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2/無関係が、関係に変わる境

彼等が、彼女を伴って戻ってくる。教室の扉が開き、彼女を先頭にして入ってきた。


一瞬クラス中の視線が集まるが、それはやはり一瞬のことで、しかし皆……どこか横目で伺っている。


特に男子生徒。理由は分かるというものだ。先程の彼等の会話からすれば……


彼女は、妙に神経質な動きをしていた。まるで、少しの間違いで何かが崩れ去るのを恐れているかのような。


その手で自身の身体を庇うようにしている。右手を胸に添え、左手を下半身に添えていた。


心なしか、その表情に朱が刺している。


……おいおい、マジかよ。


後ろから共に入ってくる彼等は、誰もがその顔を邪悪な笑みで歪める。

それぞれの席に戻っても、その視線は一斉に彼女を向いたままだ。


彼女は慎重に自らの席へと腰を下ろす。その際、その右手でプリーツスカートの裾を抑えるようにして、座った。


その一瞬に、誰もが注目する。あわよくば、そこに何が見えるのだろう。


あいつ、やばくねえか。奴らも、度を越してる。


こういうのは、回を重ねる毎にエスカレートしていくものだ。


……自殺、するかもな。


今の世の中、そう珍しいことでもない。


日々世間を賑わせるニュースでは、その殆どがそういった事件で占められている。


いじめを苦にして自ら命を絶つ。


テレビ評論家や、ニュースキャスターが、「どんなに辛くとも自殺は絶対にいけない」


もっともらしくそう言ったところで、その当事者からすれば、そんな言葉は他人事だ。


お前らに何が分かる。お前に私の苦しみが分かるものか。


死が唯一の救いなら、それにすがってしまうのは、誰にも責められない。


そこで授業開始のチャイム。まるで合わせたかのように、黒板側のドアを開けて入ってくるのは体育教師。


二十代半ばの、スポーツ刈りの男性教師。彼が保健体育の授業も兼任している。


少し遅れたことを、詫びながら授業の準備を始めた。


この授業は例え寝ていたところで、成績に影響はない。保健体育という分野が、大して複雑でも難解でもないのか、彼の評価が甘いだけなのかは知れないが。


教師達の中には、このクラスの事情を理解している者も少なくない。


それもその筈だろう。これだけの人間がいるのだから、全てが隠し通せるわけがない。


……それなのに、この状況が一向に回復の兆しを見せないのは、事態の深刻さを表していると言えよう。


この男性教師は、その中でも事情を知らない種類に分類される教師だった。


体育や保健の授業以外には、関わりがあまりないということもある。


理由もなく、巳波凪の方を見てみた。


彼女の席は、教室の中央寄りに位置している。

都合の悪いことに、嫌がらせグループがその周囲に散らばっているのだった。


これに関しては、彼女は自分の出席番号を恨むしかない。


彼女は教科書を机に並べながらも、それには目もくれていない。そんな場合では、彼女はないのだ。


その左手は、未だにスカートを押さえている。比較的短めの、膝上までのスカート。


連鎖する不幸なことに、この学校の女子の制服は、調整が効かないタイプのものだ。


前からの視線に常に注意を怠れない彼女は、少しの物音にも敏感に反応していた。


周囲にペンを走らせる音。紙を擦る音。教師が室内履きで鳴らす足音。


その度に自分の姿を確認する。夏服は、彼女の身体のラインを際だたせていた。


……冬服なら、まだ良かったな。


その後ろでは、グループの中の二人が、自分の鞄に何かを隠すようにして見せ合っていた。


他のメンバーにも何やら意味深な視線を送っている。


……あれ、どうするんだろうな。何に使われるのか。どうせ、更なる陵辱だろうが。


恐らくあれは、予想通りのものだろう。


同情さえ、湧いてくるというものだ。


彼女の表情は、今にも崩れそうな弱々しいもの。耐えているのが、不思議な程だった。


やがて彼女は、俯いてしまう。黒髪が彼女の表情を隠す。


……そんな仕草に、自分の中で何かを感じた。


何だろう。このよく分からない、曖昧な……言葉で、説明しにくい感情、か?


そんな思考が頭を過ぎるが、長く考えることはしなかった。


考え続けていれば、止められなくなる。


頭を振って、余計な思考を追い払った。


止めろ。感情移入することに意味なんかない。他人の責任まで、考えられるか。


冗談じゃない。


彼女がどうなろうか、知ったことじゃない。この先どんな過酷な運命が待ち受けていたところで、俺には関係ない。


全て他人事だ。俺は彼女を救えないし、救う気もない。


勝手にすればいいのだ。生きるも死ぬも、彼女の自由。生きて耐えるも良し、死んで逃げるも、構わない。


死ぬことが無責任なんて、自分は思わない。人間は、完璧な生物ではないのだから。


欠陥だらけだ。だからこそ、こんな光景が存在している。


こんな光景が、現実だ。人は自分の為ならば、共食いのように人を傷つける。


……しかし、そんな彼女の哀れみさえ出てくる背中に、何かよく分からない感情が割って入ってくる。


何故だ。どうしてこんな、こんな。何だよ、自分はどうしたのだ。


おかしい。何かが変だった。残る違和感。拭えない悪寒。その源は、どうやら彼女だ。


自分は、どうしてしまったのだ。


今まで、こんなことはなかった。同じクラスに入っても、彼女と会話したことはない。ただの一言も、交わしたことはない。


時間だけが過ぎ、既に固まっているクラスの関係図に、俺と彼女を繋ぐ矢印はない。


それを今更、何があるというのだ。


無関係の前に、無関心。向こうだって、俺の名前と顔が一致するかどうか。


内気な少女と、陰気な少年。同類項ではあるかもしれないが、一緒に括られることはない。


そしてそれは、この先もその筈だ。お互いに言葉の一つも交わさず、きっと彼女は……俺に自分のフルネームを知られていることさえ、想像もつかないだろう。


想像するしないの前に、思いもしないだろう。俺という存在は、彼女にとってはただの風景だ。


登場人物でさえ、ないのだから。


俺にとっての彼女がそうであるように。


そうである、筈だったのだけれど………………………………




まだあたりに学生が残る放課後。午後の授業が終了し、HRを終え、下校しようと下駄箱の側まで来て気づく。


……ポケットにあるべき感触が、ない。


溜め息と共に、頭に手をやる。どうやら携帯電話を、机の中に置いてきたらしい。


しまった。これでは取りに戻る他ない。俺は歩く足を止め、方向を変更。


来た道を戻るように、再び教室を目指す。もう一度階段を往復しなければならないのが、憂鬱だ。


そして教室に到達し、前の扉を開いて入る。すると、そこには……一人の生徒だけがいた。


必死に身を屈め、何かを探すように視線を机の中や、その横にかかった鞄などの中身を物色していた。


彼女は、そこでようやく俺の姿に気づく。


「っっ!?」

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