未来予知のエクセルと、盗まれた計画書
神崎刃(JIN)に投げつけられた侮蔑の言葉は、健人の心に深く突き刺さっていた。だが、それはもう、ただの傷ではなかった。屈辱は、燃え盛る闘争心へと変わっていた。
(見てろよ……あんたが「お遊び」と切り捨てたこの力で、必ずあんたの鼻を明かしてやる)
そのためには、結果を出すしかない。圧倒的な結果を。
健人が目標として目を付けたのは、一週間後に開催される『第一回・公式公開レイドイベント』だった。これは、サーバー内の全プレイヤーが協力して巨大なボスモンスターを討伐するという、大規模なイベントだ。多くの注目が集まるこの場所で活躍すれば、自分のスキルの有用性を証明できる絶好の機会だった。
健人は早速、イベントのボスである『森林の主、グリーンドラゴン』の情報を公式ライブラリで調べ始めた。表示されたのは、膨大な量のデータだった。HP、攻撃力、防御力、属性耐性、そして、過去のベータテストで記録された数十種類にも及ぶ行動パターン。
「うっ……情報が多すぎる」
普通のプレイヤーなら、ここでうんざりして主要な攻撃パターンだけを覚えるのが関の山だろう。だが、健人の脳は、この情報量の奔流を前にして、奇妙な昂ぶりを覚えていた。
(待てよ、このデータの羅列……まるで、整理される前の売上報告書じゃないか)
そう認識した瞬間、健人の視界が変質した。
モンスターの情報が、脳内で瞬時にExcelのセルに整理されていく。HPはB2セルに、攻撃力はC2セルに。行動パターンは、D列にずらりと並んだ。
「これは……!」
健人は無意識に、頭の中で関数を組み始めた。
(もし(IF)、ボスのHPが50%以下になったら? そして(AND)、パーティの平均レベルが20以下だったら?)
脳内でEnterキーを叩く。すると、セルの横に新たな文字列が浮かび上がった。
【予測結果:TRUE】
【行動予測:テールスイング(広範囲・気絶効果付与)/ 発動確率92%】
「……未来が、見える」
第二のユニークスキル【未来予知のエクセル】が覚醒した瞬間だった。
それはまさに、健人が十数年間、来る日も来る日も向き合い続けてきたデータ分析とリスク管理そのもの。彼の社畜人生の結晶が、この世界でとんでもない力を発揮し始めたのだ。
これだ。これこそが、俺が最も得意とする領域――プロジェクトマネジメントだ。
健人の目は、死んだ魚のようだった数日前とは比べ物にならないほど、生き生きとした輝きを放っていた。彼は水を得た魚のように、キーボードを叩く指のように、思考を巡らせる。
「よし、第二回配信を始めよう。タイトルは……『誰でもできる!グリーンドラゴン完全攻略マニュアル』だ」
健人の配信が始まると、前回の噂を聞きつけたのか、すぐに百人以上の視聴者が集まった。その中には、心配して見に来てくれたアカリんの姿もあった。
「皆さん、このボスで最も警戒すべきは、HPが50%を切った後の行動パターンです。しかし、事前に『毒消し草』をパーティメンバーの三番目と五番目のプレイヤーに使用させることで、ボスの行動AIにバグを誘発。特定の無防備な攻撃モーションを78%の確率で引き出せます。これが第一フェーズの最適解です」
健人は、まるで四半期報告会でプレゼンするように、流暢に攻略プランを語っていく。Excelによる完璧な未来予知に基づいたその計画は、あまりにも緻密で、あまりにも画期的だった。
『なんだこの人……預言者か?』
『ガチの攻略組より詳しいんだが』
『このプラン通りやれば、俺でも活躍できるかも!』
コメント欄が熱狂に包まれる。アカリんからも「KENTOさん、すごいです! こんな完璧な作戦、見たことありません!」という興奮したプライベートメッセージが届いた。健人は、会社では決して得られなかった賞賛と手応えに、胸が熱くなるのを感じていた。
これなら勝てる。JINのやつに、一矢報いることができる。
希望に満ちた健人は、最高の形でイベント当日を迎えようとしていた。
◇
その頃。
漆黒の玉座のようなゲーミングチェアに身を沈め、一人の男がモニターに映る健人の配信を眺めていた。部屋の明かりは落とされ、モニターの光だけが、その男――神崎刃(JIN)の顔を冷たく照らし出している。
画面の中では、KENTOという初心者が、視聴者の賞賛を浴びていた。JINの口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。
「面白い。なかなか頭は切れるようだ」
彼は、健人が自信満々に語る攻略プランの要点を、すべて記憶していた。
「だが、その計画は俺が頂く」
JINは配信ウィンドウを閉じると、自身のギルド『ナイトメア』の幹部だけに、一通の指令を送った。
『――イベント当日、プランBに移行する。ターゲットは、グリーンドラゴンではない。ターゲットは、配信者KENTO。奴の計画を全て利用し、奴をギルド全体で叩き潰せ――』