
「…………」
シェラの声は聞こえていたが、彼の脳裏には件の厄介な相手のことで一杯だった。
「…………」
キサラギは神妙な顔で顔を黙り込む。考える姿は真剣その物で、その雰囲気が伝染したのかシェラも口を噤んで彼の様子を見守る。
室内に重苦しい空気が満ちる。一種の厳粛な雰囲気を持つ空間が形成さていた。
その沈黙を破ったのはキサラギだった。
「…………そういや、腹減ったな」
思わず腹の虫が大声で鳴き出す。
後で聞かされたが、キサラギは丸二日も気を失っていたらしい。襲撃されたのが昼前だったので、丸々六食以上も抜いたことになる。
それは腹も減る筈だった。
場所を移してすっかり恒例となったテラスのテーブルに腰掛ける。
最初はシェラが病み上がりのキサラギを配慮して、自室での食事を提案したがキサラギの強い要望でいつものテラスで昼食となった。
「はぁ~天気が良いと気分が良いな」
今日の天気は快晴だ。日傘の下とはいえ照り付ける陽光は少し強い。
だが、テラスには室内には無い開放感があった。
「う~ん……」
大きく伸びをして肩を鳴らす。二日も寝ていれば身体も強張る。キサラギは身体を解しながら、ニコニコと笑顔でブライの料理を待ち続けていた。
「呆れた。相変わらず食い意地の張った奴ね」
『は、はは……昔はこうじゃなかったんですけどね』
すっかり元気なキサラギを見てシェラとリートが呆れる。
気落ちしていたリートも今はすっかり調子を取り戻していた。
「そういえばキサラギは長いこと傭兵をやってるのよね?」
「おう、プロとして仕事をするようになってもう五年になるな」
「ぶっちゃけて腕の方はどうなの?」
『ご安心を、シェラさん。マスターは同業者の中ではかなりの凄腕です』
何せ若手では一、二を争う腕前だ。座学の所為で訓練校の成績は今一だが実技に関しては歴代でもトップクラスの成績を残している。
そのことをリートが説明するとシェラは感心していた。
「へぇー今の姿からは想像付かないわね」
『はい。マスターは凄いのです』
キサラギの話題で盛り上がる二人だったが、当の本人はブライの料理に御執心である。
「う、美味過ぎるッ!!」
フォークを握り締めながらキサラギは感動の涙を流す。彼の目の前には空の大皿が鎮座している。
本日の料理は鶏肉と野菜を使った冷製パスタだ。病み上がりであるキサラギの胃袋を考慮して、あっさりとした一品が選ばれている。
尤もそんなブライの気遣いもキサラギの「腹一杯食いたい」という台詞によって、大皿で十枚以上という健康に気を付けるのが馬鹿馬鹿しい量になっていた。
「美味い。美味い」
キサラギは一皿空けるごとに語彙の乏しい感想と一緒にそれを積み上げる。
一時間もしない内にテーブルには大皿の塔が建設された。
「はぁー食った、食った」
『マスター。挨拶とお礼がまだですよ?』
「くっくっ、そうだな」
母親のようなことを言うリートに思わず苦笑する。
キサラギは姿勢を正すとシェラの側に控えるブライに向き直る。
「ごちそうさま、ブライ。美味い飯をありがとう」
「いえ、執事ですから。当然のことです」
キサラギのお礼にブライはいつも通りの台詞で答える。
こうしてキサラギの貪るような食事が終わった。シェラはキサラギが目覚める前に食事を済ませていたので、ブライの淹れた紅茶を楽しんでいる。
「は、はは……相変わらず凄い食欲だったわね」
それでも直ぐ前で餓死寸前の遭難者のような様子で食事をされるのは、食欲が失せる光景だったのか、複雑そうな表情で紅茶を飲む。
食後のまったりとした空気が漂い始める、が……のんびりしている訳にもいかない。
満腹で頭に血が回りだしたキサラギは、自分から会話の口火を切ることにした。
「まず謝って置く。すまなかった。今回の襲撃――護衛を任された身として不甲斐ないばかりだ」
「今度はキサラギの番なの? 昨日からずっと私は謝られっぱなしよ」
気にしてないと態度で表すシェラに、キサラギは一度きちんと頭を下げる。
シェラも元よりキサラギを責める気は無い。ちゃんとした謝罪が済むと話は必然的に今後の方針に移る。
「俺は拠点の移動を提案する」
『マスター! それは……』
キサラギの提案にリートが言葉を濁す。護衛という依頼は単に対象の“身柄”を守るだけでなく、その“生活”を含めて守ることが条件になる。
命を守るだけなら何処かに引き篭もらせるか、ひたすら逃亡させ続ければ良いのだ。
「…………」
シェラは真剣に主張するキサラギの言葉を黙って聞いている。
「俺はセルディオの連中を舐めていた。【シュナイト】が有れば無敵だ! 絶対に負ける筈がない!……そうやって俺は慢心していたんだよ」
しかし今回の件でキサラギも学んだ。
セルディオが誇る猛者達を相手取るには生身のままでは分が悪い。
「何より【シュナイト】は“防衛”に向いていない。機工戦騎に出来ることは相手を駆逐し蹂躙する――敵を倒す為の物なんだ」
護衛任務は【シュナイト】に向いていない。それがキサラギの行き着いた結論だった。
『確かにマスターの言うことは正論です。そもそも機工戦騎は歩兵との戦闘を想定していません』
リートの言う通り、これで護衛対象が戦艦や輸送船ならば話は別だろう。
だが、今のキサラギが守るべき対象はシェラであり、彼女の敵は機工戦騎より遥かに小さい“人間”や“魔族”だった。
「それに少なくとも帝国側には“魔神”の居場所が割れちまった。一箇所に居続けるのは危険だ」
そうなればキサラギは不利な状況での戦いを余儀なくされてしまう。
「キサラギの言いたいことは分かるわ」
本当は拠点を移す以外にもう一つだけキサラギには手があった。
だが、それをシェラに教える訳にはいかない。
(さすがに“皆殺し”は後味が悪い)
それに今は大っぴらに【シュナイト】を使ってるが、本来ならセルディオのような人間に近い知的生命体が原住する未開惑星での戦闘はご法度だった。
(一緒に落ちたのがレオンじゃなきゃ、な)
あの男が誰の目の届かない星で、律儀に決まり事を守るとは思えない。
キサラギがレオンのことを思い出していた。
「うーん。ハーフの私に居場所は……いや、でも“からーこんたくと”を使えばあるいは――」
一方でシェラも真剣に悩んでいた。今の彼女ならカラーコンタクトを使えば“人間”の町に住むことも出来るかもしれない。
少なくとも帝国と違って“顔”は割れていない筈だ。
「いや、だけどブライが一緒じゃないのは嫌。ならいっそ帝国に――」
シェラが剣呑な顔でブツブツと独り言を呟き出す。どす黒いオーラを撒き散らしている。
これは助け舟を出した方が良いかもしれない。そう思ったキラサギが動き出すよりも先に彼女の従者が行動した。
「お嬢様」
「何かしら?」
自称天才の頭脳をフル回転させて思案していたシェラは、ブライの進言に珍しく眉を寄せる。どうやら相当に煮詰まっているようだ。
「私に良い案がございます」
そう言ってブライは悩むシェラに道を示す。
彼は何故か微妙そうな顔をしていた。
どうも、如月八日です。
今回も書き上がった分を更新します。
ご意見やご感想は随時募集中です。
次回の更新も書き上がり次第に投稿する予定です。