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マリー

「どうしても従わぬと言うのか」

「ええ、申し訳ございません、父様」

「……何のために、お前を引き取ったのか、未だにわかっていないみたいだな」

 

 元より皺だらけの顔の中央に、更なる皺を刻みながら、苦々しく呟く。

 どちらかと言えば祖父と呼ぶに相応しい齢の男ではあるが、戸籍上では私の父ということになっている。

 老い先短いだろうに、いや、老い先短いからこそなのだろうか、目先の利益を得ることに余念がない男。

 その老獪さに顔を顰めたくなるが、表面上は心優しい娘を演じ続けた。

 

「これはもはや、妖精王様だけの問題ではないのです」

「そうだな。あの妖精王が出て行かぬ限り、森は伐採できない。そうなれば、この村は発展しないまま。困るのは村民達だ」

「いいえ、この村は、妖精王様と森の恩恵を享受して、成り立っているのです」

「未だに、そんなことを」

 

 父が、吐き捨てるように言った。未だに、と――。つまり、この老人も、かつてはその恩恵を正しく理解していたはずだった。

 父は、何十年にも渡り、この村の趨勢を自身の目で見てきた。襤褸を纏い、萎えた体で痩せた土地を耕しながら、すぐ隣で青々と輝く森を恨めしそうに見つめていた時代もあっただろう。

 人間は手前勝手に、地図に線を引く。その地図に依れば、この村は、豊かな森を擁している。だがその実、村人がその森には入ることはできなかった。

 ――私がこの人の娘となり、森の主に許しを得るまでは。

 

 当時の私には、物事の善し悪しなど、わかるはずもなかった。

 年端もいかぬ幼い子供で、教育も受けていない。親がいた記憶もない。

 ただ、物心ついた時から、益にも害にもならないような小さな妖精と戯れる日々を送っていて、教養の代わりに、不思議な力を身に着けていた。

 かの村の村長は、そんな私に一縷の望みをかけた。

 そうして私を養女として引き取り、育て、思うように私を働かせた。

 もっとも、私には、働いているという自覚はなかった。

 話し相手が、妖精から妖精王に変わっただけ――益にも害にもならない、とは程遠い存在とは露知らず、ただ、思うままに話しかけていただけ。

 父に何と言われ、妖精王に何と伝えたのか、その記憶も定かではない。

 何故、妖精王が私を気に入ったのか、望みを聞き入れてくれたのか、それも定かではない。

 

「もう一度聞く。どうしても、従わぬのだな」

「はい。申し訳ございません」

「はあ……もういい。朝食を食べたら、妖精王のところでもどこにでも、好きに行け」

 

 父はそれだけ言い残し、席を立つ。

 その時になってようやく、私の前に食事が運ばれ始めた。

 サラダ、オムレツ、パン、スープ――。この痩せた土地でこれだけのものを口にできることが、どれだけありがたいことなのか、彼は忘れてしまったのだろうか。

 手にしたスプーンでスープを掬い、ゆっくりと口に運ぶ。

 美味しい。でも、すっかり冷めてしまっている。

 ちらちらとこちらを窺う給仕の視線を感じる。彼は悪くないし、料理人も悪くない。

 ひとえに、父の話が長すぎた、というだけのことだ。

 

 

 ■ ■ ■

 

 

「ヴィー!」

 

 声を掛けると、そのすらりとした体躯が、振り返る。

 森の主のことだ。私が近付いていることなど端から気付いているに違いない。

 なのに彼はいつだって、私がその名を呼ぶまでは、あちらを向いたままただ突っ立っている。背中からはただならぬ威厳を漂わせ、「私は崇高な王である」と言わんばかりの立ち姿を見せている。

 それが、私が声を掛けるや否や相好を崩し、振り向く。

「ああ、マリーか」だとか、「ああ、来たのか」だとか、そっけない言葉を呟き、「やれやれ、今日も子守をしてやるか」というような仕草を見せるものの、その双眸に浮かぶ喜びを隠しきれていないのが常であった。

 その人間くささが、時々妙におかしい。

 

「ああ、マリーか。今日はいやに早いな。何かあったのか」

「ううん、別に。ただ、家にいると、お小言が煩そうだから」

「そうか。それにしては、上機嫌そうに見えるが」

「うん、そうね、ヴィーの顔見たら、元気出た」

 

 ゴホン! とヴィーが咳払いをした。

 ほのかに上気した頬を隠すようにそっぽを向いて、「まあ、妖精王の尊顔だからな」と言った後に、また一つ咳払いをした。

 

「小言とは、また、いつものことだろう? 私に森を出るように言え、とかそういう話だろう」

「うん、そう。それで、将来有望な旦那を見つけてやったから、その人に嫁いで、村の利になることをしなさいって」

「なんだと!?」

 

 ヴィーは、音がしそうな程の勢いでこちらに顔を向けた。

 

「ならば、ますますここを出るわけにはいかぬ」

 

 その瞳の中に、何かメラメラと燃えるものを見た気がしたが、ふいにそれがぼやけてぶれた。

 瞳だけじゃない。世界が揺れ動いている。

 地動だろうか。いや、そうじゃない……。

 

「マリー……?」

 

 ヴィーの怪訝そうな声が、膜を一枚隔てたような、どこか遠いところで響いている。

 

「あ……わたし、帰る」

 

 嫌な予感がした。

 

「帰る……? どこか具合が悪いのか」

 

 妖精王が、その神聖な力を帯びた手を私に伸ばそうとする。

 

「いい、いいから……」

 

 ヴィーがぴたりとその手を止める。

 拒絶し後ずさる私を、持て余しているようだった。

 とにかく、早く、帰らなきゃ……。

 頭ではそう思うのに、足が上手く動かない。

 意思に反して、内臓ばかりが活発に動き出すのを感じる。

 腹の奥で湧き上がる嫌なもの。

 生理反応が、それを私の口内へと押し出す。鉄の味が広がる。

 押し留めようもなく、口から溢れ出す。

 

 えずいてしまい、それ以上言葉を口にすることができない。

 必死になって、身振りで「近寄らないで」と伝える。

 ――血は、駄目だ。血は、妖精を汚す。

 それも、こんな何を含んでいるかわからないような血、尚更駄目だ。

 わかるでしょう、あなたなら。この血に近付かない方が良いって。

 震える足を動かし、よろよろと踵を返す。

 白い雲の中を歩いているようだった。地はふわふわとしていて、しかし一歩前に出す度に、何かに足を取られる。

 蹴躓いて、体が傾いたような気もしたし、世界が傾いているだけのような気もした。

 だけど、私の体は大きな衝撃を受けることなく、気がついたら温かいものに包まれていた。

 腕だ。見慣れた腕が、後ろから、私の腰を支えているのだと気が付いた。

 

「だ、……ゴホッ」

 

 だめ、とその一言さえ言えずに、吐血する。

 その血がぽたりと、太い腕に落ちた。

 ぞわっとした。

 私の五感は随分と鈍くなっている。腕が変色し、異臭を放ったのは、錯覚だろうか。

 でも、それ以上に、清らかな妖精の気配がいびつに歪んだことを、強く感じた。

 

「マリー……」

 

 前後不覚になり、気がついたら、目の前にヴィーの顔があった。

 ヴィー、こんな顔だったっけ。

 これも、一つの錯覚だろうか。幻なのだろうか。

 瞳の中に、轟々と燃える炎が見える。

 その下で、わなわなと震えていた口が、言葉を紡ぎ始める。

 

「このせか……を……しつくしたらうまれか…………こんどこ……ともに…………りーをあい…………」

 

 ふっと炎が消え、闇と静寂が訪れた。

 もう、何も見えない。何も聞こえない。

 ヴィー、何て言っていたの。ちゃんと聞いて、ちゃんと答えられなくてごめんね。

 どうも、私はもう駄目みたい。

 でも、ヴィーは、ちゃんと生きてね。

 穢れた私を、穢れたこの地を捨てて良いから、もっと良いところに移り住んで、そこで笑っていてほしい。

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