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1.6 闖入者

その時、入口の方でガタリと音がして、視線が一斉に向けられた。


とりわけセシリアとルーカスの目は大きく見開かれた。

そこには、やや流行遅れのドレスを纏い、両手にゴブレットを持ったミラヴェルが立っていた。


「・・・あらぁ?間違ってしまったかしら・・・?セシリア、どこへ行ってしまったかと思ったわ・・・」


ふらふらと怪しい足取りでテーブルに近寄ると

「あら、お客様・・・?はい、あなたもどうぞ」

片手のゴブレットをモーリスの前に置いた。金色の果実酒が並々注がれている。


「ああ、これはこれは・・・」

困惑した微笑みを浮かべたモーリスがセシリアへと視線を向けるが、セシリアも呆気に取られて声も出ない。


上気した頬、怪しげな足取りのミラヴェルは、酔って紛れ込んだ、困った客にしか見えなかった。

ただ、セシリアとルーカスが気付いたのは、ミラヴェルが先程まで着ていた夜間着から、セシリアの母親のドレスに着替えていることであった。


「あら!素敵ね、これ」


ミラヴェルはモーリスの傍らに立てかけられた杖を掴むと、踊るような足取りでくるりと回転し、そしてしげしげと杖の柄を眺めた。

柄には、見事な、美しい犬の銀の彫刻が施されている。

「立派な犬ねえ。あなたの犬?何ていう名前なの?」

「え・・・ええ、グローヴァと言います」

モーリスは、諦めた様子で苦笑した。

酔っ払いの貴族令嬢に失礼のないよう、適当に相手をすることに決めた様子が伺えた。

質は良いが、数年前の流行のドレスに、なんとも頭の悪そうな立ち居振る舞い。

大方、伯爵家の親戚か何かの、田舎貴族の娘だろう。


「私、知っていてよ、王都でも流行っているのよね。あなたはとても流行に敏感なのね。

・・・この子、オスかしら?」

「ええ、そうなんです、私の大切な相棒で」

「犬と言えば」

ふわりふわりと妖精のような足取りでセシリアの傍にやってくると、ミラヴェルはセシリアに杖を渡して、両手をセシリアの肩にかけ

「・・・・覚えていて?気の毒なベルナール叔父様。愛犬と片時も離れず、どこへ行くのも一緒だったわ。寝室もお風呂も一緒、まるで恋人のようだなんて。そうそう、あれは傑作だったわよね!愛犬を愛しすぎて、詩まで作ってしまわれたの。パーティで披露なさったときのこと、忘れられないわ」


セシリアの首筋に、ミラヴェルの吐息がかかる。熱く湿った息。

熱が、ある。

セシリアは目だけをミラヴェルに向けた。

確信する。


ミラヴェルは酔っているのではない。

ミラヴェルのエメラルドの瞳は 冴え冴えと冷たく、これまでにないほど怒りをたたえていた。


「ええ、覚えていますとも。あんなに犬を愛される方、他に知りません。・・・あなたもご存知?ベルナール叔父様。なんと言ったかしら、ご自慢の別荘で、狩猟が大好きな」

セシリアも、話を合わせて見る。


ミラヴェルが敬称付きで呼ぶのであれば上流貴族に違いなく、上流貴族男性ならばほぼ例外なく別荘を持っている。犬を飼っているなら恐らく狩猟犬で、狩猟好きだ。


「ええ、愛すべき、ベルナール、様・・・毎年秋になると、あの、美しい森の別荘で、知り合いを大勢招いて狩猟の後、とっても豪勢なパーティをなさるの・・・ベルナール様とお知り合いなら、あなたも行かれたことがあるでしょう、もちろん」

セシリアとミラヴェルでモーリスを見やる。

「え・・・いえ、私は存じ上げません。残念ながら。その、ベルナール様、ですか。お会いしてみたいです」


「あら、ご存知ないの?・・・本当に?」


ミラヴェルの瞳が、刹那妖しく光った。

獲物を射程に捉えた、危険な捕食者の、金緑の瞳。


「・・・・・おかしいわね、一度も会ったことないかしら?」


モーリスの頭に、危険を知らせる音が、小さく響いた。

だが、遅かった。


「さあ、どうでしょう、さて、私はそろそろ・・・」

困惑した表情で、帽子を片手に、立ち上がり、セシリアの持つ杖に、手を伸ばす。


「そうそう、ベルナール叔父様の愛犬はね、アイリスというの。去年の夏、亡くなってしまったのだけど。

ああ、もちろん犬がね。

叔父様はとても悲しんでいらっしゃるけれどお元気よ。

それでね、叔父様はこれからもアイリスと片時も離れない、と仰って」


セシリアは、手の中の杖を見つめる。彫像の犬の耳の部分をさすってみる。微かに突起があるようだ。

「押したまま、左回りに回して」

言われるままに犬の頭を回すと、柄が外れて、束ねられた毛が一房、セシリアの膝の上にこぼれ落ちた。


「アイリスの頭を模った杖をお作りになったの。そう、これと本当にそっくり」


モーリスの顔色が変わる。先程までの慈しむような落ち着いた笑みは消えていた。

「・・・・そうですか、それは奇遇ですね。まあ、似たような品は出回っておりますので。仰った通り、王都で流行しておりますからね」


「本当ね。でも、いるかしら?愛するあまり」

ミラヴェルは首を傾げ、銀細工の犬の頭部から伸びた、銀の筒状の部分を指差した。


「愛犬に捧げる詩を、中に彫刻する方が」


「愛するアイリス 我が命よ 我が魂よ 彼女の天空にならんことを 我が心は 永久に  B」

セシリアが、示された筒の外周に彫られた飾り文字を、読み上げる。


「・・・無理よねえ」

場違いな、のんびりとした声に、いち早く我に返ったのはルーカスだった。

即座にモーリスの進路を塞ぎ、腕を取る。

「ニール!」

彫像のようだったニールも、ハッとして、逃げ出そうとする助手を押さえにかかった。

「とても優しくてお金持ちの、愛すべき叔父様なのだけど」


にんまりと笑みを浮かべるミラヴェルを見て、セシリアは、違う、と思った。


「この、絶望的な詩のセンスは、他の追随を許さないわ・・・そう思わないこと?」


違う、蛇じゃない。


幼い頃に訪れた祖父の部屋を思い出していた。

異国から収集した様々な珍しい品、貝殻や、不思議な形の剣。

その中に静かに鎮座していた、漆黒の獣の剥製はセシリアをいつもすくみ上がらせた。

美しい毛並み、その金の瞳で静かにセシリアを見つめていたのは。

黒豹。

目の前で微笑みを浮かべるこの生き物は、あの黒豹にそっくりだ、とセシリアは思った。


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