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社畜スキルと神々のどよめき

フルダイブVRシステムが起動する。網膜に焼き付くような白い光が収まると、健人の目の前には、これまでモニター越しにしか見たことのない世界が広がっていた。


どこまでも続く草原。頬を撫でる生暖かい風。遠くに見える、雄大な山脈。あまりにもリアルなその光景に、健人はしばし言葉を失った。灰色と白の無機質な天井に囲まれて過ごしたここ数日とは、何もかもが違う。


「すごい……」


自分の手を見る。少しごつごつとした、見慣れない若々しい手だ。アバターは、特にこだわりもなかったので初期設定のまま。名前は「KENTO」とだけ登録した。


視界の隅には、半透明のウィンドウで配信画面が表示されている。現在の視聴者数は、3人。恐らく、サービス開始直後のサーバーを冷やかしで巡回している暇人だろう。


『w』


『初心者さんいらっしゃーい』


早速、気の抜けたコメントが流れる。健人は軽く会釈をしながら、おそるおそる一歩を踏み出した。初期装備として与えられたのは、頼りない木の棒と布の服だけ。まずは、チュートリアル通りに街を目指すべきだろう。


そう考えていた矢先だった。


ガサガサ、と前方の茂みが揺れ、緑色の醜悪な生物が姿を現した。尖った耳、意地汚い笑みを浮かべた顔。ファンタジーの定番モンスター、ゴブリンだ。


一体、二体……気づけば、五体ものゴブリンが、健人のことを品定めするように取り囲んでいた。


「ひっ……!」


思わず短い悲鳴が漏れる。ゲームだと頭では分かっていても、その殺気と存在感は本物だ。じりじりと狭まる包囲網に、心臓が警鐘のように鳴り響く。


『あー、いきなり囲まれてやんのw』


『乙です』


『初見ですが、お疲れ様でした』


視聴者たちは完全に他人事だ。健人は震える手で木の棒を構えるが、どう考えても勝ち目はない。ゴブリンの一体が、汚い棍棒を振り上げ、雄叫びをあげた。


死ぬ。


そう思った瞬間、健人の頭の中で何かが切り替わった。


それは、絶望ではなかった。あまりにも馴染み深い、あの感覚。――納期前日、深夜3時の絶望的な状況だ。


(まずい、このままではプロジェクトが頓挫する! 早急に現状を分析、課題を抽出し、解決策を提示しなければ!)


完全に職業病だった。パニックに陥った健人の脳は、この絶体絶命の状況を「緊急プロジェクト案件」として処理し始めたのだ。


「そうだ、まずは状況を共有し、問題点を可視化しなくては……!」


健人は木の棒を放り出すと、まるで巨大なタッチスクリーンを操作するように、何もない空間で両手を素早く動かし始めた。それは、体に染み付いた、ショートカットキーを駆使してプレゼン資料を組み上げるための、流れるような社畜の動きだった。


スワイプ、タップ、ドラッグアンドドロップ。


すると、信じられないことが起こった。


健人の眼前に、半透明の長方形――どう見てもPowerPointのスライド――が出現したのだ。


カタカタカタ!と凄まじい速度で、スライドのタイトルが自動入力されていく。


【緊急報告】対ゴブリン包囲網における現状課題と解決プランのご提案


『は?』


『スライド?』


『何やってんだこの初心者www』


健人自身にも何が起きているか分からない。だが、思考は止まらない。


(敵の戦力分布は? 脅威度を円グラフで示せ!)


指先で円を描くと、スライドの中央に円グラフが生成された。ご丁寧に、ゴブリン一体一体が色分けされ、パーセンテージまで表示されている。


敵性存在ゴブリン戦力分析】


・ゴブリンA(リーダー格):45%


・ゴブリンBチンピラ:15%


・ゴブリンC(〃):15%


・ゴブリンD(〃):15%


・ゴブリンE(〃):10%


その瞬間、スライドから飛び出した円グラフが、現実世界で眩い光を放ちながら巨大化し、ゴブリンたちの足元に荘厳な魔法陣として展開された。


「なっ……!?」


健人が驚愕する暇もなく、口からは染み付いたプレゼン口上が滑り出る。


「本プランの要点は三つです! 第一に、最重要課題であるリーダー格の迅速なる無力化!」


健人は、最も脅威度の高いゴブリンAを指さし、クリックするように指を鳴らした。それは、オブジェクトに「スピン」のアニメーションを設定する、いつもの仕草だった。


ゴオオオオオオッ!


魔法陣から、すべてを切り刻むような翠の竜巻が巻き起こった。悲鳴を上げる暇もなく、リーダー格のゴブリンが竜巻に飲み込まれ、天高く舞い上がり、光の粒子となって消滅した。


「……は?」


『え?』


『いま、なにした?』


『スピン……だと……?』


「だ、第二に! 残存勢力の一括掃討による、リスクの早期排除!」


健人はパニックのまま、残りのゴブリンを示すグラフの部分をタップし、箇条書きのテキストボックスに「フライイン」のアニメーションを設定する仕草をした。


次の瞬間、スライドから箇条書きの「・」の部分が、レーザービームのような光弾となって射出された。光弾は正確無比な軌道を描き、残りのゴブリンたちの眉間を次々と撃ち抜いていく。


「ギッ」「ギャッ」という短い断末魔を残し、全てのゴブリンが光となって消え去った。


後に残されたのは、静寂と、呆然と立ち尽くす健人だけだった。


視界には、凄まじい勢いでシステムメッセージが流れ込んでくる。


[Level Up!]


[Level Up!]


[Level Up!]


[称号:プレゼンター を獲得しました]


[ユニークスキル:【プレゼンテーション魔法】を会得しました]


何が、起きたんだ……?


健人が自分の両手を見つめていると、視界の隅のコメント欄が、とんでもない速度で流れていることに気がついた。


『えええええええええええええええええ!?』


『詠唱破棄どころの話じゃねえぞ!』


『パワポじゃねえかwwwwwwwww』


『なんだこのスキルwww世界初だろwww』


『【悲報】俺たちの知ってる魔法と違う』


『【朗報】社畜は異世界でも最強だった』


『チャンネル登録不可避』


『神回』


『伝説の始まりを見た』


そして、ひときわ大きく、金色の文字が画面を流れた。


[タナカ部長 様から ¥10,000 のスーパーチャットが贈られました:これは面白い! 来週の月曜、このスキルについて朝一で報告書を提出したまえ!]


「……は?」


眼前に表示された、あまりにも見慣れた名前に。


健人は、ファンタジーの世界で、現実よりも深い眩暈を覚えるのだった。

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