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10.信頼

「お嬢様。一大事でございます」

 夜になって帰って来たブライは青褪めた顔でシェラに報告する。寡黙な従者の常にないような慌てぶりに、シェラは自然と作業の手を休めて話を聞く姿勢を取った。

「グラナが“魔神”に襲撃されました」

「…………そう、随分と大胆なことをしたのね」

 シェラはブライの言葉を額面通りに受け取らず、その裏にある真意を瞬時に見抜く。

 彼が言う“魔神”とは伝説のソレではない。

「キサラギを呼んでちょうだい。少し話したいことがある、と」

「畏まりました。お嬢様」

 ブライは丁寧に一礼しキサラギを呼びに行った。

 室内に残されたシェラの視線は雑多に物の置かれた研究室で、ぽっかりと空いている場所へと吸い寄せられる。

 そこはシェラがキサラギに講義をする際の特等席だ。

「キサラギ……」

 セルディオの外から来た傭兵――シェラに雇われた人間。

 無愛想で食い意地の張った青年――シェラに対しても遠慮なく物を言う無礼な男。

 彼との出会いはまだ一週間程だが、シェラには彼が屋敷に居ることが既に当たり前ことのように感じていた。

「リート……」

 姿無き不可思議な存在――キサラギの相棒。

 丁寧な物腰の女性――話の合う初めて出来た同性の話し相手。

 彼女とはまだ話したいことが山のようにあった。

 だが、今回の話は別だ。

「私に無断で砦を襲撃するなんて……馬鹿な真似をしてくれたわ」

 キサラギは“グラナ砦”を襲撃するという意味を理解していないのだ。あそこは“人間”が持つ対魔族の最前線。決して落ちてはならない防壁なのだ。

 そんな所を刺激すれば敵にするのはロキア王国だけではない。下手をすればセルディオ中の国家を敵に回してしまう。

 そうなれば如何に機工戦騎が巨大でも勝ち目は無い。一国の軍が相手でも手に余るであろうに複数の国から軍を送られてはシェラ達の未来は破滅だ。

「きちんと説明して貰うわ。キサラギ」

 彼らが何故そんな馬鹿げたことをやったのか、シェラには聞く権利がある。それは雇い主であるシェラが持つ絶対の権利だ。

 そして事と次第によって、シェラは決めねばならないだろう。

「契約を解消するか、否か」

 隠れ住んでいるシェラの立場としては、護衛を依頼したからには外でキサラギが派手に暴れるのは好ましくない事態だろう。

 彼の申し開き次第によっては、シェラも本気で解雇を考えていた。

「お嬢様。キサラギ様をお連れいたしました」

 それから数分もせずにブライがキサラギを連れて戻って来る。風呂上りなのかキサラギはいつもの軍服ではなく、以前にシェラが買った草色の服に着替えていた。

「遅れてすまん。作業で少し汚れたから先に風呂を借りてた」

『厚かましいマスターですいません。シェラさん』

 いつもの調子でキサラギは気安く話し掛けて来る。そんなキサラギの態度にリートは申し訳なさそうに謝罪する。

 そのやり取りを普段と何ら変わらない。この一週間ですっかり日常となったことだ。

「別に良いわ。それより聞きたいことがあるの」

 シェラは僅かに生まれる躊躇いを胸の奥へと押し込むと、事前に用意していた問いを投げ掛けた。

「外でブライが面白い話を聞いて来てくれたわ。なんでもグラナ砦を“魔神”が襲ったそうなのだけど……」

「げっ……」

『はぁーだから私は反対だったんです』

 改めて返事を聞くまでもなかった。キサラギは実にわかり易い態度で狼狽え始める。その一方でリートはこうなることを予想していたのか落ち着いていた。

「それでキサラギ。どうしてグラナを襲撃したの?」

「返答次第では――」

 背後に控えたブライが腰の剣へと手を掛ける。この距離は既にブライの間合いだ。

 今回ばかりはシェラもブライを制止するつもりは無い。

「わ、わかった。ちゃんと説明する。だからまずは俺の話を聞いてくれ」

「ええ、ちゃんとした理由を聞かせて貰いましょうか」

「うっ……早まったかもしれん」

『観念しましょう。マスター』

 シェラの迫力にキサラギも腰が引けていた。リートの言葉に背を押されて何とかキサラギは弁明を始める。

「砦を襲撃したのはミスリルがあったからだ」

「ロキア王国がマオルベルグから買い集めた装備のことね?」

「ああ、真っ当な手段じゃ俺が望む量は手に入りそうもなかった。だから手っ取り早く強奪することにしたんだ」

「そんな気軽に言わないで欲しいわ」

「いや、思った通り簡単だった。【シュナイト】で城門に突っ込めば一発だった」

「ねぇ、あなた馬鹿でしょ? いいえ、絶対に馬鹿ね。そうに決まってるわ」

「おいおい、酷い言われようだな」

「当たり前でしょうが!? あんたが軽々しく突っ込んだのはセルディオで最も危険な門なのよ」

 おまけに時期も最悪であった。両者が戦争を控えて一触即発の状態の時に正面から砦に殴り込むなど馬鹿げている。言語道断であった。蛮勇どころの話ではない。

 しかしキサラギは先程とは一変して妙に落ち着いていた。

「傭兵は勝算のない戦いはしない。成功すると確信していたから実行したまでの話だ」

「成功ですって?」

「そうだ。ちゃんと目的のミスリルは奪取したんだ。【シュナイト】の修理も既に完了している。後は追加の装備を開発するだけなんだ」

「まだ話の途中よ。ブライ」

「…………」

 咄嗟に剣を抜きそうになったブライを止める。ブライは無言で柄に掛けた手を下げる。

 今のは危なかった。事態の深刻さをまるで理解していないようなキサラギの物言いは、ブライの神経を逆撫でし過ぎている。

「キサラギ。あなたは自分がしでかしたことを理解しているの?」

「勿論だ。王国に喧嘩を吹っ掛けたことになるな」

「この――」

 この期に及んでまだ緊張感のないキサラギの言葉にシェラの思考が赤熱する。そのまま引っ叩かなかったのは、単にシェラが口で言うタイプだったからに過ぎない。

 “錬金術師”として常に思慮深く物事を考察するよう心掛けているシェラは、あくまで心情を感じさせない静かな口調でキサラギに確認しようとした。

「ええ、そうよ。わかっているなら、何故そんな馬鹿げたことを――」

「それしか依頼を遂行する方法が無いからだ」

「なん……ですって?」

「お前は最初に言った筈だ。この屋敷は“魔族”と“人間”の双方に挟まれている。そして自分は逃げるという選択肢はない……何処へ行こうと安息の地は無い、と」

「確かに言ったわ。だけどそれが一体どうしたって言うのよ?」

「俺が受けた依頼は“護衛”だ。お前を護る為には力が要る。そして俺が持つ力とは機工戦騎――【シュナイト】をおいて他は無い」

「馬鹿! あんたは何も分かってないわ。その為に王国を敵に回しちゃ意味がないじゃない!」

 物分りの悪いキサラギにシェラは声を荒げる。

「いいや、違うな。分かってないのはお前らの方だ」

 そんなシェラをキサラギは片手を上げて制し、言葉を続ける。

「お前らはきちんと機工戦騎の力を理解していない」

「機工戦騎の……」

「力……ですか?」

 キサラギは堂々と言い切る。そのあまりに自信有り気な態度にシェラとブライは気圧されてしまう。

「どう噂されているかは知らんが、砦を襲った“魔神”は人間に退治されたのか? むしろ守備隊を退けて無傷でミスリルを奪って行ったんじゃないか?」

「あ……」

 シェラもその事実に思い至り小さく声を上げる。

「気付いたようだな。それに今はミスリルが手に入って補給の当てもある。例え国家と敵対しても構わない。俺はそれを撃破する自信があるぞ」

 不遜――国さえも敵にして勝利すると断言するキサラギの姿はどこまでも不遜であった。

(本気……なんだわ)

 キサラギは自分の勝利を微塵も疑っていない。それは彼の態度を見れば一目瞭然である。シェラは自分が勘違いをしていたことに気付く。

(考え無しの馬鹿なら叩き出してやるつもりだったけど……)

 キサラギは本気でそう考えている。シェラにとっては荒唐無稽な話でも、それはキサラギという異邦人からすれば当たり前のことなのかもしれない。

 結果として話は一つの要点に集約される。

(私がキサラギのことを信じるか――それとも信じないか)

 シェラの取れる選択は二つに一つであった。

 彼と出会ったのはつい先週のことだ。信頼という点でいえば、シェラとキサラギの関係など精々が出来たばかりの友人程度でしかない。

 だからシェラが素直にキサラギのことを信じることは難しいだろう。

「本当に大丈夫なんでしょうね?」

 しかしシェラには他に選択の余地はないのかもしれない。

 機工戦騎という魅力的な研究材料――それは彼女が求める理想の“力”だ。

 その“力”の持ち主はニヤリと不適に笑う。

「ああ、任せておけ」

 キサラギは力強く断言する。その姿に頼もしさを覚えてシェラは僅かに微笑む。

『「…………」』

 お互いに仕える主の意を汲んでリートとブライは、そんな二人を静かに見守っていた。

 

 

 それから明けた翌日。“ヴァーリス帝国”の最前線――“ゲシュト砦”でユリ・ハイゼンベルグは調査の準備に追われていた。

 最年少で宮廷魔術士の試験に合格した才女も、元は僻地の弱小領主であることに変わりはない。今回のように皇帝直々の命令で“魔神”の調査を依頼された訳だが、実際に用意出来る人員は少ない。

 魔物や盗賊の多いハイゼンベルグの治安を考えれば、ユリが調査隊に割ける人数はどうしても限られてしまった。

 勿論、アスラ皇帝もそのことは承知している。彼女のような若い力を潰してしまうのは彼も本意ではない。だから彼女の為に助っ人を用意していた。

 部下に指示を出していたユリの下へ禿頭とくとうの男がやって来る。

「ふむ、準備は順調なようだのう。ハイゼンベルグ卿」

 そう言って男は気軽な調子でユリへと声を掛ける。男は人間で言うと初老程度の外見で、頭部は草一本生えぬ荒野であった。

 対照的にその身体は屈強で衰えを感じさせない。帝国の象徴である黒の鎧を身に纏う騎士であり、肩には近衛騎士の証たる真紅のマントを羽織っていた。

 ユリは相手の姿を確認すると居住まいを正して敬礼で応える。

「はい、もう間も無くで完了します。アルフォンス様」

 アルフォンス・アルノルト――皇帝の剣である近衛騎士団の一角。西天騎士団の長を務める男だ。魔族でも高齢の100歳を超える老体だが、先代の皇帝より仕える忠臣でその剣腕は人間の国にさえ知れ渡る程の達人である。

「はは、こんな老骨に敬語は無用だぞ」

「いえ、アルフォンス様のような偉大な方に敬意を払うのは当然です」

「そうか……先日の会議では肝の据わった女傑だと聞いておったのだが、残念だ」

「何と言われようと駄目です」

 しょんぼりするアルフォンスにユリは頑として譲らない。同じ老人が相手でも諸侯の狸爺共とは大違いの態度だった。

 元よりユリは規律を重んじる真面目な性格だ。アルフォンスのような立派な先達に対して相応の敬意を払うのは当然の反応であった。

「それで兵は後どれ程で出せるかのう?」

「大所帯では“魔神”を刺激する恐れがあります。それは陛下の本意ではないでしょう。今は西天騎士団から人員の選出を行っています」

「我が精鋭から更に絞ると言うか! はっはっは、これは傑作だ」

「はい、陛下のご期待に応える為に必要ならば……」

 ユリも自分が生意気なことを言っている自覚はある。西天騎士団と言えば帝国でも精鋭しか入団を認められない最高峰の騎士団だ。そんな誉れ高い団員に対してユリがメンバーの選定を行うなど反発されてもおかしくはない。

 それに団長の立場からすれば手塩に掛けて育てた部下を小娘に選り好みされるのだ。あまり好い気はしないだろう。

「うむ。その意気や良し! 存分に選ぶが良いぞ。うはははっ!」

 しかしアルフォンスはユリの言葉を豪快に笑い飛ばす。さすがは皇帝が最も信頼する騎士の一人だ。並みの騎士とは器が違う――ユリは心中で老騎士に対する評価を更に上げた。

(しかし陛下は随分と“魔神”を警戒しているようだ)

 彼程の人材を調査に寄越すとは皇帝が掛ける相当の意気込みが感じられる。

 ユリは砦の城壁から眼下の様子を見下ろす。石造りの砦内を兵士達が慌しく動き回っている。ユリやアルフォンスの目的は“魔神”だが、彼がせっせと働いているのは“人間”の襲撃にも備えているからだ。

 そう思うとユリの脳裏に一つの疑問が浮かぶ。彼女は折角なので偉大なる先達の意見を聴いてみたくなった。

「アルフォンス殿は“人間”のことをどう思っているのですか?」

「ほう? “人間”か、うーむ……」

 老年の魔族なら過去の遺恨で人間を恨む者も多い。歴戦の騎士ともなれば並みの老人達とは違う考えを持っているかもしれない。

 そんな期待を込めてユリは答えを待っていた。

「“斬れば真っ赤な血を噴く”」

「は?」

 想像もしなかった答えに思わず呆けて聞き返す。それは無礼な態度であったが、あまりに予想も付かなかったアルフォンスの言葉にユリは軽く動揺していた。

「師匠の受け売りだ。人も魔族も斬れば等しく同じ色の血を流す。魔物だってそうだ。色が違うのも居るが斬れば皆一緒だ。血を流し止らねば……いずれ死ぬ。それだけだ」

「随分と変わった方だったんですね」

「そうだな。だが剣の腕は本物だったぞ。いや、あれはもう怪物と言うべきだな。弟子のわしらは稽古の度に毎回殺されると喚いておった」

「は、はは……」

 乾いた笑いしか出なかった。帝国でも随一の使い手と噂されるアルフォンスにそんな台詞を言わせる師の実力は、魔術の天才と評されるユリにとっても雲の上の話であった。

「さて、今度はわしから質問しようかのう。卿は今回の“魔神”についてどう考えておる? 単独で砦の一つを陥落させる程の力……恐ろしいとは思わんか?」

「そうですね。“魔神”を相手に自分の力が通じるとは思えませんが、帝国の脅威となるかは見極めておきたいと考えています」

「ほう? 謙虚な答えじゃのう。卿のような才気溢れる若者なら多少の驕り位はあるものじゃが……」

「いえ、自分の実力はよく理解しているつもりです。分不相応な行いは我が身を滅ぼします。父が良い例でした」

 ユリの父は領地の改革に乗り出して失敗。挽回すべく努力したが、幾年と続いた激務に耐えかねて病に倒れた末に死んだ。

「若い者は無鉄砲な位が丁度良いのじゃがのう」

「申し訳ありません。これでも領民の生活を背負っています。無茶は出来ません」

「そうか……なら尚のこと不思議じゃな」

「不思議、とは?」

「卿からは気負いが感じられん。口では無茶は出来んと言っておるが、今回の作戦はかなり危険じゃ……それはわしが増援として来たことからもわかるじゃろう?」

「はい。確かに調査任務にしては物々しいです」

 調査隊にはミスリルの装備は支給されず、代わりに鋼鉄を魔術で何重にも鍛え上げた特製装備が支給されている。これでは調査というよりは尖兵だろう。

「実はな、わしは陛下から殺れるようなら“魔神”を斬れ、と命じられている」

「ッ!? それは本当ですか? アルフォンス様」

「ああ、最終的な判断はわしに任せるそうじゃがな」

「それは……」

 つまり皇帝の期待するユリの仕事はアルフォンスの護衛だ。皇帝が調査をユリに任せたのも、彼女が諸侯の中で柔軟な発想を持っていたからに過ぎない。

 自分は陛下に期待されている訳ではない。ユリは動揺したりしなかった。

 元より分を弁えるという信条の彼女が、この程度のことで取り乱したりはしない。

「じゃがのう。正直に言ってわしは怖い」

「怖い? アルフォンス様のような方でも恐怖を感じるのですか?」

「そりゃそうじゃよ。今も震えで小便ちびりそうじゃ」

「…………」

「嫌そうな顔をするな。安心しろ、ここで本当にちびったりせん」

 おどけた調子であったが、アルフォンスの言葉は真剣であった。

 ユリは自然と彼の言葉に耳を傾ける。

「さっきも言ったが、卿は“魔神”が怖くないのか? 相手は砦を破壊するような伝説の化け物なのかもしれんのだぞ」

「しかし陛下の命です。私は帝国の臣です。主君の命には命を賭して従います」

「ふむ。卿のような若者が命を賭けねばならん。嫌な時代になったもんじゃのう」

「そうですね。私もそう思います」

 世を嘆くアルフォンスにユリは賛同し頷く。

 しばらくするとアルフォンスの部下が彼を呼びに来て、この場は解散となった。

「…………」

 去り行く騎士の背をユリは能面のような無表情で見送る。

「早く終われば良いんです。こんな時代は」

 彼女の零した小さな呟きを聞き咎める者は誰も居ない。

 調査隊が出発するまでもう時間がなかった。


どうも、如月八日です。少し遅くなってしまいましたが更新します。

感想やご意見などがある方は気軽に書いてください。

まだまだ未熟者なのでご意見やご感想は大変参考や励みになります。

次回も書き上がり次第に投稿する予定です。



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