婚約破棄された聖女は吸血鬼に気に入られたようです
「久しぶりに家に帰れるわね……」
聖女として各地に神の教えや道徳を広めるために地方を旅してきたが、取りあえず今日で一区切り。
しばらく休んだ後、再び布教の旅に出る事になるが今はゆっくりと休もう。もうすぐ結婚なんだし、活動範囲を狭める事になるかもしれない。
「ま、それも一つの選択よね」
太陽が傾き始めた頃、馬車は町の入り口に到着した。
「どうもありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。セフィア様を乗せて走れるなんて光栄でした」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
御者に代金を支払って町へ入る。大通りは人が多く賑わっていた。見つかって囲まれると厄介なので簡単な魔法で姿を隠す。
今日の帰宅は誰にも伝えていない。突然帰ってきたらどんな反応を示すか、というちょっとした好奇心だ。
スルスルと人の隙間を抜けて高台にある実家の門を潜った。相変わらず大きな屋敷だ。
様々な花の香りに包まれながら正面玄関を通る。すると我が家の使用人のアルフレッドが出迎えてくれた。
私が産まれた時から仕えているが、彼の肉体は殆ど変化していない。しいて言うならば、少し白髪が増えてきた事くらいだろう。
「お帰りなさいませ、セフィアお嬢様」
「ただいま、アルフレッド。父様と母様は?」
「旦那様は自室でお仕事を、奥様は裏庭でガーデニンをしておられます」
「そう、アイリーンは元気にしてたかしら?」
「妹様は現在ご自分の部屋でお休みになられています」
「ありがとうアルフレッド。あ、荷物は自分で片付けるから平気よ」
着替え等を詰め込んだカバンを持ち上げて2階へ上がる。
自分の部屋のドアノブに手を掛けて、ふと手を止めた。隣の妹の部屋から話し声が聞こえる。
アイリーンともう一人は──ジェイク?
どんな話をしているのか気になり、ドアを少しだけ開けて中を覗き見た。2人は向かい合って楽しそうに話していた。
何食わぬ顔で「ただいま」言って、と脅かしてやろうとポーズを取ると、アイリーンは彼にとんでない事をしでかした。
「ああ、ジェイク様……私、貴方に一生着いていきますわ」
テーブルから身を乗りだして熱いキスをした。ジェイクもそれを拒む事はなく、アイリーンを強く抱き締めた。
小さい頃から結婚しようと約束していた男を、まさか妹に盗られるとは思わなかった。
手の力が抜けてバッグが床に落ちた。
「誰!?」
その音でアイリーンがこちらを睨み付けた。そして私を確認すると見る見るうちに顔が真っ青になっていった。その隣の彼も非常に驚いた顔をしている。
「セフィア・グランツ、ただいま戻りました。お久しぶりです、ジェイク様」
「お帰りセフィア、我が愛しの──」
ジェイクは取り繕うように両腕を広げて抱きつこうとしてきた。
「触らないでください。見ましたよ、アイリーンとキスをしたのを」
「セフィア……」
「どういう事か……説明していただけます!?」
胸ぐらを掴んで怒鳴りたいの我慢してなるべく落ち着いて尋ねる。
「悪いわね、お姉様。彼はもう私と結婚する事にしたの」
「そんな、あの時の誓いはどうなったんです?」
子供の頃、私が聖女として旅に出る前に交わした約束。
「大きくなったら僕が君を幸せにするよ」と。あの日の事は今でも鮮明に覚えている。
「前々からこの話は進んでたのよ。お姉様がいつまでもフラフラ地方を旅してるから、ジェイク様がいつ結婚できるかと嘆いていらっしゃったの。だから私がお姉様の代わりとして結婚する事にしたの」
「まだ籍は入れてないんでしょ? なら代わりなさいよ」
「セフィア……実は……」
「私、おめでたなの」
ニヤリと意地の悪い笑顔でアイリーンが言った。椅子に座り直して腹部を優しく撫でる。
「そ、そんな……だって……じぇ、ジェイク?」
「すまないセフィア……あの約束はなかった事にしてくれ……」
ピシッと私の心にヒビが入った。たまに帰って来て彼と話している時、既にアイリーンと恋仲にあったということか。
「ごめんなさいお姉様。でも、分かってね? これもグランツ家とユピテル家のためなの、ね?」
昔は私の後ろをついてくる可愛い妹だったのに、知らない間に姉の男を寝取る悪女に成長していたとは。
いや、元々その気があったのかもしれない。私に気づかれないよう良い妹を演じていた可能性もある。
もう何も言えなかった。アイリーンから負け犬は早く消えろという無言の圧を感じる。ジェイクも気の毒そうに私を見ているが、心はアイリーンに寄っている。
涙を飲んで踵を返し、3階にある父の自室へ駆け込んだ。貴族の娘としてあるまじき雑さで扉を開けると、そこには目を丸くした父の姿があった。
「そんなに慌ててどうした? ま、取りあえずお帰り。母さんには顔を見せたかい?」
「お父様、アイリーンの結婚について、詳しく、お聞かせ下さいません?」
「お前もいい年して旅ばかりだからな。ジェイク君にアイリーンを進めたところ、快く婚約してくれたよ。セフィアと結婚できないのは辛いが、これも両家のためだと泣いていたよ」
書類をまとめながら父は淡々と語った。
「そんな勝手に決めたんですか? 私に連絡の一つもしないで?」
「聖女という立派なお役目があるのは分かるが、彼を待たせたのも良くないな。なに、父さんが新しい彼氏を見つけてやるさ。セフィアにピッタリのな」
呆れて物も言えなかった。どんな男がいいかと話す父を睨み付けて部屋から出ていった。
イライラしながら自室に戻ってベッドに飛び込んだ。お気に入りの枕に噛みついてアイリーンもジェイクも父もぶん殴りたい気持ちを抑え込む。
「ん……」
いつの間にか夜になっていた。眠ってしまったらしく、枕が涙と涎でびっしょりと濡れていた。
泣いて寝たら少し頭がスッキリした。明日にでも家から出てまた旅を再開しよう。
「お姉様、起きてる?」
「何よ……」
申し訳なさそうな顔をしてアイリーンがベッドに座った。
「ごめんなさい。彼の初めてを奪っちゃって」
「挑発のつもり?」
「ホントはね、私が彼に魔法をかけたの。お茶に惚れ薬も仕込んだし」
「アンタ……何言って……」
「彼の事が好きなのはお姉様だけじゃなかったのよ。でも2人は愛しあってるみたいだから我慢してたの。でも中々結婚しないし、ほっつき歩いてるから私が貰っちゃったの」
うふふと年頃の少女らしい笑い方をする。しかし18歳の少女がこんな事を思い付くとは世も末だ。
「もうお姉様を思う気持ちもないし、彼は私だけのもの。向こうの家も私を嫁にする準備もできてるみたい。ちゃんと式には呼んであげるからねお姉様」
言葉より先に手が出ていた。本気の平手打ちがアイリーンの頬に突き刺さる。
ベッドに倒れ込んだ妹に馬乗りになって顔を殴り付けた。助けを呼ばせはしない。首に手をかけ、気の済むまで何度も殴った。
「はっ……はあっ……」
鼻は折れ、パッチリとした二重はアザで醜くなってしまった。虫の息となった妹を見下ろして一息つく。
これで彼女が死ねば私は殺人罪で捕まるだろう。だがそうならないための秘策が私にはある。
「もうこれで勘弁してあげるわ。二度と私に突っかかってこない事ね」
アイリーンの額に手を当て、祈りの言葉を紡ぐと傷が塞がって元の愛らしい妹へ戻った。
治ったといっても意識はまだ戻らないようだ。まあ、明日にでもなれば目を覚ますはずだ。
「……もういいわ」
アイリーンを部屋に残して地下の倉庫からワインを適当に3本持って屋敷から出た。アルフレッドに呼び止められたが無視して走り出した。
街とは反対の方向、屋敷の裏の森へ入った。今は誰にも邪魔されない所で飲みたい。コルク栓を抜いてラッパ飲みをする。
姉として、いや女として負けた。確かに私にも非はあるが何もあそこまでする必要があるのか。
木に背中をつけて座り込み、月を見上げる。空に浮かぶ満月は何も言わずに私を見つめていた。
ガサガサと茂みから音がした。アルフレッドがが探しに来たのかと思って呼び掛ける。
「……アルフレッド?」
返事はない。風のイタズラだろうと深く考えずにワインをさらに飲んだ。しかし、このタイミングを見計らったかのように野犬が飛び出してきた。
野犬は私の首へ噛みつこうと突進してきた。
いくら傷を治せる聖女と言っても首を噛み切られればおしまいだ。重い体を起こして避けようとした直後、閃光が走った。
月明かりを受けて白く輝く髪の青年が野犬を遠くへ吹き飛ばした。
「君、大丈夫かい?」
血よりも赤い深紅の瞳が向けられる。今までジェイク以外にときめいた経験はなかったが、不覚にも彼にドキッとしてしまった。
「え、ええ……どうも」
「初めまして、僕はシモン。シモン・リヒト」
「リヒト……? アンタ、吸血鬼のシモン?」
シモン・リヒト。リヒト家の次期当主にして吸血鬼界でもナンバーワンの人気と実力を兼ね備えた文字通りの天才だ。
その噂は世界中に知れ渡っている。
「おや、そういう貴女はセフィア・グランツさん。こんな夜更けにワイン片手に如何されました?」
「ちょっと……ありまして」
「何か訳アリのようですね。僕で良ければ話を聴きますが?」
「いいわよ。助けてもらった上に話まで聴いてもらうなんて。それに今日は1人で飲みたい気分なの」
「そうですか……家にくればツマミもあるというのに、残念だ」
と、ここで私の酔った頭は回転を始めた。リヒト家と言えば私の家の数段上に位置する貴族だ。
そこへ無料で招待される上にツマミまでついてくるとなると行って損はないだろう。
「お願い、連れてって」
「了解しました、お嬢様。では失礼して」
滑らかな動作で抱き上げられてしまった。しかもお姫様抱っこ、という奴だ。
近くで見るとさらに顔の良さが際立つ。
「行きますよ。しっかり掴まっててくださいね」
ぶわっと飛び上がり、雲に手が届きそうな所まで上昇した。シモンの背中から黒い翼が生えて優雅に羽ばたいた。
「すぐに着きますからね」
彼の言った通り、本当にすぐだった。いくつか町を越えると森を切り開いた場所に屋敷が見えてきた。
自分の家とは比べ物にならないレベルで大きい。あの庭に我が家が庭ごと入ってもまだ余裕がありそうだ。
「到着です」
「ありがとう」
優しく下ろされ、周囲の景色に感嘆の息を漏らす。
凄い、この一言に尽きる。我が家の庭園が子供のお遊びとするなら、ここの庭園は芸術家の作品のようだ。
「お帰りなさいませ、シモン様」
玄関で白髪の使用人に迎えられた。
「おや、そちらの方は?」
「彼女は今夜の酒の友さ」
「そうですか。ごゆっくりどうぞ」
「さ、こっちだ」
外観もそうだが内観も綺麗だ。宝石などのきらびやかな装飾はないが、隅々まで掃除が行き届いているし、何より蝋燭の優しい火が今の私には心地いい。
「おおシモン、お帰り──どちら様で?」
2階へ上がる階段で強面の男性に出会った。どことなく顔立ちがシモンと似ている。
「今夜の飲み友だよ、父さん」
「嫁じゃないのか」
「誰かを連れ込む度に嫁嫁言うの止めない? 僕はまだ結婚する気はないの」
少々苛立ったような口調でシモンがいい放った。彼の父親は一瞬、むっとした顔を見せた。
「そうかそうか。まあ、お前ならいずれ良い相手が見つかるだろうさ」
しかし諦めたように溜息をついて1階へ降りていった。
「ごめんね、父さんが失礼な事言って」
「いいよ、気にしないで」
そのままバルコニーに出ると木製の丸テーブルと座り心地の良さそうな椅子が2脚用意されていた。
「うわぁ……凄い……」
「たまに誰かを誘って飲むんだ。庭園と月を眺められるからお気に入りなんだ」
ツマミと酒を持ってくるから座ってて、と言われて遠慮なく腰かけた。肘をついて庭園を見下ろす。
少し酔いが抜けたのか、猛烈に虚しくなってきた。
どうして妹に盗られたのか。惚れ薬や自分に興味を向けさせる魔法は、一定以上の好意がなければ成功しない。
天から授かった治癒の力。私の方は大抵の傷は治せるが、アイリーンの方は私の半分ほどの力しかない。
やはり少しできない方が可愛げがあるのだろうか。
それに加えて、アイリーンは甘え上手な面もある。過去に学院の優等生を取っ替え引っ替えしていた噂も耳にしている。
対して私は、治癒の力を持った者として、自分に厳しくあまり人を頼らなかった。
「それがいけなかったのかな……」
今となってはもう遅い。ジェイクの事──いや、家の事は忘れてしまおう。気が向いたら考えればいい。
「おまたせ。チーズとワインだよ」
「ありがとう」
グラスに注いでもらったワインを一気に飲み干してお代わりを要求する。
「セフィアさんって町で見るのと違うね」
「そうね、いつもは猫被ってるから。外面だけはいいのよ。本来は雑な女なのよアタシ。どう、失望した?」
「むしろ他の人が知らない一面が見れて嬉しいかな。それで……何があったのか、訊いてもいいかな?」
「ご馳走になったし……全部話すわ」
少し躊躇ったが吐き出したい気持ちが勝り、それっぽい理由をつけて語りだした。
今日の出来事全てを語った。思い出すだけでムカムカする。
「これが私がやけ酒してる理由よ」
「婚約破棄ね……」
「そ、あー話したらスッキリしたわ」
「まだ彼の事が好きなのかい?」
「……どうかな。妹とのキスを見てから、好きって気持ちが分かんなくなって……」
「心の傷は完治するまで時間がかかるからね。焦らずゆっくりと忘れていけばいいさ」
「じゃあさ、帰りたくないからここに住まわせてくれない?」
酔っている頭でふと思った事を言った。自宅近辺の宿屋に泊まれば即刻噂になるのが落ちだ。
ならば知り合いのいないここでなら穏やかに暮らせるのではないか。
「随分と唐突だね
「お金ならあるわ。必要なら雑用とかもするし」
「ふぅむ……空き部屋はあるから構わないけど、ホントにできるのかい?」
「バカにしないでちょうだい。一人旅で家事は慣れてるわ」
「空き部屋もあるから構わないよ。でも、家はいいのかい?」
「いいのよ、アタシがいなくても暫くは回るはずよ。暫くはね」
「つまり?」
「これ、なんだか知ってる?」
胸元から赤い宝石のついたネックレスを取り出す。
「それ……転移水晶じゃないか」
「ここから南の方にある国の王様がアタシと契約を結んだの」
「南のって西の方と戦争してる最前線の?」
「そうなの。この宝石が光ったら如何なる事を中断して我が国での治療に当たってくれってね。その見返りに莫大なお金が貰えるのよ。大体は家に送ってたんだけど、これ以降は一切送らないわ」
「復讐かい?」
「止めるつもり?」
「いや? むしろどんどんやって欲しいね。君みたいな聖女様の裏の顔を見るのは最高だよ」
「変わってるね、アンタ」
ガッハッハッと大声で笑いあい、さらにワインを注ぐ。
「いやホントセフィアみたいな娘、好きだな。ずっと僕の側にいて欲しいよ」
「なに? 失恋した女に告白?」
バカねえと言おうとしたが、あまりにもシモンの顔が真剣で言葉に詰まってしまった。
白い華奢な手が私の髪に優しく触れる。そのまま頬を撫でられたが不快感はなかった。何故か心臓がドキドキと跳ね回っている。
「はは、なんて冗……談……さ?」
「こ、こっち見てんじゃないわよ!」
そっぽを向いて顔を隠す。触れなくても分かるほど顔が真っ赤になっている。そうこれは酒のせいだ。
今日は飲み過ぎたから顔が赤くなっているのだ。そう自分に言い聞かせてシモンと向き合う。
「お、面白い冗談ね。5点を上げるわ」
「ありがたく頂戴するよ。さ、この瓶も空になったし今日はお開きにしよう。片付けは僕がやっておくよ」
「手伝うわ」
「そうかい? それじゃ皿を頼むよ」
並んで廊下を歩く間、少し気まずい沈黙が流れた。変に意識してしまう前に何かしら話題を出さなければと切り出した。
「なんで私を助けてくれたの?」
「君に会うためかな? ……なんてね、ホントは暇潰しに空を飛んでたんだけどちょうど襲われてるセフィアを見つけてね」
「シモンがいなかったらアタシは死んでた訳ね。アイリーンも都合がいいと思うんでしょうよ」
そこから話は発展して厨房まであっという間だった。瓶を端に寄せて皿とグラスを簡単に洗う。
隣で作業をしているシモンがどうしても気になった。
──認めたくはないが、私は彼に恋をしてしまったようだ。
傷心の所に颯爽と現れ命の危機まで救ってくれた。さらにに家に招待し愚痴も聞いてくれて酒とツマミまで貰った。
おまけに顔もいい。
「よーし、片付け終わり。今日はもう寝る?」
「あ、うん……シモン、あのさ」
「ん?」
「あの、アタシ……いや、やっぱりなんでもない。気にしないで」
「……そうかい?」
危なかった。酔った勢いに任せて告白するところだった。高鳴る胸を押さえて深呼吸をする。
恋心に気づいて即告白とは我ながら恐ろしいものだ。
紅潮した顔を見られないようにしながら来た道を戻る。助けてもらってここまで良くしてもらって、これ以上迷惑をかけるのは心苦しい。
このお友達程度の関係を保ち続けられるように努力しなければ。
「この部屋を使うといい。着替えは……明日、使用人達から借りてくるよ」
「シモン、今日は色々とありがとう。それじゃ、また明日ね」
「僕の方こそ。久し振りに楽しかったよ。お休み、セフィア」
別れの挨拶を済ませてベッドに倒れる。フカフカで良い匂いだ。
「……疲れたわ」
大きく欠伸をして目を閉じた。彼に婚約者がいないのならばチャンスがあるのではないだろうか。
「ふふ……妄想も大概にしなさいよ、私」
あり得るかもしれない未来の光景が脳裏に浮かび、口元が緩んだ。彼は私をどう見ているのか、いずれ聞き出してみたいものだ。