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醜いシータのおとぎ話

作者: 雛雪
掲載日:2026/04/04

 城の地下深く、日の当たらない厨房の隅で働くメイドのシータは、呪われたような醜さを持って生まれた。

 その肌は土色に濁り、重く垂れ下がった瞼の奥で、左右の焦点が合わない瞳が怯えたように泳いでいる。潰れた鼻からは常に荒い呼吸が漏れ、ひび割れた唇の間からは、不揃いで黄色く変色した歯が覗いていた。城の騎士たちは彼女を「カエル」とあだ名し、通り過ぎるたびに露骨に顔を(しか)めた。


 そんな彼女が、国の至宝と謳われるラムダ王子に恋をしていた。

 汚れ仕事を終えた夜、彼女は物陰から、月明かりを浴びて歩く王子の後ろ姿を眺める。

近寄るなど論外だ。光で伸びた自分の影が王子の靴に触れることさえ、彼女にとっては不敬で恐ろしい罪悪だった。

「どうか、あの方が健やかで、いつも幸せでありますように」

シータは王子の幸せをただひたすら願った。


 祭りの夜、華やかに着飾る同僚たちを横目にシータは一人、地下室で古い銀器を磨いていた。

「楽しそう。私も一度は行ってみたい」

悲しみに涙がこぼれ、歪んだ頬を伝ったその時、闇の中から魔女イータが現れた。


「お前に、一日だけの奇跡を授けよう。お前の清らかな魂に見合う、至高の器をね」

 魔女の杖が触れると、シータの醜悪な肉体はみるみるうちに均整の取れた美しい体になり、陶器のような肌、星を砕いたような瞳、薔薇の蕾のような唇へと変貌した。

「ただし、鏡に映る姿だけは真実のままだ。決して、人に見せてはいけないよ」

 シータは喜んで町へと出掛けた。


祭りの喧騒を遠くに聞きながら、人混みの中に一人、夜露に濡れた花のような美しさを湛えたシータがいた。

そこに、お忍びで町を歩いていたラムダ王子の瞳が吸い寄せられるように彼女を捉え、その瞬間、町の騒めきは掻き消された。


提灯の明かりが途切れ、夜風が少し冷たさを帯びるまで、二人は歩き続けた。人混みの中で触れそうで触れない二人の指先が、言葉以上の熱を帯びて語り合う。

気がつけば町の喧騒はもう、遠い異国の出来事のように霞んでいた。


 二人は夜通し語り合い、シータの清廉な言葉、慎み深い仕草に、王子はかつてないほど心を揺さぶられた。

「不思議だ。君の声を聞いていると、張り詰めていた何かが、ゆっくり解けていくのがわかるよ。……こんなに穏やかな気持ちになれたのは、いつ以来だろう」

 王子は彼女の手を握りしめ、熱烈に求婚した。その熱に浮かされながらもシータは、震える声で真実を打ち明けた。

「……いいえ、王子様。私は……この姿は、本当の私ではないのです。私は本当は、見るに堪えないほど醜く、誰もが顔を背けるような恐ろしい姿をしているのです」


 シータの震える告白をラムダ王子は柔らかな沈黙で受け止めた。そして彼女の怯える瞳を覗き込むように、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

「怖がらなくていい。例え君の姿がどう変わろうと、私の想いは揺るがないよ」

 王子は握った手にそっと力を込めた。

「私が恋をしたのは、その瞳の奥に宿る清らかな輝きであり、私の孤独を癒やしてくれた君の優しい言葉だ。肉体など、魂を包む器に過ぎない。もし君がどんな姿になろうとも、私は君という存在の核を、この命に代えても守り抜き、愛し続けると誓おう。私の愛は、目に見える形に縛られるほど、脆いものではないのだから」


 その言葉の重みにシータは幸せの絶頂で涙を流した。しかし、運命は残酷だった。不意に吹いた強風が、路傍の姿見の覆いを剥ぎ取った。

 鏡に映ったのは、麗しき少女ではない。濁った肌、歪んだ顔、焦点の合わない瞳で口を半開きにしている、あの「カエル」の姿だった。

「……ひっ……!」

 王子の口から漏れたのは、愛の言葉ではなく、獣のような短い悲鳴だった。彼は弾かれたようにシータの手を放した。先ほどまで「魂を愛する」と誓った瞳には、いまや底知れぬ嫌悪と、生理的な恐怖だけが宿っている。

「化け物……。なぜ、お前がここに……。寄るな、あっちへ行け!」

 あれほど言葉を尽くした愛は、真実の姿の前に、あまりにも無残に崩れ去った。


 やがて魔法が解け、元の姿に戻ったシータは城の地下へと逃げ帰った。

 一方、王子は自室に引きこもり、暗闇の中で震えていた。瞼を閉じれば、あの夜の美しい少女が微笑み、目を開ければ、鏡の中の「化け物」が網膜に焼き付いて離れない。


(あんな醜悪なものに、私は愛を囁いたのか? あの忌まわしい手を取ったのか?)

 吐き気をもよおすほどの嫌悪。しかしそれ以上に彼を苛んだのは自らの欺瞞だった。

「本質を愛する」と豪語しながら、皮一枚の真実に耐えられなかった自分の浅ましさ。彼女を「化け物」と罵り、その心を殺してしまった自分こそが、誰よりも醜いのではないか。

 高潔であろうとした彼の精神は、その矛盾に耐えきれず、音を立てて砕け散った。

「ああ……私は、救いようのない嘘つきだ……」

 虚ろな瞳のまま、王子は壁に飾られた儀礼用の短剣を手に取った。迷いはなかった。鏡に映る自分の顔さえ正視できなくなった彼は、その刃を自らの胸へと深く突き立てた。


 数日後、シータは厨房の騒ぎで、ラムダ王子が瀕死の重体であることを知る。

 自分が彼を追い詰めたのだ。自分の醜さが、彼の高潔な心を壊したのだ。

 地下の暗闇で声を殺してむせび泣くシータの前に、再び魔女が現れた。

「彼を、ラムダ様を救ってください。私の命など、いくらでも差し上げます」

「いいだろう」と魔女は嘲笑う。

「だが、代償は命だけではない。彼はお前という存在を、その醜さも、あの夜の美しさも、すべて忘れることになるがね。それでもいいのかい?」

「構いません。あの方が生きてさえいてくだされば、それだけで」


翌朝。

 王子の命は、奇跡的に繋ぎ止められた。胸の傷跡は跡形もなく消え、彼は何事もなかったかのように穏やかな眠りから目覚めた。なぜ自分が死の淵にいたのか、誰を拒絶し、誰を求めていたのか――その記憶は魔女の契約通り、塵一つ残さず消え去っていた。


 登城のため馬車に揺られていたラムダ王子は、ふと、城門の脇に人だかりができているのに気づき、御者に車を止めさせた。

 そこには、石畳の上で冷たくなった、一人の醜いメイドの亡骸が転がっていた。

 王子は馬車を降り、その死体を見下ろした。


 かつてその「魂」を命懸けで愛すると誓った相手。かつてその「醜さ」に怯え、自らの命を絶とうとするほどに追い詰められた原因。

 しかし、今の彼の瞳に映るのは、見覚えのない哀れな一人の使用人に過ぎなかった。


「……気の毒に。寒空の下、一人で逝かせてしまったのか」

 王子は悲しげに眉をひそめ、そっと傍らに跪いた。彼は汚れた彼女の亡骸を厭うことなく、その冷たい手に自分の柔らかな外套をかけてやった。

「城で働いてくれていた者だろう。寂しくないよう、野の花が咲く場所に丁重に葬ってあげなさい。彼女の魂に、安らかな眠りがあるように」

 その言葉は、国中の誰もが称賛する「慈悲深い王子」そのものだった。

 だが、彼が注いだのは一人の女への情愛ではなく、弱き者すべてに等しく分け与えられる光。横たわる彼女に、その光が届くことはもうない。


 王子はそのまま、一度も振り返ることなく馬車へと戻った。

 外套に包まれたシータの亡骸は、歪んだ唇の端をわずかに上げ、微笑んでいるように見えた。


シータは満足してます。幸せな気持ちで終わりました。

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究極の自己満足。面白い。
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