独りの反省会と、一通のメッセージ
強制的にログアウトさせられる感覚は、麻酔から無理やり覚醒させられるそれに似ていた。
バーチャル世界の喧騒が嘘のように遠ざかり、健人の意識は現実世界へと引き戻される。鼻をつく消毒液の匂い。規則的な電子音。そして、見慣れた病院の、無機質な白い天井。
「……はは」
乾いた笑いが、静かな病室に虚しく響いた。
ついさっきまで、数千人の期待と、その後の罵声を一身に浴びていたというのに。今は、誰の声も聞こえない。この圧倒的な静寂と孤独が、健人の敗北をより一層際立たせていた。
悔しい。腹立たしい。JINのやり方は、あまりにも卑劣だ。
だが、と健人は思う。
敵の卑劣さを嘆くだけでは三流だ。会社の理不尽な要求に対し、ただ「できません」と答えるだけの無能と同じだ。重要なのは、なぜ失敗したのかを分析し、次の成功に繋げること。PDCAサイクルを回すことだ。
健人はゆっくりと体を起こすと、まるでクライアントへの謝罪訪問を終えた後のように、静かに「独りの反省会」を始めた。
(プロジェクト名:第一回・公式公開レイドイベント。結果:大失敗。パーティ全滅、目標達成ならず)
脳内で、プロジェクト失敗報告書が自動的に生成されていく。
(原因分析:競合(JIN)による、こちらの計画の完全な模倣と、それを逆手に取ったカウンター戦略の実行。では、なぜそれが可能だったのか?)
答えは、明白だった。
(情報漏洩だ……)
健人は唇を噛んだ。最大の敗因は、JINの策略ではない。重要な戦略、企業の生命線ともいえる内部情報を、誰でも見られる「配信」という場で無防備に公開してしまった、自分自身の情報管理の甘さにある。
リスクアセスメントが、全くできていなかった。
会社であれば、懲戒解雇どころか、損害賠償を請求されてもおかしくないレベルの、致命的な戦略ミス。
「結局、俺は何も変わってないじゃないか……」
会社で評価されなかった自分。そして、ゲームの世界でも、やり方を変えられずに同じように失敗する自分。絶望が、再び心の底から這い上がってくるようだった。
その時だった。
ピコン、と枕元のスマートフォンが控えめな通知音を立てた。
どうせ、配信チャンネルに届いた罵倒のコメントだろう。見たくもない。そう思ったが、なぜか指が動いていた。画面をタップすると、『ダンジョン・ストリーマーズ』のコンパニオンアプリに、一通のプライベートメッセージが届いているのが見えた。
差出人の名前を見て、健人は息を呑んだ。
『アカリん』
恐る恐る、メッセージを開く。そこに綴られていたのは、健人が予想していたものとは全く違う言葉だった。
『KENTOさん、ごめんなさい。私たちのギルドが、本当に卑怯なことをしてしまって……。リーダーのやり方とはいえ、私も、同じギルドの人間として謝らせてください』
謝罪の言葉。それだけで、健人のささくれ立った心には十分すぎた。だが、メッセージはそこで終わらなかった。
『でも、これだけは伝えたかったです。JINさんが勝てたのは、KENTOさんの計画が、誰も思いつかないくらい、本当に完璧だったからです。皆、あなたの分析を見て、初めてボスにあんな戦い方があるんだって知ったんです』
健人は、画面の文字が滲んでいくのを感じた。
『あなたのスキルは、絶対に「お遊び」なんかじゃありません。本物です。だから……どうか、やめないでください』
そして、メッセージはこう締めくくられていた。
『私は、あなたの次の計画が見たいです。一ファンとして、心から応援しています』
読み終えた時、健人の頬を一筋の涙が伝った。
乾ききった心に、温かい雫がじんわりと染み渡っていくようだった。罵倒と嘲笑しか浴びせられなかった自分のスキルを、たった一人、心の底から信じてくれる人がいた。
救われた、と思った。
健人は、アカリんからのメッセージを何度も、何度も読み返した。
そして、静かにスマートフォンの画面を閉じると、窓の外に広がる夜空を見上げた。
心の中で、新しいプロジェクトが立ち上がる。
JINへの個人的な復讐ではない。もっと冷静で、もっと緻密な、次なる目標。
(プロジェクト名:打倒、神崎刃)
健人の瞳に、再び光が戻っていた。それはもう、希望という名の漠然とした光ではない。明確な目標を見据えた、冷徹な戦略家の光だった。