13.障壁
「どうした、傭兵! 威勢が良いのは最初だけか?」
ユリが正面のキサラギへ手を翳すと、彼女の掌から淡い光の矢が放たれる。
それは“魔力の矢”という下級魔術で、牽制から攻撃と幅広い用途で使えた。またある程度の実力があれば無詠唱で扱えることから、セルディオで最も有名な攻撃魔術でもある。
だが、ユリの唱えるソレは僅かな溜めで連射が可能だった。
「くっ!」
鋼鉄すら貫く光の矢が頬の横を掠める。直撃していたらと冷や汗が滲むが、畏縮している余裕もない。
立ち止まればその場で即、串刺しだ。
「我が手は破壊の標! 咆えよ、炎!」
ユリが翳した腕を薙ぎ払う。
「ちぃ!」
短い詠唱が耳に入る。それと同時にキサラギは大きくコースを変更、殆ど直角に進路を曲げて跳躍する。
直後――キサラギが居た空間を猛烈な勢いの炎が吹き荒れた。拡散する熱波が掻いたばかりの冷や汗を一瞬の内に蒸発させる。
「畜生、好き放題に撃ってきやがって、よ!」
反撃とばかりにキサラギが炎の壁へと銃弾を撃ち込む。ダメージを与えられるかは微妙であったが、キサラギの目的はあくまでシェラの護衛である。
案の定、キサラギの反撃はユリの魔術障壁によって無力化される。だが、彼女の注意を引くことは出来た。
(けど、このままじゃ不味いな)
キサラギは窮地に立たされていた。
今は紙一重で攻撃を回避しているが、キサラギの体力も無限ではない。ナノマシンの補助こそあれども疲労が溜まればいずれは被弾してしまう。
(おまけに奴はまだ本気じゃない)
その証拠に開戦からずっとユリが使ってる魔術は下級の物ばかりだ。
(くそっ、大きいのが来たら避けきれる自信が無いぞ)
如何にナノマシンの治癒力を以ってしても一撃で即死させられてしまえば、そこからの蘇生は不可能である。
(どうする? 俺だけで【シュナイト】を取りに行くか?)
機工戦騎のパワーならユリの障壁を力技で突破することが出来る筈だ。
(いや、駄目だ。奴の目的は知らないが、シェラを残して行くのは危険過ぎる)
キサラギはユリがシェラを見るあの冷たい目を忘れてはいない。詳しい事情は知らないが、シェラに対してユリがあまり良い感情を持ってないのは確かだろう。
(何か、何か突破口は無いのか)
高速で思考しながらもキサラギはユリの攻撃を回避する。連続で撃ち出される魔力の矢は未だに衰えを知らず、彼女の魔力切れを期待することも無理なようだ。
「くっ、ちょこまかと良く避ける」
「はん! 生憎と俺の攻撃は効かないからな。避け続ける以外に手は無いんだよ」
「良く言う。その目は反撃を諦めた者の目ではないぞ」
「まったく、厄介な相手だ」
ユリは攻撃の手を緩めない。自分が圧倒的に有利でも油断しない。
「…………」
キサラギはゆっくりとシェラへとにじり寄る。攻撃に巻き込まないよう彼女と距離を置いていたが、勝ち目が薄い今は離れ過ぎるのは返って危険だとキサラギは判断した。
「キサラギ……」
キサラギがそばまで来るとシェラが不安げに見上げてくる。精緻を凝らした人形のように端整な顔が今は恐怖で曇っている。
「いざとなったら俺が時間を稼ぐ。その隙に逃げろ」
それは傭兵として請け負った仕事を果たすべきだという使命感だけではない。
この一週間で変わったのはシェラだけではなかった。キサラギも、そして恐らくリートも屋敷での生活を気に入っていた。
「そんな……」
シェラの顔が絶望に染まる。如何にキサラギが身を挺して戦おうと、ユリは易々と逃がしてくれないだろうことは彼女にもわかっているのだ。
そんな彼女の姿にキサラギの胸が痛む。
(ちっ、そんな顔するな。これだから護衛は面倒なんだよ)
護ることは奪うことよりも難しい。傭兵として様々な仕事をしてきたキサラギは、そんなことは十分に理解しているつもりだった。
しかし今はその事実が嫌という程に重く圧し掛かる。
(畜生、俺が軽率だった)
たった一度の襲撃だけでセルディオの戦力を過小評価し、“魔術”という未知の力を見誤ってしまった。
(生身じゃ勝てない。それに――)
チラリと背後のシェラを見やる。
「う、うう……」
彼女は青い顔で震えている。そこに普段の不遜さは見る影も無く、小柄で華奢な外見通りの印象しか抱けなかった。
(せめてシェラだけは……絶対に逃がしてみせる)
キサラギが密かに決意を固めた。
「ふんっ……」
一方でユリはそんな二人を見て顔を面白くなさそうな顔で見ていた。
(出来損ないの混ざり物が)
“魔族”と“人間”の対立するセルディオでは混血は禁忌として迫害されている。それは彼女のような若い魔族も例外ではない。
何よりも彼女が混血を憎む理由は別にあった。
(父上……)
脳裏を過ぎる苦々しい記憶に胸が痛む。魔術士は常に冷静であることを信条とするが、この時の彼女は少しだけ冷静さを失っていた。
「「…………」」
現在の戦況は膠着状態にある。キサラギはユリの攻撃を恐れて迂闊な攻撃を控え、ユリは調査の名目で来ている以上、この場でキサラギを殺すつもりは無かった。
その証拠に魔力の矢を始めとした下級の魔術しか使用していない。彼女が最初から殺す気なら問答無用で上級の魔術でシェラと一緒に吹き飛ばしている。
彼女はこの場に“魔神”と傭兵の調査に来たのだから――
ユリは先程までのキサラギの動きを回想し、評価を付ける。
(確かに動きだけなら騎士団でも通用する――が、魔力を扱えないのは致命的だ)
並みの魔術士が相手ならあの連射可能な銃で障壁を突破して打倒することも出来るだろう。
しかし予想通りユリのような宮廷魔術士が相手では勝利することは不可能だ。
(奴に勝機は無い。冷静な判断力があれば逃げることを選択する。勝つのは無理でもあれだけ動けるんだ。一人なら離脱することも可能だろう)
だが、現実は違う。キサラギはシェラを護る為に今もユリに立ち塞がっている。
「随分と義理立てするのだな? 傭兵」
気が付けばユリは目的とは関係のないことを口走っていた。
調査という意味では正しい問いだが、ユリが純粋にキサラギの行動に疑問を持っていたのも事実である。
まさかキサラギも戦闘中に話し掛けて来るとは思っていなかったらしい。それでも時間稼ぎになればと、あくまで警戒を解かずに質問に答える。
「仕事だからな。傭兵業は信頼が命なんだよ」
確かに尤もらしい理由ではある……が、この場面で本物の命より信頼を優先する筈がないことは、同業者ではないユリにもわかる。
「くっくっ……少しお前に興味が湧いたぞ」
「そいつは光栄だね。“魔族”は“人間”が嫌いだったんじゃないのかよ?」
「ふん、それはお前には当て嵌まらないだろ? 傭兵」
「…………」
ユリが挑発的な笑みで答えると、キサラギが目を細めた。どうやら頭も相当に回るようだと、ユリは自分の中でキサラギの評価を一つ上げる。
「いつまでも“傭兵”では呼び難い。少し遅れたが互いに自己紹介といこうではないか?」
「確かにお前じゃ呼び難いな」
「私はユリ・ハイゼンベルグ――帝国所属の宮廷魔術士だ」
「……キサラギだ。大層な肩書きは無い。ただの傭兵だ」
「ふん、ただの傭兵、か」
「…………」
キサラギの簡素な答えにユリは益々関心を深める。彼がユリとの会話を続けるのは頭の中で打開策を模索しているからだろう。冷静に自分の置かれる状況を分析して思考する姿は、帝国を牛耳る諸侯の老人達には無いものだった。
(あの老害共は自分達の驕りにすら気付いていないのだろうな)
そうでなければ正体不明の“魔神”を仲間だとは言わないだろう。
ユリはキサラギへ調査隊の目的を話した。
「この場所には調査の為に来た。尤も私は付き添いだがな」
「お前が付き添いだと?」
「ああ、そうだ。陛下の御下命を受け部隊を編成したが、私など所詮はお飾りだろう。調査隊の大半は西天騎士団の者だし、実質的な指揮を執っているのはアルフォンス・アルノルト様だからな」
ただしユリも団長のアルフォンスが、長年のライバルと決着を付けるべく絶賛私闘を繰り広げているとは夢にも思わなかったが……
「なっ、西天騎士団って、それにアルフォンス・アルノルトといえば帝国屈指の騎士! エリート中のエリート部隊じゃないの!?」
予想外の大物の名前にシェラが悲鳴を上げる。
「ふん、あの小賢しい結界を張ったのは貴様か? 術式は高度であったが術の強度が低過ぎる。簡単に解除出来たぞ」
「くっ! ぐぐぐ……」
一瞬、シェラは状況を忘れ悔しさに歯噛みする。しかし無闇に敵を刺激するのは愚かだと、自分を戒めた。
「さっきも言ったが私の目的は“魔神”の調査だ。“魔神”について知ってることを話せ」
ユリはあえて断定するように話を進める。彼女の使命は“魔神”の実態を調査し、皇帝に報告することだ。
(だが、それだけでは駄目だ。折角あの老害共がくれた好機……みすみす逃すのは勿体無い)
人間達を恐怖され、今後も大陸を震撼させるであろう“魔神”……接触を図る機会はこれからもそう多く持てない筈だ。
「“魔神”? さて、何のことやらさっぱりだが――」
「惚けるのは止せ。グラナ砦を落したのはキサラギ、お前なのだろう?」
「「ッ!?」」
ユリの核心を突く発言に二人は目を見開く。キサラギは直ぐに表情を消すが、シェラの方は明らかに動揺していた。
「“魔神”はこの屋敷にある(・・)のだろう?」
「お前…………一体何者だ?」
ここに来て初めてキサラギの瞳にユリへの明確な敵意が宿る。翡翠色の瞳が真っ直ぐにユリを睨み付けていた。
ユリのセルディオの住人ならしないだろう言い回しから彼女への警戒心を強めたのだろう。
「ただの宮廷魔術士さ。まぁ、地方の弱小領主でもあるがね」
「ちっ、簡単に教えてくれる気はないか」
「教えるのはお前の方だ、キサラギ。ここで私相手に時間を稼ごうと、直に他の隊員が“魔神”を見付け出す」
アルフォンスが駄目でも彼の部下達は既に屋敷内を調査している。“魔神”のような巨体がいつまでも見付からない道理は無い。
「さぁ、大人しく“魔神”に関して知ってる情報を話せ」
ここに決着は付いた。まだユリもキサラギも共に致命傷を負ってはいないが、状況は彼女の勝利は揺ぎ無いと雄弁に語っている。
ユリはこの冷静で口の減らない傭兵が、一体どんな顔で悔しがるのか興味もあった。
キサラギへ視線を戻す……が、事実は彼女の予想と全く異なっていた。
「それは…………良いことを聞いたな」
キサラギが薄く笑みを浮かべる。その笑みにユリは理由も無く悪寒が走った。普通ならただのハッタリとも取れる言葉だったが、ユリは微塵もそうは思わなかった。
「それは一体――」
どういう意味だ?
そう続けようとしたユリの声は誰にも聞こえなかった。
『GuuUuoOoooOooAaaAaaa!!!』
地を揺らすような大咆哮が響き渡る。聞いたこともない声だった。一体どんな生き物が上げる声なのか、まるで魂に響くような不気味な咆哮は、ユリの声など容易く掻き消す。
そしてソレが一体何の声だったのか、ユリは直ぐに思い知らされる。
「ば、馬鹿な……何故、何故、“魔神”が動いている!?」
見上げた先には悠然と立ち上がる巨大な影――漆黒の“魔神”の姿があった。
ユリは知らなかった。キサラギには“魔神”を動かせる相棒が居ることを――
『GuuUuoOoooOooAaaAaaa!!!』
「ひっ!? な、ななな、何なのよ!? 人様の屋敷で次から次へと……」
響く謎の咆哮にシェラが身を縮める。しかし緊張の連続で遂に糸が切れたのか、彼女はとうとう泣き言を漏らし始めた。
だが、キサラギはこの場に居ない相棒に密かに喝采を送っていた。
(よし、ナイスタイミングだ。リート!)
恐らく今まで裏地の【シュナイト】の中でキサラギの合流を待っていたのだろう。
一向に現れないキサラギに業を煮やしたのか、はたまた調査隊に見付かったからなのか不明だったが、遂に一人で【シュナイト】を動かしたのだろう。
(ま、操縦者無しだから色々と機動に制限が掛かってる筈だけどな)
しかし形勢は動いた。何せこちらには文字通り最強の援軍が約束されたのだ。
先程のユリの言葉にもあるように魔術障壁も機工戦騎のパワーなら突破出来る筈である。
「くっくっくっ……形勢逆転だな? ユリ・ハイゼンベルグ」
「はっ! そ、そうよ! 【シュナイト】が来るなら大逆転だわ!」
イヤッホォォー! と、シェラは諸手を挙げて喜んでいたが、キサラギはそう楽観視もしていなかった。
さっきまでユリは明らかいキサラギ達を下に見ていた。障壁の絶対性から油断していたと言っても良いだろう。
だが、それとは逆に今の彼女は危険だった。
「…………」
魔族の証である金眼は鋭くキサラギの挙動を観察している。そこには手加減など入る余地も無く、全力でこの苦境を打開しようという決意が見えた。
(窮鼠猫を噛む、か……いや、この場合むしろ鼠はこっちか?)
キサラギ達と【シュナイト】の距離はまだ遠い。そもそもユリが搭乗する暇を与えてくれるとも思えなかった。
「シェラ。俺から離れるな」
シェラの細い腰に手を回す。彼女を連れていつでも逃げられるよう備える。
「え? あ……う、うん」
キサラギの真剣な様子から状況を正しく認識したのか、はしゃいでいたシェラは頬を赤く染めて大人しくなる。
その向こうでは【シュナイト】が足元の侵入者を散らす為に足踏みしていた。お陰で地面が揺れてしかたがない。
(ここはシェラの安全第一に……いや、待てよ?)
ふと、キサラギの脳裏にある可能性が過ぎる。
それは買い物の時――あの時、彼女は腰に何を挿していた?
それは講義の時――あの時、彼女は何を見せてくれた?
「すまん。シェラ」
「ちょ、ちょっと、キサラギ!?」
一言謝罪するとキサラギはシェラの腰周りを調べる。突然の奇行にシェラが慌てるが、キサラギは無視した。
「え? それって――」
「しっ、静かにしろ」
うっかり口を滑らせそうになるシェラの口を右手で強引に塞ぐ。ユリからはシェラの陰に隠れて見えないだろうが、キサラギの左腕には予想通りの物が確りと握られている。
「ちっ、時間を無駄にした。お前が“魔神”の主じゃない以上、のんびりとしている暇はない」
ユリはリートの動かす【シュナイト】を見てキサラギが持ち主じゃないと勘違いしたようで、手早く二人を始末することにしたらしい。
「直ぐに終わらせてやる。大気に漂う精霊よ。我が意に従い顕現せよ」
ユリの周囲に漂う“魔力”が淡く輝き増す。先程までとは比べ物にならない輝きだった。
キサラギの脳裏に先日の講義でシェラが言っていた台詞が過ぎる。
『下位の魔術は一瞬しか発光しないから、キサラギも万が一にも戦う時は周囲の“魔素”の流れに気を配ることね』
(畜生、“魔素”の流れなんかわかるかよ!)
だが、逆に見えている物もあった。
「全てを燃やす灼熱の火よ。今ここに終焉をもたらせ」
(発光が継続している! それが意味するのは――)
即ちユリが上位の魔術を放つつもりである、ということであった。
そう判断するとキサラギの行動は迅速だった。
「うおおぉぉーー!」
左腕に握る切り札――刻印銃を向けて咆える。引き金を持たないソレは使用者の意思に反応し、銃身に刻まれた術式を起動させる。
それはユリが最後の呪文を唱え終わるより、僅かに先んじていた。
「かはっ!?」
放たれた魔力の弾丸は、真っ直ぐにユリの魔術障壁を貫く。
魔力の篭らない弾丸ではユリの魔術障壁を破れない。だからキサラギは同じ魔力による攻撃を思いついたのだ。
だが、刻印銃を使うには一つだけ問題がある。
今のキサラギにはあの時のような魔晶石の腕輪は無かった。これでは肝心の魔力を銃に注ぐことが出来ない。
だが、結果はそうはならなかった。
「ば、馬鹿、な……」
信じられない、という顔でユリは力なく倒れ伏す。どうやら殺傷力は低くくても、相手の意識を刈り取ることは出来たらしい。
倒れる彼女からは血の一滴すら零れていない。
「はは……最高のプレゼントだったな」
キサラギの左腕で青い宝石の腕輪が煌めく。青空みたいに真っ青な宝石がはめられたソレは、シェラに貰った“翻訳”の腕輪である。魔晶石のはめ込まれた腕輪は、周囲の“魔素”を吸収し“魔力”へと変換する。
「ありがとよ……シェラ」
「ふ、ふん。私の頭脳に感謝しなさい」
改めて礼を言うキサラギに、わかっているのかシェラは同じ言葉を返す。
それでも照れくさいのか、あの時と同じようにそっぽを向いた。
どうも、如月八日です。
今回も書き上がった分を投稿します。
今回はサブタイトルがすんなり決まらず頭を悩ませました。
すんなり決まる時は呆気なく決まるのですが、悩む時は一時間近く悩んだりした時もありました。
次話も書き上がり次第、投稿します。