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私の嘘を信じてください!!

作者: ふたーなる
掲載日:2026/10/09

(姫)

「殿下。私、呪われているんです」


そう告げると、アルノー殿下は目を丸くした。


「呪い?」


「はい。満月の夜までに、真実の愛を育むことができなければ、私は死んでしまうのだそうです」


もちろん、嘘だった。そんな呪いなど、私の家には伝わっていない。そもそも、呪いにかかっているという話自体、今この場で考えたものだった。

けれど、ほかに方法が思いつかなかったのだ。

私はアルノー殿下が好きだった。

初めてお会いしたときから、ずっと。

殿下は誰にでも優しかった。身分の低い者にも、失敗をした者にも、分け隔てなく微笑みかける。私が何気なく話したことを覚えていてくださったり、困っているときに手を差し伸べてくださったりしたこともある。


そのたびに、私は期待した。

もしかしたら、私のことを特別に思ってくださっているのではないか、と。

しかし、そんな期待はいつも裏切られた。

殿下にとって、私は大勢いる知人の一人にすぎないのだ。

それでも好きだった。

だから、最後に一度だけ、夢を見てみたかった。


「……私に、できることはあるかい?」


殿下は、私の話を疑わなかった。

その優しさが、今はひどく苦しかった。


「真実の愛を育めば、呪いは解けるのだろう?」


「……はい」


「なら、私が君を救うよ」


ああ。

この人は、本当に優しい。

だからこそ、私はひどい嘘をついている。


「ありがとうございます、殿下」


私は笑った。

泣いてしまわないように、精一杯笑った。



***

(王子様)

正直に言えば、私は困っていた。

イリスが呪われているという話を、信じていないわけではない。いや、正確には、信じるしかなかった。

彼女はひどく真剣な顔をしていたし、嘘をついているようには見えなかった。

それに、もし本当だったら。


彼女が死んでしまうとしたら。

私は、何もしないでいることなどできなかった。


「真実の愛、か……」


私は執務室で一人、ため息をついた。

恋愛というものが、私にはよくわからない。

もちろん、誰かを大切に思うことはある。家族も、友人も、臣下たちも。


しかし、それが恋愛感情なのかと聞かれれば、答えに困ってしまう。

イリスのことだって、嫌いではない。

むしろ、好きなほうだと思う。

だが、それは彼女を恋人にしたいという意味ではなかった。


それでも、彼女を救うと約束したのだ。


「……やるしかないか」


私は本を閉じた。

恋愛について書かれた本を何冊読んだところで、答えが見つかるとは思えなかったが。

少なくとも、何もしないよりはましだろう。



***


最初の数日は、ひどいものだった。

私はイリスを食事に誘い、庭園を散歩し、彼女の好きな本を尋ねた。

しかし、何をしてもぎこちない。


「殿下、今日はどうなさったのですか?」


「どう、とは?」


「いつもより、ずっと私に優しい気がして」


「……いつも優しくしているつもりだけれど」


「ふふっ。そうですね」


彼女は嬉しそうに笑った。

その笑顔を見ると、私は少しだけ安心した。

これでいいのだろうか。

彼女が喜んでくれるなら、きっと間違ってはいない。

そう思っていた。


ところが、一週間もすると、妙なことが起こり始めた。

イリスが笑っていると、私も嬉しくなった。

彼女が好きだと言った菓子を見かけると、つい買ってしまった。

彼女がほかの者と楽しそうに話していると、なぜか声をかけるタイミングをうかがってしまう。


そして、別れ際に彼女が寂しそうな顔をすると、もう少し一緒にいたくなった。

おかしな話だ。

私は、彼女を救うために一緒にいるのだ。

それなのに、彼女と過ごす時間を、いつの間にか楽しみにしていた。


「殿下?」


「……ああ、すまない。少し考え事をしていた」


「お疲れなのですか?」


「いや。大丈夫だよ」


そう答えると、イリスは私の顔をじっと見つめた。


「無理はなさらないでくださいね」


その言葉に、胸の奥が温かくなった。

私は思わず笑ってしまった。


「ありがとう、イリス」


彼女も笑った。

その瞬間、私は思った。

この笑顔を、ずっと見ていたい。

……いや、違う。

彼女を救わなければならないからだ。

そう、自分に言い聞かせた。



***


(姫)

殿下と過ごす日々は、夢のようだった。

朝にお会いできるかもしれないと思うだけで、目覚めるのが楽しみになった。

殿下が私の好きな本を覚えていてくださったときは、嬉しくて仕方がなかった。

私が話している間、殿下はいつもきちんと耳を傾けてくださる。


時には、私の話など退屈ではないかと思うこともあった。

けれど、殿下は決して話を遮らなかった。

私は、その優しさが好きだった。

そして、そんな殿下が、少しずつ変わっていくのを感じていた。

最初はどこか遠慮がちだったのに、最近は殿下のほうから話しかけてくださる。

私が何かを言おうとすると、先に気づいてくださることもあった。


もしかしたら。


もしかしたら、本当に。

そんな期待をするたびに、私は自分を責めた。

これは嘘なのだ。

私は呪われてなどいない。

満月が来ても、死んだりはしない。

それなのに、殿下は私を救おうとしてくださっている。


私は、なんて卑怯なのだろう。


「イリス?」


「はいっ」


「どうかしたのかい?」


「い、いえ。何でもありません」


殿下は少し心配そうな顔をした。


「そうか。何かあったら、いつでも話してほしい」


「……ありがとうございます」


私は俯いた。

もう、十分だった。

これ以上望んではいけない。

殿下の優しさを、これ以上利用してはいけない。


満月まで、あと三日。


私は、その日にすべてを終わらせると決めた。



***


(王子様)


満月まで、あと三日。

私は、イリスの部屋を訪ねた。

最近、彼女の様子がおかしかったからだ。

以前よりも笑顔が減り、時折、何かを言いかけては口を閉ざす。


私が彼女を救うと約束したのに、何か不安にさせることをしてしまったのだろうか。

そんなことを考えながら扉を叩くと、彼女はすぐに出迎えてくれた。


「殿下……」


「少し、話をしないか?」


彼女は頷いた。

部屋に入ると、イリスはベッドの端に腰掛けた。顔色が悪い。


「大丈夫かい?」


「……はい」


「本当に?」


彼女は、しばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと顔を上げた。


「殿下。私、謝らなければならないことがあるんです」


「謝る?」


「はい」


彼女の手が、小さく震えていた。


「……実は、嘘なんです」


意味がわからなかった。


「何が?」


「呪いです。そんなもの、最初からなかったんです」


私は言葉を失った。

イリスは俯いたまま、続けた。


「殿下に、好きになってほしかったんです。私のことを、特別に思ってほしかった。だから……あんな嘘をつきました」


声が震えていた。


「ごめんなさい。殿下が私を救おうとしてくださったことも、一緒に過ごしてくださったことも、全部、私が嘘をついたせいです」


私は、すぐには何も言えなかった。

怒るべきなのだろうか。

騙されたのだから、そうする権利はあるはずだ。

けれど、彼女の顔を見ていると、そんな気持ちは少しも湧いてこなかった。


ただ、悲しかった。

彼女が、こんなにも苦しんでいたことが。

そして、私自身が、何も気づいていなかったことが。


「……どうして、今になって話してくれたんだい?」


「これ以上、嘘をつきたくなかったからです」


彼女は涙をこらえていた。


「殿下は、優しい方です。私が呪われていると言ったから、助けようとしてくださった。私が喜ぶから、一緒にいてくださった。でも、それは……」


彼女は唇を噛んだ。


「本当の気持ちじゃないんです」


その言葉に、私は胸を突かれた。

本当の気持ち。

私は、彼女と過ごした日々を思い返した。

彼女が笑ったとき、嬉しかった。


彼女が好きだと言ったものを見つけると、教えてあげたくなった。

彼女と別れるとき、もう少し一緒にいたいと思った。

それらはすべて、彼女を救うためだったのだろうか。

私は、そう思っていた。

そう思おうとしていた。


けれど。


「……イリス」


「はい」


「君が呪われていないのなら、もう、私が君を救う必要はないのだね」

彼女は、小さく頷いた。


「……はい」


「では、もう一つ聞いてもいいかな」


私は、彼女の目を見た。


「君は、私と一緒にいたいと思ってくれているのかい?」


彼女は驚いたように顔を上げた。


「……え?」


「呪いがなくても。私が君を救わなくても。君は、私と一緒にいたいと思う?」


彼女は、しばらく何も言わなかった。

やがて、その瞳から涙がこぼれた。


「……はい」


小さな声だった。

けれど、確かな答えだった。


「私は、殿下が好きです。ずっと、ずっと好きでした。殿下が私を好きでなくても、一緒にいられるだけで幸せでした。でも……本当は、私を好きになってほしかった」


私は、その言葉を聞いて、ようやく気づいた。

彼女は、私を騙した。

けれど、彼女の気持ちまで嘘だったわけではない。

そして、私もまた。


「……そうか」


私は、彼女の隣に腰を下ろした。


「私も、君に謝らなければならない」


「殿下が、ですか?」


「ああ。私はずっと、君を救わなければならないと思っていた。君と過ごす時間が楽しくなっても、それは君を救うためなのだと、自分に言い聞かせていた」


彼女は、黙って私の話を聞いていた。


「けれど、君が呪われていないと知った今、私は……」


言葉が途切れた。

怖かった。

ここで認めてしまえば、もう言い逃れはできない。

彼女を救うためでも、約束を守るためでもない。


ただ、私自身が望んでいるのだ。

彼女と一緒にいたい。

彼女に笑っていてほしい。

彼女が私以外の誰かを見つめているところを想像すると、少し寂しい。

そして何より、彼女が私の隣にいてくれることが、嬉しい。


「……私は、君のことが好きなんだと思う」


イリスが息を呑んだ。


「え……?」


「いや、違うな」


私は苦笑した。


「思う、ではない。私は、君が好きだ」


言ってしまえば、ひどく簡単なことだった。

どうして今まで、認められなかったのだろう。


「君が呪われていようと、いまいと。君が私を好きでいてくれようと、そうでな

かろうと。私は、君と一緒にいたい」


彼女は、呆然と私を見つめていた。

やがて、目元を押さえた。


「……そんなの、ずるいです」


「ずるい?」


「だって、私……もう、諦めようと思っていたのに」


その声を聞いて、私は彼女の手にそっと触れた。


「すまない」


「謝らないでください……」


イリスは泣きながら笑った。


「私、今、とても嬉しいんです」


その笑顔を見たとき、私は初めて、何の言い訳もせずに思った。

ああ。

私は、この人が好きなのだ。



***


(姫)


夢を見ているのだと思った。

だって、あまりにも都合がよすぎる。

私は嘘をついた。

殿下を騙して、私を好きになってもらおうとした。

そんな私が、どうして報われていいのだろう。


「……本当に、私のことが好きなんですか?」


思わず尋ねてしまった。

殿下は困ったように笑った。


「何度でも言うよ。私は、君が好きだ」


「でも、私、嘘をついたんですよ?」


「知っている」


「殿下を、騙したんです」


「うん」


「……嫌いになりませんか?」


殿下は、少しだけ考えた。


「君の嘘は、許されることではないのかもしれない」


胸が痛んだ。

けれど、殿下は続けた。


「それでも、君を好きになったことまで、なかったことにはできないよ」


私は、とうとう泣いてしまった。

ずっと欲しかった言葉だった。

ずっと、聞きたかった言葉だった。

けれど、こんなふうに聞くことになるなんて、思ってもいなかった。


「……私、殿下が好きです」


「うん」


「大好きです」


「ありがとう」


殿下は、私の手を握った。

温かかった。

それだけで、胸がいっぱいになった。


「ねえ、殿下」


「うん?」


「私、これからは嘘をつきません」


「そうしてくれると嬉しいな」


「だから……私が殿下を好きだということだけは、信じてください」


殿下は、私の手を握る力を少しだけ強めた。


「信じるよ」


それから、微笑んだ。


「私も、君を好きだから」



***


(王子様)

満月の夜が来た。

イリスは死ななかった。

当然だ。呪いなど、最初から存在しなかったのだから。

彼女は少しだけ気まずそうにしていたが、私は彼女を責めなかった。


もちろん、すべてが許されたわけではない。

嘘をつかれたことには、今でも思うところがある。

だから、彼女には一つだけ約束してもらった。

これからは、何か不安なことがあったら、嘘をつく前に私に話してほしい、と。


彼女は真剣な顔で頷いた。

そして、その翌日。


「殿下、今日は何をなさるんですか?」


「君と庭園を散歩しようと思っていたんだけれど」


「本当ですか?」


「本当だよ」


彼女は、花が咲いたように笑った。

私は、その笑顔を見て思った。

ああ、やっぱり。


私は、この笑顔が好きなのだ。

呪いがなくても。

期限がなくても。

彼女が死んでしまうかもしれないという恐怖がなくても。


私は、彼女と一緒にいたい。


「……イリス」


「はい?」


「これからも、私と一緒にいてくれるかい?」


彼女は目を丸くした。

それから、少しだけ頬を赤くして、笑った。


「もちろんです、殿下」


私は彼女の手を取った。

今度は、救うためではない。

彼女を安心させるためでもない。

ただ、彼女と手を繋ぎたかったから。



***


(姫)


私は、あの日のことを忘れないだろう。

自分の嘘を告白したときの、殿下の悲しそうな顔。

私の言葉を聞いて、静かに考えていた殿下の横顔。

そして、私の手を握ってくださった、その温かさ。


私は、間違えた。

好きになってほしいからといって、嘘をついた。

本当なら、許されないことだったのだと思う。

それでも、殿下は私の手を取ってくださった。

そして私は、もう嘘をつかなくていい。

好きだと伝えてもいい。


一緒にいたいと願ってもいい。

殿下が私を好きだと言ってくださることを、信じてもいい。


「ねえ、殿下」


「うん?」


「私、思うんです」


「何を?」


「きっと、私たちは真実の愛でつながっているんだわ」


殿下は少しだけ目を伏せた。

それから、私の手を握り直した。


「……そうだね」


私は笑った。

殿下も笑ってくれた。

真実の愛。

それは、最初からそこにあったものではなかったのかもしれない。

私の嘘から始まった関係。

殿下の優しさに甘えた日々。


互いの気持ちがわからず、遠回りをした時間。

けれど、そのすべてがあったから、私たちは今、ここにいる。

私は、殿下の手を握り返した。

もう、何も隠さなくていい。

もう、失うことを恐れて嘘をつかなくていい。


私は、好きな人と一緒にいる。

そして、その人もまた、私と一緒にいたいと思ってくれている。

それ以上に幸せなことが、この世界にあるのだろうか。

私は、そう思った。

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