鏡の中の少女
半ば放心状態で授業を受けていた。話なんて入ってこず、ノートは真っ白のまま授業終了のチャイムがなった。ガヤガヤと騒がしくなる教室には私の親友がいない。紫がいないだけでこんなにも空虚な空間だとは思いもよらなかった。
「うわっ。まいまいノートまっさらじゃん。どしたの? もしかして体調悪いの?」
紗耶香が小さい体に不釣り愛の胸を揺らして近づいて来た。私のノートを見て目を丸くしている。
「あー…いや、まだ眠気が覚めてなくて、ぼーっとしてただけ」
「そか、なら良かったよ。今日はなんだか様子が変だったし、そのせいでわたしも授業に集中出来なかったんだから」
「それって元々じゃないの」
「ち、ちがうもん!」
小さな身体で怒りを表現している沙耶香はこれでも気を使ってくれている。確かに様子がおかしいと思われるくらいには狼狽えていたかもしれない。でも親友が突然世界から消えてしまったら当然なのではないか。
これから先、紫の存在を無かったものにして過ごさねばならないのだろうか。そんなの絶対に無理だ。簡単に忘れられるほど希薄な関係では無かった。紫は私にとって特別な存在なのだから。
今この場に座ったままでいれば、他のお人好しなクラスメートに捕まりそうなので私は一人で落ち着けるトイレに行くことにする。物思いに耽る場所など大抵は屋上や空き教室なのだが、今朝の出来事を思い出し人気が無い場所に何か出てきそうな気がしたので、比較的人が来るトイレにしたのだ。自分の教室から2つ隣の1-1の教室の前にトイレはある。歩いている途中で中学時代の友達に手を振り返しそそくさとトイレに入った。新校舎のため、中は公立高校とは思えないほどに綺麗であった。
個室に入ろうと身体を横に向けた時、既視感を感じた。
今朝同じようなシーンが思い起こされる。妙に鏡が気になり恐る恐る鏡を見るとそこには私の怯えた様な情けない顔が映っているだけだった。
「幽霊いるわけないよね…何をびびってるんだか」
ホッと息をつき個室のドアに手をかける瞬間。
「舞衣!」
聞こえるはずのない声がが私の名前を呼んだ。
「紫!?」
反射的に彼女の名前を叫び、急いで振り向くと鏡には私の姿は無く、私には到底似合いそうにないストレートロングの黒髪の少女が映っていた。だが振り返っても鏡に映っている彼女の姿は無い、まるで此方の世界にいないみたいじゃないか。
「紫…? なんで鏡に映っているのに…」
「舞衣。よく聞いて、今の私は鏡から出れないみたいなの」
鏡から出れない? そもそも何故鏡の中に紫が? 突拍子の無いことばかりで混乱した頭にさらに不可思議なことが舞い込み訳が分からなく、頭を抱えた。分からないことばかりだが、彼女に疑問をぶつける前に私涙を流した。
自然と落ちた涙は余りにも幸せに満ちた涙だ。
「うぅっ…ゆかりが消えちゃったのかと思ったぁ」
「ま、舞衣? どうして泣いて…あ、あーよしよし私は舞衣の前から黙っていなくなったりしないよー。ここにいるから安心しなさいなー」
えぐえぐと泣いてる私を間延びした声で宥めている彼女は少し笑いながらこちらを見ていた。この対応は紫で間違いなさそうだ。
落ち着いてきたところで彼女に何が起こったのか聞こうとした時、タイミング悪く授業が始まるチャイムが鳴り響く。正直授業なんてどうでもいい。舞衣が気にした様子で私を見るがそれでも私は構わず話しを続けようとした。
「サボっても大丈夫それよりさ…」
だが彼女は糞が付くほどの優等生故に私の蛮行に眉を吊り上げた。
「だめ! ちゃんと授業受けなきゃ留年しちゃうよ! 舞衣はただでさえ遅刻多いんだから」
かなり痛いとこを直接突かれて目が泳いだ。
「いや、でも気になり過ぎて寧ろ集中出来ないと思うんだよね…」
「そんな言い訳通用しないからね! あっ、そういえば舞衣は鏡持ってる?」
「持ってない…いや、スマホのケースに付いてる鏡なら…ってもしかして」
「そのもしかしては大当たり。じゃあ休み時間、昼休みとかがいいかな。人のあまり来ないところにスマホを持ってきて」
「わかった。じゃあまた後でね」
後ろ髪を引かれるが手を振り教室を目指す。チャイムがなってから1分近くが過ぎ、多分私が居ないことに授業を担当してる教師が気付く頃だろう。
廊下に出ると当たり前だが人はおらず、教室からは教師が教鞭を執っている声が聞こえる。
自分の教室の前に辿り着き後ろのドアを音を立てないようにゆっくり開けて入るとすぐ側にいたクラスメートはびっくりした後くすくす笑っていた。だがこちらを向かれると不審がられるので軽く叩き前を向かせた。机から机に忍者顔負けの動きで移動した瞬間、生物の教科担当である綾瀬先生とバッチリ目が合った。苦笑いしてやり過ごそうとしたがニッコリ笑われ手でこっちに来いと言われ潔く彼のいる教卓に「あははー」と言いながら近づく。
「よお杉原、お前最後にとった生物のテストは何点だったか覚えてるか?」
なんだか楽しそうにクラスメート全員の前で私の点数を自ら告白させる男に殺意を感じた。
「にじゅう…いや、さんじゅう」
「16点だ。記憶を改竄しようとするなあほんだら」
指を折りとぼけながら点数を捏造しようとするが通用しなかったようだ。
「すみません…」
「別にオレの授業をサボっても遅れても良いが点数を取れないなら話は別だぞ。まあ、授業後にしっかり罰は受けてもらうからそれで今回のことはチャラだ。内申点のことは気にしなくていいぞ。遅刻ランカー」
説教は短ろうと長かろうと耳が痛くなるものだ、てか遅刻ランカーてなんだよ。授業終わりに遅れた罰として生物室に荷物を運ぶのを手伝えと言われ渋々了承した。授業は何時になく退屈で昼休みの時間まで待ち遠しい。マクロファージだか好中球だかなんてもの覚えて役に立つのだろうかなんて疑問は飽きるくらいに湧いてくるが止められそうにない。これは学生時代に抱く永遠に語り継がれる疑問だろう。
時計の針をチラチラと気にしてる時は大抵時計の針の進みが異様に遅く見えるが何故なのだろうか。退屈が時間を歪めてしまうなら私の周りは常に時が止まっているだろう。紫と過ごす場合は一瞬で寿命を使い果たしそうだ。この授業をサボって紫と話をした方が有意義だったのは言うまでもない。ペンをくるくる回しながら先生の言っていることにうんうん適当に頷いておくことを忘れず紫の事を考える。
私が彼女と最後に会った日は 2 日前私の家だった。勉強会という名ばかりの集まりは中学時代からずっと続いていた。少し違うとすれば高校に入ってからは二人きりという点ぐらいだろうか。仲の良かった友達はバラバラの高校に進学し、特に拘りがあった訳でもない私は紫が行く高校について行った。私にとって幼なじみであった紫はかけがえのない存在である。依存しているかもなんて思う時があるけど紫は気にした様子は今までなかった。いつも二人一緒でまるで姉妹のようだねと言われ照れくさくなって、でも何か違かった。
チャイムが鳴り、皆席を立って次の授業に備えたり友達と集まり雑談を始める中、私は綾瀬先生が授業で使った備品を押し付けられ生物室へと向かった。