寝取られ令嬢にツノ生えた
「きゃあああぁぁっ!」
その日、ある上流貴族家に住む者たちの朝は悲鳴と共に始まった。
「あれはキャンディスお嬢様の声か!?」
「何事ですか、お嬢様!」
死体でも目を覚ましそうな声を聞きつけ、屋敷中から使用人が駆けつけてくる。彼らが見たのは、寝室にある姿見の前でまっ青になっている一家の一人娘、キャンディスの姿だった。
「何でなのよ! 何でこんなことに!?」
金の髪を振り乱したキャンディスはすっかりショック状態だ。その訳を使用人たちはすぐに察した。
キャンディスの秀でた白い額。そこから、昨日まではなかった大きなツノが一本、にょきりと生えていたのである。
「……キャンディス、すぐに支度をしなさい。これから第二殿下の元へ向かうぞ」
騒ぎに気づいて娘の部屋へやって来た父が、渋い顔でそう言った。キャンディスは絶望的な声で呻く。
「ですがお父様、勘違いということも……」
「そんなわけがあるか。お前の頭から生えているものが真実を語っているだろう」
父は忌々しそうに言った。
「殿下は浮気をしている。お前は婚約者を横取りされたんだ」
****
恋人を寝取られると頭からツノが生える。
この国には、古くから伝わるそんな言い伝えがあった。
いや、正確には「言い伝え」ではない。なにせ、何十人かに一人の運が悪い人は、実際にそういう目に遭うのだから。
たとえば、今のキャンディスとか。
父と共に王宮へ乗り込んでいったキャンディスは、婚約者の第二王子の部屋の前で、ある人物と鉢合わせた。
「あら、キャンディス嬢じゃありませんの」
宰相の娘だ。艶やかな魅力を持つ、完璧に整った豊満な体つきの令嬢である。
「もしかして、第二殿下に会いにきたのかしら?」
令嬢はキャンディスの頭から生えたツノを見て、おかしそうに笑った。
「だったら無駄足でしたわね。殿下は疲れてぐっすりとお休みですわ。なにせ昨夜は、わたくしと随分楽しく過ごしましたもの」
「貴様……!」
「やだ、怖い顔なさらないで」
キャンディスの父に詰め寄られても、令嬢は涼しい顔だ。
「こんなところで油を売っていないで、あなた方はほかにするべきことがあるんじゃなくって? いつまでもそんな醜いものを頭にくっつけておくわけにはいかないでしょう?」
高笑いを残して令嬢は去っていく。父は悔しさのあまり歯ぎしりしていたし、キャンディスももう少しで彼女を張り倒すところだった。
第二王子の浮ついた性格は知っていたが、まさかこんな色仕掛けに引っかかるなんて、と情けなくなってくる。宰相が美貌の愛娘を利用して、宮廷内での地位を高めようとしているという噂を聞いたことはなかったのだろうか。
それから一時間あまり待たされ、ようやくキャンディスたちは王子との面会を許される。寝起きの王子は不機嫌そうな顔をしており、キャンディスの姿を認めるなり、開口一番で罵り声を上げた。
「気持ち悪いツノだな」
「誰のせいだと思っているのですか」
キャンディスは声を荒げないように必死で自制しながら王子を批難した。
「私という婚約者がいるのにほかの女性に走るなんて、信じられません。どう償うおつもりですか?」
「簡単だろ。婚約を解消すればいいじゃないか」
第二王子はぞんざいな口調で言って、キャンディスの父を見た。
「それで万事解決だ。そうだろう?」
「……」
父は口の端をピクピクさせたけれど、何も言い返せない。それもそのはず。王子の言い分は正しいからだ。
ツノが生えてパートナーの不貞が発覚した場合、その二人はすぐさま別れなければならないとされていたのだ。
「あなたとの関係を終わらせたところで、このツノはなくなりませんが」
キャンディスは王子を睨みつけた。彼は知ったことかとでも言いたげに肩を竦める。
「そんなの、運命の相手に取ってもらえばいいだろ」
恋人を寝取られるとツノが生える。そして、運命の相手に出会わない限り、そのツノはなくならない。
厄介なことにそういう仕組みになっているのだった。
それだけではなく、今度はそのツノを取ってくれた人を新しいパートナーに……つまり、結婚相手として選ばなければならないという規定もあった。
どうしてこの国にはおかしな決め事ばかりあるのだろうと、キャンディスはげんなりする。
キャンディスと父は王子の部屋をあとにした。父は憤慨しながら「陛下と話をしてくる。先に帰っていろ」と言って廊下を大股で歩いていく。
キャンディスはぐったりして馬車乗り場へ戻ることにした。これからのことを考えると、どうにも気が重い。
「……っ!」
下を向いて歩いていたせいか、キャンディスは前からやって来た人とぶつかりそうになる。慌てて顔を上げると、そこにいたのは見知った人だった。
「ビージェイ様……」
第一王子のビージェイだった。波打つ黒髪の物静かな美青年だ。キャンディスは緊張を覚える。
ビージェイは弟の第二王子とは真逆の性格をしていた。非情に気難しく、機嫌を損ねた相手にはひどく冷淡に振る舞うそうなのだ。結婚話がいつも途中で上手くいかなくなるのも、そのせいだと言われていた。
それだけではなく、何を考えているのか分からないと評されるくらい表情に乏しい人物でもある。だが、今の彼の金の瞳は大きく見開かれていた。キャンディスはとっさに額のツノに手をやる。
「……それは?」
「今朝から生えてきて……」
ほかに何と言っていいのか分からなかった。まさか、「あなたの弟は最低の浮気者だったんですよ」などと告げるわけにもいかないではないか。親しい者同士ならともかく、キャンディスはビージェイとは大して交流がなかったのだ。
「失礼いたします」
それだけ言って、キャンディスは第一王子のもとを足早に去った。そんなキャンディスの後ろ姿をビージェイがじっと見つめていることに、彼女は気づかなかった。
****
こうして、キャンディスと第二王子の婚約は解消となった。
彼が宰相の娘を新しい婚約者とすると発表したのは、それから間もなくのことだった。キャンディスはふんと鼻を鳴らす。どうしようもなく愚かな人だ。自分が宰相の傀儡になる道を真っ直ぐに突き進んでいると、まだ気づいていないらしい。
だが、これから大変な思いをしなければならないのはキャンディスも同じだった。なぜならば、彼女は「運命の人探し」をする必要があったからだ。
「次の方、どうぞ」
家令に呼ばれた男性が意気揚々と前に進み出る。そして、奥の椅子に腰かけたキャンディスのところまで来て、そのツノに触れた。
けれど、何も起きない。家令は「残念でしたね、お帰りください」と言って、手元のメモ帳に×印をつけた。
ここはキャンディスの屋敷のホールだ。部屋の入り口には、老若男女がずらりと並んでいる。皆、キャンディスの「運命の人」候補だった。
これは父が大々的に「娘のツノを取ってくれる人を探している」と喧伝した結果だ。
けれども、皆は親切心からここに来てくれたわけではない。
もしキャンディスのツノを取ることができれば、たんまりと報奨金が出るだけではなく、上流貴族の令嬢との逆玉の輿も叶う。そんな欲望に釣られて、彼らはキャンディスの屋敷に足を運んだのである。
(でも、本当に運命の相手なんて見つかるのかしら?)
キャンディスは半信半疑だった。もちろん、長い王国史にはそういう例があることは知っていた。
恋人に裏切られた貧しい少女が裕福な商人にツノを取ってもらい、豊かな富と愛を手に入れたとか、妻に見限られて生きる気力を失っていた老貴族が、運命の相手と夫婦になったことで、人生をやり直そうと決意したとか。
(だけど、そういう人たちは運が良かっただけ。どれだけ多くの人がこの国に住んでいると思ってるの? ツノの生えた人のほとんどは、運命の相手なんか見つけられずに、頭に醜いものをくっつけたまま一生を終えてしまう。きっと、私もその一人になるんだわ)
キャンディスは列に並んでいる人々を見た。冷やかし目的のいかにも軽薄な若者や、好色そうな脂ぎった中年男の姿が目に入る。この人たちが運命の相手だったらどうしようと、キャンディスはぞっとなった。
「次の方、お願いします」
家令に呼ばれて最前列にいた人がやって来る。何、この不審者、とキャンディスは顔をしかめた。
背の高さや肩幅から考えて男性だろう。けれど、それ以外のことは年齢も含めてよく分からなかった。体をすっぽりと覆うマントつきのフードを目深に被って、顔を隠していたからだ。
「さあ、どうぞ」
家令が男性に促す。だが彼はすぐには動こうとしなかった。代わりに、囁くような声でキャンディスに話しかける。
「もしツノが取れたとしても、どうか私を探さないで」
どういう意味だろうと思っていると、男性が手の届くところまで距離を詰めた。ふわりとよい香りが漂ってくる。彼は指先で軽くツノに触れた。
その途端、キャンディスの背筋にじんと電流が走った。鼻から甘く掠れた息が抜ける。
ゴトリ、と音がして、何かが床に落ちた。骨のように白く、ツルツルとした手触りのそれは、キャンディスの頭に生えていたツノだった。
キャンディスが額を触ると、そこにはつい今し方までツノがあったという痕跡など、何も残されていなかった。家令が「やりましたね、お嬢様!」と飛び上がって喜ぶ。
「まさかこんなに早く解決するとは! 急ぎ旦那様を呼んで参ります!」
家令はホールからすっ飛んで出ていった。それと入れ違いで、壁際に控えていた侍女たちが満面の笑みで駆け寄ってくる。「おめでとうございます!」という祝福の言葉と共に、キャンディスはもみくちゃにされた。
いきなりのことに戸惑いつつも、キャンディスは次第に安堵が広がっていくのを感じていた。少なくとも、一生ツノをつけたまま過ごす心配はしなくてよくなったわけだ。
あとは、これから結ばれることになる運命の相手がまともな人物であれば、なお良いのだが……。
(そうだ! さっきの人!)
キャンディスはツノを取ってくれた男性を探して辺りをきょろきょろと見回した。けれど、目に入るのは、がっかりした顔で帰っていく運命の相手候補の人たちだけ。先ほどのフードの男性はどこにもいない。
「ちょっと通して!」
キャンディスは人混みを掻き分け、ホールをあとにする。しかし、廊下にもあの男性の姿はなかった。
(もしかして、外に出てしまったの?)
キャンディスは屋敷を飛び出した。
その拍子に、門の前にいた人に盛大に体当たりを食らわせてしまう。キャンディスは「すみません!」と謝ったが、相手が誰か分かって目を丸くした。
(ビージェイ様……?)
最近の自分は、どうしてこの人に衝突したりしかけたりしてしまうのだろう。
ビージェイはいきなり現われたキャンディスに驚いているのか固まっていた。キャンディスがしばし彼の綺麗な顔を凝視していると、ビージェイは気まずそうに目をそらす。
「……奇遇だね」
ビージェイはそれだけ言った。キャンディスは「はあ……」と間抜けな声を出してしまう。
「あの……ビージェイ様。白いフードの人……」
「白いフード? いや、そんな男は見ていないよ」
ビージェイは首を振った。
「彼に何か用でも?」
「……私のツノを取ってくれた人なんです。つまり……運命の相手」
「運命の相手……」
ビージェイは重々しく繰り返した。ふと、キャンディスは近くの植え込みの陰に何かが落ちているのに気づく。拾ってみると、それはフードがついた白いマントだった。
「私の運命の人は、これを脱ぎ捨てていったみたいですね。どうしてでしょう?」
「それは私に聞かれても……」
ビージェイは困惑顔になる。
キャンディスはマントを眺めながら、しばし物思いにふけった。そして、「彼を探さないと」と呟く。
「手伝ってくれますか、ビージェイ様」
「え、どうして私が?」
「人手は多いほうがいいでしょう?」
「それなら屋敷から誰かを呼んでくれば……」
「まあそう言わずに」
キャンディスはビージェイの手をぐいと引っ張った。あまりの強引さに呆気にとられているのか、ビージェイは抵抗もせずにキャンディスに着いてくる。
「このマントを着た人を見ませんでしたか?」
キャンディスは町行く人々に尋ねて回る。けれど、皆「知らない」と言うばかりで少しもヒントは得られなかった。
そんなことがしばらく続き、ずっと黙り込んでいたビージェイがついに声を上げた。
「あの……キャンディスさん。そろそろやめてほしいんだけど……」
「やめませんよ。だって、気になるじゃないですか。私の運命の相手がどんな人か」
「いや、そうじゃなくて手が……」
キャンディスはビージェイを連れ出した時から、ずっと彼の手を握りっぱなしだったのだ。ビージェイは頬を赤くしていた。キャンディスが手を離すと、彼はほっとした顔になって視線をそらし、乱れてもいない自分の黒髪を撫でつけ始めた。
気難し屋の第一王子にしては随分かわいらしい反応だ、とキャンディスは意外に思う。
「だめだよ、こんなことしたら。皆に誤解を与えてしまう」
「誤解って?」
「たとえば……私たちが恋人同士、だとか……」
声が尻すぼみになっていく。ビージェイは自分の足元を見つめ、髪の中に顔を隠してしまった。
「……そうですね。私がこういうことをしていいのは、運命の相手だけですもんね」
「う、うん……」
ビージェイはもごもごとした声を出した。
「あなたは……どうしてそんなに運命の相手にこだわるの? 別にその男じゃなくても、キャンディスさんに釣り合う人なら、ほかにいると思うけど」
「でも、運命の人は彼しかいません」
キャンディスは緩くかぶりを振った。
「私、最初は運命の相手なんて見つからないと思っていたんです。でも、そんなことはなかった。なのに、彼は私の前から消えてしまって……。こういう時って、追いかけるのが正解でしょう?」
「だけど、その男があなたに相応しくない相手だとしたら?」
ビージェイは心苦しそうに言った。
「それでもキャンディスさんは、彼を運命の相手だと思うの?」
「私に相応しくないってどんなふうに?」
「……ひどい人見知りとか」
ビージェイがボソッと答えた。
「そのせいで、人と話す時もどんな反応をしていいのか分からなくて、皆からは表情がないだの何だのと言われて……」
「だから屋敷から逃げ出したんですか、ビージェイ様」
キャンディスの一言に、第一王子は息を呑んだ。
「私のツノを取ってくれたのは、あなたですよね?」
「い、いや。そんなの知らな……」
「私、当てずっぽうで言ってるんじゃないですよ。ツノを取ってくれた人からは、ある香水の匂いがしました。今ビージェイ様がつけているのと同じ銘柄です。あなたとぶつかった時に、すぐに気づきました。こんな偶然ってあると思いますか?」
「それは……あるんじゃないかな」
「ありません」
弱々しく返答したビージェイに対し、キャンディスはきっぱりと言い切った。
「王族が愛用している最高級品のブラック・オーキッドの香水をつけた人が、その辺にゴロゴロいるとお思いですか?」
「ええと……」
「あともう一つ。さっきビージェイ様は『白いフードの男性は見ていない』と言いましたよね? でも、この返事はおかしいんですよ。だって私、『白いフードの人』としか言ってないんですから。どうして目撃もしていないのに、尋ね人の性別が分かったんですか?」
ビージェイは何と返そうか必死で考えているらしい。だが、言い訳を思いつくことができなかったようだ。小さな声で「ごめんね」と言った。
「私も……何でこんなことになってしまったのか、分からないんだ」
「じゃあ、さっき屋敷にいたのは自分だったと認めるのですね?」
「……うん」
ビージェイはしょげ返りながら頷いた。
この反応をどう解釈すればいいのか、キャンディスには分からなかった。
(ビージェイ様の取った行動は何もかもが意味不明だわ。運命の人候補に名乗りを上げておきながら、自分の正体は隠そうとしていたなんて。……ひょっとして、私をからかおうとしたとか?)
あの薄情な第二王子の兄なのだから、考えられない話ではないだろう。それに、彼は気に入らない相手には平気で非情なこともできるともっぱらの評判ではないか。
キャンディスはビージェイの気に障るようなことをした覚えはないが、気難しい第一王子の考えていることなど分かったものではない。うんざりとした気持ちになり、つい不満を漏らしてしまう。
「そんなに私がお嫌いなのですか、ビージェイ様」
キャンディスはため息を吐きそうになった。けれど、予想に反してビージェイは「嫌いじゃないよ」と即座に言った。
「嫌いじゃないんだ。むしろ好きなんだよ。ずっと大好きだったんだ。でも、あなたは弟の婚約者だろう? それに、私は大したことのない男だし……」
キャンディスが呆然とした顔になっているのに気づいたようで、ビージェイは口を閉ざす。そして、再び「ごめん」と謝った。
「こんなこと言うべきじゃなかったよね。でも、これで分かったでしょう? 私はいつも余計な事ばかり言ってしまうんだよ。それが嫌で黙っていたら、今度は『殿下って本当につまらない方。でくの坊という言葉はあなたのためにあるんじゃなくって?』と言われるし……」
「まあ、ひどい。誰がそんなことを?」
キャンディスが思わず口を挟むと、ビージェイは「宰相の娘だよ」と、どよんとした調子で答えた。なんと、キャンディスの元婚約者の浮気相手ではないか。
「彼女、私を誘惑しようとしたんだ。でも、私が誘いに応じないと分かると、態度を一変させてしまった」
それで宰相の娘は、ターゲットをビージェイの弟の第二王子に切り替えたのだろう。ビージェイは「どうして私はこんなに女性の恨みを買いやすいんだろうね」と困り顔になる。
「女性の恨み?」
「私はこれまで、あなたを忘れられなくてたくさんの婚約話を断ってきたんだ。だけどそのせいで、大勢の令嬢のプライドを傷つけてしまったらしい。彼女たちは私にひどい扱いを受けたと周りに言いふらし始めたんだ。でも、私にその噂を止めるだけの力はなかった。私はとても無力なんだよ」
つまり、ビージェイにまつわる悪い噂は皆嘘だったわけだ。本当の彼は、内向的で自己主張が苦手な繊細な人物だったのである。
「ごめん、キャンディスさん。本当にごめん……」
ビージェイは今にも泣きそうになっていた。
「あなたの助けになればと思って運命の相手に立候補したけど、やっぱりあんなことはするべきじゃなかったんだ。顔を隠せば正体は見破られないと高をくくっていたらこのザマだよ。キャンディスさんがどれだけ頭がいいか、すっかり忘れてた」
「……事情はよく分かりました」
キャンディスは静かに頷いた。
「謝らないといけないのは私のほうです。フードの人の正体に気づいていたのに、あなたを試すような真似をしました。……ビージェイ様を信じていいか分からなかったから」
元婚約者の裏切りのせいで、キャンディスはすっかり疑心暗鬼になっていたのである。いくら運命が決めた相手でも、その人を盲信することはできなかった。だから何も知らないふりをして探りを入れたのだ。
「だけど、後悔はありません。自分の目で確かめて、やっと分かりましたから。あなたのことは信頼できそうだ、って」
「信頼しちゃだめだよ!」
ビージェイは大きく首を振った。
「私はすごく頼りないんだから! 第一王子なのにこんなのでいいのかって自分でも思うくらい! だから……」
「だから、これからは私があなたを支えます」
キャンディスが宣言すると、ビージェイは瞠目した。
「頼りがいなんて、私は運命の相手には求めていません。私にとって一番大事なのは、その人が私をきちんと愛してくれるかどうかです。その点なら、ビージェイ様は誰にも負けないでしょう?」
なにせ、キャンディスを愛するがゆえに身を引こうと決断したくらいなのだから。
それだけではない。どれだけひどい噂を流されても、彼はその原因となったキャンディスを責めようとはしなかった。それどころか、依然として胸の奥では恋の炎を燃やし続けていたのだ。
「それはもちろん」
ビージェイの声はしっかりしていたが、それに反して表情は冴えなかった。
「だけど、自信がないよ。万が一キャンディスさんと結ばれることがあったとしても、私は絶対にあなたに苦労をかけてしまうから」
「運命の相手と一緒なら、そんなの平気です」
キャンディスは断言した。
「まずは邪魔者の排除をしましょう。宰相とその娘を放逐するんです。あの二人は宮廷の乗っ取りを企んでいますからね。それが完了したら、第二殿下の処分も考えないといけません。あっさりとハニートラップに引っかかってしまうような、どうしようもない方ですもの。近くに置いておいたら、いずれ私たちにとって迷惑な存在になるに違いありませんよ。留学の名目で辺境の小国にやってしまうとか、病気ということにして離宮送りにするとか……」
「キャンディスさん……あなたって本当にしっかりしてるね」
ビージェイはすっかり感心している。
「なんだか、どうにかなりそうな気がしてきたよ。……よ、よし。それじゃあ、思い切って言うけど……」
ビージェイは大きく息を吸い込んだ。
「私と……結婚してください、キャンディスさん」
長年心の奥底に溜め込んでいたものを吐き出すような、厳かな口調だった。
キャンディスはその言葉をしっかりと受け止める。体中を痺れるような歓喜が駆け巡った。運命の相手から愛されることの素晴らしさを、キャンディスは今、身をもって体験している。彼と自分は結ばれるべきだと、本能が告げていた。
「もちろんです、ビージェイ様」
キャンディスは背伸びをして、恋人の唇にキスをした。ツノが取れた時と同じ、ぞくりとする快美感が背中を走り抜ける。
「私の運命の人になってくれてありがとう、キャンディスさん」
「こちらこそ」
息も触れ合いそうな距離から会話をする。つい昨日まではほとんど口も利いたことがない者同士だったなんて、キャンディスは自分でも信じられなかった。
「あなたの家に戻ろうか。ご両親に挨拶したいんだ」
「はい、分かりました」
そう言いつつも、キャンディスもビージェイも相手を陶然と見つめたまま動かない。そうして二人は、もう一度甘い口づけを交わし合った。
****
ようやくキャンディスたちが戻った時、屋敷は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
侍女を捕まえて話を聞くと、どうやら王宮からとんでもない知らせを携えた急使が来たらしい。
「第二殿下が婚約者を殺したですって!?」
キャンディスはポカンと口を開ける。侍女は「びっくりですよね」と頬に手を当てた。
「なんでも、殿下にツノが生えたことが原因らしいですよ」
「ツノって……それじゃあ、浮気されたってこと?」
宰相の娘は色仕掛けを得意としているから、それ自体は驚くことではないのだが、いくらなんでも早過ぎはしないだろうか。二人が婚約してからまだ一月もたっていないというのに。
侍女はさらに詳しいことを教えてくれる。
婚約者の不貞を知った王子は、彼女を問い詰めた。けれど向こうはなかなか非を認めず、しまいには逃げ出そうとしたらしい。
王子はそれを止めようとした。だが、場所が悪かった。二人はちょうど階段を上がり終えたところにいたのだ。
婚約者を捕まえようとして王子はバランスを崩し、二人は階段を転がり落ちていった。その際、彼の額から生えていた鋭利なツノが、婚約者の体を貫いてしまったのだ。
愛娘を失った宰相は激高し、王に詰め寄った。けれど王は、近頃の宰相の振る舞いには目に余るものがあるとして反撃。宮廷は一気に、国王派と宰相派が対立する事態となってしまったという。
話を聞いたビージェイは呆然となっていた。
「キャンディスさん……どうしよう。こんな状態で、『私たち、結婚することにしました』なんて発表するのは、空気が読めなさすぎるんじゃないかな?」
「そうですね。……でも、これっていい機会じゃないですか? 宮廷内の目障りな連中を一気に排除するチャンスですもの」
キャンディスは不敵に笑う。
その言葉どおり、その後のキャンディスは陰日向になって様々な人に働きかけを行った。
結果、第二王子と宰相は身分を剥奪されて王宮から追放。そのほか、宰相が手駒にしていた者たちにも一斉に罰が下されることになった。
「キャンディスさんの頭の回転の速さは知っていたけど、まさかここまでとは思わなかったよ」
第一王子専用のティールームで茶を飲みながら、ビージェイが感慨深そうに言う。
宰相の娘の死から一年後。王宮には、ようやく平穏な日々が戻ってきていた。
そんな中、物見高い宮廷貴族たちの次なる注目の的は、数日前に婚約を発表したキャンディスとビージェイだった。
曰く、「第一殿下の運命の相手は本当に頼もしいお方ですね」だそうである。皆、事件終息の陰にキャンディスがいることをきちんと知っていたのだ。
「これでもう何も心配しなくてもいいんだね。悪い人たちは皆いなくなった」
「私も自分がここまでできるとは思いませんでした」
ビージェイの隣に座ったキャンディスは、紅茶を一口すする。
「きっと、ビージェイ様のためだからいつも以上に頑張れたんでしょうね。ツノに感謝しないと。お陰で、あなたがどれだけ私を愛してくれているか知ることができましたから」
人を殺めてしまった第二王子のように、ツノが厄介ごとを引き起こすこともあるけれど、少なくともキャンディスの場合、生えてきたツノは幸運の象徴だった。ツノが彼女をよりよい未来に導く手助けをしてくれたのだ。
「これからも私を愛し続けてくださいね、ビージェイ様」
キャンディスがビージェイの体に体重を預ける。
「もちろんだよ。あなたは私の運命の人なんだから」
そう言って、ビージェイは愛おしそうに婚約者の肩を抱いたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
少しでも作品がお気に召しましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると嬉しいです。