第八話 あばんちゅーる作戦
弧を、描く。
間近に迫った銀色の爪を、地面すれすれに腰を落として躱した。髪の毛が数本、風圧でなびく。
新太は腰だめに構えた闘具――木刀の柄を握る手に力を込めた。発熱、手の平に汗がにじむ。熱い。
怖いが――いける、と直感。
新太の身体を包み込むほどに巨大な、その手、その爪の攻撃は、いま対峙している勿忘神――「化け猫」の渾身の攻撃だったのだろう。勢い余って、そいつは体勢を崩しかけている。
新太は乾いた唇を舐めた。
太ももから、ふくらはぎへ、力が伝わる感覚。蹴る。
隙が生まれた「化け猫」の脇腹をめがけて、飛び込む。
「おい、無理だ! いったん、引け!」
九狼の声が聞こえたものの、身体は止まらない。
その毛並みが目視できる距離で、「心形刀流――燕!」
新太は逆袈裟に木刀を切り上げた。
しかし勿忘神は身をくねらせて、易々とそれを躱した。読まれていた、と焦る。
「ほら見ろ! あいつはお前の動きなんか先刻お見通しなんだよ」九狼が追い打ちをかける。
かちんときて、一歩前へ。切り上げた木刀に左手を添えて、二歩前へ。
「おいっ、踏み込みすぎ……」今度は九狼が息を飲む。だが、無視した。
身体を押し出すようにして滅茶苦茶に斬り下げた木刀が、「化け猫」の手先を少し切る。ギャウ、という猫に似つかわしくない悲鳴。
闘具は、その霊殻を傷つけたのだ。証拠に、「化け猫」の大きな手から、微かではあるが血煙のような気が零れている。
あとはあれを、取り込めば――
しかし、頼りの相棒からはなんの返事もなく、じれて新太が叫ぶ。
「九狼、早くっ!」
「え――」呆けた返事、そして。「いや待て。あんな量じゃ、呪紋は無理だ。もっと踏み込んで、いや今は」
「どっちなの⁉」
「おい、上!」
ぶぉん、と振り下ろされた「化け猫」の手が顔すれすれを掠めた。頬の薄皮が破れ、血が飛び散る。続いて、第二撃の気配。
新太は跳び退った。
それを追って「化け猫」が手を伸ばす。にゅっと伸びた銀の爪が、新太の胸元を軽く引っ掻いて。
そのとき、何かが舞った。
右から左に、影が自分と勿忘神の間を通ったのを新太は見た。
「化け猫」の腕が切り離されていた。地面に落ちると同時に霧となって、新太の視界の左端に消えていく。それを目で追うと、そこにはヒナギの姿があった。
七宝柄を散らす、橙色の羽織が風ではためいていた。
「ガキがっ、ぼうっとしてんじゃねぇ! 来るぞ!」
九狼が叫ぶ。
片腕を失った「化け猫」が唸って身体を半回転させる。勢いをつけて長い、太い尾を鞭のようにしならせた。向かってくる、圧倒的質量を感じさせるその毛束を、歯を食いしばって奇跡的な回避術――はたから見たら、身体をくの字に折り曲げた極限のへっぴり腰――で、なんとか躱す。
ふぅ、と安堵の吐息を零し。
しかし――尻尾はもう一本あったのだった。
二連続毛束。そんなの有りかよっ、と呻いた声もむなしく、新太は弾き飛ばされる。
強い力で胸をぶっ叩かれた感覚に、息が止まる。
背中から地面に落ちたが、訓練の成果か反射的に受け身をとることには成功していた。
慌てて上体を起こす。弾き飛ばされたとき、手にしていた木刀はすっぽ抜けてしまっていたから、徒手空拳で対峙する。
しかし、そのときにはすべてが終わっていた。
華紋が開き、光が収まり――眉毛が太く、妙に凛々しい顔つきの陶器製招き猫が、ただそこにあるだけだった。ヒナギが勿忘神を鎮めたのだ。
「あ――」
新太がまぬけ面を晒すのを、「ケガはありませんか?」とヒナギが心配して訊いてくる。あまつさえ、ぐいっと無遠慮に顔を近づけて、覗き込んでくるのだった。
さらに手ぬぐいで、頬の血を拭きとってくれて。
新太は居たたまれなくなって、黙ったまま俯く。
また、役に立てなかった、と。
ここのところいつも頭に浮かぶその言葉を、これもいつものように飲み込むのだった。
屋敷に戻って簡単な治療を受けたあと、ヒナギと共に七曜の間へ行く。
そこには靱負が待っていて、事後報告を行うのが決まりだった。しかし、話すのは専らヒナギの役目で、その隣で新太は肩を縮こまらせているだけだった。ぼんやりと、畳の目なんか数えたりして。
ヒナギから今回の顛末を聞き終わった靱負は、鷹揚に頷いたあと、
「しかし、打ち身と擦り傷だけで済んでよかった。痛みは引きましたか?」
そう言って、気遣うような視線を新太に向けてくるのだった。
新太は伏せていた目を、そっと上げた。このとき、靱負が眼鏡をかけているのを知った。
「だ、大丈夫です」
それだけ答えて、また畳に目を落とす。
嫌でも思い出すのは、今日の――そして、ここ最近の、自分の戦いぶりだった。
闘具が完成したのを機に、新太も本格的に華紋師として活躍するようになった。勿論、玉虫やヒナギのお守り付き、ではあるが。
週に二、三件の頻度と玉虫は言っていたが、それは事実で――七曜からもたらされる勿忘神出現の報せに、西東京中を駆け回る日々だった。
だが、それは活躍とは程遠いもので。
勿忘神を鎮めることはおろか、今までその霊殻から呪紋を切り取ることすらできていない。いつも勿忘神から反撃を食らって、傷を負わされるか昏倒するか――つまり、負けてばっかりだった。
原因は自分でも分かっている、と思う。
ここぞ、というところで九狼と息が合わないのだ。
華紋師が闘具で勿忘神の霊殻を切り崩す、それを相棒の付喪神が取り込んで、華紋を形成する。頭では分かっているが、いざ勿忘神と対峙すると恐怖や焦りで思うようにいかなくなる。九狼との足並みもずれるばかりで、その結果が――これだ。
玉虫やヒナギに迷惑をかけ通しで、居たたまれなくなる。
気遣うような視線を向けられると、自分が役に立たない人間だと浮き彫りにされるようで、つらいのだ。
任せて下さい、と啖呵を切ったくせに、この様だ。
そう思って――新太はますます縮こまる。畳の目も、もう数え終わって二周目に突入だ。
そんな新太の様子を靱負はしばらく見つめ、それから隣のヒナギを見やる。
「向坂くんは、どう思いますか?」
なにを、とは靱負は言わなかった。しかし、それで伝わったのかヒナギは目を細めた。すっ、と息を吸い込む気配が伝わってくる。
「……新太くんの戦い方は、直感に頼りすぎています。頭で考えず、身体が動く。端から見ていて、危なっかしい限りです。それと、動きが直線的で、相手に読まれやすいのも欠点です。戦いの場全体を、落ち着いて見る目が必要だと思います」
新太は膝に置いた手をぎゅっと握った。そっと唇を噛む。
「ですが、今言ったことはこれからの経験と、鍛錬の積み重ねで改善されます」
「え?」
新太は顔を上げた。ヒナギが薄く笑って、頷いてみせる。
「今、解決すべきは、九狼との関係ではないでしょうか。九狼は新太くんを信頼していない。新太くんは九狼と共に戦うというより、直感だけで動き回っている。二人の呼吸が合っていないと感じます」
「二人の呼吸、ですか……。確かに重要ですね。新太くんと九狼、せっかく組んだのですから、なんとかしたいものですが……」
靱負が顎に手を添える。新太も真似して、手を顎に当てる。
九狼に、良い印象を持たれていない状態で、それでも、仲良くなる方法――難問だった。
一緒に訓練をしよう、と誘っても、たぶんそっぽを向かれるだけだろうし――
うーん、と二人分の唸り声。
そのとき、甲高い声が上がった。
「そんなの簡単だよ。あーちゃんと九狼で、一緒にお出かけすればいいよ」
なんでこんな簡単なこと誰も思いつかないの、というような声で四鸞が言ってのけた。いつの間にかヒナギの肩に止まっている。
「ていうか、九狼! 靱負さまがあなたのこと話ているんだから、ちゃんと姿を現す!」
びしっ、と、翼で新太を――いや、九狼を指し示す。
「はい、……すんません」
ぼそっと言って、九狼は墨壺から出てきた。不貞腐れつつ、ではあるが。
新太は驚いた。てっきり反発するかと思った九狼が素直に四鸞の言葉に従ったのだ。
珍しいものでも見たかのような新太の反応に、九狼はひとこと。「なにみてんだよ」
「はいはい、喧嘩しちゃダメ」四鸞が嘴を尖らせる。「それで、さっきの話なんだけどぉ、二人の仲を良くするには、一緒にお出かけして、遊んで、おいしいもの食べて――って、あたし達は食べられないんだった」えへへー、と翼で頭を掻く。がくっと新太は力が抜けそうになった。
「とにかく、二人でお出かけするの。えっと、こーゆーのって、なんて言うんだっけ? でいと? らんでぶー? あばんちゅーる?」
「あ、あばんちゅーる⁉」
新太と九狼が、こんなときだけ息ピッタリに唱和する。意味は分からないが、その言葉を聞いただけで、なんだか胸のときめきを覚えずにはいられなかった。
「ふむ、……確かにいい考えかもしれませんね」
そう言ったのは靱負だった。意外な賛同者の出現に、新太と九狼がほとんど同時に、驚きに引きつった顔になる。対する靱負の表情は穏やかで、
「まずはお互いを深く知ることです。それに、最近、戦い続きでしたからね。新太くんも、たまには息抜きが必要ですよ」
息抜き、か。そう心で呟いて、傍らの九狼を見やる。
その視線に気が付いて、九狼が顔を上げ――目が合った。
どうするよ、とその目が言っていて――
「ここが不忍池かぁ……」
新太の声が、寒風に吹きさらわれて空しく消えていく。
龍門橋のふもとに立ち、池の南東から全体を見晴るかす。その手には『帝都名所案内』がしっかりと広げられていて、そこに描かれた錦絵と目の前の景色を交互に見るのだが、
「『まるで極楽浄土のような景色』って、花なんて、咲いてないよなぁ。枯れ草ばっか――くしゅん!」
「蓮の花は、夏だ。ばかたれ」
ぽつり、と九狼が言った。
「え、なんか言っ――ぶしゅん!」
続けざまのくしゃみのあと、新太は真っ赤になった鼻をこすった。寒さに思わず、着物の前を合わせる。もうじき十一月になろうとしているのだから当たり前なのだが、この日は特に冷えた。
日課の四谷一周――この頃には下駄の歯減らしのため、二周にしていたが――それのために起きるのが今日ほどつらかったことはなかった。そういえば、途中ですれ違った咲くら屋のおばあちゃんが、初霜がどうとか言っていたような。
斗南の極寒に耐えた新太にとって、東京の冬というものを正直甘く見ていたが、寒いものは寒い。
そんな日を、あえて選んだわけではないが。
貰えた休日が、今日だったのだ。四鸞の発案による、あばんちゅーる作戦の決行日――新太は九狼と相談をして、というより何も言わない九狼に嫌気がさして、勝手に上野へ行くことを宣言した。腰に墨壺を括り付けて、上野のお山までやって来た。
だから当然、
「なんで上野なんだよ」九狼からは不満の声が上がる。
「いいじゃん、上野。観光地だし、来たことなかったし」
「枯れ草見て、楽しいか? こんな晩秋にわざわざ――ははん、さては東邸の、例の女に会いに来たんだろう?」
「え、……そんなわけないじゃん。面識ないし、向こうだって俺のこと知らないし」
ぼそぼそと、早口で呟いた。
実はほんのちょっと、少しだけ、期待していたりもしたが――当然、それを言えるはずもなく、じとっとした目を向けてくる九狼を避けるように、
「あ、ほら……池の真ん中に、朱いお宮がある。向こうから渡れそうだし、行ってみる?」
「弁天堂な。めんどうだから、いい」
と、自身では一歩も歩かないくせに、そんなことを言ってくるのだった。
新太はふう、と白い息を吐き、厚い雲が垂れ込める空を見上げた。渡り鳥が、雁行になって飛んでいくのが見えた。
こんなはずではなかった、と思う。
東邸の子のことはひとまず脇に置き、新太が上野を選んだのには理由があった。
今回の目的地を選ぶため、『帝都名所案内』をパラパラめくっていたら、不忍池に競馬場があることを知ったのだ。
斗南にいたとき、一度だけ三沢の広沢牧場に連れて行ってもらったことがあった。父は仕事だったのだが新太にとっては初めての遠出で――そこで見た南部駒の凛々しい姿が焼き付いて離れなかった。東京市内のど真ん中に馬が走る、それを想像したら感動が蘇ってきた。だから上野に行くことにしたのだが。
行ってみたら競馬場は七年も前に閉鎖していて――それならば、と、まるで極楽浄土と謡った錦絵を頼りに池までやって来たら、これだ。花などなく、枯れ草がふわふわ浮いているだけの風景。
しかし、である。
新太にはまだ、秘策があった。これを言ったら九狼も驚くだろうな、と、口元が綻ぶ。
「気持ちわりーな、なに笑ってんだよ」
「いや、実はさ――」言って、本をめくる。目当ての頁を探し当て、開いて九狼に見せつけた。「上野には、動植物園ってのがあるんだ。ほら、これ。珍しい動物がいるって書いてある」
「興味ないね」
「えっ、だって――あっ、狼もいるかも」
「けっ――」九狼は鼻を鳴らす。「てめー、自分に置き換えて考えてみろよ。ここに人間がいるよ、って檻に入れられた姿を見せられるんだぞ。悪趣味極まりないだろーが」
「……ごめん」
至極ごもっともな話で、ぐうの音もでなかった。
九狼が霊殻を伸ばし、新太の顔を真正面から見据えた。そして、銀の瞳を細めて、
「言っておくが、俺はお前が嫌いだ」そう言い切った。「最初から組みたくなかった。俺とお前の相性がどうこうって話なら、こんなまどろっこしいことはやめて、別の付喪神と組めばいいじゃねーか。そうすりゃ、お互い問題解決だ」
「そんなっ……それじゃあ、ダメだ」
「なんでだよ。四鸞や靱負に言われたからか?」
つい、と顎を上げて九狼が見下ろす。新太は強く、首を振った。
「違う。俺は、九狼がいいんだ。誰かに言われたからじゃなくて、俺は……九狼と仲良くしたいって思ってる」
「――なんで?」
「それは――」
新太は、屋敷で初めて九狼に会ったときのことを思い出す。いきなり自分に飛び掛かってきたこと、その本体の墨壺が傷だらけだったこと、まるで他者を遠ざけることで自分が傷つくのを予防するような態度、独りぼっちになることを自ら選ぶような――
いろいろな感情が浮かんだが、それをうまく言葉に出来なくて、新太がやっと言ったのは、
「……九狼が、……淋しそうだったから」
「けっ、同情かよ。何様のつもりだってーの」
「違う! 同情じゃなくて――」
否定したものの、続く言葉が出てこなかった。
それきり重たい沈黙が下りてしまう。
灰色の空と、それを映す水面。そんなものを眺めていたら心の中まで寒々しくなってきて、新太は池に背を向けた。池に沿って、そこには家々が建ち並んでいた。様々な看板が掲げられていて、どうやらここら一帯は商店が続く繁華な通りらしい。店先を冷やかしつつ、そぞろ歩いている人々が多かった。
茶屋かどこかで、温かいものでも飲もうか。
そう考えて、新太もその人の群れに加わることにした。
薬屋や本屋、櫛屋、小間物を扱う店、髪結い処など、実に雑多な店舗が池の南端に沿って続く。並ぶ商品や看板、賑やかな人通りを見ていると陰鬱な気分も少しは晴れてきた。
「へぇ、……万病に効く池之端宝丹かぁ。あ、あっちには牛乳せんべいだって」
お土産に買っていこうか、と新太が弾んだ声で言うと、
「ここら辺の賑わいは昔と変わってないな」ぼそり、と九狼が言った。
「そうなの?」何気ないふうで新太が訊くと、意外にも九狼は話に乗ってきた。
「ああ、ここら一帯はもともと池を埋め立てて出来た土手だったんだ。料理茶屋が軒を連ねててな、地方から来た侍なんかが土産を買ってくってんで、店も多かったんだよ」
「料理茶屋? え、サムライって――」新太の横を通り過ぎた五十がらみの婦人が、怪訝な顔をこちら向けているのに気付いた。つい忘れそうになるのだが、九狼の姿や声は普通の人には見えないし、聞こえないのだ。声を潜めて、「それって、江戸時代の話?」
「ああ、今からざっと一五〇年くらい前か」
そんなことをさらっと言ってしまえる九狼に、初めて人間と付喪神の生きている時間軸のずれを新太は感じた。そんなところが自分と九狼のズレかもしれないな、とふと思ったり。
九狼は呆気にとられる新太にお構いなく話し続ける。思い出を懐かしむように、その声はどこが楽しげだった。
「てっきり上野の戦争でここら辺も焼けちまったと思ってたが――そうか、雰囲気は昔のまんまだな。この通りを道なりに行くとな、根津の廓があって、煙管片手に粋人が――おっと、こんな話は、お子様にはまだ早かったか」
九狼がにやりと笑う。カチン、と来たがここは堪えて、
「詳しいんだね、九狼」
「ま、お前より長く生きてるからな」
「そうだけど、……なんか、思い出話しみたい。ひょっとして、九狼はここら辺に住んでた、とか?」
九狼が黙り込む。ややあって、「教えない」と一言。そして、それきり会話が止む。
せっかく上手くいきかけていたのに、またもや振り出しだ――ため息を零す。どうしたものか、と新太が何気なく視線を街並みに戻して――あっ、と声を上げた。
「あの店、ちょっと寄っていい?」
訊きながら、新太の足はもう動き出していた。
看板には『古道具・元禄屋』とあった。
所狭しと箪笥やら鍋やら火鉢やら――ほこりをかぶった品々が積まれている。店先まであふれて、中には往来まで転がっている商品もあった。それを拾い上げ、土を払って元に戻す。
「なんだここ、古道具屋?」
九狼が気だるげな様子で、霊殻の首を伸ばした。「じじ臭い趣味だな、お前」自分も古道具のくせに、そんなことを言っている。
新太は笑って、「違うよ。実は、探し物があって――」と、そもそもこの東京に来た理由が、家伝の刀を探すためだったことを話した。
華紋師になって、訓練や実戦続きの日々でなかなか探す暇もなかったのだが、それでもこうして古道具屋なんかを見かけるたび立ち寄っていた。結果は、空振りに終わっているのだが。
「反りの浅い打刀で、刀文は乱れ刃。透かしの入った鍔に、鞘は黒塗り」新太は探している刀の特徴を淀みなく話す。「刀袋は紫根染めで、綺麗な紫色をしててさ。紐のところに根付があるんだけど、これは父さんのお手製。猫――って本人は言うけど、手先が不器用すぎて太った狸にしか見えないんだ」
懐かしさに自然と頬が緩む。しかし九狼の方は興味のない様子ありありで、
「ふうん、……。でもよ、見つかったとして、お前、金もってんのか?」
「うっ――」
痛い所を突いてくる。
華紋師として靱負から毎月給金を貰っているとはいえ、まだ見習いの身分だ。高くない。もともと持っていた虎の子の二円を合わせても、貯えたのは僅か五円ほどだった。それでは刀はおろか、鍔も買えないだろう。
「い、いいんだよ。ひとまず、見つけることが肝心なんだから。それに、刀がいくらするか分かれば貯金の目安になるし」
自分に言い聞かせるように言って、店の入り口――積まれた商品のせいで、猫の通り道ほどに狭くなった――に立つ。黴臭さに眉をひそめる。真っ暗な店内に、つい足がすくんで、
「入らないのか?」
「……っ、入るよっ!」
九狼に背中を押される形で、足を踏み入れた。
入ってみると、中は意外と広かった。薄暗いが、しん――と静まった気配はどことなく道場に似ていると思った。コチコチと、柱時計だけが唯一、音を立てている。
新太がきょろきょろと見回していると、
「なんや、ガキかいな」
店の奥から声がした。机に肘をついた恰幅のいい中年男がこちらを睨んでいた。
「ここはガキの来るとこちゃうで。冷やかしなら、さっさと帰って」
「え、……あ、あの……か、刀を探してて」
「刀ぁ?」胡乱な目を向け、男は顎で左の棚を指し示す。「そんなら、そこにあるやろ」
新太は軽く頭を下げ、教えられた棚の前に行く。そこには刀掛に飾られた三振りの日本刀があった。
「上から、津田助広、肥前守忠吉、長曽祢虎徹や」と、めんどうくさそうに男が言った。
「お、おいくらくらい……」
「はぁ、買う気かいな⁉」男が声を荒げる。どこか笑いを含くみながら、「最低でも百やで。虎徹なら二百は貰わんと。ガキなんか逆立ちしたって――んんっ⁉」
「えっ?」
男が目を丸くして、こちらを見ていた。その視線は新太の腰に注がれていて、
「あ、あんさん……それ、…それ」
震える声で言って、転がるように新太の前にやって来る。顔を近づけられ、その、やに臭い息にうっ、と眉をひそめる。
「それっ、どないしたんや。わいの目に狂いがないなら、それは文政の名工、琳狼斎の作やと思うんやが――」
男が言う、それというのは九狼のことだった。わなわなと気持ち悪く指を震わせ、
「ううむ、ちょいと傷が目立つが、それと交換なら……、あの、忠吉で手ぇ打ったるわ。どや、ええ話やろ?」
言って、棚の真ん中――印籠鞘の一振りを指し、今にも持ってきそうな勢いだった。
新太は慌てて首を振り、
「ダ、ダメです。これはその……友達」そこで言葉を区切る。まさか付喪神のことを話すわけにもいかず、少し迷って、「と、友達の……えと、仕事道具だから。勝手に売ったりできないんです、ごめんなさいっ!」
それだけ叫んで、踵を返す。飛び出した道具類に足を取られながら、店の外へまろび出る。
「あ、待って。あんさん、いや、お大臣様っ!」
外まで男が追ってきた。
新太は、軽く悲鳴をあげて、商店の並ぶ通りを走る。人を避け、五間ほど来たところで後ろを振り返る。さすがに引き離していたが、人波をかき分けるように、
「お大臣様っ! 大統領!」
例の、だみ声が迫ってきた。新太はどこか逃げ込める場所はないかと辺りを見渡し――通りの奥まったところに茶店があるのを見つけて、そこへ駆け込んだ。