12.宮廷魔術士
「「はあぁぁーー!」」
交差する刃が甲高い音と共に火花を散らす。
本来ならば屋敷の正面を飾る美しい庭園は、訪れる客人を華やかに迎える筈だったが、今は二人の老人が刃を交える物騒な空間へと変貌していた。
「でぃえぇぇぁー!」
アルフォンスの直剣がブライを唐竹に割るべく、肉厚の刃が一直線に振り下ろされる。
“剛剣”――その剣は彼の豪快な性格を表すかのように真っ直ぐだ。
「ふっ!」
風を切り迫る刃をブライは一寸の見切りで回避。空かさず鞘から剣を抜くと、アルフォンスの首筋へ鋭い一撃を繰り出す。
“柔剣”――最小限の動きで攻撃を捌き、急所への一撃で敵を屠る。合理的な思考を常とするブライの性格を表していた。
「おっと……」
しかし両者の実力は拮抗していた。アルフォンスはブライの一閃をまるで予知していたように避ける。
互いに必殺の一撃がやり過ごされる。
「「はっ!」」
ブライの蹴りとアルフォンスの拳が交差し、互いに腕と足で防御される。
全くの互角である。両者は互いに致命の一撃をいれるべく剣を交わし合うも、その攻防は完全な引き分けに終わった。
「う、嘘だろ」
騎士の一人が呆然と呟く。口に出したのは一人だが、周囲の者も同感である。
帝国屈指の剣士。その剣技だけで一兵士の身分から現在の地位まで上り詰めた尊敬すべき人物だ。
だが、今回の敵はそんな団長と互角の戦いを繰り広げている。それはアルフォンスの強さをよく知る部下達にとっては、まさに悪い夢のような光景だった。
二人の剣が交差する。もう何度目かわからない衝突は、やはり決着が付かずに終わった。
「「…………」」
二人は無言で剣を構える。両者の距離が開くと絶え間なく続いていた激戦に、一時だが空白が生まれる。
「くっくっくっ……滾る。血が滾るのう」
「相変わらずの戦闘狂ですか……変わりませんね。アル」
「ふん、変わらんのはお互い様じゃ。相も変わらず清ました顔をしておるが、お前も内心では楽しんでおる。違うかのう?」
「いいえ、私の使命はここを護ることです。闘争に喜悦を感じる趣味はありません」
「ほう? お前がそこまで入れ込むとは……随分とこの屋敷に拘ってるようじゃのう」
「ちっ、勘の鋭さも衰えていないようですね」
アルフォンスは昔から勘が良い。それは先程までの戦闘においても遺憾なく発揮されていた。
「お前もこんな秘境に篭っていたにしては剣のキレは衰えていないようじゃな」
「こう、無礼な客が多くては腕が鈍る暇もありませんよ」
「くっくっく……“魔神”の調査で来てみたが、これは是が非でも調べたくなったぞ」
「さっさと帰って欲しかったのですが失敗しました。これは長引きそうです」
数度だけとはいえ、ブライは剣を交えてみて理解していた。
剣や格闘ではアルフォンスの方に分がある。才能にも恵まれ、皇帝に仕えて戦場で技を磨いてきたアルフォンスには敵わない。
それは彼らが同じ師を仰いでいた頃から変わらない事実でもあった。
(しかし勝敗は腕っ節だけで決まるものではありません)
ブライにはアルフォンスには切れない手札がある。
「すぅー……はぁ―」
ゆっくりと息を吸い込み吐き出す。心を鎮めて周囲から“魔素”を取り込む。
体内で変換された“魔力”が燐光となってブライの全身から立ち昇る。
「大地よ」
起動の呪文を唱え“魔術”を完成させる。極々短い時間で紡がれたのは、己の肉体を強化する魔術だ。
「ふむ、やっと本気になったようじゃな。火付きの悪い奴め」
「性分ですからね。あなたも“魔術”は苦手でしょう?」
「わしには剣がある。小手先の技など必要ない」
「頭の固い人です。その小手先の技に勝てなかったのを忘れたのですか?」
「ふん、わしの記憶が確かなら負けてもおらん」
これまでの戦績は全戦引き分けに終わっている。数十年と会っていなかった二人だが、互いに同門のライバル同士――互いに決着を望んでいた。
「今日で決着を付けてやるぞ! ブライ!」
「望む所です! アル!」
二人は再び駆け出して行く。両者の激突で大気が震える。
柄にもなく熱くなっていたブライは気付かなかった。
今も主の身に危険が迫っていたことを……
強引に結界を破ったアルフォンスの侵入はシェラにも感知されていた。
「ちっ、仕事よ。キサラギ」
「侵入者か?」
「そうよ。随分と察しが良いわね」
「ここは大事な拠点だ。屋敷内の情報は逐一入るようになっている」
『主に私が頑張った成果です』
屋敷内にはナノマシンの子機が無数に漂っている。結界内では“魔素”の干渉も受けないので、ナノマシンという“目”を持つリートに把握出来ない場所など無い。
「頼りにしているわ。きっとブライも迎撃に出ているでしょう。あんたは私の護衛を優先しなさい」
「了解した。敵の数はわかるか? リート」
『正門から四人……いえ、五人です。とんでもなく強い老人がブライさんと戦っています』
「ブライと? 並の相手ならブライと切り結ぶことすら出来ない筈よ」
「なら、敵は並以上の強さなんだろう」
『どうしますか?』
「そうだな……」
今のキサラギはいつもの軍服に拳銃とナイフしか装備していない。相手がブライ以上の実力者である可能性があるなら頼りない戦力だ。
「弾数も心許ない。【シュナイト】の所まで移動する」
「ええ、エスコートは任せるわよ?」
「俺にマナーを期待するな」
シェラの軽口にキサラギは冗談で返すと彼女の手を引き裏地へ向かう。シェラの格好はいつも通り白衣なので、あまりスピードを出せそうもない。
二人は早足程度の速さだが順調に【シュナイト】を目指す。
しかし不意にシェラが歩みを止めた。
「え、嘘ッ!? ちょ、ちょっと待って、キサラギ」
「どうした?」
目に見えて狼狽えるシェラの姿に、キサラギの脳裏に最悪の予想が過ぎる。
だが、事態はキサラギが考える“最悪”ではなかった。
「不味いわ。屋敷の結界が完全に解除されたみたい」
「何? おい、それじゃまさか――」
『マ…タ…! 通……態が…』
リートの声にノイズが走った。彼女の本体は新装備の点検の為に【シュナイト】の中にある。
「“魔素”は空間に均一に存在しようとする性質があるの」
「くそっ、外から“魔素”が流れ込んで来るってことかよ」
“魔素”の濃度が高かければナノマシンの通信は阻害される。状況は奇しくも先程のシェラがした仮説を証明する形となっていた。
「良かったな。仮説が証明されたぞ。さすがは天才だ」
「もう! 皮肉を言ってる場合じゃないわよ。強敵と交戦中とはいえ、ブライが目の前でむざむざ結界の解除を見過ごす筈がないわ」
「なるほど、少なくとも結界を解除したのは別口……別働隊が居ると見る方が自然か」
生憎と今はリートと連絡が着かないので確認するのは無理だが、事態の悪化はキサラギにも理解出来た。
「ちっ! 少し急ぐぞ」
「え? ちょ、ちょっと、キサラギ!?」
キサラギはシェラの手を引き寄せると、その小柄な身体を小脇に抱え走り出す。シェラのペースに合わせる必要がなくなったので、キサラギもナノマシンで強化された身体能力をフルに利用して走れる。
殆ど飛ぶように屋敷の廊下を爆走するキサラギ、腕一本で抱えられたシェラには堪ったものではない。
「ちょっと淑女に対してこの扱いはないんじゃないの!?」
シェラは自分の扱いに憤慨する。確かに脇に抱えて運ぶ姿はまるで荷物を扱うようで、若い女性を運ぶにしては色気が全くなかった。
「言っただろ? 俺にマナーを期待するな」
「うがぁーーー!」
ニヤリと笑うキサラギにシェラの怒りが臨界点を超える。
手足を振り乱して咆える彼女だったが、【シュナイト】へ向かう途中で中庭に辿り着くと、その光景に息を呑んだ。
『グルルルッ……』
群れを率いて獲物を襲う魔犬“ヘルハウンド”が八匹――剥き出しの牙から涎を滴たらせてキサラギ達を出迎えていた。
「キ、キサラギ……」
シェラが不安げな瞳でキサラギを見上げる。
「こいつ等が結界を破ったのか?」
「違うわよ!」
キサラギは微塵も動じていなかった。
「こいつ等は森の魔物よ。結界が無くなったから入って来たみたいね」
「わかった。少し下がってろ」
シェラを抱えたままでは戦い難いので、彼女を立たせると拳銃を抜く。無駄弾を撃つ気はないが、今は時間が惜しい。
『ガアァァーー!』
キサラギを囲んでいたヘルハウンドの半数が一斉に飛び掛る。残る半数は獲物が避けた先へと飛び掛かれるよう身構えていた。
キサラギは素早く視界に入った二匹に狙いを付ける。引き金を引くのは二回だけ、弾は無駄にしない。
「ッ!」
放たれた弾丸は寸分違わず魔犬の眉間を打ち抜く。威力が強過ぎるのか撃たれた魔犬は頭部が弾けて肉塊となっていた。
しかし二発では二匹までしか対処出来ない。
「はっ!」
逆手に持ったナイフを振り返りざまに一閃する。それだけで背後から迫っていた二匹は首を刎ねられ絶命した。
ナイフには血糊一滴も残っていない。最先端の科学技術を凝らして研磨された白刃は、ナイフでさえもセルディオのどんな刃より鋭かった。
『グ、グルル……』
たった一度の攻防で魔物の本能は、キサラギとの絶対的な実力の差を悟らせる。機を窺っていた残りの四匹はすっかり及び腰になっていた。
「す、凄い……」
シェラは思わず感嘆の息を漏らす。ヘルハウンドを圧倒したキサラギの戦闘力は彼女が知るブライに匹敵するだろう。
「いいえ、もしかして身体能力だけならキサラギの方が――」
シェラがぶつぶつと呟いている間、キサラギは油断無く残るヘルハウンドを睨み付ける。既に勝てないことを悟っている魔犬達は、キサラギの重圧に屈した。
一頭が踵を返すと残る三匹も後に続いて行く。
「行ったようだな。シェラ」
「な、何かしら?」
「他の魔物が侵入していると思うか?」
「ああ、それなら大丈夫よ。“魔の森”の魔物は縄張り意識が強いから、自分より強い者の縄張りを侵そうとはしないわ」
ヘルハウンドが侵入して来た以上は、他の雑魚が屋敷に近付くことはないだろう。それに大型の魔物は森の大半が消し飛んだ所為で、そもそも森から出てしまっている。
「そうか。ならこの足音は侵入者の方だな」
「は?」
状況が呑み込めず疑問符を浮かべるシェラに背を向け、キサラギは中庭を林へと銃を構える。その先には屋敷を囲む塀があった。
結界が消えた今、塀は乗り越えられる障害物でしかない。
「なっ!?」
そしてキサラギの言う通り、シェラ達の前で塀を飛び越え侵入して来る者が現れた。
侵入者の姿を目視したキサラギは眉を潜める。
「女、か」
侵入者は人間であれば二十代にも満たない少女の姿をしていた。シェラと同じ艶やかな黒髪を腰まで伸ばしている。女性らしい起伏に富んだ身体から判断するにシェラよりも年上だろう。
何より少女の浅黒い肌と金眼を見れば、何者であるかは明白であった。
「魔族……帝国の輩か」
しかしシェラはキサラギとは別の点に着目していた。
「漆黒のローブ……宮廷魔術士ね」
「宮廷魔術士?」
初めて聞く言葉に背後に庇うシェラに視線をやる。無論、敵に付け入られるような迂闊な隙は作らないよう配慮する。
「魔術士に送られるセルディオで最高位の称号よ。“人間”と“魔族”が争う遥か昔から存在するの」
だが過去に比べて大陸内でも複数の国家が乱立し、南北で“人間”と“魔族”が対立するようになってしまってからは、その選定の基準も大きく変わってしまった。
種族的に“魔術”の扱いが巧みな“魔族”だけの国家では、 “宮廷魔術士”の選定基準も厳しくなるのは必然である。
「この女が帝国の宮廷魔術士だとしたら……」
それはセルディオでも屈指の“魔術士”であることを意味していた。
シェラから講義を受けているとはいえ、キサラギにとって“魔術”とは未だに謎の技術であることに変わりはない。
「なるほど、それは強敵だ」
キサラギは油断なく右手で拳銃を、左手でナイフを逆手に構える。
既に臨戦態勢を整えているキサラギとは裏腹に、少女は気負った様子もなく、探るようにキサラギを見詰めていた。
その視線はやがて背後のシェラへと向かう。
「金眼の人間だと? いや、そうか。そういうことか」
少女は一人で納得するように頷くと、途端に顔を顰める。その瞳には暗い嫌悪の感情がありありと浮かんでいた。
「貴様、出来損ないの混ざり物だな?」
「ッ!」
「ふん、こんな所にこそこそと隠れ住んでいる筈だ。貴様ら混ざり物に安寧の地など無いからな」
「くっ……」
シェラは悔しそうに俯く。普段の彼女なら得意の頭脳で猛然と言い返しそうなものだが、今の彼女は好き放題に言われても黙って耐えていた。
「おっと、雇い主への暴言はそこまでだ」
「雇い主? そうか貴様が……」
先程と同じ探るような視線が頭の上から爪先まで這い回る。少女は銃口を向けるキサラギに問い掛けた。
「一応だが名前を聞いておこう。人間」
「ただの傭兵さ。悪いが侵入者は追い出すよう言われているんで、な!」
威嚇の意味を込めて少女のギリギリ真横を通り過ぎるよう発砲する。
放たれた弾丸はセルディオでは考えられない速さで迫り――少女の近くで弾けた。
「何!?」
「馬鹿! 魔術障壁よ!」
予想外の結果に僅かだがキサラギの注意が逸れる。
この時のキサラギは知らなかったが、戦闘時に“魔術士”は自身の周囲を変換した“魔力”を循環させて生み出した障壁で覆っているのだ。
「ちっ!」
咄嗟に横へ跳ぶ。直後に一筋の光がキサラギの横を通り過ぎる。
「あ、ぐぅ……」
「キサラギ!?」
シェラの声に反応したお陰で直撃は避けられたが、僅かに掠った脇腹から血が流れた。
駆け寄ろうとするシェラを制止し、キサラギは少女を見上げる。
「随分な挨拶だったな? 傭兵」
「はっ、生憎と育ちが悪くてね。マナーを期待するのはお門違いだ」
「口が減らない奴だ。立て、その程度の傷は平気だろう?」
「ちっ、おまけに油断もしない、か」
苦悶に歪めていた表情を一転、キサラギは何事も無かったように起き上がる。
傷は既にナノマシンが修復している。掠り傷なら数秒で完治する筈だ。
だが、状況はキサラギにとって不利だった。
「信じられない。キサラギの銃を弾くなんて……」
シェラは先程のヘルハウンドとの戦闘を見ているので、キサラギが持つ銃の威力は理解しているつもりだった。
しかし少女はその銃弾を魔術障壁だけで防いでしまった。
「これが宮廷魔術士の力だって言うの」
“魔術障壁”とは詠唱も必要とせず、“魔素”の変換という術者にとっては呼吸同然の行為によって発生する。言ってしまえば“魔術”の副産物でしかない。
その強度は術者の技量によって左右される訳だが、宮廷魔術士ともなると単純な物理的防御力では破城槌の一撃すら耐えると言われている。
「銃が効かないとは……」
まさかキサラギも“魔術”で拳銃の弾をあっさりと防がれるとは思っていなかった。
更に純粋な魔術士と戦った経験が無いこともマイナスだ。初戦から大陸でも片手の指で足りるような凄腕が相手では僅かな油断ですら命取りとなる。
「残念だったな、傭兵。少しでも魔力があれば別だが、物理的な力だけで私の障壁を抜くことは不可能だ」
「!?」
不適に笑う少女にキサラギは違和感を覚える。
(何故そんなことがわかるんだ?)
セルディオの住人なら赤ん坊でも“魔素”を感知し、個人差こそあっても“魔力”に変換することが出来る。
だがキサラギにはそれが出来ない。セルディオの住人なら当たり前に出来ることが出来ないのだ。
「まぁ、尤も“魔神”のような巨体であれば力付くで抜くことも可能だが、な?」
(この女……何か知ってるのか?)
疑問は尽きないが、状況はキサラギに考える暇を与えてはくれない。
相手が何者であれ、少女にキサラギの攻撃が通じないのは事実だった。
(それにさっきの攻撃で、この女は詠唱をしていない)
キサラギが回避した先を盗み見る。その先にあった花壇は光の道筋に沿って大きく抉れていた。
もし少女が全力で“魔術”を行使すれば一体どれだけの威力があるのか想像も付かない。
「これが“魔術”……セルディオの力か」
キサラギの頬を一筋の汗が伝う。背筋に鉄の棒を差し込まれるような、その感覚はキサラギにとっては馴染み深くもあり、また最近は忘れがちだった感覚を蘇らせる。
それは“畏怖”――キサラギがこの星に来て初めて流す冷や汗だった。
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