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実家から「白い結婚がんばれ」と送り出されましたが、適当なこと言わないでほしいです

作者: 赤林檎

「イレーナ、白い結婚要員がんばってー!」


「『君を愛することはない』って言われたら教えなさいよね!」


 二人の異母姉が、嫌な笑い声を上げた。


 父と奥様は、ずっと黙っていた。


 わたくしもまた黙って、ただ白く塗っただけの質素な婚礼馬車に乗り込んだ。




 わたくしは、メイドだった母が、酔った父に襲われてできた子供だ。


 館の離れで共に暮らしていた母は、数年前に病で亡くなっている。


 わたくしの嫁入りを祝福してくれる人なんて、この世に誰もいなかった。




 亡き母と同じ派手なピンクブロンドの髪は、すでに既婚者らしく結ってある。


 ドレスも婚礼用ではなく、異母姉の着古した真っ赤なものだ。


 普通ならば、婚礼用の白い豪華なドレスを着ているはずなのにね……。




 わたくしは、『火炎の英雄』などと呼ばれている、ジョレス・ルコニア様に嫁ぐことになっている。


 ジョレス様は何年か前に隣国が攻めてきた時、一人で隣国との境にある峠の細道に立って、火炎の加護で敵を追い返した平民の出の英雄様だ。


 その手柄によって、加護持ちの平民に与えられる準男爵の位から、一気に侯爵へと格上げされた。


 さらに褒美として、騎士爵を与えられ、故郷の地方一帯も領地としてもらったそうだった。



 父はジョレス様からもらった手紙一通で、わたくしの結婚を決めた。


 相手は新興の侯爵家で、こちらは格下の男爵家。


 断るという選択肢がなかったことはわかる。


 だからって、婚約式すらないのはあんまりだと思った。




 わたくしは馬車で三日もかけて、ジョレス様の領地館まで行った。


 途中で大雨に降られて、馬車は雑な白塗りが剥げて、より貧相になっていた。


 わたくしを出迎えてくれたジョレス様は、いかにも平民の出らしい、綿のシャツとパンツを身につけていた。


 騎士服でもなければ、貴族服でもない、その服装だけで、ジョレス様の『妻となる男爵令嬢』への気持ちがわかるというものだ。


「私がジョレス・ルコニアだ。待っていたぞ」


 ほほ笑みもしないで名乗られて、すぐに館の離れに連れていかれた。


 ジョレス様は『火炎の英雄』という、聞いただけで熱そうな方なのに、わたくしへの扱いは、こんなにも冷たい……。


 ジョレス様のアイスブルーの瞳には、新妻を見ているような甘さは一切なかった。


 冷たい方だと思って見るからか、お美しい容姿にも、内面の冷酷さが表れているように思えた。


 艶やかな銀髪も、整ったクールなお顔立ちも、細身の鍛えられた身体も、どこもかしもこみんな、冷たくわたくしを拒絶しているように見えた。



「ここ……、なのですか……?」


 離れは貧相な物置小屋にしか見えなくて、わたくしはぞっとした。


 男爵家だった実家の離れだって、それなりの館だったのだ。


 わたくしはたしかに『ピンク髪』の男爵令嬢で、白い結婚要員なのだろうけれど、いくらなんでも酷すぎる。



 わたくしのピンクブロンドの髪は、この国では『ピンク髪』と蔑まれている。


 先々代の国王陛下の頃、数年だけ王太子だった方が、『ピンク髪』の男爵令嬢に惑わされて婚約破棄をしたためだ。


 王太子だった方は、婚約者だった公爵令嬢を陥れた罪により、辺境に送られて前線で亡くなった。


『ピンク髪』の男爵令嬢もまた、辺境の前線で亡くなった。希少な治癒の加護持ちだったから、衛生兵にされたのだ。戦場では、娼婦のような真似もしていたと伝えられている。


「とにかく入ってくれ」


 ジョレス様は物置小屋に入っていった。


 わたくしが物置小屋の入口で立ち止まっていると、「早く来てくれ」と言われてしまった。




 物置小屋には大きな木のテーブルが置かれていた。


 どうやら調理場のようで、テーブルにはまな板が置かれている。


 まな板の上には、大きな土の塊が置かれていた。


 わたくしだって、白い結婚というのは、雑草を食べ、泥水をすするような暮らしだと知っている。


 だけど、いきなり土の塊を見せられたのはショックだった。


 全部食べてみせろなどと言われても、きっと無理だし、死んでしまうと思った。




「着いて早々すまないが、貴女の持つ土の加護で、これを直方体にできるだろうか?」


 ジョレス様は土の塊を示した。


 いきなりなんの話なのだろう……?


「直方体……ですか……?」


 わたくしは、そんな言葉は聞いたことがなかった。


「ああ。レンガを作りたいのだ」


「レンガ? 壁を作ったりする、あのレンガですか?」


「そうだ」


 ジョレス様は見本として一つのレンガを見せてくれた。


 最近の白い結婚をした新妻というのは、レンガを作らされるものなのかしら……?


「焼くと少し縮むらしいのだ。何個か焼いてみて、この大きさになるように調整しようと思っている」


 どうやらここは調理場ではなく、レンガ作りの作業場だったようだわ……。


 いきなりなんなのだろう……。


 わたくしは嫁ぎ先に到着したのではなく、レンガ工房に就職させられた……? 


 意味がわからなかった。





 わたくしはジョレス様の住む本館に、自分の部屋と寝室をもらえた。


 数日かけていろいろ考えた結果、わたくしは、実家の家族たちが勘違いをしていたのではないかという結論に達した。


 わたくしがしたのは白い結婚ではなく、加護目当て婚だったのではないかしら?


 わたくしが持っている土の加護は、農民ですらほぼ必要としていない加護だけれど、レンガを作りたいなら少しは役に立ちそうだった。


 ジョレス様のまわりには、白い結婚につきものの愛人の姿もないようだし、ほぼ間違いなく加護目当て婚だろう。


 父たちは、ジョレス様からの手紙をまともに読んでいなかったのだわ。


 わたくしの扱いなんて、そんなものだとわかっているけれど……。


 結婚のような人生に関わることくらい、ちゃんとしてほしかったわ……。





 ジョレス様は何日もかけて次々にレンガを焼いていき、適切な大きさを見つけた。


「普段からこのように、レンガを焼いておられるのですか?」


 なんだろう? すごく地味だ……。


 英雄というのは、普段は、こんな地味なことをやっているの?


 レンガ作りが趣味なの?


 もしも収入を得たいなら、辺境の前線にでも行った方がいいのでは?


 火炎の加護で敵を倒して手柄を立てた方が、よほど良いお金になるのではないかしら……?


「レンガ作りは最近になって思いついたのだ。領民たちが安定した収入を得られるよう、いろいろ試してみているところだ」


 ジョレス様の領地では、雨季になると年に一回、山奥を水源とする川が氾濫するそうだった。


 穀倉地帯にでもなりそうな広い土地を、大水が洗い流していくそうだ。


 洪水によって大地に栄養が行き渡り、作物がよく育つ、なんていうこともないらしい。


 水が引いた後は、夏季の太陽が大地を干からびさせ、土地は痩せていく一方なのだという。


 ジョレス様は貧しいこの土地の民のため、命をかけて英雄となり、今はレンガを焼いているらしかった。



「洪水が起きないようにしたら良いのでは?」


 せっかく広い土地があるのですもの、農地にして作物を作れたら良いと思った。


 だけど、洪水のせいで植物がなにも生えてこないのでは、豊穣の加護がある者に来てもらったとしても、どうしようもない。


「そんなことができるのか?」


「遠い国には、川の水の量を調節する技術があるようです」


 わたくしは本から得た知識をジョレス様に伝えた。


 母亡き後、わたくしの孤独な実家暮らしを支えてくれたのは、たくさんの本だった。


 こんな『ピンク髪』のわたくしでも、いつか誰かのお役に立てたらと思って、土を使ってできることを調べておいたのだ。


「残念ながら、我がルコニア家には、『土木工事』なるものをするための資金がないのだ……」


 ジョレス様はそう言うと、レンガを焼く作業に戻っていった。


 他国の技術者を呼び、『土木工事』なるものをするには、途方もないお金が必要だった。




 わたくしは、黙々とレンガを焼いているジョレス様の背中を見つめた。


 華々しい『火炎の英雄』という二つ名からはほど遠い、地味なお姿。


 その背中は間違いなく、領地の民を思って戦っている英雄のもの。




「わたくしに考えがあります」


 わたくしはレンガ用の土を壺の形にして、灰で作ったインクで『国王陛下に栄光あれ! ルコニア家』と書いた。


「レンガ用の土でできた壺など、国王陛下は喜ばないと思うが……」


 などと言いつつ、ジョレス様は壺を焼いてくれた。


 たしかに、わたくしの作った壺は、王宮にある豪華な金や銀の壺とは大違いだ。


 平民たちが家に飾る植木鉢を、壺の形にしただけ、みたいな見た目なのですもの。


 わたくしはジョレス様に頼んで、国王陛下への拝謁を願い出てもらった。


 ジョレス様は『火炎の英雄』様。しばらくすると拝謁の許可が下りた。




 ジョレス様はわたくしに、拝謁用のドレスを作ってくれた。


 ピンクブロンドの髪によく合う、やさしいココア色をした上品なドレスだった。


「ジョレス様、ありがとうございます!」


 わたくしの服はずっと、異母姉たちのお下がりの古ぼけたドレスばかりだった。


 自分のために作られたドレスを着ると、なんだか体形がすっきりして見えた。


「そのドレスには魔法でもかかっているのか? 別人のごとく美しく見えるのだが……?」


 ジョレス様はひどく驚き、頬を染めてわたくしを見ていていた。


 わたくしは『美しい』なんて言われたのは初めてで、なぜだか顔がすごく熱くなってしまった。


「旦那様、それはそうでしょうよ……。このドレスは前のと違って、この方に似合うように仕立てましたからね……」


 仕立屋の店主が遠慮がちに教えた。


「前のドレスは、他の者の好みに合わせて作られたドレスだったのか……」


 ジョレス様は複雑な表情をして、わたくしを見ていた。





 わたくしは新品のドレスを着て、ジョレス様と共に国王陛下と王妃殿下に拝謁した。


 ジョレス様とわたくしは、お二人の前で一緒にひざまずいた。


「献上品がございます」


 わたくしはひざまずいたまま、国王陛下と王妃殿下の前で、木箱から素朴な壺を出した。


「……その壺か?」


 国王陛下と王妃殿下は、困惑したように顔を見合わせた。


「『火炎の英雄』であるジョレス様は、自ら領民のためにレンガや壺を作って売っています。領民を苦しめているのは、年に一回起きる洪水です。洪水を止めるためには、資金がいるのです」


 わたくしは国王陛下と王妃殿下に向かって、壺を掲げてみせた。


 この壺は、この国を救った『火炎の英雄』が、領民たちへの思いを込めて焼いた壺という設定になっている。


「ルコニア家の領地の民は、貧困にあえいでおります。ご明察くださいませ、国王陛下」


 今のままでは洪水を止めるための資金などできないと、どうか察してくださいませ。


「そなたは土の加護を持っていたな。その洪水を止める手段があるというのか?」


「はい。遠い国の偉人伝によりますと、乾くと固まる不思議な泥を使って、川の水の量を調節する技術があるようです。遠い国の辺境伯家に仕える一族が、その『ダム』という技術を代々伝えているそうです。国王陛下のお許しさえあれば、技術者と部下を数人、送っていただけると……」


 わたくしは壺を入れていた木箱から、手紙の束を取り出した。


 勝手に遠い国の技術者と連絡を取り合ったことは、もしかしたらなにかの罪になるかもしれない。


 その時には、わたくしが一人でその罪を背負うつもりだった。


「私の指示です」


 ずっと黙っていたジョレス様が、わたくしの手から手紙を取り上げた。


 わたくしがジョレス様を見ると、ジョレス様は力強くうなずいた。


 この方は領民たちとこの国に必要な方。


 わたくしは奥様と異母姉たちのおかげで、罰せられるのには慣れている。


 わたくしに任せておいてくれたらよかったのに……。


「彼女は我が領民を思い、私に提案してくれたのです」


 またジョレス様が、わたくしを庇おうとしてくれた。


 お気持ちはうれしいけれど、黙っていてほしいわ……。


 わたくしが勝手にやったことにしておけば、ご自分は罪を免れられるのよ。




 わたくしはお飾りの妻だ。


 ジョレス様と結婚式すらしていない。


 それに、ジョレス様からは、「君を愛することはない」とすら言ってもらえていなかった。


 ジョレス様はわたくしがルコニア家に到着してから、一度だってわたくしの寝室を訪れたことがないのだ。



 わたくしは本で『その人の行動こそ、本当に考えていることの表れだ』と書いてあるのを読んだことがある。


 ジョレス様がわたくしに指一本触れてこないことこそ、ジョレス様のお気持ちのすべて。


 わたくしは自分の立場をちゃんと理解していた。




「国王陛下は賢明な君主だ。そう案ずることはない」


 ジョレス様はわたくしを励ますように、やさしくほほ笑みかけてくださった。


 ああ……、気を持たせるようなことはやめてほしいわ。


 わたくしは『主人を誘惑したメイドの子』。


 しかも、王太子を婚約者から略奪しようとした性悪女と同じ『ピンク髪』。


 だから、ジョレス様に笑いかけられたり、ちょっとやさしくしてもらっただけで、すぐ好きになってしまうのよ……。




「素晴らしい壺だ。受け取ろう」


 わたくしは国王陛下の指示を受けた侍従に壺を渡した。


「ありがたき幸せに存じます」


 わたくしとジョレス様は、胸に手を当てて、頭を下げた。


「この壺は、余と我が民のために尽くすルコニア家の、忠義の証である。余はその忠義に報いよう」


 国王陛下はルコニア家に金貨千枚を授けてくださった。


 さらに、直ちに遠い国に使者を送り、技術者を借りてくださった。





 技術者たちがやって来ると、ジョレス様とわたくしは、技術者たちと共に領民を率いて山に入った。


 わたくしも、ジョレス様も、技術者たちと同じ『ツナギ』と呼ばれる作業服を着て、『土木工事』なるものを行った。


 わたくしは技術者たちに教わって、乾くと固まる不思議な泥をたくさん作り出した。


 わたくしたちはその泥を使い、何年もかけて、山奥に巨大な『ダム』という水瓶を作った。





 この巨大な建造物が完成すると、国王陛下と王妃殿下は、わざわざ視察に来てくださった。


「よくぞ成し遂げた!」


 と技術者たちを大いに褒め称え、遠い国へと帰っていく彼らに、たくさんの褒美を持たせた。


 ジョレス様とわたくしにも、身に余るほどの称賛をくださった。




 貴族や裕福な平民たちも、この世にも珍しい水瓶を見に押し寄せた。


 わたくしの父と奥様、異母姉たちまで来た。


 国王陛下と王妃殿下は水瓶の視察を終えると、各地から集まった民のためにパレードを行った。


 わたくしは新品の菫色のドレス、ジョレス様は黒い騎士服を着て、パレードを見物した。


「貴女の夫も来ているだろうか? 貴女をずいぶん長いこと借りてしまったので、お礼を言わねばならないと思っている」


 わたくしの夫にジョレス様がお礼を言うとは?


 わたくしの夫はジョレス様では?


 わたくしを借りていたって、誰になの……?


「貴女が既婚者とは知らず、貴女のお父上に対して、貴女を我が家に寄越してほしいとお願いしてしまった」


 ジョレス様が悲しそうな顔で、わたくしを見ていた。


 既婚者と知らずってなんなの……?


 わたくしは今まで、ルコニア家でどういう立ち位置だったの?


「貴女と結婚できるとは、実に幸運な方だ。……彼のおかげで、私はいよいよ妻を娶れそうもない」


 寂しげな口調で言ったジョレス様のアイスブルーの瞳が、わたくしを熱っぽく見つめていた。



 ジョレス様のお言葉から考えるに、ジョレス様はわたくしをご自分以外の誰かの妻だと勘違いしている。


 わたくしは父たちがジョレス様からの『土の加護で助けてほしい』という依頼の手紙を、結婚の申し込みだと勘違いしたのだと気づいた。


 わたくしは自分がジョレス様と白い結婚をするのだと思い、既婚者らしく髪を結ってこの家に来た。


 それはジョレス様だって、わたくしが誰かの妻なのだと思いもするわよね……。




「あら、イレーナじゃないの!」


 異母姉の声がした。


 父と奥様と異母姉たちが、少し離れた場所に立っていた。


 悪いことって、本当に重なるのね……。


 今のわたくしには、実家の相手をしている余裕なんてないのに……。



「土なんていう意味不明な加護で、あんな大きな水瓶を作るなんて、さすが『火炎の英雄』様ね!」


「ジョレス様ってすごいわぁ!」


 異母姉たちは、わたくしの隣にいる方がジョレス様だと気づいていないようだった。


「イレーナ、その隣に立っている黒服の男は執事かしら?」


 異母姉はジョレス様の黒い騎士服を、執事服と勘違いしているようだった。


 騎士服と執事服では、かなり違うと思うのだけど……。


 黒ければ執事服だ、とでも思っているのかしら……?


「幼馴染の男爵令息というのもあるわね。イレーナに幼馴染なんていたらだけど」


 白い結婚では、待遇の悪い婚家から逃げ出す女性も多いようだった。


 実家に戻れない女性の場合は、誰か素敵な男性と再婚することが多いらしい。


 その再婚相手として多いのが、婚家の執事や幼馴染の男爵令息などのようだった。


「イレーナには白い結婚がお似合いよ。再婚相手なんて見つかるわけないわ」


「ずいぶんと顔がいい男じゃない。もしかして既婚者なんじゃないの?」


「その子は性悪女の『ピンク髪』ですよ! イレーナの横の男、気を付けなさいよ!」


 異母姉たちは下品にも、大口を開けて笑い出した。


 父と奥様は、こんな異母姉たちを叱ることもなく、不愉快そうにわたくしとジョレス様を見ていた。



「ジョレス様……、失礼いたします」


 わたくしはその場を逃げ出した。


 実家の者たちが恥ずかしかった。




 父たちがジョレス様からの『土の加護で助けてほしい』という依頼の手紙を、結婚の申し込みだと勘違いしていたことも。


 ジョレス様をわたくしの再婚相手扱いされたことも。


 ジョレス様の前で性悪女と侮辱されたことも。


 すべてが恥ずかしくてたまらなかった。



 わたくしは結っていた髪を乱暴に解いた。


 既婚者でもないのに、ずっと既婚者の髪型をしていたのも恥ずかしかった。



 ルコニア家に来てから何年もたつのに、自分がジョレス様と結婚していないことに、まったく気づかなかった。


 自分のありえないほどの愚かさも恥ずかしすぎた。



「待ってくれ!」


 路地でジョレス様に腕をつかまれた。


 わたくしは立ち止まり、ジョレス様に向き直った。


「実家の者たちが失礼いたしました」


 わたくしはジョレス様の顔を見られなかった。


「ちょっとよくわからないのだが、貴女は夫とは……、白い結婚なのか?」


「いいえ……。結婚していなかったので、白いもなにもありません……」


「なに……? どういうことだ……?」


 わたくしは父の勘違いにより、ジョレス様と結婚していたつもりだったことを説明した。


 何年も誤解したままだったなんて、愚かすぎて恥ずかしい……。


 いくら一大事業に没頭していたとはいえ……。


 普通なら、こんなに何年もかからずに、どこかで勘違いを正せたのではないかしら……?


 わたくしの話を聞いたジョレス様は、なにか考え込んでいた。


 自分の妻でもない女が、何年も妻気取りでいたのですものね……。


 それはまあ、考えることもいろいろあるでしょう……。



「こんなところにおられたのですか!」


 国王陛下の侍従が、わたくしとジョレス様を呼びに来た。


 わたくしたちは侍従に連れられて、街の中央広場に行った。


 中央広場には一段高い場所が作られていて、国王陛下と王妃殿下が豪華な椅子に座っていた。



 わたくしたちの姿を見ると、国王陛下と王妃殿下は立って迎えてくれた。


 お二人はわたくしとジョレス様を褒め称え、褒美を下さるとおっしゃった。


 観衆から大きな歓声が上がった。



 ジョレス様は自分の分の褒美も、わたくしに譲ってくださった。


 わたくしは国王陛下と王妃殿下の前でひざまずいた。



 わたくしの頭の中には、お金や、宝石、アクセサリー、ドレスから、領地や爵位まで、いろいろなものが駆け巡った。


 そして、最後に、苦労の末に亡くなった母の顔が浮かんだ。



「国王陛下と王妃殿下に申し上げます。わたくしはこのピンクブロンドの髪により、『ピンク髪』と蔑まれてまいりました。どうかこの国の民が、自分ではどうにもならない、生まれ持った容姿により差別されることのないよう、お計らいくださいませ」



 わたくしの言葉に、国王陛下と王妃殿下も、観衆も、押し黙ってしまった。


 まさか『ピンク髪』が、こんなことを言い出すなどとは思わなかったのだろう。



「私からもお願いいたします。イレーナ嬢は慎ましく淑やかで賢く、心やさしい女性です。この国の民のため、何年も尽力してきました。たった一人の愚か者と同じ髪の色というだけで、差別されて良い方ではありません。イレーナ嬢は今もこうして、罪なき民たちの幸せな暮らしを望んでおります。清らかで尊き心を持つ方です」


 ジョレス様が加勢してくれた。


 やさしくて、強くて、容姿も素晴らしい、『火炎の英雄』様。


 こんな素晴らしい方に、まだ奥様がいないのが不思議だった。


「うむ。そうであるな。『ピンク髪』への差別をなくすよう取り計らおう。禁令を発することを、ここに約束する」


 わたくしとジョレス様は「ありがたき幸せに存じます」と言って、深く首を垂れた。


「楽にせよ」


 国王陛下のお許しが出て、わたくしはジョレス様に助けられて立ち上がった。



「……イレーナ嬢は未婚なのですよね?」


 ジョレス様はいきなり、妙に丁寧に訊いてきた。


「はい。そうですが……」


 自分でも知らなかったけれど、わたくしはまだ独り身だった。


 ジョレス様はその場でひざまずくと、わたくしの手をとった。


「あ、あの……? ジョレス様……?」


 わたくしは助けを求めるように、国王陛下と王妃殿下や、観衆に目をやった。


 どうしたらいいのかわからなかった。


「イレーナ嬢、共に民のために働くうち、あなたの素晴らしさに惹かれていった。あなたは愛らしく、勤勉で、しかも、我が領民を心から慈しんでくれる。どうか我が妻となり、これからも私と共にあってほしい」


 わたくしは顔がひどく熱くなるのを感じた。


 国王陛下と王妃殿下、それに観衆たちの前で、ジョレス様に求婚されるなんて!


 夢でも見ているのではないかしら!?


「はい」


 わたくしは小さな声で言って、うなずくのが精一杯だった。


「えっ、ちょっと、どういうこと!?」


「白い結婚をしていたんじゃないの!?」


 観衆の中から異母姉たちの声がした。


「私の愛しい人。彼らへの制裁は任せてほしい」


 わたくしの『火炎の英雄』様は、蕩けるような笑顔で申し出てくださった。


 立ち上がったジョレス様は、わたくしを抱きあげると、国王陛下と王妃殿下のお許しを得て、わたくしを館に連れて帰った。





 それからしばらくして、わたくしはジョレス様と盛大な結婚式をした。


 国王陛下と王妃殿下まで参加してくださったのに、実家の者たちは一人もいなかった。


 しかも、わたくしへの結婚祝いとして、国王陛下から実家の男爵位をいただけた。


 人づてに聞いた話では、どうやら実家の者たちは、全員が辺境の前線で働かされているようだった。




 ルコニア家の領地は、洪水がなくなって豊かになった。


 わたくしの土の加護で土地を肥えさせ、国王陛下の計らいで豊穣の加護を持つ方にも来ていただけて、作物を作れるようになったのだ。




 わたくしたちが山に作った建造物には、ジョレス様によって『イレーナの水瓶』という名前が付けられた。



 わたくしは『ピンク髪』への差別をなくした聖女として、『火炎の英雄』であるジョレス様と共に偉人伝に名を連ねることになった。




 あの日、実家を出た時には、こんな風になるなんてまったく思わなかったわ。


 人生って、なにが起きるかわからないわね。

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辺境の関係者には「役立たずのゴミを送りつけてこないで(T_T)」と思われてたりして…(笑)
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