不反事件と鏡引
どこまでも真っ白で、真っ青な海との境目がはっきりと見て取れる学園都市。この町は、数十年前の不反事件を境として生まれた。
世界各地の至る所では、近年生まれたばかりの機械が蒸気を吹かし、次の時代の始まりを予感していた。
しかし、ある日の事。始まりは煙で空の見えなくなった、継ぎ接ぎの鉄板貼りの都市の深い底でのことだった。ある日、出遅れた作業員の1人が作業現場に行ってみれば、いつもは活気あふれる構内のどこもかしこもが、ただ無人だった。
作業員は訳も分からないまま、構内の奥へ奥へと進んでいく。
そして、そいつはそこに居たんだ。
現場の主力電源を担っていたはずの、壊れた巨大な装置の前で。真っ黒で何も移さない鏡が、まるでタービンのように無数に連なって、機械とも違う異音を立てながら浮かんでいた。
その連なる鏡は、無数の水銀のように揺らめき続ける腕を、幾数も外側に伸ばしていた。
寝坊しながらも生き残った、その幸運な作業員は、生き残った罰を受けるようにその鏡の怪物の事をみんなに伝えて回った。
だが、そんなもの信じず。体の良い会社そのものの夜逃げの変わり身として置いてかれたろくでなし扱いされた。
そうこうして人々が信じない内に。工場、学校、公園、民家。場を選ばずに鏡の怪物は出現するようになり、人々が危機を抱く頃には、怪物はいつどこでも出るようになっていた。
時代は後退。どうあろうとも、どこでも姿を見せるようになった鏡の怪物達を、人々は何も映さないのに、自分を睨んでいる物としてミラーと名付けた。
これが、不反事件であり、ミラーとの初遭遇だった。
そんな日々の営みさえも許されなくなった社会で、人々は次にどう生きるのだろうか?
答えは簡単。私やアネモネ、ダスティーがここに居て、学園があるように。新たに現れた存在に対抗する手が開発されていった。
「聞け! 鏡引諸君!!」
遅れてきた私とアネモネが学園前の広間に整列した所で、学園を背にして、背の高い慎重に、柄の長い真っ白な槌を携えた女性教官が声をあげた。
「天候は良好、晴天の日。本日は諸君らも知っての通り、半端なミラー共が数だけを言わせ多く出る日曜日だ! しかし! 半端であれどミラー。学園より下々の町に住まう住民達には命取りとなる!」
晴天とは反する教官の強い言葉に、近くの同期訓練兵達の間から、深く呼吸を吸う音や足の位置を直す音などが聞こえてきた。
ふと、横に目が行ってみれば。隣に立っているアネモネが、寝室での態度が何だったんだとばかりに、一番小刻みに肩を震わせていた。
「……」
この学園都市に家族で来るしか無かったといえ、鏡引として向いてないように思えるアネモネの姿は、見てて可愛そうに思える。
そっとアネモネの背中をさする。すると、アネモネが驚いたように私を見て、少し顔をほころばせたかと思うと、すぐに大げさなぐらいシャキッと立ち直りだした。
動きで大丈夫だよと言い返しているようなその姿は、なんともアネモネらしいと、なんだか暖かくなった。
「現在も、夜間警備の訓練兵からの報告で、時間の経過につれてミラーの出現量が増加しつつある事が確認されている」
教官はそう言うと、槌を地面に一回突いてから、私達訓練兵に向け指した。
「動く者が居なければ、抑えられる筈の惨劇が起きるであろう。やらねば、見殺しにするであろう! 諸君らに問う!! 無実の一般人に、君たちの家族を守るのは誰か!! その理由は何か!!」
全員が今一度姿勢を正し、同じ声を返す。
「「私達、鏡引訓練兵!! 失いたくないものを守るため!!」」
「そうだ!! 何もできなくて家族や友人を失いたくないのなら、自ら苦しみ、戦い抜け!! 出動!!」
「「了解!!」」
その言葉を皮切りに、全員が町へ向かって駆け出していった。
それぞれの腕や腰には、一人一人違う造りの武器らしきものがある。私も、アネモネもそんな大勢の中に紛れ、街へと向かって行く。
「ゲッケイ!」
「ん?」
駆けながら、真横のアネモネが声を掛けてくる。
「今日も頑張ろうね! お父さん、守りたいもん!」
「……そうだな」
アネモネは、私の返しににっこりと微笑み返した。
そうだ。今から行く、学園都市に合わせて作られた街には、訓練兵の家族を初めとした、多くの一般人が居る。
ここに居る人たちは、家族を守れるという、得たい結果の為に命を尽くす人が殆どだ。彼女たちの願いは、とても尊くて、眩しすぎる。
「……多くのミラーを、倒そうな」
だが、私にも形が違えど、理由がある。
多くのミラーを打倒し、更に強くなって、もっと上へ。
そして、届きたい人の所まで、ただ、命を賭け続ける。
私は、負けるわけにはいかない。誰にも。
そう強く願い、人とその捕食者が同居する、真っ白な街へと駆け出した。