9.伝説
「ふぅー【シュナイト】の改修も一段落だな」
屋敷の裏地に寝そべる【シュナイト】の上で、改修作業を終えたキサラギは額に浮かぶ汗を拭う。季節は夏――空は抜けるように青く日差しの眩しい晴天だ。
シェラの講義から三日が経った。キサラギがセルディオに来てから既に一週間になる。
元々面倒見が良い性格のシェラはあの後も何度か講義を開こうとしたが、キサラギはその度に遁走した。
キサラギはシェラの目を盗んで【シュナイト】の改修作業が進めて、今日になってようやく作業が完了したのである。
『機体消耗の心配は無くなりました。そうなると後は“武器”が必要です』
「弾丸の生産は無理なんだな?」
『はい。機工戦騎用の重火器となるとサイズが違います。この屋敷にそれだけの設備はありません』
「まぁ、ミスリルを確保出来ただけよしとするか」
グラナ砦から強奪したミスリルにはまだまだ余裕がある。それに【シュナイト】が元々装備していた盾やライフルは残っていた。
『ライフルは出力不足で撃てません。自動盾はレアメタル製なので、加工すれば武器に転用することも可能でしょう』
「新しい武器か……」
勿論、機工戦騎用の武器なのでサイズも巨大だ。自動盾のレアメタルにも限りがある。必然として新しく製作する武器も厳選せねばならないだろう。
それにグラナ砦を襲撃した時も感じたことだが、今後も大型の建築物を破壊することもあるだろう。
『ここは、やはり接近用の武器を作るべきです』
「奇遇だな。俺も同じことを考えていたぞ」
『弾薬の製造が望めない以上、重火器は不要です。なら【シュナイト】の体格を活かせる格闘用の武装が理想的でしょう』
「その様子だと既に案があるんだな?」
『はい。ブライさんに聞いたのですが“剣”はどうでしょう?』
「なるほど剣か……」
真っ先に思い浮かぶのはブライの剣だ。二人と初めて出会った時に、喉元へ突き付けられた白刃――冷たい刃の感触はまだ記憶に新しい。
しかしキサラギは剣を使ったことはない。宇宙が主戦場となる機工戦騎は遠距離戦を想定した射撃武装を重視する。キサラギもその例に漏れず、これまで格闘用の武装は殆ど使用したことがない。
『接近戦の適正はあると思います。追い詰められれば、咄嗟に機工戦騎で“蹴り”を繰り出すようなマスターですし……』
「嗚呼……そんなこともあったな」
リートの言葉にレオンとの初戦闘を思い出す。あの時も接近戦を挑んで来る【テュラン】をキサラギは反射的に蹴り飛ばしていた。
「思えばあの野郎に目を付けられたのも、アレが原因だったのかもな」
『それでどうしますか? マスター』
「うーん。俺が剣を使うのか……どうもピンとしないんだよな」
『難しく考える必要もありません。あくまで“剣”は選択肢の一つです。問題は何を仮想敵とするかですね』
「そうだな、セルディオの一般的な歩兵を仮想敵とするか。それとも【シュナイト】と同格の敵――【テュラン】を相手と想定すべきか」
『マスターはあの男もこの星に来ていると考えているのですか?』
「確証は無い。だが、あの男との因縁がこの程度で終わるとも思っていない」
『しかし【テュラン】の背部には追加ブースターが付いていました。【シュナイト】と違って、この星の重力圏を離脱することも可能だったと思います』
「相手が普通の傭兵ならそうだが、相手はあのレオンだ」
レオンがキサラギに執着していることは明らかだ。そもそもキサラギがセルディオに来る切っ掛けとなったホールも【テュラン】の荷電粒子砲が原因で発生している。おまけにホールに呑まれた理由も【テュラン】だった。
「我ながら思い出すと腹の立つ話だな」
『もう過ぎたことです。それより今後のことを考えましょう。【テュラン】との戦闘を考慮するなら武装の選択はとても重要です。慎重に決めなくてはなりません』
「そうだな。【テュラン】が相手なら不慣れな武器では遅れを取る可能性が高い」
『あまり猶予は無いかもしれません。作業を急いだ方が良いでしょう』
「ああ、わかってるさ」
その為に多少目立ってしまう可能性を無視して、強引な手段でミスリルを確保したのだ。レオンを相手に出遅れる訳にはいかない。
この時のキサラギは認識が甘かった。彼はセルディオの住人が、自身を脅かす可能性を持つ“敵”だという事実を認識していなかった。
シェラの講義は今も時間を見付けては続けられていた。新しい装備の開発に行き詰ったキサラギは作業を中断して、彼女の研究室へと向かっている。
『煮詰まった時は気分転換も重要です。勉強は幾らしても足りません』
そんなリートの有り難い言葉を貰ったキサラギは足取りも重く扉を開く。今日もシェラは朝から研究室に篭って研究に明け暮れていた。
「あら? キサラギが自主的に来るなんて珍しいわね」
「口煩いお目付け役が居るからな」
「はいはい、そうよね。突然あんたが修学精神に目覚める訳がなかったわ」
シェラは大袈裟に肩を竦める。それでも既に手慣れたもので、呆れながらも手際よく机の上を片付けて講義の用意を整えていた。
「そうだ。今日は講義して欲しいことがあるんだよ」
「め、珍しいわね。あんたが講義してくれだなんて……今日は槍でも降るのかしら?」
本気で気味悪がられた。普段のキサラギが講義に対して、如何に不真面目だったのかを窺わせる反応だった。
『自業自得です。普段の行いが悪いからですよ。マスター』
「あ、リートも居たのね」
『当然です。私は常にマスターと共にあります』
「ふふ、そうだったわね。それでキサラギは一体何が聞きたいのかしら?」
「“魔神”について聞きたい。教えてくれ」
「“魔神”? それって伝説に登場するあの“魔神”?」
キサラギの口から“魔神”という言葉が出たのが、余程意外だったのかシェラは呆けたように聞き返す。
「買い物の時にそんな単語を聞いたんだよ」
「そうなの? だけど今更になって聞くなんて随分と唐突ね」
シェラもキサラギとの付き合いこそ浅いが、ある程度はその性格を理解している。確かに現実主義者のキサラギが、純粋な好奇心で伝説を聞きたがるとは思わないのだろう。
キサラギは尤もらしい理由をでっち上げた。
「傭兵は利用出来るモノなら何でも利用する。【シュナイト】はあの通りの外見だからな。敵が勝手に“畏怖”してくれるのなら、それを利用しない手はない」
「へぇーキサラギもちゃんと考えて行動してるのね」
『「…………」』
シェラに自覚は無いのだろうが、彼女に無断で砦を襲撃したキサラギには耳に痛い言葉だった。
「そういう理由ならキチンと説明してあげる。セルディオで“魔神”と言えば伝説はコレしかないわね」
シャラは本棚から一冊の本を抜き取る。黒い表紙のいかにも古めかしい本だった。
目的のページを開くとキサラギへと手渡す。どうやら今日はコレが教科書の代わりのようだ。
「これは……随分と汚い本だな」
外見も古いが中身も相当古いようだ。日に焼けた紙面には記号のような文字で埋められている。また挿絵の載っている部分には、大地に倒れる翠色の人形と天に浮かぶ輝く女性が描かれていた。
「これが“魔神”なのか?」
「そうよ。天空に住まう“女神キュクレ”と“魔神”の対立による結末よ」
『“女神キュクレ”というのはセルディオで信仰されている神様ですか?』
「大陸で最も信仰されている神様よ。大昔の伝説にも名前が残ってるから分かると思うけど、今も広く信仰されているセルディオでも最古の、そして最大の宗教ね」
「ふん、宗教に興味はない。それでこっちの無様に倒れてる奴が“魔神”なんだな」
「無様って……まぁ、確かに“魔神”も伝説では噛ませ犬の扱いだけどね」
『噛ませ犬なんですか?』
「ええ、“魔神”の伝説は要約すると、女神と敵対していた“魔神”が戦いに敗れて大地に落されて朽ち果てたって話なのよ」
「争う経緯とかははっきりしていないのか?」
「大昔の御伽話だからね。そこら辺は色んな文献が存在していて、はっきりとした原典は残されていないわ」
『紙も無い時代なら情報の劣化や変質はよくある話でしょう』
「そうね。だけど“魔神”の伝説には共通する点もある」
そう言ってシェラは挿絵を指差す。それは先程の地に伏す魔神とそれを天から見下ろす女神が対照的に描かれていた絵であった。
「前半部は不明でも話の最後だけはどれも一緒よ」
「“魔神”が負けて大地で朽ちた――か」
「そうよ。戦いに敗れた“魔神”がセルディオで朽ちたという記述は、どの文献にも共通して見ることが出来る特徴なの」
『こう言った御伽話は何らかの原型が存在するものです。何か名所や曰くがあるのではないですか?』
「ええ、リートの言う通りよ。“魔神”が何処に落ちたかは明確ではない。だけど伝説の通り“魔神”が存在した証拠なら存在する」
シェラが本棚から別の本を取るとキサラギへと手渡す。今度の本は先程の古書より幾分か新しい。あまり日に焼けていない小奇麗な表紙は近年に製本された物だった。
「セルディオ秘宝辞典?」
金色の文字で書かれた題名は“通訳”の魔術でキラサギにも読むことが出来た。
“魔神”の伝説からどうしてお宝の話になるのか、理解出来ないキサラギは首を傾げる。
シェラは黙ってあるページを開いて見せた。
「“覇王の武具”……これが“魔神”と一体何の関係があるんだ?」
「関係なら大有りよ。それは“魔神”の亡骸から造り出された伝説の武具なの」
「これが“魔神”から造った武具……」
それは挿絵なので判然としないが奇妙な武具だった。
まず目に付くのは色だ。それはミスリルとも違う翠色の輝きを持つらしい。原料が生物とは思えないような金属質の光沢は、ミスリルとは別種の存在感を持っていた。
「ん? この色は……」
しかしキサラギはその色を何処かで見た気がした。それはリートも同じだったようでキサラギよりその早く答えを導き出す。
『マスター。紙の資料なので断定は出来ませんが、これはレアメタルではないでしょうか?』
「おお!? 確かに外見はレアメタルの特徴と一致するな」
【シュナイト】は宇宙空間での隠密性を重視する為に黒く塗装しているが、本来のレアメタルは翠色をしている。
秘宝辞典に載っている“覇王の武具”は、原料のレメタルとよく似た色をしていた。
「ど、どうしたのよ? レアメタルがどうとか叫んだりして……」
「いや、レアメタルの当てが見付かったかもしれないんだ」
「本当!? あ……でもそれならブライは無駄足だったかもしれないわね」
今日もブライは町で買い物と情報収集を行っている。確かに意外な所からレアメタルの情報が手に入ったので、彼の行動は無駄足だったかもしれない。
「ああ、それで“覇王の武具”は一体何処にあるんだ? シェラ」
「勿論それは……あ――」
不意にシェラが言葉に詰まる。それは何か大事な見落としに気付いたかのようだった。
表情が固まったシェラを気遣ってリートが心配そうに声を掛ける。
『やはり古い物なので紛失してしまったのですか?』
「いえ、それなら大丈夫よ。“覇王の武具”の所在ならはっきりしているわ」
「なら他に何か問題があるのか?」
「大有りだわ。“覇王の武具”は全てセルディオでも有数の国が管理している――つまり国宝級の代物なのよ」
「なるほど……それは確かに難しいな」
国宝を手に入れようとすれば、確実に国家と敵対してしまう。【シュナイト】の力があれば国一つを滅ぼすことも容易い。
しかし今のキサラギにソレを行う気はなかった。
「まぁ、話を戻すが“魔神”の伝説は判然としていないことはわかった。それならある程度は好きにやっても誤魔化しが効くな」
「どうするつもりよ?」
「【シュナイト】の外見はセルディオじゃ目立つからな。伝説の“魔神”ってことにすれば外敵の撃退に少しは効果があるだろう」
「はは~ん、なるほどね。中々に良い手じゃない。確かに機工戦騎の巨体なら“魔神”と勘違いされてもおかしくないわね」
『そうですね。徹底した“畏怖”の対象となれば敵対しようとする者も減るでしょう』
「ああ、なら外観はソレっぽい方が良いだろうな」
新装備は“魔神”のイメージに即した物を選ぶのも良いかもしれない。
それからキサラギは日が暮れるまでの間、シェラとリートと【シュナイト】の新装備について話し合った。
キサラギがシェラに“魔神”の伝説について講義を受けている頃、ブライは“ボーレル”という都市にやって来ていた。
“ボーレル”は“ドグラ山脈”の険しい山肌を切り拓き作られた都市である。帝国領の端に位置する地方都市だが、それと同時に独立した一つの国でもある。
辺鄙な立地条件から都市としてあまり発展はしていない“ボーレル”だが、ここには他国のように他種族への規制が存在しない。なので“ボーレル”は“魔族”と“人間”の商人が、互いの品物を流通させて貿易することが可能な唯一の窓口であった。
「いつ来ても賑やかな場所ですね。ここは」
その為に“ボーレル”では“魔族”と“人間”の両方の情報が手入る。ブライが買出しの場所に“ボーレル”を選んだのもソレが理由であった。
賑やかな露天商を冷やかしながらブライは、いつもの執事服である店を目指す。
そこはまだ開店前の酒場だった。彼は躊躇うことなく店内へと足を踏み入れる。
「お客さん。開店は日が沈んでからだぜ」
「そう言わないで下さい。これでも常連のつもりなんですよ?」
「おっと、ブライさんか。こいつはすまねぇ」
入って来たのがブライだと気付くと、店主の男はグラスに酒を注ごうとする。
「いえ、飲み物は水で結構です。何か面白い話を聞かせていただけませんか?」
真面目な従者であるブライは、毎度のやり取りに苦笑し手で制す。そんなブライに店主は呆れたようにお決まりの文句を口にした。
「相変わらず真面目な人だ。それで? 今日はどっちの話が聞きてぇーんだ?」
「ええ、今日は奮発して両方の話が聞きたいんです」
「ほぉ、両方って言うと結構長くなるぜ。良いのかい?」
ブライはシェラを守る使命がある。今までもこうして一人で買出しや情報収集に来ることはあったが、時間を気にして常に最短の時間で済ませていた。
「構いませんよ。最近は心配事も一つ減りそうなので」
「そいつは良かった。なら、こいつはお祝いだ」
「これは……しかし今は仕事中です」
「気にするな。度数も低い安酒だ。それに魔族なら一杯だけじゃ酔いもしねぇーよ」
「……そうですね。では、ご好意に甘えましょう」
ブライは差し出されてグラスを煽る。確かに度数も低い安酒なのだろうが、グラスには丁寧に砕いた氷が浮いており、程よく冷えた酒が乾いた喉を潤す。
今日のような少し熱い日には嬉しい気遣いだった。
「さて、それじゃ先ずは南の方から話そうか。へへっ……南にはとっておきのネタがあるんだぜ」
ここで言う“南”とは大陸の南側――総じて人間の国家に関する話題である。
「驚くなよ? 何とグラナ砦に“魔神”が現れたらしい」
「ぶほッ!?」
「うお!? お、驚くなとは言ったが、そんなに驚くことねぇーだろ」
「ゴホッ! ゴホッ!」
「もしかして酒は駄目だったか?」
「い、いえ……大丈夫です。続きを聞かせてください」
「お、おう。なんでも砦を全身真っ黒な“魔神”が襲ったらしくてな。保管してあったミスリルを全て食っちまったらしい」
「…………」
「直接砦を襲われた王国は“魔神”を討伐すると息巻いてる。共和国は“魔神”の目的がミスリルだってんで、鉱山を含めた“マオルベルグ”の警備で手一杯。聖国は聖国で伝説級の化け物が現れて噂を聞いた信徒共の対応で、神官共は毎日お祈りしているらしい」
「…………」
「そんな訳で今の南は大慌てだ。とても帝国と戦争なんて出来そうもない。“魔神”だかなんだか知らねぇーが、化け物が出て来たお陰でセルディオに暮らす者同士で殺し合う必要がなくなるってのも皮肉な話だよ」
そう言って店主は物憂げな顔でグラスを磨く。しかしこの時のブライは彼に言葉を返している余裕など無かった。
「よし、お次は北の話だ。こっちは臨時で諸侯会議が開かれたらしい。さすがに詳細な内容は分からねぇーが十中八九で“魔神”の件だろうな」
都市国家として独立している“ボーレル”も、形式上は帝国の領内に存在する。近隣の諸侯からあまり干渉されないが、逆に帝国内の情報は容易に入手することが出来た。
「各領地から援軍を派遣させて軍を編成しているらしい。それと噂なんだが老人共がハイゼンベルグ領で何かやらかす気らしい」
「ハイゼンベルグ領ですと?」
聞き慣れた地名にブライが反応する。衝撃的な情報に麻痺していた意識が覚醒した。
帝国領でも北端の小さな領地だが、シェラやブライにとっては馴染み深い地名だ。
「ああ、陛下の命令で領主の嬢ちゃんが“魔神”の調査隊を指揮することになったらしいんだが……どうやら嬢ちゃんの留守を狙って老人共が何か企んでいるらしいんだよ」
「何故そのようなことに?」
「会議で老人共の機嫌を損ねたみたいでな。最近になってハイゼンベルグにきな臭い連中が集められているらしい」
「…………」
「噂じゃ領主の留守を狙って野党共を暴れさせるんじゃないかって言われているぜ」
「そうですか……ハイゼンベルグの領主も大変ですね」
「ああ、若いってだけでも大変だろうに治める領地があの荒れようだ。こりゃハイゼンベルグはもう終わりかもな」
同情するよ、と店主は他人事の様子でその後も話を続けた。それからブライは夕方になり酒場が開店準備を始めるまで店主から情報を聞くと、手早く買い物を済ませてシェラの屋敷へと帰って行った。
しかしブライは店主の話に含まれたある事実を見落としていた。
普段の彼ならそんなミスは絶対に犯さないのだが、この時のブライは少なからず動揺していて、冷静な判断力を失っていた。
結局、ブライがその事実に思い至るのはもう少し後のことだった。
どうも、如月八日です。今回も更新が遅れてしまいました。
風邪も完治して体調も良好なのですが、最近は以前に比べて執筆速度が落ちて来ています。
なので以前のように4日おきの更新は難しそうなので、今後は週1更新を目指して投稿するつもりです。
勿論、早く書き上がれば直ぐにでも投稿するつもりです。




