盗まれた戦略と最初の絶望
イベント当日。健人の配信チャンネルは、これまでにない熱気に包まれていた。同時視聴者数は、あっという間に三千人を超えている。
『KENTO塾長、信じてます!』
『社畜の星、爆誕の瞬間を見に来た』
『これでJINのやつに一泡吹かせてやれ!』
コメント欄に流れる期待の言葉に、健人の胸は高鳴った。彼は、この日のために用意した臨時パーティのメンバーに最終確認を行う。皆、彼の配信を見て集まってくれた、名もなき個人プレイヤーたちだ。
「皆さん、プラン通りに行けば必ず勝てます。重要なのは、ボスのHPが50%を切った後の連携です。合図があるまで、焦らずにポジションを維持してください」
その声は、かつて会議でプレゼンをしていた時とは比べ物にならないほど、自信に満ちていた。
そして、運命のレイドが始まった。
広大な森のフィールドに、巨大なグリーンドラゴンが咆哮を上げながら舞い降りる。健人は冷静だった。Excelによるシミュレーションは完璧だ。彼は的確な指示を飛ばし、パーティはまるで一つの生き物のように連携してボスを削っていく。
「第一陣、攻撃開始! 第二陣は詠唱準備!」
「ヒーラーは常にタンクのHPを8割以上に維持! 予測される次の攻撃は、単体ブレスです!」
すべてが計画通りだった。ボスのHPは順調に減少し、ついに運命の50%のラインを切った。ここだ。ここが勝負の分かれ目。
「皆さん、聞いてください! これから第三、第五アタッカーに『毒消し草』を……」
健人が、計画の核心である指示を飛ばそうとした、その瞬間だった。
彼は見てしまった。フィールドの反対側、JIN率いるギルド『ナイトメア』の、不気味なほど統率の取れた動きを。
健人の指示よりもコンマ数秒早く、ナイトメアのサポートメンバー二人が、寸分違わぬタイミングで、自軍の第三、第五アタッカーに『毒消し草』を使用したのだ。
「―――え?」
健人の思考が、凍りついた。
なんだ? 今のは。偶然か? いや、違う。人員配置、アイテム、そして何よりも、この絶妙すぎるタイミング。これは、偶然ではありえない。
血の気が、急速に引いていく。
次の瞬間、健人の予測通り、グリーンドラゴンの動きが不自然に固まった。AIのバグを誘発され、無防備な硬直モーションを晒す。それは、健人がこの瞬間のために用意した、最高のチャンスだった。
だが、そのチャンスをモノにしたのは、彼ではなかった。
「お前たちの役目は、そこまでだ」
まるで健人の心を見透かしたかのように、JINが動いた。彼は、硬直したドラゴンの懐に瞬時に飛び込むと、背負った大剣に禍々しいオーラを収束させる。
「――エンド・オブ・ナイトメア!」
放たれた必殺技は、サーバーの誰もが見たことのないほどの超絶ダメージを叩き出し、ドラゴンのヘイトを一瞬にして全て奪い取った。手柄も、賞賛も、何もかもを。
「ああ……」
健人のパーティメンバーから、絶望のため息が漏れた。だが、本当の地獄は、ここからだった。
JINは、ボスにトドメを刺すことしか頭にないように見えた。だが、彼の真の狙いは違った。ナイトメアの別動隊が、健人の計画の裏をかくように動いていたのだ。彼らは、計画上、一時的に無視するはずだった取り巻きの小型モンスターたちのヘイトを一斉に集めると、巧みな誘導で健人のパーティ目がけて解き放ったのだ。
「なっ!? 敵がこっちに!」
「まずい、囲まれる!」
パーティは一瞬にして大混乱に陥った。健人は必死にパワポ魔法を発動させようとするが、緻密な計画を前提とした彼のスキルは、こうした予期せぬ奇襲にはあまりにも無力だった。
なす術もなく、仲間たちが次々と倒れていく。健人の視界もまた、無数のモンスターに埋め尽くされ、やがて静かに灰色に染まっていった。
[あなたは死亡しました]
無慈悲なシステムメッセージ。
強制的に「始まりの街」の広場にリスポーンさせられた健人の耳に、システム全体のアナウンスが響き渡った。
[――レイドボス『グリーンドラゴン』、討伐成功! MVPは、画期的な戦術を披露したギルド『ナイトメア』リーダー、JIN様です!――]
広場が、歓声に包まれる。
健人が視線を落とした配信画面のコメント欄は、先ほどまでの賞賛が嘘のように、非難と罵倒の嵐に変わっていた。
『あれ? KENTOの作戦、JINと全く同じじゃん』
『まさか、パクったのかよ……最低だな』
『こいつのせいで死んだんだが? どうしてくれるんだ』
『初心者は黙ってろってことだなw』
成功に沸くプレイヤーたちの輪の中で、健人はたった一人、石畳の上に膝から崩れ落ちた。希望も、自信も、視聴者の信頼も、すべてを失って。
ゲームの世界も、あの薄暗いオフィスと何も変わらない。理不尽な力に、全てを奪われる場所なのだと、彼は絶望の底で思い知らされていた。