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名探偵のセツリ

作者: 十陰達人


 せつーり【摂理】


1.自然界を支配している法則。「自然の―」


2.キリスト教において、創造主である神による宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。


 転じて、“絶対に抗えないもの”───。


 ……この世は摂理に満ちている。

 どうしようもなく抗いがたい、システムの数々。

 何をしても無駄だと言うのなら、私はどうすればいいのだろう。

 何のために、生きればいいのだろうか。


 「あの……」


 急に話かけられ、思考の世界から引き戻される。

 振り返ると、いつも通りここの主が姿を見せた。

この図書室で私以外のもう1人、唯一の図書委員。


(……出ましたね。まったく、1人になりたくてここにいるというのに)


気がつけば日が傾き、時計はもうすぐ17時になることを指し示していた。

相変わらず、時間きっかり。

 鬱陶しいくらいに伸びた黒い前髪が目元を隠し、長身のくせにいつも俯いている。

 そのくせ、よく見れば顔立ちは整った美人で体型も出るところは出ている。

 そんな恵まれた容姿を持ちながら、それを磨かずにいる根性のなさ。

 恐らくは自信が無いのだろう。

 大きな挫折でも味わったのか、それとも挑戦と無縁の人生だったのか。


「そろそろ、閉めたいのですが……」


 図書室の閉まる時間になったことを告げに現れたのは、図書委員の……“江戸川(えどがわ) 真理(まり)”さん。

 どもりという訳ではない、しかし途切れ途切れな言葉使い。

 どっちつかずというか、とらえどころの無い感じで正直イライラする。


「……ええ、今出ます」


「あ、えと……すみません」


つくり笑顔で嘯いて読んでいた本を閉じる。

私はずれた眼鏡を直して席を立ち、本を元の場所に直して誰もいなくなった図書室を後にした。

 人生とはままならないもので、やりたいときにやりたいことが出来るとは限らない。

 そういった不運に対する言い訳を人は運命や摂理などと言い換える。

 今日も私にとっての摂理は、この放課後のチャイムと江戸川さんになったのだった。


「あ、星河さん!」


「これから帰り?」


図書室を出てすぐ、男女二人の生徒に挨拶される。

私は作り笑顔を崩さずに、2人に笑いかけた。


「ええ、お疲れ様です」


正直、この2人のことはクラスメイトであることしか覚えていない。

だが、それを正直に言っても面倒事が起こるだけだ。


(おっと、こんなことをしている場合では)


「それではまた」


「あっ、うん、また来週!」


今日の予定は夕方からバイト、夜には新発売の小説を買って帰る。

苦節7ヶ月、待ちに待ったH先生の新作だ。


「もう行っちゃった」


「クールだよなぁ、星河さん……」


後ろから聞こえる二人の会話も聞かず、私は足早に下駄箱で革靴に履き替えさっと校門を抜けた。

 学校を出ると夕焼けが町を彩り、一日の終わりを持ってくるのが見えた。

桜が少しずつその姿を消し、雨の気配を感じさせるこの頃。

 歩く人影がどこか楽しげに見える中、私は1人早足で歩いていた。

 親に買って貰った辞書をカバンにしまいながら、何気なく物思いに耽る。


(……親。家族……)


 家族の事は嫌いでは無い。

 父も母も兄も姉も、皆それぞれの道で結果を出している。

 何も無いのは私だけ。

 コンプレックスと言うには子供っぽいそれを抱えて、毎日を辛うじて生きている。

 それが私、“星河(ほしかわ) 雪璃(せつり)”の人生だった。


 「明日は……休み、か」


 なんとは無しに、ぶつぶつと呟いてみる。

 私はこういう風に、誰かと喋るより独り言を言うことの方が多い。

 寂しさを感じたことはない。

むしろ1人が心地よかった。

 

 (さて、そろそろ急いだほうがいいですかね)

 

急ぐのは嫌いだ。

疲れる、めんどくさい、疲労を感じて不快になりたくない。

だからこうして、急がなければいけないギリギリまでは全力で人生をサボるのだ。


(まあ、あのマスターに限って急かすということはないと思いますが)


そんなくだらないことを考えながら、バイト先の喫茶店へと足を早める。

こうして変わり映えのしない毎日をただ生きて、なんの意味もなくいつか死ぬのだろう。

これが私の日常、私の人生、私の摂理。

そのハズだった。今日までは──。




◆ ◆ ◆ ◆




「ありがとうございましたー!」


「……よし、おわり!営業終了でーす!」


部屋の隅に置かれたアコースティック・ギターが月明かりを写す時間。

最後のお客様が出て扉が閉まると共に、本日のお勤めが終わった。


「はい?まだ1時間ほどあると思うのですが?」


「いやぁ、今のお客さん帰ったら今日はもう終わりにしようと思っててー」


「マスター、相変わらずやりたい放題っすね」


前からはとても経営者とは思えない発言が飛び出し、後ろからは呆れの言葉が聞こえてくる。


「いーじゃないいーじゃない!どうせパパの遺産で営業してる道楽喫茶ですしぃ?一日に三人も来てくれればもう十分黒字なんだから!」


ここは私のバイト先、喫茶『 唄種(うたたね)』。

そしてさっきからすこぶるやかましいお姉さんはここのマスターにして私達の雇い主、『 柏木(かしわぎ) さだめ』さん。


「さて、じゃあお楽しみの新メニュー開発タイムと行きましょー!」


……こういう風に、突然変なことを言い出す以外はとてもいい人だ。

ちなみに後ろでテーブル拭いてるふざけた口調のチビガキは一個下の腐れ縁の後輩、(あずま) 凜莉(りんり)

覚えなくていいですよ。


「はいじゃあお疲れ様でしたー」


「お疲れーっす」


そんなことは置いておいて、いちいちマスターの奇行に付き合っていると

無駄に疲れることは私達も学習している。

仕事が終わったのならと、2人してとっとと制服替わりのエプロンを脱ぎ捨てて帰り支度を始めた。


「あ、待った待った!明日おやすみでしょ!?賄いも出すんだけどなぁー!」


むっ。マスターのナポリタン美味しいんですよね。


「……両親に連絡してきます」


「ふっふっふ、りょーかい!」


こうしてごくごく自然な理由で、私はいつもより少し遅く帰ることにしたのでした。


「はー、せっちゃんパイセンは暇なんすねぇ。リンリ的には、来週新聞部の〆切なんでパスっす」


「えぇー、リンちゃん釣れない……」


「うるさいですよ東、協力しないならとっとと帰りなさい。私のナポリタンが減るでしょうがナポリタンが」


「リンリはパイセンほどお腹がペコちゃんじゃないのでー。じゃ、お先っす〜」


そう言って東は本当にとっとと帰った。

薄情な奴だ。


「さあマスター。帰った東の事などほっといて、早く私にナポリタンを」


「ふふ、せっちゃんは優しいねぇ!よーし、お姉さん腕によりをかけて作っちゃおー! ……と・こ・ろ・で、早速新メニューの話なんだけど……。コーヒーサイダーって、どうかな!?」


「ないです」



◆ ◆ ◆ ◆





午後19時。

喫茶店でのバイトが終わり、刻んだピーマンの薫る特性ナポリタンで満たした胃袋を抱えながら私は帰路についていた。


(いくらタダで美味しいものを食べられるとはいえ、大盛りをおかわりは流石にやりすぎましたね……)


「しかし、何か忘れているような……」


そんな多幸感ある動きづらさを感じながらせっせと歩いていると、ふと気づく。


「……あ!」


思い出した。

今日の予定にしっかり入れていたはずの、小説の購入。

満腹感ですっかりと忘れてしまっていた。

遅くなるとの連絡は済ませているので、私は本屋へと足を向けた。

──しかし。


(……無い)


この本屋も。


(無い)


あの本屋も。


(無い!?)


思いつく限り近くの本屋を3軒ほど回ったにも関わらず。


「どこにも、無い……!」


結果は全て売り切れ、もしくは未入荷だった。


(何故…!確かに今日発売のはずでしたが)


スマホで発売日の情報を確認し、間違いないことを確かめる。

やはり、特に延期などの情報も出ていなかった。


(ということは、単なる人気による売り切れ? ……いやしかし。確かにH先生は著作がTVドラマ化したこともある有名作家ですが、今更発売したその日に完売とか、あります?)


疑問は尽きないが、そんなことを考えていても仕方がない。

私はこういうふうに思い通りに行かないことがあると、なんとしてでも解決したくなってしまうのだ。


(……よし。久しぶりに少し遠出しましょう)


最寄り駅より少し先にある、穴場の本屋。

そこを目的地とした夜の旅が幕を開けた。

そうして歩くこと30分。


「はぁ、はぁ……。しんどぉ……」


あまり遅くならないよう急いだ結果、めちゃくちゃ横っ腹が痛くなってしまった。


(はぁ、はぁ、うぇ……。なぜ私がこんな目に……)


店内は明るく、看板には“平日12時〜20時”の文字。

なんとか閉店前に着いたようだった。

呼吸を整えて店内に入り、目当ての本を探す。

店内は見渡せる位の広さで、時間故か人も2、3人ほどしか居なかった。

キョロキョロと店内を見渡している金髪の目立つ男や、スタンプカードを確認している常連のような雰囲気のおばさんといった具合に、嫌でも目に入るような個性の強い客が多いように感じる。

私は入ってすぐのところにあるカウンターに行き、本の在庫を聞くことにした。


「店長さん、お久しぶりです。H先生の新刊まだありますか」


カウンターには、懐かしい顔がまだいらっしゃった。

しかしその顔には思い出より皺が増え、髪もだいぶ白髪が混じっている。

ここの本屋には小学生くらいの頃によくお世話になったので、こちらの初老の店主さんとは顔見知りなのだ。


「おお、久しぶりだねせっちゃん。入ってるよ。全部売れていなければ、まだ新書コーナーにあるはずだが……」


「ありがとうございます」


それだけ聞ければ充分と、私は新書コーナーへ向かった。


「ちょっと待っていてくれ、今帳簿の履歴を……あれ、もう行ってしまったのか」


そして。


(あった……!)


本屋巡りを初めてから1時間、遂に目当ての本を発見できた。

どうやらちょうど残り一冊。

今日の嫌なこと全部吹き飛ぶくらいにラッキー。

私は早速手を伸ばしその本を手に──


「……あっ」


「……えっ?」


──取ろうとして、誰かの手に触れた。


「……あ、失礼」


(退け!それは私のだぞ!!)


という言葉をグッと飲み込み、謝罪を口にする。


「い、いえ、こちらこそ…!」


落ち着いた、低い女性の声。

どこかで聴いたことがあるような気がしつつ、私は私の本に手を出そうとする不届き者の面を確認した。


「……は?」


「……あ、せ、雪璃……さん?」


思わず間の抜けた声を出してしまった。

それもそのはず、目の前にいたのは図書委員の江戸川さんだった。

こんなところで知り合いにあってしまうとは。

しかも寄りによって江戸川さん。


「あ、あの……もしかしてこの本を……」


相変わらず蚊の飛ぶような声で喋りますねこの女。


「あー、いえ全然?ちょっと気になっただけなので欲しければどうぞ」


「えっ、でも……」


「いえ本当にたまたまなので。それでは」


面倒になった私は、江戸川さんに本を譲りました。

あれだけ探し回った新刊を手放すのは惜しいですが、これで手切れ金とします。

目当てのものを渡してやれば、これ以上こちらに興味を持たないでしょう。

私はとっとと踵を返し帰路につこうとしたところで。


(……一応、御手洗に寄っていきますか)


バイトが終わってから一度も行っていなかった事に気が付き、保険をかけて行くことにしました。




◆ ◆ ◆ ◆




「困るんだよねぇ、こういう事されると…」


用事を終えて出てくると、何やら店主さんの困り声が聞こえてきた。

声色から考えるに、何かしらの揉め事のようだ。


「アタシじゃないわよ!店主さんも分かってるでしょ?」


「ええ、申し訳ない。ですが解決するまでは店内にいて頂けると助かります」


先程入店時に見た、常連ぽい雰囲気のおばさんががなりたてる。

店主さんもそれに同意しているようで、どうやら本当に常連だったらしい。


「だから何度も言ってるだろ!? 俺は見たぞ! このお嬢ちゃんがカバンに本を入れるのを!」


「ち、違います……!」


そして同じく入店時にいた、見た感じ私と同年代くらいの金髪の男が江戸川さんを責めていた。

なんだか面倒事の臭い。

全力スルーしたいところですが、お世話になった店主さんのことは見過ごせません。

私は嫌々なのが顔に出ないよう注意しながら、事情を伺いました。


「店主さん…これは?」


私が顔を見せた一瞬、金髪の男がギョッとした顔見せたような気がした。


「ああ、せっちゃん……。万引きだよ、H先生の新刊の在庫が合わないんだ」


「えっ」


私は思わず江戸川さんを見やる。

犯人おるやん、こいつやん。


「江戸川さん……。欲しければどうぞとは言いましたが、お会計は通さないといけませんよ?」


しかし当の江戸川さんはと言うと涙目で必死に顔を振って否定した。


「こ、これから会計に行くつもりだったんです……!」


彼女の必死の弁明も、この状況ではちょっと苦しい言い訳に聞こえる。

私は5分ほど御手洗にいたが、それだけあれば本一冊の会計を済ませるなど造作もないはずだ。

江戸川さんは目当てのものを手に入れたのにこの本屋に居続ける理由は無いだろう。

つまり、店主さんの隙を伺って店を出る機会を探っていたに違いない。


「同じクラスから犯罪者が出たというのは心苦しいですが……。まあ、話はお巡りさんにどうぞ」


「本当に違うんですぅ……」


遂に江戸川さんは泣き出してしまった。

泣いて許されるなら摂理は要りませんと思いながら真理さんを連行しようとすると、店主さんが言った。


・・・・

「残り二冊のうちの一冊、返してもらうよ」


「えっ?」


聞き逃せない言葉が聞こえて、私は動きをとめた。


「待ってください、残り二冊?一冊ではなくて?」


「え、うん。うちにあるその本の在庫は二冊となっているよ?」


それはおかしい。

だって私たちが見た時には一冊しか無かった。


(……もし、私の入店前に“既に”一冊減っていたとしたら?)


「……店主さん、ここにいる客が入店した順番は分かります?」


「えっ?そうだね、確か……18時頃に住田さん、次に19時20分頃に金髪の方。そしてその5分後に黒髪の子、そのすぐあとにせっちゃん。だったよ」


あのおば様は住田さんというらしい。まあ重要なのはそこではなくて、コレで私の、ふわっとした推理と呼ぶには稚拙な何かは完成した。


「……だとしたら」


消去法に従って、金髪の男に向き直る。


「すみません、金髪の方。カバンの中身を見せて頂いても?」


「……チッ!」


「あ、逃げた」


疑いが向けられるが早いか、男は出口に向かって走り出した。

まあ、見るからに怪しかったし。

江戸川さんを疑ったのは先入観と私情を大いに挟んでしまったので、そこは反省しなくてはいけない。


「店主さん!私の荷物と警察への連絡お願いします!」


そう言って返事を待たずに私も走り出す。


「人のものを奪って逃げおおせようなんて」


私は店の入口にある箒を取ると、おもむろに金髪の足元に投げつけた。


「そんなセツリは認めません!」


「ぐおっ!?」


上手く男の脚を掛け、転ばせることに成功。

すかさずマウントポジションをとり、関節を動かせないように抑えつけた。


「確保、です」


母の見よう見まねでやってみたが、案外決まるものだ。

そう思って親に心の中で感謝した。


「……クソっ!なんで俺ばかりこんな目に……!」


不意に下から聞こえてきた悪態に、私は眉を顰める。


「随分な物言いですね?物取り風情が……」


「……俺は!俺だって被害者なんだ!」


何やら自分語りの気配を感じて辟易したが、このようなチンピラが一体何を宣うのか興味を覚えたので黙っていた。


「親父もお袋もどいつもこいつも頭が悪くて俺を理解しないくせに、邪魔だけは毎日のようにしてきやがる! 俺の人生、こんなはずじゃなかったんだ!」


「なんでだ! なんで誰もオレを認めない! なんで俺にだけ邪魔ばかり入る!? ……だから!むしゃくしゃしたから不幸のお裾分けをしてやろうと思ったんだよ!ちょうどノロマそうな女がいたからな!」


びっくりした。

一般的に見れば、何一つ同情の余地がない。

普通の感性を持つ人間なら、鼻で笑ってブタ箱にぶち込んで終わりだろう。

だが、私はこう思った。


(……ちょっと、分かってしまう)


人間として恥ずかしいことと自覚してはいるが。

先程、私は江戸川さんを合法的に私の日常から排除できる機会に手を伸ばした。

正直に言えば私も、この江戸川さんを嵌めようとしたクズと同じ加害者思考の人間なのだ。

成功者たる身の回りの人間に囲まれ、自分の欲望を燻らせる牢獄のような日常。

何も考えずにバカ騒ぎしながら時間を消費する連中。

その全てが煩わしくて、解放されたくて。

罪を犯す妄想で、悦に浸る日々だった。

犯罪の計画を立て、実行に移そうと考えたこともある。

だけど、しかし。

それは今日まで現実にならずにいる。

何故なら───


「……哀れですね」


「……あぁ?」


「頭と性格が悪いだけでなく、親にも恵まれなかったとは。哀れすぎて泣けてきます」


私は、私なりに親に感謝しているからだ。

父さんは広い視野と柔軟な思考を持ち、人間として尊敬できる。

私の言葉にも、子供の言うこととあしらったりせず耳を傾けてくれる。

母さんは少し融通が利かないところがあるが、真っ直ぐではっきりした人だ。

そこが苦手なところでもあるが、大多数の人にとっては美点に映るだろう。

2人とも、私には勿体ない自慢の親だった。

そんな2人を心配させることと天秤にかけるくらいなら、私の欲望などどうでもいい。

少なくとも、今の時代においてはそれが最善だと確信していた。


「そもそも、なんですか?不幸のお裾分けって。ただの八つ当たりでしょう。しかも、気弱そうな江戸川さんを狙って」


糾弾する言葉に図らずも熱がこもる。

この男を見ていると、自分を見ているようで吐き気がするからだろうか。

それとも、自分が我慢していることを目の前でやられて腹が立ったか。


「あなたのやった事は逃げです、逃げ。地獄の道連れが欲しかっただけでしょう! 1人でひっそりやってくださいよ、そういうことは!」


私の口からはとめどなく罵倒が溢れる。

明らかに言い過ぎだったが、不思議なくらい言葉が溢れて止まらない。

これだけ喋ったのはどれくらいぶりだったか。


「ああ、やだやだ! たくさんいるんですよねあなたみたいな人。認められたいと思いながら人のせいにばかりして! そういうの、甘えん坊で格好悪いですよ!」


そう言った時、男の様子が変わった。

恐らくは自分の渾身の犯行を“甘え”と断じられたからだろう。


「うがあああっ!!」


「っ!? やばっ……」


信じられないくらいの力で振りほどかれ、私はコンクリートに投げ出された。


「痛ったっ……」


男は先程私が投げた箒を乱雑に拾い上げ、そのまま私に向けて振り下ろす。


「あああああぁぁ!!」


「えっ?」


スローモーションで迫ってくるT箒。

あれがこの速度で当たったらひとたまりもないのではないか。

こんなことなら、T箒ではなく隣にあった藁の箒を投げればよかった。

何やら幼い頃の思い出のようなものまで蘇り始める。


(あ、これもしかして走馬灯───)


私は為す術なく、目を瞑ることしか出来なかった。

そして、激しい衝撃音。


「……あ?」


痛みは、無かった。

恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。


「ふぅー……」


宙を舞う箒、唖然とする男。

そして、蹴り上げの姿勢をとった、江戸川さんがいた。


「え、な、何??」


余りの意味不明さに困惑している私を待たずに状況は進む。

江戸川さんは返す脚をそのまま男に蹴り下ろし──


「破っ!!」


「おごッッ!!?」


見事に、ノックアウトした。




◆ ◆ ◆ ◆




警察に男を引き渡し、事情聴取が終わって引き上げた後。


「申し訳ない、疑ってしまって……」


「……大変失礼致しました」


「い、いえ……私も怪しかったですし……」


店主さんと私は江戸川さんに謝罪を行っていました。


(まったく、危うく異世界転生するところでしたよ)


「そもそも、状況的に江戸川さんを疑ってしまいましたが……。落ち着いて話を聞けば直ぐに解決できたはずでした。私としたことが……」


「そ、そんな。むしろ……せ、せっちゃんには助けてもらってしまって……」


江戸川さんはそう言ったが、なんなら助けられたのも私だ。

バツが悪すぎて消えてしまいたくなった。


「そうそう! いやぁ、さすがだね! 名探偵セツリ」


「うっ、やめてくださいよそれ……」


「め、名探偵……?」


小学生の頃名乗っていた黒歴史を掘り起こされ、更なるダメージを受ける。

探偵として多くの事件を解決したという父に憧れ、よく真似をしたものだった。

だが、実際の私は冤罪ふっかけ寸前の大戦犯。

探偵とは程遠い振る舞いに私は自己嫌悪した。


(……ん?)


「というか今どさくさに紛れてせっちゃんって呼びました?」


急にあだ名で呼ばれた事を、私は聞き逃さなかった。

ちょっと馴れ馴れしくないか。


「あっ、だ、ダメ?ですか……」


また江戸川さんが涙目になる。

ええい、この豆腐メンタルめ。


(あれだけの力があって、何をオドオドしているのですかね?)


「まぁまぁ、許して貰えた上に仲良くなれるなんて最高じゃないか」


と、 店主さんが仲裁に入ってくれる。

まあ確かに、これで冤罪疑惑をかけたことがチャラになるなら安いものだが。


「はぁ……。まぁ、構いませんよ。助けて貰ったお礼もまだしてませんし」


「……!」


そう言うと、江戸川さんは目を輝かせた。

その真っ直ぐな視線にまた腹が立って、私は声を荒らげた。


「……あーもう、とっとと帰ったらいいじゃないですか!そうやってとろいから事件に巻き込まれたんですよ?そもそも、なんで早くお会計して帰らなかったんですか!?」


「あ、そ、それは……その……」


大声を出したせいか、また江戸川さんが萎縮した。

これは私の八つ当たりだったが、そのもじもじした感じが本当に癇に障った。

我ながら理不尽だ。


(……ああ!本当に、面倒な……!)


「……ちゃんと聴いてますから、ハッキリ喋りなさい」


「せ、せっちゃんを……待ってたんです…!」


「………………は?」


あまりに予想外の返答に一瞬思考が遅れる。


(待ってた?私を?なんで?)


「……命を狙われている?」


「なんでそうなるんですか!」


「あ、口に出てました?」


理由が思い当たらなすぎて、荒唐無稽な考えが浮かぶ。

それに対してすかさず江戸川さんからのツッコミが来た。

なんだ、案外話せるじゃないか。


「そうじゃなくて、その……私もH先生のファンなんです! せっちゃん、いつも図書室で辞書かH先生の本を読んでるから……話がしたくて」


なんだか今日は驚いてばかりだが、また少し驚いた。

私が一方的に彼女を知っていると思っていたが、彼女もまた私を見ていたと。

それに比べて、私はどうだろう。

彼女を見た目だけで判断して、勝手に値踏みして。

そして彼女がどんな本が好きなのかすら、今まで知らなかった。

挙句の果てには、危うく濡れ衣を着せるところだ。

私は、そんな自分に言い知れぬ何かを感じていた。


(……)


「……にわかには、私を満足させられませんよ」


「え? ええっと……」


「……はぁ。気が向いたら、話し相手になってもいいと言ってるんです!」


「……!」


自分でも信じられないくらい、するっと肯定の言葉が出てくる。

それを聞いて、また江戸川さんは目を輝かせた。


(ああ、もう)


──本当に、癇に障る。


「何してるんです、真理?置いていきますよ」


「えっ?今…」


「一緒に帰るんでしょう、早くしなさい」


「……あっ!は、はい!」


1年ほど同じ学び舎で学んでいたはずなのに、今日初めて彼女が笑った顔を見た。




◆ ◆ ◆ ◆




週明けの月曜日の放課後。

私はまた、図書室で本を読んでいた。

といっても今回は少し、今までとは違って。


「このシーン、せっちゃんはどういう意味だと思いました……?」


「ここは前作のこのシーンと対比させてるんですよ。まったく、100回読み直しなさい」


「あっ……!本当!じゃあ、ここもそうなんですね」


「はぁ?そこは関係……。むっ、いや、そうかも」


私の向かいに座る、友人がいた。


「ふふっ」


「何笑ってるんです?生意気ですよ、真理のくせに」


「えぇっ、せっちゃんひどい」


元々2人しかいなかったはずの図書室は、別の空間のように柔らかくなっていた。


「はぁ……。あれ?」


「どうしたの?」


ひとしきり話したあと、ふと時計を見た私はある事実に気づく。


「真理。17時、過ぎてますよ」


「……えっ、あっ! やだ、本当……!」


「くくっ、初めてじゃないですか?時間を忘れるなんて」


「はわわ……どうしよう、はやく閉めないと……!図書室の鍵、取り上げられちゃう」


「いーけないんだ、いけないんだー。先生に言いつけてやりましょーか」


「そ、そんなぁ……」


という顛末で、まあ色々ありましたがこれにて一件落着。めでたし、めでたし。


(……っていうのもなんか釈然としませんね……。……はぁ、致し方ありませんか)


(ああ、こういうのはどうでしょう)


この世は真。

致し方無し、致し方無し。



その後。


(……いい感じに終わったと思ったんですが……)


いつも通り図書室を出た私の目に入ったのは学内の掲示板。

そして、そこに張り出された一部の学級新聞とその前の人だかり。

その中の一人と不意に目が合った。


「あっ!星河さん!」


その子が私を捕捉したことで、殆どの人間がこちらを見る。

そして、口々にこう言った。


「名探偵」


「名探偵だ」


何故か分からないが皆、私のことを名探偵と。

なんだか非常にいやな予感がする。

私は恐る恐る、集団の真ん中にいた人物に尋ねた。


「め、名探偵? 私の事ですか……?」


「そうだよ! 凄いね、お手柄じゃない!」


「名探偵セツリ!」


それを聞いて、ぬるい汗が流れる。


「それを、どこで……! っ、まさか!?」


人混みを掻き分け、掲示板に張り出された“新聞”に目を通す。

そこには──


【名探偵セツリ、大手柄! 万引き犯を確保!】


──という記事が、これでもかというほど大きく載っていた。


「な、な、な……」


「いやぁ、やるね星河さん!」


「ちっちゃいのにすごーい!」


そんな賞賛も耳に入らず、私は記事に齧り付く。


(記者……!こんなふざけた記事を書いた記者は…!いや、まあ1人しか思い当たりませんけど!)


私は記事の作成者に予想通りの名前を見つけると、いつも通りに作り笑顔で人混みを抜け裏庭に出た。


(ふぅー……)


そして、周囲に誰もいないことを確認して。


「……東ぁぁああぁああ!!!」


新聞部に、突撃した。



ー了ー

最後までお読み戴きありがとうございました。

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