1.7 侯爵家の栄光と醜聞
もう一人の令嬢、ミラヴェルのお家のお話です。
ノックの音がした。
「ミラヴェル・グレンツタール嬢のことを調べて参りました」
グレンツタール侯爵家は、この国で知らぬ者はいない超有名上流貴族である。
数百年の歴史を誇り、建国の折に王を支えた功臣の筆頭で、王家とは幾度も婚姻を重ねている。
先代のグレンツタール侯爵は、先の隣国との戦争において、前線を支え抜いた名将である。
戦後は外交官として、見事な手腕で王国に有利な講和条約を結び、国民からも絶大な人気を誇った。
当代のヘルムート卿は、王宮財務官の重職を担い、国内の物流網を掌握すると言われた人物だ。
その一人娘が、ミラヴェルである。
母親譲りの美貌と揺るぎない家柄、財力を持つ、生まれながらの王妃候補。
幼い頃から淑女の英才教育を受け、王都の社交界の真珠と謳われた。
セシリアはその鮮烈なデビューを知っている。
2人の「成人の儀」は同時だったからだ。
この国の貴族にとって、「成人の儀」とは人生を決定づける一大イベントである。
それは年に一度、王宮で執り行われる国家的なセレモニーだ。
国王の御前へと進み、成人としての忠誠を誓う「拝謁の儀」。
そして、場所を移して繰り広げられる「御前舞踏会」。
国中の貴族が会するその煌びやかな広間は、表向きは成人を祝う場だが、実態は国内最高級の「婚姻市場」であり、同時に、次代の権力中枢を担う若者たちの将来の派閥や人脈が形作られていく政治的な社交の場でもあった。
地方の小貴族から中央の名家まで、この日のために莫大な資産を投じて着飾り、己の存在を誇示する。
当時、今のように困窮していなかったヴァルトハイム家にとっても、セシリアの「成人の儀」は一大事業だった。
長い時間をかけて全てが入念に計画され、伯爵家の誇りをかけたその支度は、どこへ出しても恥じぬ完璧なものだった。
だがミラヴェルはとにかく別格だった。
彼女が現れると、その場にいた者は皆目を奪われ、魔法にかけられたように魅せられた。
最高級で揃えた贅沢な装飾もさることながら、彼女自身の彫刻のような美しさ。
その場の全ての視線が、吸い寄せられるように彼女に集まる。
誰もが呼吸を忘れたように見惚れ、彼女が歩むあとに、ただ感嘆の溜息だけが残る。
あの日の彼女を間近で見たセシリアには、宝石のような彼女と、川辺で倒れていた青ざめやつれた彼女が同一人物とは信じられない思いだった。
「グレンツタール侯爵の失脚に纏わる情報やミラヴェル嬢の醜聞はとにかく派手で疑わしいものも多いのですが、いくつか信憑性の高そうなものをお伝えします」
王都から離れたヴァルトハイム領へも、その知らせは伝わってきていた。
皆が羨む超名門の突然の失脚はあまりにセンセーショナルで、旅人や行商人の格好の土産話となった。
酒場からお茶会までその話題一色となった王都ほどではないにせよ、ここフローリスの街でも、その噂はそれなりに人々を賑わせた。
「そもそもの発端ですが、ヘルムート・グレンツタール侯爵の収賄疑惑です。
ヘルムート卿は王都の大規模な整備事業の統括をしておられましたが、その莫大な資金と利権を巡る汚職の容疑がかけられ、現在はその任を解かれて謹慎中。
その動機として娘のミラヴェル嬢の、莫大な浪費が挙げられています」
ルーカスは報告書に顔をしかめると、濁すような口調で続けた。
「夜毎高級ワインの風呂に浸かり、賭博に興じて一晩で小国の予算程散財する、美しい異国の少年達を何人も小姓として買い上げ侍らせている、美しいと評判の娘や気に入らない使用人には圧力をかけて追い詰める、睨みつけただけで自殺に追いやられた使用人が多数、など、悪い噂で溢れていますね。同情されるどころか世間の評判は最悪です。」
確かに、セシリアがこれまで断片的に耳にしたゴシップも良い話はなかった。
(睨みつけられただけで自殺・・・それはちょっと心当たりがあるかも)
「また、ヴィクトール・フェンゼン卿と婚約していましたが、ミラヴェル嬢がセレスティナ修道院に送られることになり、解消。修道院送りはどうやら民衆の暴動を危惧したフェンゼン卿が彼らの怒りを鎮めるために動いたと見られていますが、実際その危険は高かったと思います。都市整備のための増税の後で不作が重なり、生活が苦しくなった国民の不満が強くなっていますし、その矛先を逸らす狙いがあったのかと」
「ヴィクトール・フェンゼン卿?」
「はい。ミラヴェル嬢は元は王太子妃候補でしたが、一昨年の立太子の儀の際に、和平交渉を進めていた隣国の王女との政略結婚が急遽決定したことで、それはなくなりました」
「そうだったわね。その王女を迎えることと、運河の共同開発で協定を結んだのだった・・・?」
隣国と運河の共同開発となれば、交流も活発になろうし、っxに期待が 大きな話題となった。
「その通りです。ミラヴェル令嬢の新たなお相手のヴィクトール卿はフェンゼン子爵家の次男ですが、騎士の称号を授与された、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの新進気鋭。あのヘルムート侯爵が、後継者にと目をつけるほどですから、相当な実力の持ち主であることは間違いありません」
「ああ、聞き覚えがあると思ったわ。王都で令嬢たちの憧れの的だった方。ハンサムで実力と将来性を兼ね備えた理想の旦那様候補で・・・」
娘を売り込みたい母親が列をなしていたのを思い出した。
「侯爵家全体に対してまだ最終処分は出されていませんが、そもそも収賄疑惑も確たる証拠がないのか、こちらの究明は進んでおらず情報が少ないんですよね。ヴィクトール卿は侯爵家と令嬢を救おうと手を尽くした誠実さが高く評価されている一方で、ミラヴェル嬢の評価は控えめに言って最低です。人々は彼女を『侯爵家を破滅に導いた稀代の悪女』と」
その悪女がどういう訳かローデルク領内の川岸で倒れており、現在この屋敷で気の毒な使用人達を震え上がらせ、そしてつい先程、悪質な詐欺師から伯爵家を救ってみせた。
「ありがとう。・・・そう、では彼女は本来ならばセレスティナ修道院にいる、または向かっているはずなのね」
「はい。このことは騒ぎになっていないので、まだ誰も知らないようです」
あまりの内容に頭がついていかない。
「先程の商人とやらは、とりあえず控えの間にて、「待機」頂いております。ニールと、厨房から料理長のエルウィンが来て、監視・・・いえ、対応しています」
「衛兵に連絡すべきなのかしら・・・それとも」
「それなのですが・・・」
ルーカスが言いかけたとき、書斎の扉が静かに開いた。
「お嬢さま」
「ゲイリード!」
現れたのは、セシリアの父コンラート付きの従者であり、この屋敷で最も古くから仕えている老僕、ヨハン・ゲイリードであった。
悪女の噂、もの凄いのを!と思ったのですが、難しいですね。
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