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眞神郡シリーズ

素敵!  旧題「解脱」

 小説には人事に関するものが多い。本文もそれである。とはいえ、実際、あるものといえば紙の繊維についたインクの点綴のたぐい、液晶、音声、凸面の触感などである。という外部からの事実を明晰に意識する瞬間、物性の無表情が異様に明晰、鮮烈に映えるというのは、この裏切り行為的な認識のしかたが惰性に生命を奪われた景観を破砕し、逸脱のあたえてくれる新鮮さの悦び、埒を遁れたという解放の悦びを、そのようなかたちで感受させてくれるからである。

 このことをかんがみれば、リアリティ感覚の感受が逸脱に対する報酬だとする考えを比喩とし、軽んじることはできない。人間の営為活動の根底にリアリティ感覚への渇仰を観取することがさほど難のある省察でなく、むしろ私には自明だからである。

 そんなふうに思うたのはある書籍に刷られた経典の写真群を鑑賞していたときであった。たとえば仁和(にんな)寺旧蔵心経とよばれる摩訶般若波蜜多心経の巻子(かんす)写本も遙かむかしに漉かれた紙に載せられた墨が時を経て干からび遺されたものでしかない、そういう感慨に囚われたのである。

 それはまた人の心情が内部でのみ心情であって、外部から見ればインパルスがニューロンからニューロンへと伝播されるネットワークのパターンにひき起こされる諸作用でしかないという観察のしかたと似ている。

 しかしながら私にとって私の存在が心情でしかなく、インパルスであるとは感じられぬ以上、事実どうあれ、実存する私の現実性とは物的現象の内部にある架空でしかない。

 それなのになぜこれにリアリティを感じるのか。

 考えられることは、私の認識が事実に反しているという認識を私が持ち、なおかつそうとわかっていてもそこから離れられぬ人間の限界をも眺めやることができるという、自己の主観性を逸脱したかのような、自己を超越したかのような自分を眺めることが人間の欲に合致し、リアリティ感覚の恩寵に啓かれる、という一解釈である。

 とすれば本欲とは脱自的超越の実現、自己からの解脱をいうほかにない。

 脱自己の状態であることによってえられるこうした快とよく似たものとして自分の経験を凌駕する新しいなにかを体験したときに突如襲われる「鮮明さ」の感覚によってえられる自在解放の法悦があげられる。

 すなわち彼女は私にエクスタシスを褒授した。

 永劫追いつくことのできない、常に私の経験を超えるなにかをである。

 彼女の髪が襟もとで春風にゆれるようすが私にはタンホイザーの物語や獅子心王の楯紋、盲目の詩人が謡う海やインドラ神の金剛杵がうち倒す悪龍、麒麟の瑞翔や有翼人頭牛身の彫像がたつ巨門、死して白鳥となり天翔る英雄の叙事詩等々、豊穣なる光の乱舞、あまねき感覚(サンサシオン)の氾濫となる。

 存在であるところの私の、一切が余情するのである。

 すなわち日は晩秋、はやくも傾きのかげりを帯びる刻、木枯らしに吹きさらされた朽葉が寄せられ、洲を歩道のそちらこちらに築くのであった。低い太陽のまぶしさが舗装に乱反射している。役場にちかい喫茶で私はヴェルレーヌを伏せ、これ見よがしの歎息をし、外を眺める。

 真神(まがみ)村に喫茶店があること自体奇蹟だと思う。畝邨(ほむら)竜呑(りゅうどん)にもないのである。

 午後のバッハは無伴奏チェロ組曲の第一番、および第二番であった。なに長調であったかは忘れている。いま自分はプルマン・カー社製の豪華列車の車窓に肘をついて旅愁に浸っているのだと想像する。

 歩道がプラットホームだ。しかして私がプラットホームという言葉で最初に連想するのは『オリエント急行殺人事件』の冒頭、シリアの厳冬である。

 枯葉はあおられて舞いあがる粉雪でなければならない。マフラーは鼻尖までうめなくてはならない。めぐらせるうちいつしか想いは移ろう。さわぎながら歩いている小学生らはクリスマスにおじいさんやおばあさんのいる家に向かうこどもらとなる。赤や青の外套には大きな金色のボタンがならんでいて、衿と袖とには毛皮がついている。

 幸福な光景だと思う。私は哀しくなってきたが理由はわからなかった。わけもなく憂愁の想いに囚われている。いったい、この世界に投げ込まれ、まず想うのは哀しみである。哀しみが最初にあって、それ以外は派生でしかない。すべてあとから考えたこじつけでしかない。

 私は彼らの動きを眼で追従していた。

 田舎の小学生だ。なんの意味もない。いちいち意味があったら不自由でたまらないだろうななどと無駄な思考を費やしながら茫然と視線を投じていた。なん人かの顔を知っている。どこそこの家のせがれ、むすめ、というぐあいにだ。視線が彼女のところでとまった理由はわからない。ともかくもとまった。

 ほかの子に比べてどこか特別だったわけでもなく、また特別ではない存在者がいるわけもなく、うちの一人に目がとまることには特段の不可思議もなかったのであろう。

 ふつうの、なんの変哲もない子であった。

 目が細く、日焼けした、顎の小さなすっきりした丸顔で、あたりまえにはしゃいでいた。

 彼女の双眸が私にとってはCatedralだったのである。

 殉教者にしてパリ最初の司教、聖ドニを葬った地に聳えるサン・ドニ大聖堂だ。ランス大聖堂西正面の、またはアミアン大聖堂西正面のばら窓だ。だがこの事実を日本人以外の、たとえばスペイン語圏の人に伝えるときにはカテドゥラルを大伽藍といおう。彼女の眸の燦めきが放射する光芒の晰らかさを表わすには、異質の感じで醸す即物的な膚ざわりがふさわしい。

 ライトをあてられた金剛石のように、または黄色みを帯びた白熱の陽炎(かげろ)いをする太陽の円陣の中心部のように、見る者が眼を伏せずにいられぬまぶしさ、シンバルの音触をなす燦爛を語るには、ミュートさせた金管のような物的で、触れられそうなくらいの語触を以て表音したい。

 属性である虹彩の光輝からしてこのように非地上的であり、プラトンがしめしたイデアのように純粋で本質、その真骨頂は崇高さにこそあり、だれしも魂魄を奪われずにいられない、超越的なものであった。

 到底、双眸全体を語り尽くすことなどできない。虹彩は捉えられぬがゆえ私を凌駕し、わが魂をわが身の陋屋から抜き、俯瞰するかのごとく脱自せしめ、人間が永遠にえられぬ理想をかいま見させ、あこがれを生ぜしめる。これを捉えようと焦燥する著執との、無限の確執を葛藤させる。私=全世界とはすなわちこの摩擦にちる火花、発火(インパ)現象(ルス )である。

 人が求めて見はてぬまぼろし、際限のない喪失を約束された夢。

 語り尽くす言葉を探し求めて永劫執著し、あくことなく存続しようとし、きょうも世界が生きる。それは世界というものを志向して自殻を脱し、了解というかたちで啓いたこの外側の場所に、被投されたかのふうに、自らを自らに開示してみせる。

 彼女の双眸が世界の、存在の神髄なのだ。

 瞳孔の開度を調節するための筋肉である虹彩は、ふつうの人のばあい、放射状の文様をなすが彼女においてはアミアンの窓の精緻をなし、はめられたそのステンドグラスには青、水色、蒼、コバルトブルー、碧、インディゴ藍、紫陽花色、藍、濃紺、トルコ石色、群青、エメラルドグリーン、青紫etcの瑠璃片がちりばめられている。

 しかもそれがゴシック建築内部を構成する、大アーケード、階上廊トリビューン、トリフォリウム、高窓という四層の壁面構成をなし、かつそれが通常あるようにたてにかさなって高さを構成するのではなく、奥ゆきに向かってなされているのである。

 そのうちの階上廊は独自の内部空間をなし、屋内に独立した建築がもう一つあるかのような、内部に内部があるかの観を抱かせる。

 それが彼女の眸の真奥にある蒼瑠璃の奥に、より炳らかな蒼があり、そのまた奥にもさらなる炳らかさの碧、そのまた奥の奥によりつよく青が燠火し、奥にいけばいくほどに際限なく晰らかであり、強烈に、ぶ厚く、濃く、深く、晰度の過剰をなすようすを構成するのである。

 過剰なる晰らかさの純度は、たとえば沙漠が無菌であるように、また雲海を凌いだ上空のあまりに真なる空気に肺臓が燃焼し、イカルスのように失墜してしまうかの高純度であった。

 透明度においていえば水深数千mの湖底にある石英石が超絶の解像度でくっきり、手元の石英石よりもなまなましく鮮やかに見えるというぐらいの透明度である。

 私はコーヒー碗にさじをまわした。こどもらは去っている。脳裏には刻印されていた。私は脳髄にひるがえる彼女を反芻する。未知の土地を探す冒険者たちの舳尖に砕ける大波をなす海のような紺碧の双眸を思い泛べ、天上のように陶酔していた。恩寵の光に浴する者のように、恍惚としている。言葉に尽くせない蒼さ、あの青さを求欲しないことはだれにもできない。碧い縞目大理石のように深く、崇高にして永遠の蒼穹(L'azur)。

 彼女は碧眼じゃない。

 だがそれがなんだというのか。

 あの日の私は十七歳だったのである。



 高校卒業式の翌日にはパリに向かって発っていた。大学受験に失敗したからである。ルーブルをほぼ一日かけて歩いた後、シテ島で休憩した。セーヌを眺め、頭をあげれば蕭然たる雨のパリ大聖堂ノートル・ダムが聳えている。二週間後にスペインにわたった。セヴィーリャ大聖堂のなかで南正面のばら窓を透過した光が東側の壁に同じ模様を映しだしていたのをわずかに憶えている。私は彼女への想いを巡礼していた。帰国後も時は虚しくすぎていく。

 あの邂逅の日から二年の後、私は彼女と再会することとなった。

 私が薙久(なぎく)()町の駅から乗って吊革につかまった瞬間、背後で声がしたのである。

 彼女の声を正確に記憶できていたわけではなかったがからだが反応し、教えてくれた。振り向く。同じ学校の生徒らと坐っている。眼を伏せ、もとに向きなおる。ただ一瞬であったが中学のセーラー服を着てテニスのラケットを持ち、男の子のような短い髪をしていたのが見て取れた。夏の大会の帰りであったのだろう。心臓が喉を乾燥させ、両脚を震わせる。

 ふたたび見ることはできなかった。かろうじて頭をあげられるようになってからも水田に映えて動かぬ蒼穹を凝視するだけであった。

 当時私は予備校生であったが片道二時間にあきてよく薙久蓑駅を降り、古本屋や喫茶店で時間を費消し、夕に宅に戻るという生活を送っていたのである。その帰りに偶然、再会してしまったのだ。どうしてあせらずにいられようか。いや、いま思えばあせる理由なんかなかったのであるがすでに思考は動転していた。

 私は買ったばかりの『人生論(生命について)』をポケットからだし、ページをめくろうとするが手が震えてページを指尖にひっかけることができない。おちつかなければならないことがわかっていても、自分がいうことを聞かない。

 万策尽きて私は意識が茫としはじめる。

 事物は遜色し、風景は遠近のなくなった画面となって阻喪した。私の耳には女の子らのささやきあう声のみがひびく。

「ねー、やっぱり、サボってんだよ。かあさん、いっていたもん、予備校にいかないであそんでいるらしいよって」

「いいのよ、あそこんちは。どうせ余裕なんだからさあ」

「しっ、だめ。聞こえるよ」

「いいじゃない、ほんとうのことだもの」

 こめかみの血管のふくらみがわかるほど顔が熱くなる。 

 わが家はこの地では『名門』だった。徳川時代の豪農で、明治の御世には日照りや台風、いなごや大雨、川の氾濫などの際、貧しい農家に金を貸し、払えぬ者に土地で収めさせ、田畑を増やしている。第二次大戦後には村議をだし、昭和四十年代以降、中古車販売で成功した。

 私は十八のときからフル・レストアした五八年製インパラ・コンバーチブルのステアリングをにぎっている。V型8気筒五七〇〇㏄のビック・ブロック・モデルだ。

 そのくせ一族が真神郡有数の名家を自称する俗物性をさげすみ、家柄など私には関係ありませんよというポーズをよそおい、知識人ふうを気取っていた。

 天之(あまの)哥舞伎(かぶき)。それが私の名まえだ。親父は私が豪快にかぶいた男となることを望んでいたらしい。私が当主の長男の長子であるところの天之家には棗型の胴に肩衝(つき)で、龍文の火襷(ひだすき)がかかった元禄時代の古陶があり、その龍文のかたちは特に彝の龍文とよばれている。

 

 

 扶壁というものがある。控え壁ともいわれ、大聖堂の外壁の外に一定の距離をおいて塔のような壁が列をなしてならんでいるのである。その上に装飾された小尖塔ピナクルが屹然するさまは氷結の針葉樹林を思わせる趣がある。

 扶壁とピナクルとの整然と列するのを眺めるたびに精巧細緻という言葉を想起せずにいることができない。レースの刺繍のような石造建築の風姿をとらえようとするとき、私はそれを氷と化した燦然とよぶのである。光ほど崇高を表現するものがあろうか。それゆえにまばゆさを形状になし、久遠にとどめたさまをなす数々の大聖堂を、憧憬を以て眺めずにはいられない。

 現実の醜怪さに比較していかに超越的であることか。私の現実も彼女の現実も関係ない。なぜなら彼女が光輝にみちているからである。

 よって私が氷化したカテドゥラルを思い描くときにはいつも、お山にある大巌の彝龍の亀裂を連想してしまうのを不条理としてしか思えない。似ても似つかないそれには静止という以外の、なんの連関も見あたらない。

 真神山に登ったのは二十五歳のときであった。

 進学を断念し、中古車販売業のまねごとをしながら、すでに数年を呑気にくらしていた。

 真神参りは即物的にいえばそのときがすでに三回めであったらしい。三歳と五歳のときとで憶えていない。

 五歳の記憶ぐらいあってもよさそうだが、ない。

 幼少時にお山に連れていかれたのは標高五二四mの頂上に古代祭祀跡と、彝龍の裂があるためだった。祭祀跡といってもシバ・リンガのような石のモニュメントと、縄文時代の大磐坐(いわくら)と言い伝えられる大巖があるばかりである。 

 巌には自然の大亀裂がたてに入っていて、それが龍に似ているところから、彝龍と呼ばれ、この地域では大昔から信仰されていた。古老らはいまでも古代の人が彫った神聖なものだとして譲らない。

 わが天之家もその末裔の一端ということになっている。

 斜面の草をわけ、木の根につかまり、岩にしがみついてよじ登らなければすすめなかった。山に手を入れることは禁じられている。だから道はない。低い山ではあるが野生の威厳があって、遭難しそうな錯覚に襲われる。しかし実際は晴れた静かな日をえらべば、声をはりあげてわが家に届きそうなくらいでしかない。

 氷雨ふる二月をえらんでも汗を噴いた。雪はあさくやわらかい。

 頂上にちかくなると岩が多くなる。木だちはなくなった。巌の隘路を数mあがり抜ければ山頂である。一息でのぼった。頂上にたつと曇天に投げだされたような感じがする。鳥居の前であった。磐坐の偉容が黙し、私を見下ろしている。

 下界は雨にかすんでいた。とはいっても同じ程度の山が多く、水田がノルウェーの入り江のように続くだけで展望とはいえない。私はふたたび向きなおって磐坐を見あげた。存在自体が人工的に見える。独りで対峙していると圧倒され、畏怖に囚われる。喝の声が唐突に凍って静止したかのような大亀裂が雷霆痕のようにたてに聳えていた。

 冷えてきた。私は現実を取り戻し、背嚢を肩からおろす。だれかに見せるようにいそいそとしたしぐさで開いた。 

 持参の防水シートを敷く。冷たい冷たいと独りごちながら坐る。いろいろ瞑想したが最終的に考えていたのは彼女のことだった。私は彼女の双眸の精髄、現実世界の真の本質、天穹、そして想像すら及ばないひろさ、星雲と星雲とが距離を拡大していく宇宙を夢見る。

 宇宙の真理と合致することがこどものときからの大野望だ。宇宙という言葉も真理という言葉も知らないときから本能的にそう欲していた。それが私だった。


 

 飛び梁とは扶壁から大聖堂身廊本体の外壁に向かってわたっている半アーチ状の梁をいい、聖堂の壁にかかる推力を外から支えている。

 これによって中世建築は当時としては未曾有の高さを完成することができた。ゴシック様式は内部空間の高度の追求でもあったのだ。私は感応する。神の栄光をたたえ、天上的崇高を窮めようと欲し、超越的感激に入ろうと意欲する当時の人々の熱狂的恍惚が胸にバイブレーションする。

 真理への探求がより優位であろうと欣求することであり、他者を凌いで自己肯定である精神状態に達しようとする欲であることをまったく否定するのは欺瞞である。しかしそれのみであるとわりきるのは怠慢といえる。

 一切の営為の奥底には生存の適格者となって遺伝子を残し、種として存続しようとする意欲がある。より強大たらんとする進化への意志である。

 われら人間は晰らかに物質である。物的現象である。細胞の集積の働きの内部にある。どう努力しようが生存の絡繰りの内側にしかありえない。しかしそれは問題なのだろうか。それ以外がありえないならば人間にとっては空気のようなもの、ニュートラルな事柄ではあるまいか。ほかとの比較がありえない。特異性がない。なにかではない。

 進化への意欲の解明や批判には意味がない。

 自己肯定欲が現状を否定し、破砕するを快楽とし、常時超越であろうとする意義の本質性や是非を問うのは無駄なのである。

 超越的なものが人をむしょうに、そして凄絶にエキサイトさせるのはそのためだろう。私は世俗に対して自分が超越的であることに矜恃を覚え、そこに自己肯定という建築の基部を見いだしていた。

 よって当時の私には通俗的な現実や常識など関係なかった。

 彼女との交際を求めなかったのは当然といえる。こころが現実に対応せず、うちにこもればこもるほどに彼女の双眸が奥にして奥なる透明の層を厚くし、深さを深め、濃密な碧蒼となって明晰さのどあいが増し、その増大の速さが私の焦燥に比例して加速度を過剰化させているというのに、どうして人間じみた交際などを求めねばならなかったなどといえるか。

 そこには私を狂おしく駈る逸楽があったのである。

 あの聖なる蒼碧の眸、人が彼女の瞳を黒いといおうがかまわない。実際の色彩はまやかしだ。私は私に原的にあたえられた直観のままに解釈する。

 黒曜石色だろうが灰緑色だろうが紅だろうが関係ない。彼女をさえ思い泛べれば私は解放される。堪えがたく純粋なる真空によってひきちぎられ、きれはしとなって散り、蒼穹のように広大無限を舞う。

 青という概念になんの意味があるのか。おもに青とは青の波長を持った光線の反射を網膜が感受し、その刺激が視神経から脳神経細胞に伝わって生じる内部的な一定の効果であり、内部的にしか通用しない青という解釈、というよりは納得という心的現象を生ぜしめるものでしかない。

 即物的に起こっている現象は、脳神経細胞の樹状突起にまで達したインパルスがそこにあるシナプス小胞を刺激して発射させる伝達物質にシナプス間隙を越えさせ、受け手側のニューロンのレセプターにそれを附着せしめ、受け側のイオン・チャネルを開き、その細胞内に外のイオンを流入させ、内外のイオン・バランスによって保たれていた正負の電荷の関係を崩し、脱分極化をはかることである。

 この電極の逆転が電気的な発火現象として表され、すなわちインパルスとなる。つまりインパルスはいったんニューロンとニューロンとの間にあるシナプス間隙で途絶えるが伝達物質を介して相手側のニューロンにインパルスを生ぜしめることによって伝播の続きをさせるのである。

 客観的にみればそれでしかない。ただ現象の内部でしか、蒼だの緋だのは存在しない。われらの意識に実体はなく、ただこの物理的現象の内部的なものでしかない。これがなんだといえるのだろうか。われらの存在はインパルスの伝播という現象の内部的なものでしかない。

 外部からこの電気的現象を指ししめされて、これがなす諸概念のそのイデアとはと問われても、いいようがない。現にこうして生きているわれらにおいては意味をなすがその究明を求められてもわかっていながら根源的な説明ができない。

 ある一定の段階で心的に納得という現象が起こって了解し、理解のすべてが終わっているからである。ある種の傍若無人的暴力といって差し支えない。眼の前の巌のような唐突性である。ただ実在する。それがイデアの虚しさをしめす。

 イデアの意義はただそれが超俗的であるという高揚、崇高感にのみあるのである。

 とすれば彼女の双眸が青碧でないことなどなんであろうか。本来われらはいとも易簡に意のままにかろらかに生きて、自らの命題である超俗的な楽観を生きられるのである。

 そしてこのことは(前の話にもどるが)次のことにも適用できる。

 すなわちわれらが物質であることはなんら限定ではない。生存の絡繰りに絡めとられ、操られていることはなんら嘆かわしいことではない。卑しくもない、ただの事実であり、気にもとめるべきではない。批判などありえない。ましてやそれ以外がない(前にもいったことだが)のであるからなおさらである。

 われらは霊的存在であると主張して憚る必要がない。魂で生きているのだと主張しても捏造ではない。われらはわれらに原的にあたえられた直観のままに叙し、それを真実としてよい。生命とは理性であるといってもかまわない。

 われらがインパルスであったとしてもそれはなにも意味しない。だからわれらはわれらに原的にあたえられた直観のとおり、我らの実存に従って解釈し、私は私の心情である。 

 このように大言壮語することはいっこうに欺瞞ではなく、われらにとっては事実であり、すなわち実存的であるといえる。

 超俗的楽観主義は机上の空論ではないし、実際問題的であり、なんら後ろめたさのない道なのである。 

 私は茫然と磐坐を眺めた。

 いま眼の前に巌が実在していてもなにかが実在するのでなく、無色無臭無味であり、いくら言葉を繰りだし紡ごうとも未来永劫たどりつくことのない、無限の透明度である。

 こうして私の人生の瞬間の一つ一つもまた、彼女の眸にちりばめられた青碧の一片一片と同義であり、私はカテドラゥルの構築の精髄を生きている。この刹那にも。また諸氏にあっても同様である。

 ゆえなく彼女にこのように見いだしうるのも不可思議ではない。

 

 

 リヴ・ヴォールト(肋骨穹窿)の発明によって、それまでは壁で天井を支えていたロマネスク時代の様式(実際には様式の変遷はそう単純でもなかったのだが)にかわって、支柱によるゴシック様式があらわれたとき、壁面は壁面である必然がなくなった。そこにはステンドグラスがはめられ、半透明の壁と呼ばれる透かし彫りのようなゴシックの壁面が出現するのである。奇蹟のように眼前にあらわれ、光にみちあふれた内部空間世界の感激をいまでは想像することさえむずかしい。

 サン・ドニの修道院長シュジェールはその光輝を「新しき光(Lux Nova)」とよんだ。

「神は光なり」とする中世欧州の価値観においてその恍惚はエクスタシスを予測させる。

 私はその絶頂をばら窓に見るのである。窓を構成する中心円には右手で祝福を人々にしめし、イエス・キリストが坐っている。キリストをかこむ十二の小円には四匹の動物、および八人の天使がいる。四匹の動物はマタイ、ヨハネ、マルコ、ルカという四人の福音記録者を象徴している。

 またその外側に十二の円があり、そのまた外側には十二の半円があって、二十四人の長老らが坐っている。

 私は山上のあの日をわが生の頂点と考えた。なすべきことはあのときを以てなされたのである。

 私が後の人生を年金生活の隠居と決めたことは尋常である。人のいう幸福論は私には形骸的でいわれのない虚しいものと観ぜられた。路傍の道祖神のようにそこには「納得」が風雨にさらされ、うたれ、無表情にあるだけであった。

 あらゆる反論論駁は聞きたくない。

 なによりも私の主張するところは基本的に厳密な科学的事実であり、今日的な識見からいえば紛れようのない真の現実主義であり、当然というべきものである。しかしいったん口にすればバーチャルリアリティを生きている人々からは眼を背けられ、呆れられ、疎ましがられる栄誉の快美を授かるはめとなる。異常とまではいわなくとも変態ぐらいは自認するのが嗜み、楽しい美徳であろう。

 これは一つの贅沢ではあるまいか。

 それゆえ友人とは天易(あまやす)真兮(まことや)くんという変態くらいしかいない。人生は素敵だ。

 彼は自分が解脱し、目覚めた人すなわち仏陀であると自称して憚るところを知らぬド変態である。

 しかし彼のいう解脱というのも私同様に真の現実主義に基づいている。

 なぜなら彼は六五年型のコルベット・スティングレーに乗っているからである。コード・ナンバーL78、ホーリー・4バレル・キャブレターで最高出力425hpだ。アメ車に乗った仏陀かよ、とからかえば、真兮くんはすまして応える。

「知らないのかね、哥舞伎くん。小生が教えて進ぜよう。君には偉大なる真理がまだ実践的に咀嚼されていないのだ。

 かつて古代インドでコーサラ国の王が齢八十の釈迦に食事を供養したときそのあまりの老衰のさまにおどろいてこういった。

『仏陀とは金剛石のように年齢や疾病に動ぜぬ者と聞いておりましたが、老いや病患や死という自然の摂理に支配されておられるのでしょうか』

 釈迦は応えた。

『私にも父があり、母がある。仏も人からいずる者である。どうして自然の摂理に左右されぬはずがあろうか。老衰もすれば罹病もし、やがて死するのみ』

 なあ、わかっただろう」

「わかるか。

 しかし釈迦って解脱して不死なる者となったと宣言したんじゃなかったっけ」

「むろん彼は不死だ」

「歴史上の人物としての仏陀は死んでいるだろう」

「死がせまったときに喉の渇きを訴え、弟子アーナンダに河の清水を汲むように乞うている」

「なおさら遠いじゃないか。喉をうるおそうと欲して訴えるようすが解脱のありさまといえるのか。渇きを癒そうと水を乞うのは執著じゃないのか」

「愚かなことをいう。しょせん、君はその程度かね。そもそも水ぐらいいいじゃないか。こころの狭い男だ」

「いや、そういう論旨じゃないだろう」 

「いいや、いいや、そういう論旨なのだ。わかっていない。

 いったい君は、解脱者が生命を惜しんで永遠の命など求めるものとでも思うのか。あるがままに喉の渇きに苦しみ、死す。これだよ。

 釉薬もなく焼きしめられた陶器の表面に石の爆ぜた痕が残るだけの景色のようなものさ。ありふれた路傍の石ころにもある景色だ。けれど人は焼物には観ぜられてもアスファルト舗装に転がった石には観をえない。

 どんなものにもあふれているそれなのに、いつでもなんにでも観ぜられるわけではない。契機がない限りは観ぜられない。だが欺瞞でも怠慢でもない。たとえば人の存在価値はみんな同じだといわれるが、だれをもすべての人が同じように愛せると思うか。だれかを特別に愛することは誤謬なのか。備前焼を愛さず、信楽焼に惹かれてしまうことは過ちなのか。趣味審美の問題ではない。もっと本源的な問題だ。活きている事実に反し、死せる形骸をなしてしまう本質論的解釈ではすべてを語れない。これが事実主義さ。

 命は尊い。だが肉親の命と引き換えに、君をも殺そうとする非情な大量殺人者の命を救えるか。理不尽に自分が殺されようとしているのに、自分の生存権をそんな悪逆な奴に譲ってやれるか。いや、そうしてやってもよい。だが命はどちらも尊い。自分も救わなければ本質論的解釈からいえば誤謬だ。両者の欲望は共存できない。だが現実にはどちらかを選択しなければならない。

 現実は本質論的ではないということだ。現実はでたらめなのだ。まさに現実的なのだ。事象の本質としてのイデアを問うことがいつでも役だつわけじゃない。でもたまには役だつかもしれない。それが現実さ。 

 不死者とはこうあるべきだなどというのは活き活きとした現実に反した、死すべき人間の謳う論理だ。

 いやさ、たとえ本質論的な解釈から論じるとしても(われらはそれ以外に語る言葉を持たないのだ)不死とは有限な時間性の構造のなかを生きないことではないか。ただ死なないというだけじゃ足りないのさ。

 考えてもみたまえ。

 もしも命が無限にあったとしても喪失への気遣い、あすをどう生きるかのわずらい、死への畏れがあれば不死者の甲斐なんかない。

 どこから来てどこへいくかを、まるで自分の意志ではなく、突如そこに投げこまれてしまった者のように戸惑うなら、いったい、そのこころは不死の安寧をえたといえるか。

 いえない。

 本質論に囚われてどうあるべきかとか、こうあって欲しいとか思えばそれが死だ。自由が不死だ(そういいきってしまえば不自由でもある)。すなわち本質論的に解釈してもえられる結論は同じだ。世間の論理は徹底して自壊している。

 だからさらに世間融通の論に聴従してみようではないか。

 そうさ、水くらいよいではないか。

 哥舞伎くん、ちまたでは死をいう。だが死とはなんだ。どうか教えてくれ、どこにか死があるかを、いつが死なのかを。

 世間融通の論に従えば死とは生命活動の停止、新陳代謝の停止だ。

 世にいう生命活動とはなにか。諸細胞の活動だ。しかし諸細胞は常に滅している。脳細胞をのぞけば骨もふくめたすべての細胞はほぼ一年で入れ替わる。死と再生だ。それに脳細胞だってまいにち十万単位で死んでいる。われらは常時死を経験している。これは畏怖の対象なのか。詭弁ではない。むしろ常識といわれる認識のほうが詭弁、欺瞞、空論、非現実、非直観、生活感情の実態に即していないのだ。

 いつが死か。生命活動の停止のときか。だが大脳が正常な活動を停止してもほかの臓器が生きているばあいがある。ほかの臓器が死んでも爪も髪ものびる。いったい、いつが死か。

 生命を物質の特別な活動、無機なる物質が特定の化学反応によって有機化することと解釈するなら、死など永遠にない。物質がまったく解消することはなく、エネルギーは不変であるからだ。

 通俗論からいっても死は実体のないものといわざるをえない。死とは死への慮り、それがこころを翳してなすかげりにすぎない。死をまぬがれ、あすもぶじに生きていようと欲する葛藤だ。

 人間の存在という営為一切がそこに生じている。慮りがあるから物事への意識がある。いま生きているこの瞬間の了解がある。そこに人間の実存のすべてがある。世界であり、人間存在というすべてが、だ。生死は切実、されど幻影のごとし、さ。よいではないか。それが人さ。

 さよう楽観すべし。

 そうさ、いくら死には実体がないなどといったって、死への慮りを脱することはやさしくない。どうにもならんのだから。

 しかしまた人はすでにみな解脱であるともいえる。だから死があるともいえる。つまり自由だから死がある。石を掌中ににぎるために掌中に石を入れてにぎるようなものである。人は自ら慮って死をなす。だから脱しがたきも当然といえる。

 すなわちさように楽観すべし、さ」

「それでようするになにも変えない、変わらないといいたいわけか」

「それを望まないからだ。

 それこそが事実的(ポジテイーフ)(positiv)といわれるのだ。

 いいか、事実的であることは解脱である。なぜなら事実は把捉することができない。非知だ。すべての把捉は経緯不明の形骸化でしかない。小生らに直観として感じられるそれらは空でしかない。空としてしか実存的解釈ができない。

 なにも変わらない。だがそれゆえに解脱者は異なる地平を生きているともいえる。不死者と死の情態にある人間とでは存在の構造が異なっている。時間性の地平に生きる者の網膜にはそれが映えない。ふつうの人間と同じく見える。

 そもそもなされるところのあらゆる意味がなんであろうか。

 解脱者は意味を超えた地平、彼岸に住んでいるのだ。仏国土が彼の眼の前に現われている。異なった人生であろうとしない。ただ足るをのみ知る。もはや求めようとはしない。 

 そのままがよい。死の病に斃れる。アメ車にも乗るし」

「わかった、もういいよ。どうにも詭弁じみている」

「むろん、詭弁だ。まっとうでたまるか。

 諸概念を以て論理で語ろうとすれば、いかさまになる。どのような諸概念も捏造された架空であり、実体性はない。人をなにかに駈るためのネタでしかない。人為の一切は詭弁さ。正解を求めるほうがおかしい。理論で合致を見いだしても拠りどころとはなりえない。それをいつも感じないか。いつも考えこんでいる君だからこそ感じるだろう。

 詭弁でじゅうぶんだ。

 論理なんか役にたたない。論理のすべては既成の諸前提に依存しているが、だれがその出典を釈明できるか。もともと鳥や蛙の鳴き声と同じなんだ。当事者の内部で意味ありげなだけなんだ。

 結局これは君が常々いっているところの論だ。とてもかくても候、どうあってもよろしゅうございますということだ。求めれば失する。通俗イデア論は失墜する。イデア論は非地上的超越的形而上的である点においてのみ把捉を拒絶し、崇高であり、幸福論であり、事実的だ。

 通俗イデア論も小生らに刹那のリアリティをあたえるばあいがある。だがこれを原理奥義とみなして著執し、万象の帰すべき純粋な本質であるなどと論ずれば形骸に堕する。抑圧になる。人体を硬化させる。人生が時間に被縛する。永遠の生命に死を附与される。かろらかでない。

 一切の問題は妄執にある。

 しかし人は意味を究明せずにいられない。またそれが超越を意欲させるのだ。絡繰りさ。しかし絡繰りもまた諸概念にすぎない。とてもかくても候。

 真兮もまた仏陀である」

「じゃあ、哥舞伎も仏陀じゃないか」

「ただの哥舞伎として仏陀なのだ」

「それこそ甲斐がない。死への慮りからも遁れられていない。幸福にもつながっていないよ」

「だからさ。

 君は小生のいうところをまったく解していないね。遁れるなどとは著執のいいぐさだ。解脱は解脱ではありえない。どこにでも転がっているものさ。幸福を求めて幸福はない。いままでなん千年なん十万年人間は営為してきたんだ。いっこうに試練は終わらない。努力の実りはない。罪のないこどもたちがなん百万人も虐殺される。いつか報われるのか。試練の範疇を越えている。そうでなければ永遠の煉獄なのか。そんな問いを本質論的にわずらっても徒労する。別にそれでもかまわないならかまわないが、哥舞伎くん、現実以外の現実はない。だれでも知りすぎている真実だ。知りすぎてだれの眼にもとまらない路傍の石だ。

 解脱とは公明なのだ。小生がこうして在るというとてもかくても候のいま、ここ、これのことさ。

 ほかにどんな現実がありえるかね」

「わかったよ。ようはなんにもなってない。そうだろう」

「当然だ。まあ、気休めぐらいにはなる。少しでも楽になれるのなら、儲けものじゃないか。そんなふうさ」

 真兮くんは平然と叙する。


 

 階上廊(トリビューン)とは大アーケードの上層部であり、アーチを並列し、人が歩けるようになっていて、側廊の上にある廊であり、大アーケードの上に小アーケードがあるような感じだ。()()()()()((シ)()())とよぶにふさわしい、天空を志向するイメージの具現化である。

 この幾何学的構成の精緻がわれらに褒授してくれる快が、彼女の眸の燦めきが持つブリリアント・カットのような晰度の快であり、生きていることの雀躍それそのものだ。

 よってこの晰度は存在者の一切をあからさまにし、私の実存となる。

 かように現象する存在者のなかからえりすぐり、真兮くんはその日もまた変なものを持参し、来訪してくれた。よき日だ。家族の者はみなそれぞれの用向きのため不在で、私ら余計者の会合には好都合だったのである。彼がコルベットでわが家の唐破風の門をくぐり、助手席からいくつかの包みをおろして運ぶ。二階の欄干に肘をのせて私はそれを見ていたのであった。わが部屋に入ってくるなり、真兮くんがいう。

「いや、きのうおかしなものをね、これだよ、持ってこられてね。ちょっと扱いかねているんだけれどね、まあ、そうなるとわかっていてもどうも買い取ってはしまったんだけれどもね」 

 彼の家も畝邨村では代々の豪農で、曾祖父の代からは骨董屋もやっている。彼が骨董の売買を手伝いはじめたのは最近で、専門家というにはほど遠いのだがこういう人柄だから危なっかしいものに限って手をだしている。

「なに、その持ってきた本人も半信半疑なんだ。羊脂玉で造製したものだといわれて買ったらしいんだけれどもね、そんなわけないんだ。なにしろ金なんかより遙かに貴重な白い軟玉だもの、そんじょそこいらにあるわけがない」

 それはアルファベットのCを右に九〇度転じたかたちをしていた。角と鬣のある豚みたいな顔に蛇身で、顎まわりと額とに紋のような装飾が彫られている。龍を象っているらしい。

「このへんの人間は龍っていえばありがたがるからね。手ごろな値段で行商(いったい、骨董の行商なんてありうべきことか)から譲り受けたものの、値が手ごろすぎるから心配になって小生んところに持ってきた、ってことらしい」

「で、君はわかっていて受けたんだ。いくらだい」

「よせやい。金額なんざ憶えてないさ。当然、売るつもりもないしね。それよりか、どう思う」

「どうもこうも、偽物だろうさ」

「ふん。それはそれでよしとしてこれはどうだ」

 次はS字を横にした、晰らかに龍とわかる玉製の装飾品で、丸い蚕紋のかたちをした鱗もはっきり見て取れた。

「なんなんだよ、こんなもんばっかり」

白玉(はくぎょく)龍形佩(りゅうけいはい)だ。古代中国のものだという」

「そりゃ偽物臭いなあ。

 でも見たことがあるような気がする」

「そうだろう。先のものもそうだが同じかたちの本物がある。本なんかで写真を見たことがあっても不思議はない。本物はいずれもいまの中国の国内で発見されている。ここにいまあるのはどちらもその偽物だよ。

 同じころに畝邨と龍呑とでそれぞれ売られたんだ」

「売った奴は同じか」

「人相はね、一致するよ。細面に大きな尖った鼻、無表情、土色の顔、黒い背広。まあ、その前にこれを見ろ」

「まだあるのかよ」

「ありありよ」

 そういって桐の細長い箱から取りだした掛軸をひろげる。

「富岡鉄斎の最晩年の作、『天翔馭龍凌穹図』。

 どう」

 縦長の画面のなかを、わきたつ雲を裂くように異なる方向に身を躍らせる二匹の龍を馭し、車を駈る天人の図。濃淡の墨だけで奔放に描かれている。雰囲気は鉄斎晩年の一群の宝船図に似ていなくもない。

「どうっていわれてもよくわからんが、こんなのありなのかよ」

「あるわけないだろう。ここまでできれば、まあ、よくいえば大胆不敵ともいえようか。 

 ああ、それからこれだが」

「まだかよ。もういいよ」

 私が閉口しても興の止まらぬ真兮くんはいう。

「いや、そのうち快くなる。

 見たまえ、この断簡を」

 巻子(かんす)題簽(せん)には『古今和歌集』とあり、紐をほどくと粘葉(でっちょう)装を引っぺがした(つぎ)色紙という断簡があらわれる。色紙二枚分にわたって一首が書写されており、余白をたっぷりとあましたちらし書きの仮名文字である。

 か弱げな、か細さの雄勁ぶりが絶妙ともいえた。

「なんて書いてあるんだよ」

「こうさ。



                         こひしさに

                          みにこそき

                           つれ

                            かりごろ

                               も




                             かへすを

                           いかゞうらみ

                              ざるべ

                              き

   


 わかるか?」

「わからん」

「あなたが恋しくて狩衣を着たのに衣を裏返す(心を変える)のをどうして恨まずいられましょうか、ってことだよ」

「ふん。これは龍には関係ないんだな」

「よく見ろよ。微細な雲母(きら)砂子を撒いて龍文の紋を象っている。霞のように白く泛びあがって、前後の脚を円のなかで左右交互に動かしている図がいくつも眼に入るだろう」

「まいったね、ともかく龍でそろえたんだ、ニーズに応じてね。市場の原理だ。全部が同じくらいの時期に売られたのかい」

「この二、三ヶ月だ。龍呑、畝邨、真神の三つの村でね。

 挑発的なほど安っぽいものばかりさ。彼はある意味同好の士だね、絶対」

「ご冗談(じゃうだん)とやらをいわれる」

「冗談なんかであるもんか。まじさ。

 君はわが家の志野を観楽したことがあるはずだ。それでもわからぬなら教えて進ぜ候にて候」

 彼の家には桃山時代の名陶、銘『卯花墻(うのはながき)』を模した志野焼がある。好事家であった彼の曾祖父がつくらせた品で、贋作というわけではなし、それはそれとして独立した一つの作品といえなくもないのだが、かといって特にありがたいものでもない。しかし真兮くんはこれに変な価値を見いだし、解脱の境涯を形象化としたものとして公然論じ、矛盾を畏れない。

「いや、結構。ご遠慮申し候にて候。君のお話、ちくとばかりに長すぎるがゆえ」

 愉しんでいると玄関で呼鈴が鳴った。 

「おや、間がわるい。居留守をするのも癪だし、しかたない、でてやるか。しょせん、家の者のだれかに用事とわかってはいるが」

「いやいや、哥舞伎くん、このよき折、捨てたもんじゃないかもしれん」

「というともしや」

「なにしろ、君の住まう邸宅は外見からだけでも明晰判明に資産家だよ」

 案の定とはこれをいう。

 玄関を入ってきた男は鼻尖が大きく突き出た顔で、龍相といえなくもない。彼奴がいう。

「私、こういう者です。突然お邪魔してもうしわけありませんが」

 名刺をだすのであった。『素人古物研究家 (うろこ) 龍肯(りょう)

「ごらんのとおり、古物を蒐集し、研鑚を積む学徒のはしくれ、こうやって各地の由緒かおる(おん)方のお屋敷をまわらせていただいている次第です」 

 私はあがり框に坐るよう勧めながら、

「さあ、どうかごゆるり、鱗さんとやら、つまりあなたは当家に珍しいふるものがあるんではないか、とまあ、こう仰られるんですね。

 ついてはそれを見て学び、また値が折りあえば譲り受けたい。

 なるほど。

 ところでそちらを信用せぬというわけではないが、研究家と称されるからにはあなたご自身も相応の品を持っておられると思われますが」

 かまをかけてみた。どうせそう切りだしてくることが眼に見えていたからである。しかしこんなやからの口上に(おだ)てられて騙される同郷人が情けない。

「いや、これはごもっとも。当家に比せば、お恥ずかしいばかりのものですが、私の蒐集品をきょうは偶然持参しております。少々ごらんいただきましょうか」

 私の隣で真兮くんが満足げに眼を細めて微笑しながら龍肯を観察している。かなり気に入ったらしい。さすが拙者を凌ぐド変態にてござ候。

「いかがでしょうか。これです」

 やってしまった。龍肯がだしてきたのは茶碗だ。真兮くんの双つ眼が爛々とする。茶陶こそ彼の大好物なのである。

「天目ですな」

 さっきまで黙っていた真兮くんがうれしそうにいう。

玳皮(たいひ)天目だよ、哥舞伎くん。

 黒釉を地にして藁灰釉を霜ふりになるようにして二重がけするんだ。するとね、鼈甲みたいな(まだら)模様ができるんだよ。それで玳瑁(たいまい)の皮、すなわち海がめの甲に似るから玳皮というのさ。

 それからごらん、これが」

 碗の見込にある龍の文様を指す。私にはその示された部分よりも真兮くんがずぶの素人ではないことがわかっても龍肯にまったく動じるようすがないことのほうが気になった。真兮くんは気づかぬかのように語り続ける。

「玳皮釉をかける前の黒釉に型紙をかぶせておく。この場合は龍の象形だ。そうしておいてから玳皮釉をかけ、焼成する。焼き上がれば、くっきり龍の文がでる。こういうわけさ。

 しかし」

 言葉を切る。相手のでかたをうかがいながら攻める交渉者のようにいう。

「古色がありませんな。

 少なくとも南宋のものじゃない。ふるものといわれるが、いつの時代のものか」

 沈黙。龍肯が可々大笑する。

「おみそれしました。仰せのとおりです。贋作です。しかしながらこれもまたよき見栄えのものですよ。

 では、こちらはいかがか」

 懲りない奴だ。またも茶碗だった。框にひろげた布に二つをならべる。やはり挑発なのか。真兮くんの読みどおり此奴も実は変態なのか。そう思うと心なしか謹厳を装っていた龍肯の相好が崩れている。

「一つは灰被(はいかつぎ)ですね」 

 真兮くんは無造作にとる。

「黒釉の上に木灰釉を二重がけしてこんな感じをだすんだよ、哥舞伎くん。いぶし銀の渋みって奴だ。

 かたちは粗いね。もっとも南宋や元時代のものだとしてもこの手のものは大陸では評価されなかったからねえ。本来的な価値があるかどうか。日本人は唐物の粗製にあえて侘寂や冷える、凍えるといった独自の茶の湯の精神を見いだしたんだ。

 残念ながら、鱗くん、これは模造だね。ふう。

 それから此奴か」

 飽食したよといったふぜいで二つ目の畳付(たたみつき)あたりを見やる。

「青磁だ。だが成形も焼成もひどい、黄ばみにくすんでいる。

 ふん、たしかに銘『遅桜(おそさくら)』のようにこんなふうの名碗もあるがね。

 さっきもいったが、日本独自の価値観でこうしたできそこないに精神を見いだしたという歴史はある。

 けれどね、鱗くん、それがそれとしてほんものならの話さ。一般論的にいえばね。二つとも素地(きじ)から見て中国製のようだが、ふるものに似せた模造品だ。

 鱗くんとやら、あなたは、いったい、なに者かね」

「ちょっと待ってください。そのお言葉をお待ちしていました。いや、しばしお待ちあれ。いいたいことがありますが、よろしいですか。あなたは贋作といわれた。

 そうですとも。相違なし。贋作です。品としてお粗末で、しかもその底辺には人を欺いてまでも儲けようとする醜さがふくまれている。最低最悪、擲ち棄てられるべきものです。顧みられるべきではない。

 しかしそれを晰らめ、捨てきって眺めれば、すべて意義正論が裏切られているがゆえ人間という虚飾から離れ、ただ素朴にたたずんでいる。あざとさがない。夾雑物が入り混じらず、物質が露呈している。世俗をはいだリアリティがある。

 私はリアリティをご褒美と考えます。

 よき骨董にふれたときに迫真する新鮮さ、愛する運命にめぐり会えたときのような、鮮烈な感覚の甦生感です。常に新しさをなし、観を刷新する。すでに知られたものを遙かに凌駕し、安寧する過去という古巣を破壊し、鼻腔を清冽の空気で爽烈する。

 さてそうしてみればいかがでしょうか。これを贋作といわれた。然りです。しかしそれがなんでしょうか。

 いま一度ごらんじあれ。

 価値なきものどもを無造作に眺めやるとき、そこに観ぜられるのは、夾雑のないただ即物性だけです。光風霽月のようなただ無表情の即物性があるのみです。無際限な自由があるのみです。魂を裂くような自由があるのみです。

 超人的解放である侘寂によって顔面悲愴に維持しようとする人間存在社会の絡繰り、人間性から解放される。価値なきがゆえのリラックスがある。パンクな気分です。PUNKとはくだらないものという意味です。自らを頭が空っぽでPrityな奴さと称し、過激な歌詞を凄絶に叫び歌う彼らはスパイキー・ヘアや破れた服で良識を挑発します。

 一九七七年のオリジナル・パンクが与える解放感は自棄的破壊によるあらゆる抑圧からの解放です。そのルーツは古代の狂操秘祭(オリギア)にまで遡れます。

 粗製ゆえに愛された灰被や黄ばんだ青磁にも人の常の思惑を外し、意表を突く外部的な物性が露呈し、常軌逸脱の解放があるのです。

 私は幼少年時代、雨の日曜が好きでしたがそれは学校が休みの日に雨で外にでられない、遊びにいけないからです。日曜日だからぞんぶん楽しまなくちゃならないという強迫から解放されるからです。

 異議異論なく義務から解放される。こうあることが幸福だという強制労働から解放されるのです。人生はすべて苦役なのではないでしょうか。

 私は侘や寂を人間からの解放と感じるのです。

 ただし人間の感受において、という条件つきですが。この条件を外すことはいかなる現象においても不可能でしょう。そういう意味では省略すべき言辞ともいえます。解放といっても解放されたと感じさせられているだけで事実解放されるわけではないということはあたりまえすぎる事実です。

 いや、これは必要のない註釈、蛇足でした。ともかくも審美学の上からも倫理の上からも市場での価値の上からも粗製ゆえ、無限の侘寂があって渺々たる自由解放の観を髣髴させてくれる。じゅうぶんにリアリティをあたえてくれる。なにをかとやかくということがあるでしょうか。

 ここにならぶはいずれも真の見識家にとっては超絶の逸品です」

 真兮くんは懐より扇子をだして忙しく動かし、楽しくてたまらないといったようすだった。

「ご賢察、といいたいところですがね、鱗くん。

 物性の露呈をいうならなにもこれらに品に限ることもありますまい。いったい、物性のないものが実在するか。

 ようは契機の問題ではないのか。それは人によって異なる。あなたのばあいはそう感受するというだけのことではないのかね。どんなものだってその気で見れば即物性を所持していることが観取できます。解放とは大袈裟なものではない。人はだれしも最初から解脱している。そういったものを(さと)りとよばぬとするならば執著を厭離したとはいわれんでしょうな。ことさらにするのであっては偏執同然です。

 そこいらを一つ小生らにご教授ねがおうか」

 私も面接官のような気分になってきた。鱗龍肯氏がいぶかしげな眉根を造作する。

「面妖な。

 しかし仰られることもごもっとも」

 なにが面妖なものか。無意味に芝居じみている。

 むろん彼はそんな私の思いを知るわけもなく語る。

「あなたのいわれることは(ただ)しくもあります。条理にかない、ロゴスです。知り逢うて間もないうちの忌憚なきご諫言、謹んでお受けいたしましょう。

 しかしいわせていただけるならば現実はりくつではないし、私は私に原的にあたえられた直観を否定することができません。

 あなたはどう思われるでしょうか。リアリティ感覚がある特定の場所、特定のあるものにしか観ぜられぬということは、これもまた公明なる事実ではないしょうか。

 実際というものから、私の実存から遁れられえぬのですから、やむをえない。だれしもそういうふうに経験せざるをえぬが実情ではないでしょうか。

 私の方法論がすべてとはいわないまでも、実践の見地からして多くの事例におよぶ見解であることはたしかだと思います。いかんせん、事実的になんらかの契機なくして法悦はありえないのです。さすれば契機を求めるが条理、ではありませんか。

 人みな当初より解脱せりとあなたはいわれますが、理論上はともかくとして、実際問題上、そのような教説は人生の足しにならぬ空論であり、実践論として到底考えられないのは一目瞭然ではないしょうか。

 このこといかん」

 真兮くんは堪能し終わった猫のような表情だった。どうして舌なめずりしないのか訊いてみたくなるくらいだった。

「ほう、一目瞭然かね。

 いやあ、楽しいねえ。いやあ、いってくれるねえ。あなたは本当に期待にたがわぬ男だねえ。いやいや、愉快至極。

 あなたは特定のある場所、特定のなにかにという。なるほどいわんとするところ自体はやむをえないとし、かつそれをよしとするにしても、やはりあなたの観点は限定的だ。公明じゃない。不自由だよ。転落的だ。つまりあなたのいう説に異逆している。

 論より証拠の喩えもあるとおり、いやはや鱗くんとやら、なにを隠そう、小生もまた仏陀真兮なのだ。実存からは遁れられない。そのとおりだよ。仏陀であってもなにも変わらん。それが解脱さね。仏陀も渇きを訴えて死んだのだ。証左もいらぬ。公明さ。楽観でいくんだ」

 真兮くんの「私は仏陀である」発言に龍肯は応える言葉がないふうであった。意に介さずに真兮くんが続ける。

「さあ、ところで鱗くんとやら、ようするにあなたは」

 龍肯を見すえた。

「この土地でさような極限の真実をなしたかった。あたかもこの地域が至聖の場所ででもあるかのように。

 そういうことですね」 

 龍肯は(みひら)いたまま黙っている。

 私は混乱し、真兮くんの顔を見た。こともなげに彼がいう。

「つまりだ、あなたはこの土地にゆかりの深い人、もしくは出身者なのです」

 龍肯の眼が彼自身の瞳の奥を見つめるようになった。真兮くんはなおもいう。

「黙っていちゃわからない。いや、もうわかっているんだ。こんなにあからさまなことがどうしてわからずいられようか」

 本意を遂げた後の大石内蔵助良雄のような龍肯の寂しげな微笑。

「仰るとおりです。

 私の本名は、(うろ)()と申します。空鼓龍肯です。

 私はどうしても龍神の贋作を私にとって聖なるこの真神の土地に持参したかった。そして詐欺師という文身(いれずみ)を以て自らの生涯を凌辱し、異形となりはて、真神の土の上にちりたかった。金銭のために人を騙す奴として唾棄すべき者とならなければならなかった」

 にこにこうなずいて真兮くんがおもむろにいう。

「ところがあのような異様な廉価であからさまな偽物を売り捌いても思ったような効果がえられず、だれにも気がついてもらえなかったというわけかね。

 いや、愉快。これぞ人生。

 いやいや、ご同情いたし候、とでも申しあげましょうか。

 ふん、それもまたよし、ですな。

 世上一般の識見を超越して眺望すれば、あなたの行為は自己棄却による主観性の逸脱、リアリティ獲得へのあがきといえなくもない。

 しかし愚かな思いこみ、そして思いあがりでもある。迷惑千万、到底正当性を語れる行為ではない」

 真兮くんがいう。

「同感です。そんなことをしたら台なしでしょう」

 龍肯が眼を輝かせていうのを聞いて呆れた。真兮くんが私にいう。

「空鼓は真神村の旧家だ。君のほうがくわしいだろう。小生も一度聞いたことがある。三十年前に零落し、忽然姿を消した空鼓家の一家族があったという話を。

 哥舞伎くん、どうやら彼がその末らしい。

 つまりだ、彼は彼にとって聖なる父祖の地、真神に巨魁なるモニュメントを建築しようと試みたのさ」

 私はあ然とするばかりだったがどうにか口が利けた。

「いやはや、なんのことやら。

 ともかくも変態がもう一人あらわれてしまったということか」

 


 ゴシックという名称は一六世紀の建築家が軽蔑の意味をこめて附した名である。フォービズムやアンプレッショニスムみたいなものだ。すなわちゴシックとは無秩序で狂騒な、野蛮人ゴート族の様式だというのである。

 人は過去をむやみに嗤い、時に共感し、また愚かしくあがめる。いま(自分)にいたるまでの過程としてとらえるか、またはえられなかった夢を推しあたえているにすぎない。そして彼らもまた後に同じ憂きめに遭うのである。だれにも最後の答はわからない。

 もし批判をいうならば物質的なものに美を見いだしてはならないとしたアウグスティヌスの言葉を無視して物的な光の効果を崇拝した時点でゴシックの聖堂は堕落だったのではなかったか。

 だが実際、敗北したのは本質論的な形而上学である。中世建築の偉容は是非を超越し、いまも聳えている。その前に死すべき人間の言葉は霧散する。

 建築家ヴァザリーの言葉にもかかわらず、一六世紀のムーヴメントであったバロック様式においてさえも、たとえばフィレンツェの花の聖母大聖堂のクーポラにあふれた光の効果を見るまでもなく、人々は物質的な光の爛において人間の絶頂を越える崇高な神の尊厳を謳いあげた。

 時代をもどすことはだれにもできない。歴史的実存である人間の情熱も欲望も滅ぶしかないのである。残せるとすればロゴスのみである。自己を超越し、永遠の生命を持つ理叡のみである。そしてあの日、あの出来事を目撃し、私は情怨へと墜落する。

 もはやもどせぬ邂逅をなして意気投合した私らは龍肯の逗留しているホテルのある市街まで盃を酌み交わしにいくことになった。私は真兮くんとともに龍肯の車に乗せてもらおうと提議したが彼はいう。

「残念ながら、2シーターなんです」

 わが家の門外に停めてあったのはACコブラ427であった。

「やっぱりな。そんな気がしたよ」

 真兮くんが歎息する。エンジンをかけると凄まじいエグゾースト・ノートで吠えた。

「伝統あるモンスター・マシンを改造かよ。こりゃ邪道だぜ」

 私が訴えたが龍肯は聞いていなかったようだ。無表情のまま改造の内容についてを語りはじめてしまう。

「なんといおうか、まあ、すごいんですよね、これ。われながら褒めずにはいられませんよ。

 ボア・アップしたシリンダーは限りなく摩擦係数を減らすために研磨し、コンロッドは軽量なチタン製にしてあります。

 ええ、ええ、そうですとも、一度エンジンは分解し、動きが細緻に合致するように全部品を計りなおして天文時計のように精密に組みあげました。

 計測していませんが800馬力級ですね」

 かくて歴史的必然性により、私らは三機のエンジンを震動させた。排気音が管奏する。アクセル・オンで同時にホィール・スピンした。

 真神の坂をくだり、山木に覆いかぶさられそうな細いくねり道を抜けて畝邨をよこぎり、耕地の開けた龍呑の旧街道を走って薙久蓑の町を越え、市街へとちかづいていく。とはいえ、道はまだ田んぼのまんなかをつらぬく直線道であった。私は尖頭をいくコブラの尖に一台の車を認める。

 最初は水田の反射かとも思えたがそこは舗装路なのでそんなはずもなく、車高の低い銀のボディがそのように映ったものであった。エンブレムを見るまでもなく、SLタイプのメルセデス‐ベンツとわかった。セルホンが鳴る。

「SLRマクラーレンだ」

 真兮くんが興奮ぎみにいう。私は感嘆し、

「後ろにいるくせによくわかったね。

 しかし、すごいよ。いったい、どこの者だろうか」

 唾棄するかのように真兮くんがいう。

「斉木だよ。知らないのか、あんなものに乗っているのは郡一帯で奴しかいない」

「斉木って、もしかしたら」

 真兮くんが車種を遠くから判別できた理由がわかった。執念深い解脱者だ。

「畝邨の藍染屋だ。知っているだろう、真神染めの旧家だ。若造が。ちくしょう、ホストみたいな男さ」

 仏陀真兮くんの思考はだいぶ乱れている。その若者なら美形だがホストではない。このあたり半径五〇㎞以内にはホストクラブがない。ただ真兮くんと彼とに因縁があるだけだ。ただし一方的な因縁ではある。いわば仏陀の逆恨みという奴である。

 真兮くんがまだ二十歳くらいのときであった。薙久蓑町の喫茶店で彼は名も知らぬある女性を見初めた。翌日もそこにいくとその人はいた。真兮くんは声をかけることもできぬ性格だったが執拗なたちなので、以来そこにかよいつめるようになった。

 で、なにもアクションを起こせずにいるうちに、喫茶店のアルバイト店員をしていた当時十九歳の斉木と彼女とがなかよくなってしまい、その直後、斉木が店を辞め、真兮くんは二人がやがて婚姻関係になるのだろうと思いこみ、失意断念した。

 実際、結婚したのかどうか、たしかめもせずあきらめ、そのままきょうまで(もういまさら調べるべきでもないが)どうなったかを知ろうともせず、失恋の哀情を胸に秘めているのである。

「なんだよ、それ」

 実は最近この話を聴かされ、私は思わずいってしまった。しょうもないお粗末な話に呆れたのである。

「なにをいうか。ふうりゃうのわからん奴め。花は盛りを愛でるばかりではない。月は満月をのみ楽しむものか。そんな形式主義的先入観にほんとうの情感などないわ。簾を垂れ、家にこもって、ああ、いま桜がちっていくのだなあと侘びることも桜花の観賞だわい。月を乞うてたれこめた雲を眺めやるのも情緒なんじゃい。

 薄絹の表紙はふちがほつれたほうが趣があるものだ。いにしえの賢人の書物には章段の缼けたものが多い。小野道風(おののみちかぜ)(八九四~九六六)の書になる『和漢朗詠集』(藤原(ふじはらの)公任(きんとう)が一〇一二年ごろに編纂した)はありがたくも世にまれなる珍品さね。妙観(伝不詳の仏彫師)の彫刀はえらく刃が鈍かったものだという。

 ふん。

 ポジティブなど疲れる。懶惰でちょうどよいかげんさ。ソクラテスは生きた思想を羊皮に残さないし、キリストも仏陀も経典を書き記しはしない。対機説法が現実だ。正論をいう思想など僻事じゃわ。

 小生、ここに在り、ただそれのみ。いったい、ポジティブに生きなくちゃいかんのかね。小生らのような生き物がいたってよいではないか」

 勝手に「小生ら」と一くくりにしてくれるのはいいとしても、ポジテイーフ(独)とポジティブ(英)とではまったく意味が異なるのだろうか。

 相変わらず矛盾したことを平気でいう人だなと思いながらも、私もたいして変わらないことをして(しかし私のほうは恋情といえるようなものではない。よって嫉妬も喪失感も生じようがない)いたので、それ以上はいわなかった。

 眼前の画像にもどる。水耕田、直線路、メルセデス‐ベンツSLRマクラーレン、私はすなわち現場にいた。

 龍肯のコブラがウィンカーをだし、追い越そうとして対抗車線にでた。

 シフト・ダウンしてアクセルを踏みこんだかと思われた刹那、逆に減速し、コブラは巡航していた元の車線に車体を収める。

 ベンツがウィンカーをだしていた。右折するのだ。純白銀のサイド・ヴューに見惚れた。ロング・ノーズのボディはいかにも走るために生まれたメタリックな流麗を醸し、高貴な野獣を思わせる。前輪フェンダーの後部に四段のダクトが刻まれ、クールだ。私はようやく気がつく。いまでも記憶のなかから甦らせようとすればその場面はスローモーションでしか現象しない。

 右折なので助手席が見えた。彼女だった。シルエットだけでもじゅうぶんだ。彼らがいこうとしている尖には岡を背にし、ラブ・ホテルが田んぼのなかに聳えている。

 転落。かがやいていた十二枚の翼は奈落に堕しながらこうもりの翼になっていく。私ははじめて彼女を現実の女として激情していた。

 嫉妬だ。胸が焦焼し、暗澹となって息をふさぐ。街に到着するも放心状態で、三人でバーのカウンターにおちついてからも消沈していた。真兮くんは真兮くんでまだきげんがわるい。龍肯がいぶかしがる。真兮くんは黙っている私に気づかぬふりで自身の物語を話しはじめた。

 一とおり話し終えて結ぶ。

「まあ、かくいうようなわけで小生はあこがれるきもちを抱きつつもいよいよ内面にこもり、現実性のある有効な手段を一切もちいなかった。

 社会的な、すべての現実はなじまない、小生には。むろん、しょうもない惰弱ともいえる。いや、むしろそうあって欲しい」

 しきりに龍肯は首肯するのである。

「いやいや、さすがですねえ。まことに素敵なお点前(てまえ)です。

 そしていまもまた執拗に懊悩していらっしゃる。諦観したりなどしない。おみそれしました。しかし矛盾です。なぜならばそれは限定的だからです。いや、解脱とはかくも素敵なことでしたか。

 感激です」

 ほんとうにどうしようもない変態だ。でもおちこんだときにはこんなおばかが妙にうれしくもある。それでもいいのだ。真兮くんふうにそう思えてくる。

 かたちがなんであろうか。とらえられるものはすべてこころを異逆するものでしかないのだから。

 私はスペインで羨望したガウディを想起した。カサ・バトリョが壁面にはめこまれたガラス片や鱗のような屋根瓦のなす文様で海を表現し、幻想的でありながらも現実性を離れないのはゆるぎない正確さ繊細さのゆえだと思う。また私はグエル別邸とよばれる、当時カタルーニャ工科大学建築学部『ガウディ記念講座』の本部の正門にあった鉄製のドラゴンのみごとさにガウディの生存のリアリティを感じた。彼はまだ生きている。まぎれなく彼を超えて現前している。無情な物質の表層をなし、露呈している。

 永遠の魂という概念があのとき私を襲った。

 人間の意欲は外部に向けられなければならない。あらゆる物性のように無限に非人間的でなければならない。そう回想した瞬間、真兮くんが左のような発言をして私をおどろかしめた。

「むろん、矛盾さ。それでよい。たしかにな、こもること自体の讃歌はありえない。

 すべてのベクトルは超越的に外へ向かう性質があり、それ以外が実在しないからね。而してベクトルは批判外のことなのだ。

ではあるのだが、世上一般のいうところの現実的行動とやらの一切がうちにこもった復讐感情であることもまた事実だ。遂げられない絶対の夢に抑圧され続ける人間の憂さ晴らし、人は代償物を以て報復しようとするのだ。

だがしょせん、矛盾など世俗の狭隘ないいぐさなのさ」

ほんとうにそうだろうか。よくわからない。てきとうなことをいっているとも思える。

 だが龍肯はいよいよ首肯し、讃辞をやめようとはしない。

「同感です。

 よいですね、こういう議論。まさに理想郷です。思ったとおり真神は最高ですよ。血の興奮を覚えます。

 羨ましいです。この場所こそ私が真に生まれるべき場所だったんですよ。

しかし残念ながら私はここで生まれることができませんでした。言葉巧みに騙されて投機に失敗した父もこの地を愛していたのです。しかし担保とした土地山林を奪われ、先祖に顔向けできなくされ、二度ともどれぬ故郷に焦がれる思いを抱きながら失意のうちに死なざるをえず、慙愧のままに逝ってしまった。

 私には父の言動の記憶はさしてありませんが、それでも真神への愛は遺伝子に継がれたのでしょう。歴史性を除外して存在はありえませんから。

 過去を解釈しつつ、未来の可能を描く、それが現在ではないでしょうか。

 私は一年前、はじめてこの真神を眼にしました。

 そのときのこころ騒ぐような、それでいて清く爽やかな気概が全身みなぎる感じを忘れることはできません。血のせいでしょう。私は間違いなくここで生きていたし、限りなく生き続けるのです。なんともいいがたい懐かしさが、いく百年の歳月を経た香木の蒼古の薫陶のように身体の奥からわきあがりました。

 それが構想となって抑えがたく髣髴し、思考のすべてを占拠し、きょうのようなことにいたりついたのです」

 真兮くんは龍肯の話で少しきもちがおちついたようであった。

「いわばコンセプチャル・アートだな。千年前から生きていて千年先まで生き続ける存在としてのコンセプト、すなわちあなたのロゴスなのだ。

 奥深いことだよ。古人の掟をいともたやすく無知蒙昧と解する者らがいるが、父祖の廟魂を継ぐことはセンチメンタリズムや一族主義や血統への矜恃にすぎないといい捨てられてよいものではないのだ。

 動物的自己の超越の一段階として、けして解脱と無縁の情態ではない。いずれ、脱ぎ捨てられるべき殻だとしてもね。

 いや、なにはともあれ、話におちがついた。ともかくもけっこう。

 ところでさっきから元気ないがどうした」

 私が事情を話すと真兮くんは(龍肯も)真摯に聴いてくれた。

「そうだったか。いやきょうまでちくとも知らなかったよ。水臭い奴だ。といって小生も似たようなものだが。まあ、それがわれらよ。

 いやしかし、でかした、哥舞伎くん、ふうりゃうだ。龍肯くん(これからはそうよばわらせてもらうよ)も聴きたまえ。

 なんの特徴もないその娘に、哥舞伎くん、君はいわれもなく、事実に関係なく見いだした。よいのだ。しょせん、事実はなに者でもありえない。とてもかくても候だ。いわば灰被天目の侘寂よ」

 私は恥を忍びつ吐露する。

「しかしながら真兮くん、聞くところによれば奴、斉木はけっこうなプレイ・ボーイというではないか。みすみす彼女が騙されているのを見すごしてよいものか」

 困った顔で二人の聞き手が顔を見あわせる。

 真兮くんがいう。

「哥舞伎くん、それはいくつかの点で好ましくない。

 まず騙されているのを見すごしてよいかというがいまの斉木が本気でない確証を小生らはまだ持っていない。つまり裏がとれていない。まだ先入見の段階、推定にすぎない。人生は思いこみなりとはいえ、まだ思いこみにすぎない。

 ではなぜ君がそんなに性急に思いこむのかを君は考えたか。むろん、考えただろう。わかってもどうにもならないことはあるのだ。すなわち一つは彼の過去の実績、もう一つは君の動機のゆえだ。

 小生はその純粋性に対して疑問を抱かざるをえない。

 すなわちこれが好ましくない理由の二つめだ。君は君の動機がほんとうに正義のためか、嫉妬が混入していないか、明晰にそのどあいを判じられるだろうか。できるわけがない。そんな人間はいない。それでいい。

 そして三つめ。救済という世間的価値観への迎合主義だ。まあ、でもこれはどうでもいいや。はやいわずもがな、だろう。

 さあ、どうかね。ありていにいえば恋愛問題だけによけいなおせっかいなのだよ、よこ恋慕の正義派気取りバージョンにすぎない。

 いうべきか、どうか、なんて迷うことはない。想像してみたまえ、君がそれをいって彼女がなんと反応するか。むろん、そのような常識に妥協しろというのではない。

 しかしながら、だ。君自身が幸福ではあるまい。幸福こそは否定のできぬ人間の原理だ。これにさからうなかれ。しかるに君のなそうとすることは君の真の望みに異逆している。それが復讐根性だからだ。人のことはいえぬがようするに嫉みなんだ」

 龍肯が相槌する。

「ほんとうにいえませんね」

 私もうなずかざるをえない。

 この件に関しては真兮くんの「それもまたよし」はでなかったのである。(どこに区別があるのだろう?)

 スピリッツ系カクテルをもう一杯飲んでからバーボンに切り替え、最後にまたジンを飲んで私と真兮くんとはサウナの休憩室で夜を明かした。


 

 週末、私は一九世紀に描かれたアミアン大聖堂の図面を見ていた。コンパスや定規で精密にひかれた図は美楽をもたらす。身廊外部立面図、身廊内部立面図、身廊断面図。

 細緻だ。

 しかし倦み疲れて私は店舗に併設されている工場に用もなくたち寄った。ガレージは車八台が余裕で並列できるひろさで、鉄骨の組まれた屋根高く、油圧式のリフトアップ装置が八台分設置され、吊りさげられた工具類によって壁が埋め尽くされている。

 32年型のフォード、デュース・クーペが停まっていた。

「これは、すごいね。『アメリカン・グラフティ』で使われていたのと同じ型の奴だよ。なんインチくらいカットしたんだろうか。チョップ・トップにすると窓がせまくなるけれど、細身のサングラスをした欧州人のように車がクールな顔つきになる。

 お客さんのかい?」

 ファクトリー部門の責任者、工場長がでてきていった。

「社長がね、インターネット・オークションでおとしたっていっていましたよ。店のほうにでも飾るんでしょうかね」

 私は勝手に即決し、チューニング・ショップに連絡し、さらにその後はショップの下請工場から独立して特注部品製作の専門業者となったA氏に依頼のファックスを送った。龍肯に電話し、いくつかアドバイスを受ける。

 いく週間かがすぎ、街には『ジングル・ベル』の歌がながれ、田舎には年の瀬の雰囲気が匂い、高まりつつあった。

 私はコートを羽織るとまぶかく帽子をかぶる。南米産野豚の皮でできた外縫いの手袋をし、インパラの幌を外したまま市街へ向かった。

 一時間後、私は獲物をねらうように街路樹の下にたっている。すっかり葉はおち、時折舗装路にかさかさと鳴った。

 木枯らしに襟を高くし、肩をすぼめてコートに身をひそめ、みじめなストーカーになりさがっている。自分でそれがよくわかっている。私は彼女のその日一日の行動予定をつかんでいた。すくなくともそのつもりであった。待伏。クリスマス・セールににぎわうデパートメントにはさまれた大通り、車のライト、クラクション、乗合路線バスからあふれこぼれるように人々が降車する。デパートのショウ・ウインドウが続く遙か向こうには駅前ロータリーに臨時で植樹されたもみの大木、明滅する電飾のクリスマス・ツリーが見える。

 仕事帰りの彼女が歩いてきた。動悸が激越する。私も歩く。すれ違う。

「鮎川さん」

 私がよびとめると彼女はふり返って不思議そうな顔をする。

「哥舞伎です、憶えていますか」

 彼女の顔が明るく輝いた。私がいままで考えていたさまざまなこととは別に、この人は普通に素敵な人なんだと感じられる。私はもう哥舞伎ではない。人だ。でもそんなことはどうでもよい。彼女を喪いたくない。

 それなのに私は俯いた。舗装面を見つめる。彼女の声がした。

「ああ、哥舞伎さん。憶えていますよ。だって哥舞伎さんでしょう。

 ほら、お祭りのときお神輿かついでいましたよね。青年部、たいへんですよね。兄も翌朝帰ってきました、すごく呑まされたっていっていましたよ。

 そうだ、この前の雨の日、バス停にいたら叔父さんがとおりかかって乗せていってくれたんです。お礼いっていましたって伝えてください、もし会うことがあったら。

 哥舞伎さん。

 どうしたんですか」

 言葉がこみ上げてあふれた。しかしその数はとても少なかった。

「斉木は、あなたにはふさわしくない。軟派者です。ひどいプレイ・ボーイです」

 彼女の表情に動揺が小波する。

「どうして、そんなことを、哥舞伎さん。

 もしかしてなにかを見たんですか」

 私はその真摯な反応に反ってまごつく。

「いえ。それは。

 なにもありません。

 でも、だれもが知っていることだと思います」

 私は顔をあげた。

 薊さんの口元がかたく結ばれている。

「そういうことをいう人たちがいることは知っています。でもその人たちが知っているのは少しのことです。その人たちが知らない彼もあります。だからわたしの知らない彼もあるんです。でもわたしだけが知っている彼もあります。わたしは彼を信じています」

 もうやめよう。私はそう思った。彼女の言葉はいま思いついたような言葉ではない。彼女も悩み続けていたのだ。そして自分なりに結論をだしているのだ。私はため息し、いわずともよいことを口走ってしまった。

「当然ですね。信じている。だからからだをゆるしたんです」

 最低だ。自分のいっていることに気がつくのがおそすぎた。

 彼女はけわしい眼差しをし、なにもいわず背を向けて歩こうとする。

「まってごめんなさい、でも斉木のことは」

 振り向いて私をにらみ、いう。

「あなたにいったい、なにがわかるの」

 去ってしまった。

 私はくずれるような気がした。

 だがいったいなにを喪ったんだろう。

 風に吹かれ、われに返るといく人かの通行人らが行き交う歩道のまんなかでたち尽くしていた。なにもかもが失敗だった。すべてが愚かなことであった。いずれにせよ、喪われてしまえば二度とはもどらない。



 私は仕上がった車を眺めながらストーンヘイジに蕭然とふる雨を想起していた。草原の環状列石は雫をしたたりおとし、色を変じ、表情が異なっている。

 十二月二十五日の早暁、家を出発して市街にちかい水田の道にエンジンをかけたまま停車した。時計を見る。七時二十分。

 慣らし運転はすっかり終わっている。エンジンは快調だった。

 やがて斉木の車がわき道から本道にでてくる。助手席には鮎川薊のシルエットがあった。メルセデス‐ベンツは龍呑・畝邨・真神方面へ向かう。私はロー・ギアにシフトした。デュース・クーペが烈しくホィール・スピンする。

 SLRマクラーレンの後ろについた。追撃する戦闘機の操縦席にいる気分だ。

 私はステアリングをにぎりながら斉木の表情をつかもうとした。しかしよく見えない。奴の後窓に黒フィルムが貼られているせいで、彼のコックピットのバック・ミラーに映るはずの顔が判別できない。

 私はライトのハイとローとを交互に繰り返し、パッシングした。シフト・ダウンし、アクセルをふみこむ。デュース・クーペが吠えた。

 エンジンはホンダ製三〇〇〇㏄V型10気筒に換装、エンジンフードは閉まらないので取り外し、エグゾースト・マニホールドは車体側面にタコ足状に設置、クラッチはカーボン製、フレームを強化し、ミッションは到底オリジナルでは持たないので除去、チューニング・メーカーのものを溶接して全取り替えしてある。プロペラシャフトは特注部品で対応した。公認は取っていない。

 私は線を越えでてマクラーレンとならぶ。もし対向車が来れば死ぬ。一㎞くらい尖に大型ダンプカーが見えた。私は斉木がそれをどのくらい気にするかを見るために隣に眼を向ける。助手席の薊さんが(みひら)いている顔が眼に入る。彼女には私が嫉妬に狂った愚か者に見えたであろう。それでよい。

 斉木がその向こうで辱められた者のような憤相をして私をにらんでいた。その程度か。奴は結果も考えずに躍起になってアクセルを踏んでいるようであった。加速でそれがわかった。私は彼に向かって微笑する。

 全力疾走するSLRを軽々ぶち抜いてデュース・クーペは怪鳥のような甲高い声をひびかせた。速すぎて自車内のミラーを見ても奴の表情がわからない。すれ違った瞬間、ダンプカーが空気を貫く風圧でドアが衝撃される。

 奴を四〇〇mばかり引き離したあたりでエンジンの下部から減速用パラシュートが開いたかのような煙があがった。速度がおちる。エンジンが焼けたか、ミッション系のトラブルかであろう。メーターをたしかめなかったがそう思った。

 左の路肩に停止する。煙草をさがした。こうなるとわかっていなかったわけではない。

 シガリロが旨いと思ったのはひさしぶりだった。どうでもよいことだった。

 ぶざまに停まっている私をおい越すとき、斉木が嘲るような笑いを泛べ、こちらを愉快そうに見る。クラクションを短く鳴らし、なにかをわめいていたようであったが閉じられたなかでしていることなので、いっていることを判別することはできなかった。薊さんのようすも見えない。

 私は奴に笑顔で親指をたてた。意味は「素敵!」である。



                 完


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