09
「シゲさんと彩夏さんは料理が苦手だって話でしたけど、諒真さんは得意ってことなんですか?」
揚げ物用の鍋に油をとぷとぷといれている時に咲良が諒真に問いかけてきた。
「んー、得意ってほどでもないけど昔から両親が家を空けることが多くてね。その関係で自分で料理をして食べることが多かったんだよ」
「そう言えば、ご両親はいないんですね? 今日は帰りが遅いとかそういうことですか?」
「いやいや、今は確かイギリスにいるはずだよ。俺が中学生の頃まではそれでも頻繁に帰って来てたんだけど、高校に上がってからは二、三回しか顔を見てないな」
咲良に疑問に答えながらも諒真は調理を続けていく。鍋にいれた油が適正な温度になるまでに鶏肉に粉をつけていく。既に下味をつけてあるのでまぶす粉は市販の味付きのものではなく片栗粉を使用する。
「……二、三回ですか。寂しくは、ないんですか?」
「本当は高校に上がる時には俺もイギリスに来ないかって誘われてたんだ。でも、シゲや彩夏を置いて日本を出るのもなんだし英語がペラペラに話せるってわけでもなかったから高校を卒業するまでは日本に残らせてもらったんだ。だから、まあ寂しいとかなんだとかこっちから言える立場じゃあないってのが本音、かな」
諒真の中ではすでに決着のついている問題なのか、そう話す諒真の顔には迷いも後悔もみえない。
「確かに高校では日本人学校もないですし、せめて英語が話せないと厳しいですよね」
「そうそう。それにイギリスで暮らさないかって言われたのも高校受験の真っ最中だったしね。そんなタイミングでイギリスに来ないか、なんて言われても困るって話だよ」
菜箸で油の温度を確かめたのち、次々と片栗粉を付けた鶏肉を油の中へと投入していく。
もちろん油の温度を下げ過ぎないように一気に全部入れるようなミスは犯さない。
「……諒真さん、料理は得意ってわけでもないって言ってましたけどその手際はどう見ても料理が得意な人のそれだと思いますよ」
「そうかな? ただ単に慣れてるってだけだと思うけど。芦沢さんだって毎日料理するようになればこれくらいは簡単にできるようになるよ」
「簡単に、ですか……。簡単にできるようには見えないんですけど」
諒真の言い分も咲良の言い分もどちらが間違っているというわけもないだろう。
料理に慣れ切っている人にとっては下準備をしておいて、あとは揚げるだけの揚げ物など料理のうちにも入らない。
揚げ物の面倒くささは、調理中に体が熱にさらされることと使用済みの油の処理、片づけに尽きる。これに比べれば調理自体は単純なものだ。
料理をしたことない、あるいは料理が苦手な人にとっては、まず料理における下準備というものが頭の中にはない。
料理下手にとっての料理とは、ご飯を作ろうと思ってから始まるものだからだ。
更に揚げ物となれば、料理下手にとっての鬼門、コゲが常に付きまとう。焦がさないように慎重に調理しようと思えば揚げ物の中身が生煮えになるというオプションまでついている。
そんな風に諒真と咲良の思考がすれ違っている間に、二人分ゆえにそう多くない鶏肉はすべて揚げ終わっていた。
唐揚げの油が適度に切れるまでにサラダを作るべく、冷蔵庫の中から適当に野菜を外に出す。
取り出した野菜は水で洗い、虫食いや傷がないかを確認した後それぞれ食べやすいように一口サイズに切って皿に盛り付けていく。
主菜がから揚げなのでサラダにはツナや蒸し鶏などは付けずにスタンダードなサラダを用意する。
「芦沢さん、この皿をテーブルの方に持って行ってもらっていいかな?」
「もちろんですよ。」
咲良は快諾するとサラダを盛りつけた大皿を食卓の方に運んでいく。
諒真の方はドレッシングを冷蔵庫から取り出し、取り皿やご飯を盛りつけた茶碗、箸などを二人分用意した後にから揚げを二人分の咲良にそれぞれ取り分けると食卓の方に運ぶ。
から揚げからは湯気が立ち上り、美味しそうな匂いが漂っている。
すると、グゥゥと咲良のお腹が鳴る。
「ううぅぅ」
「あはは、芦沢さんもお腹がすいてるみたいだし食べようか」
「……はい、いただきます」
咲良は恥ずかしそうにお腹を押さえたのちに諒真に向かって律儀に挨拶すると食べ始める。
「うん、どうぞ召し上がれ」
諒真の方も咲良が食べ始めるのを確認すると自分食事にはいる。
「……っ、これ、すごくおいしいです」
「そう? 口に合ったみたいで良かったよ」
咲良の感想に諒真は思わずホッとする。食べ物に関して好き嫌いはないと聞いてはいても、やはり人の好みは千差万別。諒真がおいしいだろうと思って作った料理ではあっても咲良にはそう感じられないかもしれないとは思っていた。
もしかしたら、お世辞かもしれないと言う思いも咲良の食べっぷりを見る限りはそれもなさそうだ。
咲良も女子なのでさすがにご飯のおかわりまではしなかったが、三十分も経たないうちに用意されたから揚げもサラダもご飯も綺麗に食べきった。
「満腹になった感じかな?」
「はい、あまりにも美味しかったので少し食べすぎたかもしれません」
「そっか、そう言ってもらえたならよかったよ。じゃあ、あとは当初の目的だったお風呂だけだね」
「……そうです。今の今まで忘れていましたけど、私は諒真さんにお風呂を借りに来たんでした」
そう、食事は蛇足、というか諒真が好きでやったことであって咲良の目的は最初からガスが使えない自宅にかわって諒真に風呂を借りる事であった。
「とはいえ、食事した後すぐにお風呂に入るのは消化に良くないらしいし沸かすのにも多少時間がかかるから一時間後にまた来てよ。芦沢さんも着替えとかを持ってこなくちゃいけないでしょ?」
「そうですね、着替えやタオルなどは研究所から届けてもらった荷物の中に入っているはずですから用意してきますね」
「うん、こっちはいつでもいいからゆっくり探してきなよ」
「あ、でも、お片付けが……」
咲良の言う通り、確かに食卓の上には二人分の食器が、キッチンの方には調理に使った数々の調理器具が現れることなく放置されたままである。
「いいよ、片づけも俺がやっておくから。というか、ここは俺の家で芦沢さんはお客さんなんだから片付けとか気にしなくてもいいよ」
「でも、食事を作ってもらって、お風呂まで借りて、それで何もしないというのは」
「いいんだよ、芦沢さんには昨日能力のことでいろいろお世話になったから、その恩返しと思えば安いもので、むしろ足りないくらいだよ」
諒真が一度死んだあと、研究所の職員に助けてもらわなければ諒真は能力のことなど何も知らずに今も過ごしていただろう。
そして、諒真に能力のことを教えてくれたのが咲良でなかったのならここまで能力のことを理解して自在に操れるようになったかどうかもわからない。
「能力については研究所に所属するものとして当然のことですから、お礼を言うのは変ですよ。それに、今日の放課後には学校の案内もしてもらいましたし」
「だったら、一つ貸しってことで。芦沢さんが料理を作れるようになったら何か作ってくれたらそれでいいよ」
「うーん、わかり、ました」
咲良は少し逡巡したような表情を見せたが、諒真が既に納得していて考えを翻さないと見たのかしぶしぶ諒真の提案に納得する。
「じゃあ、芦沢さんは着替えを取りに戻るってことで。俺の方はお風呂を沸かしてここの片づけをするから」
「わかりました。確かに荷物を探すのにも時間がかかりますし、これ以上遅い時間にお風呂を借りるのも諒真さんに悪いですしね」
「そうそう、明日も学校だしね。ちゃちゃっと準備するから一時間後にまた来てよ」
咲良を玄関口まで見送った後、諒真はまず風呂の様子を見に風呂場まで行く。
「確か、日曜日に入った後洗ったから大丈夫だとは思うけど……一応、もう一回洗っておくか」
諒真が襲われた日が月曜日、そして今日は水曜日である。
一度洗ってあるとはいえ、三日間放置していた湯船にお客さんを疲らせるのも気が引けた諒真は湯船を念入りに洗っていく。
手慣れた手つきで湯船を洗い終えた後は湯船に湯を張るように給湯器を操作する。
「引っ越したばかりだから、バスタオルとかはともかく他のものはないかもな」
独り言をつぶやきつつ、石鹸やシャンプーなどの量を確認した後は来客用のボディタオルなどを準備する。
指さし確認して準備が万端であることを確認すると、諒真は食卓とキッチンの片づけをやり始める。
使用済みの油は再利用できるように専用のポットへと移し、鍋や皿などの油に塗れたものは洗剤と湯を入れてつけ置き洗いしておく。
サラダに使った大皿や取り皿、茶碗に箸などそこまで汚れのひどくないものはスポンジと洗剤を使ってちょちょいと洗っていく。
一人で食事をしている普段に比べれば確かに洗いものの量は増えるが、それも微々たるもの。 すべてを洗い終えると同時に給湯器が湯が沸いたことを知らせてくる。
すると同時にチャイムが鳴り響く。おそらくは咲良が来たのだろう。はいはい、と返事をしながら扉を開けるとそこには着替えやタオルなどが入っているであろうバッグを持った咲良の姿があった。
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